ホテルの外はいつも暗い闇と深い霧に覆われている。清々しさとは無縁であり、哀れにも崩れ去った墓がいくつも見えた。
「お客さんはいないかなー。と」
そんな場所を歩くのが趣味という、ホテルの住人に比べればいくぶんかまともではあるが、やはり奇妙でおかしな者がいた。黄色のスーツに身を包み、車のキーを指で回しながら歩いている。鼻歌まじりな様子から見ても機嫌がいいことがわかる。
いつも変らぬ風景を歩いているが、不思議と飽きることはなかった。
呻く魂の声を聞いたり、襲ってくる干からびた死体やムシャドクロを返り討ちにするのもまた楽しい。
タクシーはホテルの中で住人達と過ごすよりも、外で過ごすほうが好きだった。それを咎める者はいないし、咎められる理由もない。
「よー。タクシー」
そんな彼の耳に届いたのは、最高潮だった機嫌を急降下させるものだ。
「…………」
声の主は。無視して歩いていくタクシーを追いかけ前へ躍り出る。
「お客様は神様! それを無視するなんて、褒められた行為じゃねーな」
赤い服に身を包み、耳には赤紫色のヘッドフォンと、何とも目に悪い色合いの男が言う。二人が並んでいる姿を一言で表すのならば、目に痛い。というものだろう。
「お前が客になったためしがないんでね」
パブリックフォンを押しのけ、先を歩こうとする。しかし、肩を掴まれてしまい先には進めない。
苛立ちを溜息に変え、横目で睨みつける。殺気ともとれるほどの迫力があったが、睨まれた本人は気にもとめていない。
「まあまあ。んなに怒るなって。
従兄弟じゃねーか。な? な?」
毒気のない笑みを浮かべ、人懐っこくすり寄ってくる。
タクシーは面倒くさ気にそれを拒否し、用件を尋ねることにした。普段ホテルから出ないパブリックフォンの用件など、たった一つしかないとは知っていたけれど。
「金、貸してくんね?」
予想を裏切らぬ言葉に目まいを覚える。この世界にくる前から、この男は金づかいがあらく、そのわりには金を持たぬ男だった。
現世のことをほとんど忘れてしまったにも関わらず、こうして従兄弟だったということだけはしっかりと覚えていることもまた腹立たしい。
「却下」
「えー」
普段はホテルで詐欺まがいの商売をしているが、ここ最近は新しい客もこず、ホテルの住人はパブリックフォンの言葉には惑わされない。結果として金を稼ぐことができない。ただ生きるだけならば何も必要ないこの世界で、彼は快楽のために金を求める。
「酒飲みたいんだよ。頼むって」
ちなみに、タクシーは何度もパブリックフォンに金を貸したことがあるが、返ってきたことは一度もない。元々返ってこぬものとして貸してはいるものの、こうも回数を重ねられると返還を要求するのも道理というものだろう。
「ケチー。何でもしてやるからよぉ」
彼は、快楽主義者だった。
「……そうだな」
タクシーはそれをよく知っていた。
「貸す。なんてケチくさいことは言わない」
この世界にいる誰よりも。
「くれてやるよ」
「本当か?」
目を輝かせる。返す気などなく、いつでも貰うばかりだというのに、こうして言葉にしてやると喜ぶ。単純な思考回路は嫌いではなかった。
「ああ。その代わり――」
タクシーはパブリックフォンの肩に、腰に腕をまわし、体を密着させる。
「今夜、付き合えよ」
誰にも聞こえぬよう、耳もとでささやく。周りには誰もいないが、雰囲気は大切にするタイプなのだ。
「久々だな」
パブリックフォンは何のためらいもなく腕をからめる。
彼は快楽主義者だ。
楽しいことだけをしていたい。人を騙すことも快楽の一種である。
「何だ。溜まってたのか?」
嬉々とした声を出すパブリックフォンに、タクシーは含み笑いをしながら問う。
「冗談だろ?」
楽しげな声が返ってくる。
この返答も予想通りだ。
「このオレが、そんなに我慢できるわけねーじゃん」
誰かと交わることは気持ちのいいことだ。相手が男でも、女でも。快楽主義者は快楽を見出す素質がある。
快楽を享受できる行為をし、さらに金を貰えるのならばなおさら気持ちがいい。
「昨日は?」
服に手を忍ばせながら聞くと、してないと返ってくる。
「よかった」
「さすがのオレも毎日は辛いって」
「どうだか」
優しくも黒い笑みを浮かべながら、タクシーは目の前の男を草むらに押し倒す。地面は少しだけ湿っている。
「外ですんのか?」
「楽しいだろ?」
答えは返ってこなかったが、楽しそうに震える喉がすべてを物語っている。
草の匂いがタクシーの鼻に届く。
しばらくはこの草の匂いが好きになれそうだと思いながら、快楽主義者との儀式を進めていく。
「もしさ、お前と他の奴が同じだけ金を積んで、オレとヤりたいってんならさぁ」
タクシーの首に腕を回したまま、妖艶に微笑む。
「お前を選んでやるよ」
理由は聞かなくてもわかっていた。
彼は快楽主義者だ。それ以上の理由は必要ない。
END