子供達が寝静まる時間帯。彼らはホテルの二階に設置されているバーでカクテルを傾けていた。
並んでいるのは、カクタスガンマンとクロックマスター。そして、ゴールドだ。
三人は時折、こうして共に酒を飲み合う。このホテルの住人で、こうやって穏やかに酒を飲むことができる者は少ない。シェフも酒を飲むことがあるが、大抵はキャサリンに引きずられてやってくる程度で、自らここへやってくることはない。
「それにしても、ジェームスの悪さには恐れいるよ」
「まったくじゃ」
カクタスガンマンから出された話題は、このホテルの支配人であるグレゴリーの孫についてだ。
悪戯っ子。と、いえば聞こえはいいが、あれは傍若無人の限りを尽くす悪魔だ。変わり者や凶悪な者が多いこの世界でも、彼の恐ろしさは抜きん出ている。あれこそが、無邪気な子共の恐ろしさとでもいうのだろうか。
特に、ビビリでリアクションの大きいカクタスガンマンは彼のターゲットにされることが多かった。聞けば、今回も落とし穴にはめられ、睡眠不足にさせられ、ロストドールに泣かれと、散々だったようだ。
「同情しているようだが、あんたの息子も関わってるんだからな!」
「マイサンは友人の頼みを断れないのじゃ」
クロックマスターの息子はよくジェームスと遊んでいる。子供の数はそう多くないので、彼らはよく一緒に遊んでいる。遠くで彼らを見ている分には可愛らしく思える。そう、彼らの牙が、こちらに向かなければ、それでいい。
「そうだね。マイサンがジェームス達を止めようとしているところは何度か見かけたよ」
悪戯を積極的にしようとするのはジェームスで、それについていくのがミイラボウヤ。マイサンは時に力を貸し、時に彼らを止めるいいストッパーとなっている。
「へー。そんなところがあるのか」
感心したような声をカクタスガンマンが上げると、ゴールドは苦笑いをしながら言葉を続けた。
「この間、名無しを探しいるときにね、見かけたんだ」
「ああ、アイツまだサボってるのか」
「大変じゃのぉ」
ゴールドは何人かの弟子を持っているが、その中でも最も若い審判小僧が、名無しだ。彼は有能ではあるのだが、如何せんサボり癖が強い。ついこの間も、彼だけホテルに残して遠征に出ていたら、その間の訓練をサボっていた。
無論、大きな雷を落としておいたが、彼にどれだけの効果があったのかはわからない。
今までにないタイプの弟子に、ゴールドは深いため息をついた。
「飲め飲め。そんな辛気臭い顔するなよ」
「ありがとう……」
カクタスガンマンに勧められたカクテルを一気に煽る。
アルコールが喉を焼く感覚と、頭に少し霧がかかるような感覚がたまらない。
「最近、彼の様子がどうもおかしいんだ」
酒気と同時にゴールドは悩みを吐き出す。
どちらかと言えば、彼は他人の悩みを聞く側の人間で、こうして愚痴を吐かれるのは珍しい。これは力になってやらなければと、普段は愚痴を聞いてもらう側の二人は腰を据えてゴールドへ目を向ける。
「サボるのは……まあ昔からなんだけれど」
「あんたも本当に苦労してるよな」
話をしないだけで、ゴールドは苦労人だ。カクタスガンマンは同情したような目を向ける。
「最近は前にも増してよくサボるし、その割りに見つけたらあっさりと訓練に戻るんだ。
個人訓練のときは絶対サボらないから、他の子達が何かしたのかと思ったけど、そうじゃないみたいだし。
いまいち集中しきれてないみたいで、よくボーっとしてるし。
私が触ると慌てて手を引いてしまうから、細かい部分が間違っていたりする。
顔が真っ赤になっていることが多くて、キャサリンに診てもらおうという提案もしたんだけれど、えらく拒否されたし……。
私が何かしてしまったのだろうか」
つらつらと上げられた言葉に、二人は何も言えない。
ゴールドが再びカクテルに手を伸ばし、それを一気に飲み干す。
「……何かの冗談じゃろ?」
「何がだい?」
クロックマスターの問いに、ゴールドは首を傾げる。
彼は冗談を言った覚えはない。れっきとした愚痴と相談のつもりで言葉を紡いだ。
「キミ達は兄妹がいたり、子供がいたりで、何かわかるんじゃないのかい?」
二人を見つめてくる赤い目は本気だ。
カクタスガンマンは片手で顔を覆い、一つの疑問を口にする。
「あんた、ご自慢の『真実を見抜く目』は、どうしたんだよ」
「え? そんなの、ずっと真実を見ているわけがないじゃないか。
流石の私でもそのくらいのデリカシーはあるよ」
そう言いつつ、自分の興味があれば、どのようなプライベートな真実だったとしても彼は見抜く。そして、それを嬉々として相手に突きつけてくる恐ろしさを兼ね備えている。ゴールドを含めた審判小僧達が、ホテルの住人にすら恐れられる部分があるのはそういったところだ。
今さら現世にいたころの真実など、ゴールドが口にするはずもないと思っているが、その他の真実も彼は見抜く。真実から目を背けるのは十八番な者ばかりだ。
「お前さんは、普段その目で真実がわかる分、少々阿呆のようじゃな」
「……そこまで馬鹿にされる理由がわからないんだけど」
唇を尖らせるが、いい歳をした大人がそんなことをしても気味が悪いだけだ。
「審判小僧……名無しは、あんたが好きなんじゃねぇの」
二人が思い描いた真実を投げてやると、ゴールドは目を見開いた。予想だにしていない真実を、受け止めかねているようだ。普段は真実を突きつける側が、いい気味だと、二人は頭の片隅で思わずにはいられない。
「私も、名無しは好きだよ」
「親愛の意味じゃないってのはわかってるんだろ」
「…………」
好きの意味をそらそうとしたゴールドに、それは許さないとばかりにカクタスガンマンが起動修正を入れた。
「よいではないか。今さら背徳感を得るような人間でもあるまい」
この世界に落ちてきた時点で、普通の道徳観など捨て去っている。
ある意味では全てが許されているこの場所で、同性であることを気にすることは実に無意味なことだ。歳の差などは存在しているかも怪しいもので、子供を作る必要もない。審判小僧がゴールドを好きだと言い、ゴールドがそれに答えれば、誰かに後ろ指をさされることもなく、そのカップルは成立する。
「いや、私はだね」
「嫌いなのか?」
意外そうな声をカクタスガンマンが上げたのに対して、ゴールドは不服そうな表情を浮かべる。カクタスガンマンは彼の答えを知っているはずだ。
「――そんなわけがないだろ」
嫌いではない。大切な弟子で、息子だ。
サボり癖があるところも、少しばかり目線が幼いところも、すべて許せる程度には好きだし、愛している。ただ、それは明らかに審判小僧の持っている情とは別ものだ。
「あー。どうしたらいいんだ」
とうとうゴールドは頭を抱えた。
審判小僧の思いに応えることはできない。しかし、彼の思いを切り捨てることもできない。だが、現状を維持するわけにもいかない。
見事な八方塞がりに、ゴールドは呻き声を上げる。
「こういうことは、早めに解決していた方がよいぞ」
「あの子の思いを断ったら、あの子は消えてしまうかもしれない」
「オレは何度も失恋してるけど、流石に消えるまでのダメージはないぜ」
「名無しはキミと違って繊細なんだ!」
テーブルを両手で叩く。
カクタスガンマンはいつも笑いながらゴールドの訓練をサボる名無しを思い浮かべ、断言するほど繊細ではないと思ったが、口に出すのはやめておいた。
「では、どうするのだ」
「どうしようもないじゃないか……」
ため息が一つ。
二人は相談に乗ってくれるが、どの言葉も審判小僧への断り方に関するものだ。それでは困る。と、ゴールドは内心愚痴を零した。
しばらくそんな時間が続き、その日の飲み会はお開きとなった。時刻はそろそろ朝と呼ぶべき時間帯へ近づいていた。当然、ホテルの中は静まり返っており、起きている人物は少ない。
愛しい妹や息子のもとへ軽い足取りで帰っていく二人の背中を、ゴールドは恨めしそうに眺めていた。
結局、彼の望むような答えはでなかった。そもそも、ゴールドは自分自身がどのような答えを求めていたのかもわからない。
ゴールドは酒に酔うこともできず、かと言って全くアルコールが回っていないということもなく、中途半端に理性の錠が外されているような状況だ。胸の中にある、陰鬱とした感情を持ったまま、彼は足を進めた。
向かった場所は自室ではなく、今夜の話題となった審判小僧の部屋だ。
扉の前で立ち止まり、部屋の主が眠っていることを気配で確認する。
音をたてないように、そっと扉を開けて中へ入る。何もない殺風景な部屋は、彼がまだまだ未熟者である証だ。
中立を保つべき審判小僧は、感情的になってはいけない。物に縛られてはいけない。この世界に生きる者としては、おかしな存在ではあるが、審判小僧は無欲になれなければならないのだ。そのため、見習いの時期は己の周囲に私物を置かないように義務付けられている。
支給された薄い布団に包まっている弟子を目に、ゴールドは心が少しだけ軽くなるのを感じた。
穏やかな寝顔を浮かべた審判小僧は、ぐっすりと眠っており、ゴールドがやってきていることにも気づかないでいる。
「名無し……」
慈愛のこもった声で、彼の名前を呼ぶ。
ゴールドは、彼が大切なのだ。そして、愛おしいと思っている。穏やかな寝顔を見れば癒され、必死に訓練をしている姿を見れば心が温まる。
「――おや、ぶん」
審判小僧の口が、確かな言葉を紡ぐ。
起こしてしまったのだろうかと、ゴールドは息を飲んだ。しかし、どうやらそれは寝言だったらしく、すぐに規則正しい寝息が聞こえてきた。
「私はここにいるよ」
柔らかい審判小僧の頬に触れる。
人の体温を感じたのか、彼の寝顔が綻ぶ。
ゴールドはそんな審判小僧を見て微笑んだ。
弟子であり、子である愛しい子。彼のためならば、ゴールドは何でもしてやりたいと思っていた。自分の力で叶えてやることができることならば、全て叶えてやりたいと思っていた。審判小僧を傷つけることなど、少しもしたくなかった。全ての攻撃から守ってやりたかった。そうして、ただ笑ってくれていれば、それが幸福だと思っていた。
「すまないね」
それでも、ゴールドには審判小僧の望むものを与えてやることはできない。
おやすみのキスならできる。おまじないのキスならできる。親愛をこめたキスならできる。審判小僧が持つ愛と同じ意味合いを持った愛を乗せたキスはできない。
どれほど思っていても、それは親子や師弟の域をでない。過保護だと言われることはあるが、それでも恋愛感情に発展することのないものだ。
「せめて、いい夢を見ておくれ」
そう呟いて、ゴールドは審判小僧の額に唇を軽くつけた。
審判小僧の寝顔は穏やかで、幸福そうなものだった。それがまた、ゴールドの胸を締め付けた。
END