真実である。
 それが過ちであろうと、許されないものであろうと、真実は変えられない。
「親分」
「ん? どうした」
 もっとも尊敬する人物と、もっとも愛している人物は同じだった。
 それを告げるつもりはなかった。なぜならば、ゴールドはごく普通の男だったからだ。ホテルにいる女性に恋をしたということはなくとも、エロティックな姿をした女性が載せられている本を読むこともある。時折話してもらう恋物語は当然のように女性の話だ。
 以前、ホテルに迷い込んだ客がゴールドに告白をしたことがある。
 そのときの言葉を審判小僧は忘れない。
「真実の言葉のようだね。私は真実を差別したりはしない。
 だが思いに応えることはできないね。何せ私は女性が好きなのだから」
 当たり前の言葉だ。だが、その言葉は審判小僧の思いをも確かに打ち砕いた。
 このままでいれば、悲しみなど訪れない。長い時間を、ずっと隣で過ごすことができる。それだけでよかった。いずれこの気持ちも薄れ、消えてしまうことを期待していた。
「今日も訓練するんッスか?」
「当然だろ」
 サボり癖のひどい審判小僧に、ゴールドはいつも苦労している。呆れた表情を見せるのも当然だ。本当は訓練も真面目にやり、ゴールドに褒めてほしいのだが、何故か上手くいかない。
 怒られるほうが、先輩達よりもかまってもらえるからかもしれない。
「たまにはお仕置きじゃなくて、ご褒美が欲しいッス」
「そういうことは、ちゃんと訓練を受けてから言え」
 頭を小突きながら言われ、審判小僧は頭をかく。
 ご褒美があれば、やる気がでることは間違いない。鞭より飴を求めるのは人としては普通の行為だ。ゴールドもそのことはわかっているのか、少し悩むそぶりを見せる。
 いつもサボられるくらいならば、数回のご褒美は安いものではないだろうか。やればできる子なのだから、その気にさせたいとはいつも思っていた。これはいい機会だ。自ら言い出したうちに了承するのが一番効率がいい。
「……わかった」
「え?」
 一度殴られた後なので、まさか肯定の言葉が出てくるとは思ってもみなかった。
 了承するのならば、殴らないで欲しかったとか、考えてから行動に移して欲しいだとか、思うところはあった。しかし、なにはともあれご褒美を得ることができる。その事実への喜びが大きかった。
「言ったッスよ? やっぱりナシは駄目ッスよ?!」
 瞳を輝かせ、念を押してくる審判小僧は幼い子供のようだ。
「二言はない。今日、ちゃんと訓練を受ければ、バーへ連れて行ってやろう」
 不器用な人だと思った。
 ご褒美はその者が喜ぶことでなければならない。しかし、ゴールドは他人の好き嫌いに疎い。ゆえに、己の好きなものを与えることにしたのだろう。
「約束ッス」
 審判小僧はそれほど酒は好きではない。それよりもタバコやジャンクフードを好む。だが嬉しい。ゴールドの隣にいることができる。ただそれが嬉しかった。
 その日、審判小僧は先輩達が驚きのあまり、自らの訓練に身が入らぬほど真剣に取りくんだ。
 それほど高くない酒で、ここまでの成果が得られるならば、ゴールドも満足だった。
「名無し、こい」
「はいッス」
 訓練後、審判小僧は一人呼び出された。何か不手際があったので、ご褒美はナシだと言われるのではないかと内心おびえながらついていく。
「あ、今日は解散だ」
「ありがとうございました!」
 部屋から出る前に、ゴールドが言い残すと先輩達が洗練されつくした礼をしていた。
「……親分?」
 いつまで経っても何も言い出さないゴールドに、審判小僧はしびれを切らせた。叱られるにしても、早く言ってもらえたほうが気が楽だ。いつまでも不安な気持ちでいるのは辛い。
「どうした?」
 振り向いた親分は不思議なくらい、いつも通りだった。どうやら怒られるわけではなさそうだ。
「えっと……なんで呼び出されたのかと……」
 小さく呟くと、驚いたような表情をされた。
「ご褒美が欲しいんじゃないのか?」
 その言葉に、時間が止まった。審判小僧は二人っきりになるとは思ってもみなかったのだ。訓練終わりに、先輩達も一緒に行くのだと思い込んでいた。
「……他の奴らもくると思っていたのか?」
 勘違いに頬を染めながら頷く。
 途端に響いたのはゴールドの笑い声だった。大きく口を開け、今まで見たこともないような大笑いをしている。笑っている原因はわかっているが、そこまで笑うことでもないと思う。
「だ、だって――――」
 二人っきりなんて恥ずかしすぎる。
 言葉を紡ごうとしてやめた。これは 地獄への片道切符だ。けっして手にしてはいけない。
「ん?」
 笑いすぎで出た涙をぬぐいながら、首をかしげている。
「……親分が、一人だけを連れて行くなんて、思わなかったッス」
 ゴールドは常に平等だ。誰の敵でもなく、味方でもない。子分である審判小僧達は平等な愛情を注いでくれていた。
「まあ、今日はよく頑張っていたからな」
 頭に乗せられた手は暖かく、優しかった。
「もう! ボクだっていつまでも子供じゃないッス!」
 名残惜しさを感じながらも、審判小僧はその腕を払う。
「悪い悪い。でも、私からしてみれば、まだまだ子供だぞ」
「親分の年よりー」
「ご褒美取り消してやろうか?」
「すいませんでした」
 楽しいやり取りをしているうちにバーについた。今日はクロックマスターもカクタスガンマンもおらず、完全な二人っきりだった。マスターを兼業しているグレゴリーも、今頃は大人の時間を過ごしているのだろう。
「よーし。特別に私がカクテルを作ってやろう」
「え、親分、カクテルなんて作れるんッスか?」
 酒というよりも、アルコールを愛していることは知っていたが、自分でカクテルを作れるというのは初耳だ。
 ゴールドは当然だと返しながら、手際よくカクテルの準備をしていく。酒に関しては無知と変わりない審判小僧の目では、どのような酒が組み合わされているのかすらわからない。
「惚れるなよ?」
 からかうような言葉に、一瞬胸が大きく鳴った。
「味が悪かったら意味ないッスよー」
 声が震えないよう、気をつけながら言葉を吐いた。
 本当はとうの昔に惚れてました。今でも好きです。愛してます。片道切符が視界の片隅に映っているような気がした。
「名づけるなら『真実』かな」
 差し出されたカクテルは、ダラーを思い出させる薄い金色だった。カクテル越しに見るゴールドはいつもにも増して金色で、眩しかった。
「いただきます」
 感想を楽しみにしているのは見ればわかる。
 口の中で広がったのは爽やかな味だった。だが、喉を通った瞬間、焼けるような熱さを感じた。口触りからは考えられない熱さに、思わずせき込む。
「どうだった?」
 尋ねられても答えることができない。
 どれほどキツイアルコールならば、一口飲んだだけで頭に霧をかけることができるのだろうか。さまよえる魂でも入っていたのではないかと思わせるカクテルだった。
「真実なんて、初めは聞こえもいいし、素晴らしいものに見えるけれど、後になってみれば辛いものでしかないのだよ」
 柔らかく笑うゴールドの顔も揺らいで見えた。
「さ、もう一杯どうだい?」
 審判小僧が飲んだものと同じカクテルを一気に飲み干し、残りを差し出す。
「……はい」
 頭が正常に働かなくなっていたのか、審判小僧は再びカクテルに口をつけた。
 一度目とは違い、喉にくる熱さを知っていたため、先ほどよりも美味しく飲める。胃へ落ちてくる熱さは嫌いではなかった。
「まだ飲むかい?」
「……いや、いい、ッス」
 さすがに三度目は飲むことができなかった。
「そうかい。それは残念だ」
 ゴールドは新しいカクテルを作り、自分でそれを飲む。審判小僧はぼんやりとそれを瞳に映していた。
「お、やぶん」
 何を思ったのか、審判小僧は揺れる声でゴールドを呼んだ。
「どうした?」
 グラスをテーブルに置き、目を向ける。
「…………」
 無言で置かれたグラスを手にとり、一気に口に含む。
「何だ、飲みたかったのなら言えば――――」
 最後まで言うことはなかった。少女漫画のような展開だと思うものは誰もいない。いるのは状況を理解しきれていないゴールドと、カクテルを口移しした直後に眠ってしまった審判小僧だけだった。彼は自ら意識しないうちに、片道切符を手に入れてしまった。
「私はどうしたらいいのかねぇ」
 どうにか冷静になったゴールドは一人呟く。
 状況から見ても。審判小僧がゴールドに好意を持っているのは明らかだ。家族に対するものとは違い、異性に対して向けられるはずの好意。ゴールドはそれを受け取ることはできない。
 男を好きだと思ったことはない。息子として審判小僧を可愛いと思ったことはあるが、恋愛感情を向ける相手として見たことはない。
 アルコールで記憶も吹き飛んでくれていればいいが、そうでなかった場合の身の振りをどうすればいいのかわからない。
「覚えてないといいな」
 眠っている審判小僧を優しくなでる。
 悲しませることは不本意だ。


END



悲しませたくないけど、
愛には応えられない。