「はじめまして。ボクの名前は審判小僧。よろしくね」
 第一印象は派手な男だった。
 シェフがこの世界にきた日も世界は変わらずに回っていた。
「キミは料理が上手なんだね」
 美味しい料理に喜んだ者は多く、仕込まれた毒物に苦しんだ者も多かった。
「シェフ、ジャッジを受けてみないかい?」
「シェフ、面白い本を見つけたんだ」
「シェフ、君は本当に料理が上手だね」
「シェフ」
 審判小僧は騒がしい男だった。
 何が楽しいのか、一日中シェフの後をついて回る。おかげでシェフは立ち聞きもできないし、料理に集中することもできなかった。
 抑えきれないいらだちに包丁をふるったことは少なくない。それでも審判小僧は傍にいた。殺したところで、幽霊となってとり憑くのではないかと思うほどだった。
「お前は何でよってくる」
 溜息をつきながら尋ねてみると、あっけらかんとした声が返ってくる。
「だってボクはキミが好きだからね!」
 再び溜息をついた。
 冗談が過ぎると思う。自分が無口で愛想がないことはシェフが一番よく知っていた。料理の腕には自信があるが、他には何もない。だからこそ、いつも誰かが悪口を言っているのではないかと不安になるのだ。
 そんな自分のことが好きという審判小僧を信じることはできなかった。
「おや? キミは信じていないようだね」
 当然だと思いながらも言葉は返さない。
 審判小僧に合わせて話すのは骨が折れる。口数は多く、いつも楽しげな声をあげている。口を閉じれば死んでしまうのではないかと錯覚する。口を閉じさせれば殺すことができるのであれば、間違いなくシェフは審判小僧の口をガムテープでふさいでしまうだろう。
「でもボクは本当に好きだからね。そのうちわかるさ」
 それはこれからも付きまとうということなのだろうか。もしも、そうだとするならばそれはただの死刑宣告でしかない。シェフは頭の炎が消えてしまうような気がした。
「シェフ、これを見てごらんよ」
 差し出されたのは肉だ。おそらくTVフィッシュあたりから取ってきたのだろう。
「あげるよ」
「いらん」
「えー。せっかくもらってきたのに」
 口を尖らせた表情は鬱陶しいものだった。
「うるさい。料理の邪魔だ」
「……シェフは冷たいね」
 弾んでいない声を初めて聞いた。
 悲しげに眉を下げている表情も初めてみた。
「あ、責めてるんじゃないよ!」
 そんなところも好きだからと笑う。いつもの調子に戻った審判小僧を厨房から追い出し、一人鍋を見つめる。沸騰したお湯の中には歪んだ自分の顔が映っている。
「馬鹿馬鹿しい」
 小さく呟いて野菜と肉を放りこんだ。
 よく煮込んでいると、厨房の扉が開く。一応気をつかっているのか、静かな音だった。視界に姿を写さずとも、入ってきたのが審判小僧だとわかる。
「何をしにきた」
「……ボク、本当に好きなんだよ」
 言うだけ言って立ち去ろうとする審判小僧の背中に手を伸ばす。一度その冗談をやめろと言わねばならないと常々思っていたのだ。
 伸ばした手が何かにぶつかった。
「しまった……!」
 焼きたてのステーキを乗せたフライパンにぶつかったらしく、肉と鉄の塊が地面に向かって落ちていく。落ちてしまえばもう食べることはできない。
 とっさに手を伸ばそうとするが、運悪くシェフがいる場所とは逆の方へ落ちていった。せっかく手間を重ねて作ったのにと、思わず舌打ちをする。こんな失態を犯してしまったのも、すべて審判小僧のせいだ。憎しみをこめて彼を睨みつける。
「なっ……」
 睨みつけた目が見たのは、審判小僧が手を伸ばしている姿だった。
 右手がフライパンの底を手の平で受け止める。肉の焼ける音がし、すぐに左手が取っ手を掴む。
「キミらしくないね」
 フライパンを持った手がそっと元あった場所にそれを戻す。肉も乗ったままだった。
「それじゃ、ボクは退散するよ」
 振られた左手をシェフは素早く掴んだ。
「驚いた。どうしたんだい?」
 ヘラリと笑う顔が腹立たしい。
「右手、見せろ」
「え、何でまた急に」
 笑う。
 シェフは審判小僧に近づき、右手を無理やり引き寄せた。
「やはり……」
 審判小僧の右手は真っ赤になっていた。まだ熱い鉄を素手で触ったのだから当然だ。すぐにでも冷やさないと使い物にならなくなってしまうかもしれない。
「馬鹿が」
 流し台の前に立たせ、水を勢いよく出す。
「痛いよ」
「さっさと冷やさんからだ」
 そのまま当てていろと言ってから、シェフは冷凍庫を開ける。近くにあった箱に氷を詰め、審判小僧の腕を再び奪い取る。冷やしたとはいえ、まだ赤い手を氷の中に入れる。
「貴様、手が使えなくなるぞ」
「大丈夫。この世界では心の力がすべてだから」
 だからといって、今感じている痛みがすぐに消えるわけではない。痛みを忘れられるわけではない。この世界にくる前から料理をし、火とともに生きてきたシェフは熱の恐ろしさをよく知っている。
「シェフの料理が地面に落ちるなんて絶対に嫌だったから。
 だから、これはボクの自業自得さ」
 笑った顔を強く叩く。
「いい加減にしろ」
「……何も、叩かなくたって」
 シェフが今までにないほど怒っているのがわかる。審判小僧は視線をそらした。
「好きだ好きだと、そんな冗談に付き合ってはいられない。
 オレが好きだからと言ってそんなことをされてはたまらない」
 怒りをあらわにするシェフに、審判小僧は冗談などではなく、本当に好きなんだと叫ぶ。
「何でって聞かれたら……答えられないけど、でも好きなんだ。
 キミを見たとき、ボクの天秤が傾いたんだ。ハートが残ったんだ」
 氷の中から出された手はやはり赤い。
「勘違いだ」
「絶対に違わない。ボクはキミが好きだよ。だから、これからだって好きって言うよ。
 やりたいことはやる。この世界の住人ならそうに決まってる」
 はい、カックーンと言いながら審判小僧は厨房から飛び出して行った。
「好き、だと?」
 あの言葉は真っ直ぐだった。
 悪くとりようのないほど真っ直ぐで、思いを見せつけるほどの行動もされた。
「……くそ」
 これから頭の中に料理以外の者が割り込んでくることになりそうだ。


END