珍しく不機嫌な顔をしているパブリックフォンを見つけたタクシーは、興味が引かれるままに声をかけた。パブリックフォンという男は、この世界に生きる住人達の中でも、頭一つ分抜きん出て身勝手だ。さらにいえば、快楽主義者でもある。
嫌いなことならは目をそらすし、つまらないことからはすぐに逃げる。
そんな男が、見るからに不機嫌なのだ。気にならないはずがない。
「何しけた面してるんだよ」
車の窓から顔を出して問いかける。
声をかけられてようやくタクシーに気づいたらしいパブリックフォンは、口に煙草をくわえていた。眉間には渓谷のようなしわがある。景気がいいとは言いがたい顔がタクシーの方を向く。
改めて、パブリックフォンが不機嫌なのだということを確信したタクシーは、口角をあげる。にやにやという効果音が適切な笑みだ。その顔はあからさまに人を馬鹿にしている。
「別にぃー」
不機嫌そうな顔で間延びした声が発せられる。
「お前がそういう顔をしてるのは珍しいな」
ニヤケ面を抑えようともしないまま、タクシーは車から降りた。胸ポケットに入れている煙草を取り出し、火をつけてパブリックフォンの隣に腰を降ろす。車では煙草を吸わないタクシーは、数時間ぶりの煙で肺を満たす。
二人分の煙が森に漂う。
「死体とミラーって仲悪いんだな」
パブリックフォンの煙草が消されると同時に零された言葉。
タクシーは少しばかり驚いてしまった。くわえていた煙草を落とす寸前で口を閉じることができたのは、驚きよりももったいないという精神が増さったからだ。
未だに不機嫌そうな顔をしている彼の口から出た二つの名に、タクシーは聞き覚えがあった。それも当然のことだ。干からびた死体も、ミラーマンもパブリックフォンと仲が良い。タクシーはパブリックフォンが干からびた死体やミラーマンと共にいるところをよく見かけていた。
干からびた死体とは穏やかに。ミラーマンとは悪ガキのようにさわがしく。そういった風に遊んでいる姿をすぐに思い浮かべることができる。タイプこそ違えども、二人ともパブリックフォンと通じるものがあるのだろう。
そんな関係を持っている者達なので、パブリックフォンの口から二人の名前が出たこと自体には何の驚きも感じない。ただし、パブリックフォンという男が、他人同士の関係について口にするのは今までになかったことだ。
夜しかないこの世界に昼がきたとしても、今のタクシーならば受け入れられる。その程度には珍しいことなのだ。
身勝手で快楽にしか興味がない男が、何をどうしたら他人の関係について口にするのだろうか。
「……まぁ、そうだろうな」
風が数度吹いてから言葉を返した。
「え。タクシー知ってたのか」
パブリックフォンが驚愕の声を上げた。
寄せられていたしわは消え、意外だという文字だけが顔には残っている。
「知ってたというか、想像はついた。だな」
適当な場所にあった崩れかけた墓石に煙草を押し付ける。吸殻をその辺りに捨て、今日も暗い夜空に昇っている月を見上げた。
「同族嫌悪ってやつだろ」
「あいつらが同族?」
パブリックフォンは首を傾げる。
彼の知っている干からびた死体は穏やかで落ち着いた雰囲気を持っている。対してミラーマンは見た目こそ貴族のような姿ではあるが、中身はパブリックフォンとそう変わらない悪ガキっぷりだ。
そんな二人が似ているとは到底思えない。
しかし、タクシーは二人が似ていると確信していた。
「どっちも他人が羨ましくてしかたがないって劣等感に塗れた奴らだからな」
欲に塗れた住人達は、基本的に自分のことが好きで、自分がする行為が大好きだ。
けれど、中には自分が嫌いでしかたない者もいる。醜い劣等感は他人になり代わりたいという欲へと変貌し、この世界に相応しいモノへと人を変化させた。
「あー。そう言われてみれば」
タクシーにならい、月を見上げながら納得した声を出す。
干からびた死体は他人の体を欲している。ミラーマンは他人になりたいがために鏡の内側から他人を見ている。
普段はそんな様子を見せないので忘れてしまうが、住人達は誰しもが粘着質で汚い欲でできているのだ。その欲同士がぶつかり合うのならば、それは敵対関係を生むだろう。パブリックフォンは一番近い所で、審判小僧がミラーマンやTVフィッシュを苦手としていることを思い浮かべた。
「劣等感で溢れてるから、同じ劣等感を抱いている奴を嫌悪するんだろうよ」
一番目をそらしたい部分を見せつけられているようで、胸糞が悪いということなのだろう。
「で、お前はなんでそんなことを言い出したんだ?」
一人で納得しているパブリックフォンに、タクシーは改めて問いかけてみた。
そもそも、何故彼が他人の対人関係について口にしたのかがわからない。
「……始めはミラーマンと遊んでたんだけどよ」
健全に、悪ガキのように遊んでいたのだろう。唇を尖らせている姿からは、快楽を求める彼の本質は見えてこない。
「話の流れで干からびた死体の話をしたんだ。
そしたらあいつ急にキレやがってさ」
どのような話をしたのかはわからないが、普段は隠されているミラーマンの劣等感が顔を見せる程度の話はしたのだろう。パブリックフォンの話を聞きながら、タクシーは心の片隅でご愁傷様。と、ミラーマンへ言葉を向けた。
「オレもムカついて、死体のとこに酒を飲みに行ったんだ」
「んで、酔いに任せてミラーの話をして死体を怒らせたのか」
話を全て聞き終える前に、結論を言ってやれば、パブリックフォンは再び眉間にしわを寄せる。
二人から向けられた怒りを思い出し、腹を立てているのだろう。彼からしてみれば、二人から向けられた怒りというのは八つ当たりに他ならない。
「これからはあいつらの前では互いの話をしないことだな」
「そうする」
パブリックフォンはぐっと背中を伸ばす。
「喧嘩はいいけど、巻き込まれるのはごめんだ」
新しい煙草に火をつけ、パブリックフォンはふらふらと歩きだした。
「なあタク」
数歩行ったところで、振り向かずに問いかける。
「他人になるってのは、そんなに魅力的なのか?」
風が吹いた。強い風だ。
「――さあな」
それは願っている者にしかわからない。
タクシーの答えに何一つ返すことなく、パブリックフォンはその姿を消した。
彼らにはわからない。他人になりたいと願い、その願いを醜いものだとして見たくもないと憎悪するその心がわからない。
わかっているのは、明日も、またその次の日も、パブリックフォンは干からびた死体やミラーマンと共にいるのだということだけだ。
END