審判小僧は窓の外を覗く。
 彼の世界はとてつもなく狭い。
 ホテルの中と中庭。そして、窓から見える範囲。それだけが彼の世界だ。昇らない太陽も、光続けている月も、いつも通りすぎて何の面白みもない。
 外からきたカクタスガンマンに話を聞くと、彼らがいたカクタスランドでは夕日が永遠に沈まないのだという。そこも、ここと同じく変わらぬ空と風景が続くだけのようだが、少なくとも審判小僧からしてみれば新鮮に映る。
 一度くらいは別の場所へ行ってみたい。そう望むのはおかしなことではないはずだ。ホテルの住人達は、今の生活に満足しているため、他の場所へ行きたいとは願わない。欲しいものは全てホテルにあると思っているのだ。
 けれど、好奇心旺盛な審判小僧は満足しない。しかも、彼の師匠や兄弟子達は度々外へ出ているのだ。それが『審判小僧』としての仕事をするためであって、けっして観光に行っているわけではないことくらいわかっている。
 それでも羨ましいものは仕方がない。自分の力が未熟だから連れて行ってもらうことができないのならば、せめてホテルの周辺にだけでも出歩かせてくれたっていいのではないか。
 頬を膨らませてみても虚しいだけだ。息を吐き出し、ため息へと変える。
「ただいま」
 ロビーの方から声がした。よく知っている声だ。
 審判小僧は窓から離れ、ロビーへ足音を立てながら駆けて行く。
「親分、お帰りなさい!」
 グレゴリーとロビーで言葉を交わしている金ぴかのゴールドに挨拶をする。
「お、名無しお迎えありがとう。ちゃんと訓練は毎日していたかい?」
「……はい」
「ふむ。その間を見れば真実の天秤に尋ねなくとも真実はわかってしまうよ」
 軽く頭を叩かれる。
 厳しい叱りかたではないのは、しばらく離れていたゴールドの優しさなのだろう。普段からサボり魔で有名な名無しこと審判小僧は照れくさそうな顔をした。
「親分、次はボクも連れて行ってくださいよ」
「ん? そうだなぁ。そのうち、ね」
 優しい顔をしながらもゴールドは目をわずかにそらした。
 審判小僧とて真実を見極める能力を持っている者だ。些細なこととはいえ、気づかないわけがない。わずかに目を細め、ゴールドを睨む。
「どうしてボクは駄目なんッスか?」
 不満は口に現れる。唇を尖らせた審判小僧の心中は穏やかではない。
 兄弟子達と比べると能力はまだ未発達だ。訓練もサボりがちではある。しかし、一度くらいは彼らの仕事っぷりを眺めさせてくれてもいいのではないだろうか。目標となる光景が浮かばないというのは、モチベーションの低下にも繋がる。
 審判小僧の睨みを真っ直ぐに受け取ったゴールドは、居心地悪気に頬を掻く。
「いや、ホテルの外は危ないから」
「親分も先輩もいるのにッスか」
 このホテルの中は比較的安全だ。干からびた死体が入りこむことができないというだけでも十二分に安全と言い切れる。審判小僧はこの安全圏から出ることができない。一度だけ出ようとしたことがあったのだが、グレゴリーの手によって審判小僧はホテルの外に出ることができないようにされていた。
 まるで鎖で縛りつけられているようだ。訓練はあるものの、この世界に住まう者としての自由さは確保されているはずだ。そのはずなのに、時々息苦しさを感じる。
「ボクだって審判小僧ッスよ? 親分や先輩の足手まといにはならないッスよ」
 二人の間にピリついた空気が流れる。その空間を楽しげに見ているのはグレゴリーだ。ゴールドがこの状況をどう潜り抜けるのか見ものだという表情を浮かべている。
「私は心配なだけなんだよ」
「だから大丈夫ですって!」
 ゴールドの視線があちらこちらにさまよう。次に紡ぐべき言葉を探しているのだが、中々見つからない。何を言っても大丈夫だと返されてしまう気がしてならない。
 藁にも縋る思いでグレゴリーを見つめた。この世界で生きている時間も、見た目の年齢もゴールドよりもずっと上のグレゴリーだ。年の功という言葉もある。どうにかこの状況を脱する言葉を持っているのではないだろうか。
「どうしました? さあ、早く名無しに答えをあげなさい。
 真実を与えてあげるのがあなたの役割でしょう」
 一抹でも望みを持ったことを後悔した。
 この意地の悪い世界の主とも言えるグレゴリーが、他人を助けてくれるはずなど微塵もありはしないのだ。むしろ、彼の言葉に押された審判小僧は、先ほどよりも強い瞳でゴールドを見ている。
「……私はね、本当に心配なんだ」
「親分!」
 ゴールドは審判小僧の手を取る。
「他の弟子達も大切で可愛いけれどね、キミは一番歳が下だし、なんというか、ちょっと手がかかっている子だから。
 少しばかり執着がすぎるようだ。すまないね。でも、やっぱりまだ外に行くには早すぎるよ」
 『執着』という言葉を簡単に他人へ向けることができるのは、この世界の住人ならではといったところだろう。
 審判小僧もその言葉には特に違和感を覚えない。ただし、手間がかかっているということは、出来が悪いと言われているのと同意義だ。自覚はある程度あるが、それでも素直に受け止められない。
 だが、心の底から審判小僧のことを思ってくれていることはわかった。となれば、あまり強く主張することができないのも事実だ。
 互いに次の手を探しあぐねている。そんな様子をグレゴリーは目を細めて見ていた。
 彼はわかっている。そこにあるのは間違いなく過保護すぎる執着だ。しかし、単なる師弟関係によって生じる執着ではない。どうやら二人とも気づいていないようだが、そこにはキャサリンがシェフに抱いたような、またはカクタスガンマンがガールに抱いたような、現実世界では清らかなもののように扱われている感情がある。
 それに気づいたとき、果たして二人は今のままでいられるのだろうか。
 押さえつけるような愛から逃げ出したいと無意識のうちにでも思っている審判小僧のことだ、あっという間に逃げ出してしまうかもしれない。
「……わかったッス」
「そうか。まあ、またいつか共に行こうじゃないか」
 何とか納得した審判小僧を連れて、ゴールドはホテルの奥へと進む。
 その背中を眺めながらグレゴリーは再び小さく笑う。

END