暗いホテルの廊下を歩く。人一倍怖がりなカクタスガンマンはその不気味さに身を振るわせる。
 人気のない廊下に響いているのは自分の足音ただ一つ。コツ、コツ、という音だけだった。はずだった。
 いつからか、足音が増えていた。恐怖に激しく動く心臓が痛い。今すぐ駆けだしたい。そうすることすら怖いと思ってしまう自分の性格が憎い。いつまでもこうしているわけにもいかないだろうと、意を決してこの場から走って逃げ出すことにした。
 力強く足を踏み出した瞬間。彼の両肩に手が置かれた。
「うわあああああ!」
 手を振り払おうとするが、彼を掴んだ何者かは腕を取り、動きを拘束する。
「よお、ビビリのカクタスガンマン」
 両側から同じ声が聞こえてきた。
「……お前らか」
 ようやく足音の正体がわかり、カクタスガンマンは安堵の息をもらす。
「さて」
「ちょっとしたゲームをしようぜ」
 カクタスガンマンが逃げないとわかったのか、二人は彼の前へ躍り出る。その姿は瓜二つ。赤い髪をした男だ。片方の名はパブリックフォン。もう片方は彼の姿を映し取ったミラーマンだ。彼らは案外仲がいい。時々、こうして同じ姿になって住人達にゲームを迫ってくる。
 内容は簡単。どちらが本物のパブリックフォンか当てるのだ。
「間違えば」
「罰ゲーム」
 そう言って笑う姿はやはり同じ。声の調子も、仕草も完全に一致している。
 ちなみに、カクタスガンマン含め、ホテルの住人達の多くはこのゲームに勝ったことがない。純粋に彼らの姿が同じだということもそうだが、パブリックフォンが詐欺師であり、こちらが正解を選んだところでそれを素直に認めないのが原因だ。
 彼らから確実に勝ちをもぎ取れるのは、真実を知る審判小僧達くらいのものだろう。そのため、住人達は適当な言葉で二人を言いくるめ、逃げ出すのがいつもの光景だ。
 問題があるとすれば、カクタスガンマンはそれに成功したことがないということだろうか。
「……こっち、だ」
 右側のパブリックフォンを指差すと、二人は顔を見合わせる。少しの間を置いてからニヤリと悪魔のような笑みを浮かべる。同時に開かれる口は、カクタスガンマンにとって恐怖の対象にしか成りえない。
「ハズレだ」
 重なったはずのその声は元々一つのように聞こえた。
 二人が同時に受話器を手にとる。
「ま、待て!」
「さてさて。誰に繋がるかはお楽しみ」
「お前の秘密を一つ誰かにバラしてしまおう」
 恒例の罰ゲームにカクタスガンマンは冷汗をかく。
 電話が繋がる相手はいつもランダムだ。ロストドールやキンコのような者ならばいいが、エンジェルドッグやジェームスに繋がった日には、明日からホテルを歩けなくなってしまう。どうにか止めようとするが、カクタスガンマンにはどちらが本物のパブリックフォンかわからない。
「何やってんだ」
 そこにやってきた救世主は、全身黄色だらけのタクシーだ。ホテルの住人でない彼がここに来るのは珍しい。きっと、パブリックフォンとミラーマンによって行われている性質の悪いゲームについては何も知らないのだろう。
「よおタクシー」
「もうちょっと待っててくれよな」
 二人のパブリックフォンを見て、タクシーは少し目を丸くする。
「お、繋がった」
 同時に聞こえてきた声に、カクタスガンマンは悲鳴を上げる。
「おーカクタスガールか」
 聞こえてきた名前は果たして幸運だったのか。
 彼女が相手ならば、ホテル中に言いふらされることはないだろう。しかし、その代価として兄としての威厳を失いかねない。元々そのようなものがあるのか、という疑問はカクタスガンマン以外の者全員が共通して持っている考えである。
「オレオレ。パブリックフォンとミラーマン。
 今日はお前の兄貴の秘密を一つ教えてやろうってわけだ」
 一度、二人のパブリックフォンがカクタスガンマンを見て口角を上げる。
「お前がせっせと集めた客の服。アレをこっそち持ち出して返してるは兄貴だぜ」
 その言葉の直後、二人は受話器を耳から離す。女特有の甲高い声が受話器から聞こえてくる。どうやら威厳の心配よりも、身の心配をしたほうが良さそうだと判断したカクタスガンマンは二人を睨みつけてからそそくさと逃げ出した。
 相手が妹では銃を向けることもできない。
 逃げ出したカクタスガンマンの背中を見送り、二人はタクシーと向きあう。
「どうだ? お前もやらないか」
「どっちが本物のパブリックフォンか」
「間違えれば」
「罰ゲーム」
 二人の声が混ざり合い一つになる。
 タクシーはじっと彼らを見つめた。
 同じニヤケ面に、服装、髪、色。寸分違わぬそれはまさに鏡映し。
「お前だろ」
 片方の手を取る。それは、カクタスガンマンが選んだパブリックフォンだった。
「バーカ。カクタスガンマンが選んだのを見てなかったのか?」
 同時に聞こえた声に、タクシーは笑みを浮かべる。
「嘘つきめ。本物はお前だ。間違いない」
 タクシーは掴んでいる手を引き、パブリックフォンに深いキスをする。突然のことだったとはいえ、パブリックフォンはそれを大人しく享受する。
「……お前もされたいのか? ミラーマン」
 口づけを終えたタクシーが問いかけると、放置されていたパブリックフォンは肩をすくめ、本来の姿へと戻る。
 現れたのは仮面をつけたミラーマンだ。
「それは勘弁。オレはそっちの趣味はない。
 つかよくわかったな」
 審判小僧達以外にバレたのは始めてだった。
「内側から滲み出る快楽主義臭までは真似できねぇだろ?」
「なるほど」
 納得してみせるが、それがわかるのはタクシーくらいのものだろう。実際、今まで誰にもバレてこなかったのだから。
「ちぇっ。お前とゲームしたらこれだからつまんねぇんだよ」
 詐欺師であり、どのようなゲームもイカサマで勝ってきたパブリックフォンにとって、彼の性格を知り尽くしているタクシーはやりにくい相手だった。このゲームなら、と期待していたのだが、やはりバレてしまった。
 口を尖らせるパブリックフォンの背中をタクシーが軽く叩く。
「ま、オレくらいにしかわかんねぇだろうよ」
 タクシーは笑って言い、パブリックフォンも笑ってそれを肯定した。


END