注意!!
電話特殊設定
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 審判師弟は仲が良い。訓練をサボるので、叱られている姿は度々目撃されているが、喧嘩をしているところは一度も見られていない。
「親分の馬鹿!」
「こら、待て!」
 そんな二人が巻き起こした青天の霹靂。
「おい、審判小僧――」
 鉄球にも乗らず、自らの足で駆けて行く審判小僧にカクタスガンマンが声をかけたが、審判小僧の足は止まらない。一瞬で彼の隣を通りすぎ、ホテルの外へ出て行ってしまった。
 この世界から出て行くことはないだろうが、外へ出るのは得策とは言えない。ホテルの周りは安全な場所ではない。
「ん? 審判小僧、どうしたんだ」
 しばらく走っていると、目立つ黄色の服に身を包んだタクシーがいた。
「タクシー! ボクを乗せて!」
 ゴールドが追ってきていることは感覚でわかっていた。訓練をサボったときの鬼ごっこがこのような形で役立つとは思ってもみなかった。
 突然現れ、胸倉を掴んできた審判小僧を見て、タクシーは口角を上げる。
「いいぜ」
 ズボンのポケットから車の鍵をとり出すと、どこからともなく黄色の車体が現れる。
「どうぞ、お客さん」
 助手席の扉を開け、審判小僧を誘導する。
 審判小僧が乗り込んだのを確認してから、運転席へタクシーが座る。
「……おい、なんでお前がいる」
「いいじゃん。さ、しゅっぱーつ」
 ふとミラーを見ると、後部座席に赤いパブリックフォンが座っていた。いつの間に乗り込んだのかはわからないが、ゴールドの鎖の音がすぐ近くまで迫っている。
 ゴールドのホラーショーを受けたいとも思わないので、タクシーはひとまずアクセルを踏む。タイヤが勢いよく回転し、森の中を一直線に突き進む。舗装されていない地面をスピードを上げて突き進むので、車内は激しい揺さぶりにあう。
「気持ち悪い……」
 審判小僧が口を押さえているにも関わらず、パブリックフォンとタクシーの二人は平然と前を向いている。
「大丈夫かぁ?」
 一応、パブリックフォンが声をかけたが、そこに心配の気持ちはない。
「だい、じょうぶ……」
 ゴールドを確実に振り切ったことを確認してから、タクシーはアクセルを踏む足を緩めた。
 落ち着いた車内で一安心した審判小僧は一息つく。
「なぁ、お前ら喧嘩したんだろ?」
 身を乗り出してきたパブリックフォンが目を輝かせて尋ねる。
 触れて欲しくない話題ではあったのだが、この密閉された空間で黙秘権を使用し続けることなどできないと判断し、小さく頷いた。
「何でだ?」
 彼には遠慮というものがないのだろうか。審判小僧がわずかに身を引く。
「パブリックフォン、あんまり追求してやるなよ」
 パブリックフォンとは違い、気配りのできるタクシーは静かに注意する。
「えー」
 不満げな声を上げたが、パブリックフォンはおとなしく後頭部座席へと身を戻す。
「でもな、こじれる前に仲直りしたほうがいいと思うぞ」
 タクシーの助言を聞き、審判小僧は視線を落とす。仲直りをしたいとは思っているのだ。そもそも、喧嘩をしたいとは思っていない。
「お前さぁ」
 おとなしくしていたのもつかの間、再び口を挟む。
「あいつと付き合ってんだろ?」
「えっ」
 さらりと言われた言葉だが、審判小僧はそのことを誰にも話していない。一番仲のいいカクタスガンマンにも黙っているのだ。
「見りゃわかるって」
 笑みを浮かべて言葉を続ける。
「んでさ。欲求不満だろ」
 告げられた言葉に顔に血が上る。
「おい、審判の奴らはお前とは違ってそういうのには疎いんだよ。やめてやれ」
「オレとはって、タクシーだってそうとうのもんだと思うぞ」
 二人の言いあいを聞きながらも、審判小僧は顔の熱さに目を回していた。
「ま、ゴールドはともかく、お前はまだ若いしな−」
 見た目は二人ともそう変わらない。この場合の若さとは、この世界にいる年数なのだろう。
 この世界にいればいるほど、欲というものは一つにしぼられていく。キャサリンの採血などがいい例だ。ゴールドの場合、真実を知りたいという欲が大きい。対して、まだ若い審判小僧は他にも多くの欲がある。その中の一つに性欲があってもおかしくはない。
「そーだ、オレ良いこと考えたぞ」
 嫌な予感しかしない。
「オレ様が抜いてやるよ」
 その言葉に驚いたのか、タクシーは急ブレーキをかけた。
「っと、危ねぇな。しっかり運転しとけよ」
 パブリックフォンが文句を言うが、その頭をすぐさまタクシーが殴る。
「オレの車の中でんな話すんな!」
 どうやら、タクシーにとってこの車は神聖なものであるらしい。
「お前車が関わるとうるせーよな。この間だって、ちょっと煙草の灰落としただけでギャーギャー言いやがって……」
「当たり前だろうが!」
 こんな狭い空間で殴り合いでもされたら、巻き込まれかねないので審判小僧が間に割って入る。
「でもさ、いい考えだろ」
 ようやく落ち着いたところで、再びパブリックフォンが口を開いた。
「お前の初めてを貰っちまうわけだし、タダでいいぜ」
 タダという言葉の意味がわからず、審判小僧は首を傾げる。
「あー。まあ、オレが全部やってやるよ」
「え、でも……え?」
 ホテルの外で生活しているタクシーとは違い、パブリックフォンはホテルの中で生活している。何度かその姿を見かけたことはあったが、会話と呼べるものをするのは今回が初めてかもしれない。だからこそ今の状況が把握できずにいた。
「フォン、お前ゴールドに殺されるぞ」
「かもなー。あいつ、オレらにこいつを近づけさせまいとしてたしな」
「オレも一緒くたにされてるってのが納得できねぇ」
 他愛もないような会話をしながら、パブリックフォンは前へ出てくる。助手席の狭い空間に二人の人間が入る。
「おい、マジですんのか?」
「当たり前だろ。オレ様を誰だと思ってんだよ」
 審判小僧の座る椅子を倒し、上にまたがる。
 当人は何が起きているのか未だにはかりかねている。
「……審判小僧」
 タクシーが静かに言った。
「お前抵抗しないのか?」
 その言葉にすべてがつながる。
「ちょっ……、ボク、そんな……!」
「あー。余計なこと言うなよなぁ。
 こいつらボケーっとしてるからヤリやすいのに」
「そこまでしたいんなら、外行け。外」
 未だにパブリックフォンは審判小僧の上にいる。
「なんか白けちまったな」
 しばらくタクシーと睨みあったあと、パブリックフォンは審判小僧の上から体を降ろす。その顔にはつまらないとはっきり書かれている。
「ほら、電話しろよ」
 後頭部座席に戻ったパブリックフォンは審判小僧に赤い受話器を渡す。
 まだ繋がっていない受話器を手に取ると、通信音が聞こえてきた。離すこともできず、それを握ったままにしていると、受話器の向こう側から声が聞こえてきた。
「パブリックフォンか! 私の弟子を返せ!
 貴様らの傍にいたら毒されてしまうだろ!」
 珍しく焦った声だった。
「おいおい。酷い言われようだなぁ」
「パブリックフォンはともかく、オレはまともだぞ」
 隣で騒ぎ始めた二人を無視して、審判小僧は受話器に向かって声を出す。
「お、やぶん……」
「審判小僧か!
 早く帰ってきなさい。ちゃんと話し合おう」
 弟子の声が聞こえて一安心したのか、ゴールドの声はいくぶんか落ち着いたものになっていた。
「でも、あの女の人は」
「え、あのゴールドが浮気?!」
 パブリックフォンは楽しげに言う。人の不幸は蜜の味ということなのだろう。嬉々としているパブリックフォンの始末はタクシーに任せ、審判小僧は受話器の向こう側へ言葉を続ける。
「ボクは親分に隠しごとなんてないけど、親分はあるんッスよね」
「ない」
 強い意志の感じられる声が受話器越しに届く。
「私はお前に隠しごとなんてしていない。
 あの女性に関して言えば、隠しごとではなく、言う必要もないと思っていただけだ」
「なんで」
 気まずい沈黙が続く。横で騒いでいたパブリックフォンでさえも二人の会話に耳を傾け、口を閉じている。
「彼女は私の審判を受け、現世に帰るところだった。それだけだ」
 この世界に迷い込んできた者に最後の審判を下し、滞在か帰還を促すのがゴールドの仕事だ。一緒にいた女性とはあくまでも仕事の関係上一緒にいただけの話。仕事で会った人間について一々話そうとも思わなかっただけだという。
「でも……」
「あー。鬱陶しい!」
 審判小僧の言葉をさえぎり、強制的に通話を切る。
「別にいいじゃねーか。他に女がいようと男がいようとよ」
 パブリックフォンはタクシーにホテルへ向かうように言い、後頭部座席へ深く腰かけた。
「よくない」
「なんでだよ」
 彼が本気で尋ねているのだと審判小僧はしらばくの間わからなかった。
「いいじゃん。お前はゴールドが好きなんだろ?
 だから傍にいるんだろ? ヤッてもらえねぇのが不満なのか?」
「おい、みんながお前みたいな思考回路と思うな。お前の考えはかなり特殊だぞ」
 審判小僧はハートが割れる音を聞いたような気がした。
 パブリックフォンにとって、愛されるということは大したことではない。大切なのは愛ではなく、身に降り注ぐ快楽なのだ。
「ま、あんまりぐだぐだ言っててもしからないってのは、オレも賛成だな」
 笑うタクシーの横顔を見て、審判小僧は少々わがままが過ぎたと感じる。
 ホテルに帰ったらゴールドに謝ろうと決めた。


END