オレは自殺した。
別に生きるのが苦しくなったとか。世界に嫌気がさしたとかじゃない。ただ、もういいかと思ってしまっただけだ。
せっかくだから、短いながらもそこそこ楽しめたオレの半生でも聞いてくれないだろうか。まあ、嫌だと言われてもオレは勝手に話すけどな。話すのは割りと得意なんだ。運転するのと同じくらいにはな。
そうだな。まずは従兄弟の話でもしようか。
「お前、いっつも一人だな」
ボロボロのマンションの下にある公園。そこにいつもそいつはいた。
滅多に言葉を発せず、表情を変えることなんて、滅多にない。そんな男だった。絶望していたわけじゃなくて、ただ単に幸せの類を知らなかっただけなんだと知ったのは、もう少し後のことだ。
「つかさー。お前の声あんまし聞いたことねぇな。ちょっと喋ってみろよ」
「……う、ん」
こうやって、一言二言話して、頷いたり首を横に振る程度のことしかしない。時々、そうだな。ブランコに乗っているときなんかは、心なしか嬉しそうだったような気がしないでもない。曖昧だろ? それくらい、あいつは無表情で、感情が読めない奴だったんだよ。
オレの両親は頭がよかった。父親は医者で、母親は弁護士だ。だから、オレも頭がよかった。家庭教師やら塾やら、親が教育熱心だったしな。オレは神童だった。だから、親はオレがあいつと話すのを好ましく思っていなかった。
幼稚園にも行かず、いつも汚い格好をして、そこらじゅうに鬱血やら血の跡が見えているような子供が、まともな生活をしていないと知っていたのだ。だけど、オレはそんなことしったこっちゃない。時々隙を見て、あいつのいる公園にまで足を運んだ。同情していたわけでも、あいつが好きだったわけでもない。ただ楽だったのだ。オレとあいつには血のつながりがある。
本能的に知っていた。オレとこいつは同類なんだ。そう。普通の人間じゃない。外道になる素質を持っていた。
「あ! さわんなよ!」
オレが大切にしている車のおもちゃの一つにあいつが触れたとき、オレは腹の底から怒りがこみ上げてきた。こんなことは始めてだった。無意識のうちに持ち始めていた執着に気づいた瞬間だった。
同時に、瞳だけで怯えているあいつを見たのも始めてだった。表情はいつもと同じなのに、その瞳は不安げに揺れていた。オレはバツが悪くて、あいつと一緒にブランコに乗ってやった。そんな風に遊んでいれば、太陽は沈み始める。オレンジ色の夕焼けに目を細め、オレはあいつと別れる。
あいつはいつもすぐに背を向けて家に帰って行く。あいつは何に執着するのだろうか。オレのように、何かに執着することなんてあるのだろうか。
んで、話は飛んで学生時代。オレは有名私立に入学した。成長しても、オレは度々あいつの元を訪れていた。お互い外道同士、他人には聞かせられないようなことを零しあった。万が一、あいつの口から情報が漏れたところで、優等生のオレとあいつ。どちらを周囲が真実と捕らえるかは考えずともわかる。
「よー。勉強って楽しいのか?」
公園のベンチに腰をかけて、手を振るあいつは笑っている。
いつからだったなんて、正確には覚えていない。ただ、気づいたらあいつは普通の人間と同じように、笑ったりするようになっていた。憶測にすぎないが、あいつが母親と体を重ねたときからなのだろう。
愛されているという思いが、あいつを変えたのだとすると、愛は偉大だ。いや、思いこみは偉大、かもしれない。正直、オレとしてはどちらでもいい。あいつが笑っているほうが話がいもあるってだけのことだ。
「別に楽しくはねぇな……。
そうだ。お前にいいもん見せてやるよ」
そう言ってあいつの手を引く。
「んだよ。つまらねぇもんだったら怒るぞ」
少なくとも、オレにとってはかなりいいものだ。
オレは自慢の愛車を見せつけてやった。
「……お前、どうしたんだ。あれ」
「パクった」
さらりと返してやると、横から噴出す音が聞こえた。見れば、あいつが腹を抱えて笑っている。
「マジで! お前も中々やる奴だとは思ってたけどなぁ」
窃盗に無免許運転。親が聞いたら卒倒するだろうな。その姿を想像すると、オレも笑えてきた。
でもしかたないだろ? オレは車が好きだ。運転するのが大好きだ。ハンドルを握っているとき、オレは一番幸せなんだから、何年も待ってられないんだよ。ただ、オレは周りの目を気にしてなきゃなんねぇから、堂々と乗りまわせないのが残念だ。
そして、どうやらあいつはオレの愛車が気に入ったらしい。顔を見せに行くたびに、ドライブに連れていけと言うようになった。オレも運転が好きだったので、二つ返事で了承する。そのうち、オレ達の間ではいつも同じかけあいがされていた。
「お客さん。今日はどこまで?」
「じゃあ山」
適当な山へ行き、海へ行き、オレ達は遊び回った。町周辺を回りつくす頃には、あいつは別の場所を要求するようになっていた。
大抵が怪しいスラム街で、オレはあまり好きではなかった。そこにいる奴らが犯罪者だからとか、汚いからとか、そういう理由では断じてない。奴らがオレの車を狙ってきやがるからだ。マヌケにも襲ってきやがったやつらは、全員轢いた。死んだかどうかまでは確認していない。興味もないしな。
「サンキュ。これ、お代な」
「まいどあり」
あいつが援交をし始めていることは知っている。男とだって寝たと聞いた。
だが、それがどうしたっていうんだ。あいつがオレを襲ってくるならばともかく、そうでないならばどうでもいいことだ。
あいつは自由に生き、オレも自由に生きる。学校と両立するのは大変だったが、そこは上手くやってやったつもりだ。
珍しく、あいつが公園にいなかった日があった。オレは何となく気になって、あいつの部屋へ向かった。階段を登り、ノックを三回。扉が開く。
「よう。どっか行こうぜ」
そう言ってから、少し驚く。あいつは真っ黒な服に身を包んでいたのだ。まるで、喪服のように見えた。いや、事実、それは喪服だったのだ。あいつの母親は自害した。あいつはそれをどこかに捨てた。口角を上げながら語られる話を、オレはじっと聞いていた。
嫌悪? そんなものはない。ここまで話を聞いてくれたあんたなら、何でかわかるだろ?
オレには関係ないからさ。
「で、お客さん。今日はどこまで?」
ほら、お決まりの言葉を吐いてやる。
「……遠くだ。オレが知らない場所まで」
あいつは喪服を脱いでそう言った。
その日、一日かけてひたすら真っ直ぐオレ達は車を走らせた。お互い、いつもと同じような話ばかりしていた。オレの学校であった話。あいつのスラムであった話。夜が終わり、再び朝がくるまでそうしていた。
「ここでどうですか?」
「ああ、ここまででいい」
あいつは少しばかり多めのお代を渡してきた。オレはそれを黙って受け取る。
「迎えはいらない」
「了解」
オレはUターンをして元いた町へと戻る。ミラーに映ったあいつは、ずっとこちらを見ていた。それは、幼い頃のオレに似ていた気がした。
あいつとオレの話はここでお終い。ここからのオレはつまらない日常を送っているだけだ。
それなりに学校へ行き、時々車を走らせる。空っぽの助手席を見ると、少しばかり虚しい。一人っきりのドライブに嫌気がさしたオレは、学校を卒業すると同時に家を出た。両親は泣きながら引きとめていたけど、オレもあいつと同じ外道だから心は全く動かなかった。
盗んだ車でフリーのタクシーをした。誰かを乗せ、車を運転するのは楽しい。オレはお喋りだから、それなりに天職のように思えた。充実した日々だったと今でも思う。いつかは結婚をして、子供を作ったりするのだろうかと思ったこともあった。
「運転手さん、聞いてくださいよ」
タクシーに乗り込んできたのはガタイのいい男だ。
「どうしたんですか?」
オレは接客用の笑顔で尋ねた。男はニヤニヤと不快感を呼び起こす笑みを浮かべている。
「実はオレ、ゲイなんですよ」
「いいんじゃないですか? あ、でも私はそういう趣味ないんで、勘弁してくださいよー」
本心からの言葉だ。
「そんなことしませんよー。
というか、さらにぶっちゃけるとHIVに感染してましてね」
酔っ払っているのだろう。よく見れば、男の顔はすこしばかり赤い。
「んで、数年前だったかな? 感染してるってわかったとき、オレは誰かと一緒に死にたかったんですよ」
一人で死ぬこともできないのかと、オレは心の中だけで男を貶す。
「だから、その辺りの町で援交してる男をひっかけてやったんですよ」
結局、一晩明けてから自分のしたことがばれてしまうのが怖くなって、少し多めの金を置いて逃げたのだそうだ。
間の抜けた武勇伝でも聞かせたいのだろうかと、オレは小さくため息をついた。酔っ払いほど扱いの面倒な人種もいないだろうよ。
「運命って、あるんですねぇ」
突然、男の声色が変わった。
「この間、町を散歩してたら、飛び降り自殺を見ちゃったんですよ」
この話のオチが読めた。
「そいつ、色々ぐしゃぐしゃだったんですけど、オレが買った男だったんです」
「……見間違えたんじゃないですか?」
「いや、そんなことはない。あいつは確かに――」
自殺者の名前が告げられる。
それは、間違いなくあいつの名前だった。数年前に、オレがどこか遠くの町へ連れていってやった男の名前だ。
「ふっ……ははは」
笑いがこみ上げてきた。
自由に、好きなことだけをしていたあいつ。執着しているものといえば、おそらくは快楽だけだろう。生きている限り、快楽を求め、求めた結果が苦しんで死ぬという決められた未来。ろくに性行為もできない体。あいつには耐えられないだろうな。あいつなら、自ら飛び降りるだろうな。
「う、運転手さん……?」
「運命って、あるんですねぇ」
あいつを殺した。死に追いやった男がオレの車に乗っている。
関係のない話だ。あいつが死のうが、生きようが。現に、オレはあいつのことを忘れかけていた。だけど、オレは思ってしまったんだ。
この世界は虚しい。
ハンドルをきる。先に見えるのはトラックだ。
「お客さん、お代。いただきますね」
遠慮はいらないですよ。
あんたとオレの命。それだけで十分だ。
とある運転手の話