※先輩審判と仲が悪い設定
審判小僧は一人ではない。だが、皆同じ名前だ。唯一の例外があるとすれば、親分であるゴールドくらいのものだろう。
だが、ボーイはそれで困ったことはない。ホテルの中で会うのは大抵が一番初めに会った審判小僧とゴールドだ。他の住人達も同じようで、他の者とは滅多に顔をあわせないらしい。
「なあ、あんたは他の奴らのことなんて呼んでるの?」
「ん? 先輩達? ファーストさんとか、セカンドさんって呼んでるよ」
どうやら、胸に書かれている数字が呼び名の基準となっているらしい。
「じゃああんたは『ジャッジメント』とでも呼ばれてるのか?」
冗談のつもりで発した言葉だった。それが冗談として受け入れられないものであると知ったのは審判小僧の表情を見てからだった。傷ついたとも、悲しみとも違う。鋭利な刃物で唐突に体を切られたような表情をしていた。
「あ……ご、めん」
「何で謝るんだよー」
いつも通りの笑顔がそこにはあったが、先ほどの話題を明らかに避けて会話が続けられる。
「んじゃ、ボクはそろそろ行くね。さすがにこれ以上サボったら親分に怒られちゃうよ」
本日の訓練はサボらずに参加するようだ。いつもサボっては怒られる姿を見ている身としては、少し物足りなさを感じるがしかたない。
「いってらー」
「頑張ってくるね」
あの話題にさえ触れなければ、いつも通りの日常が帰ってくるのだと思っていた。
一度得た物をなかったことになどできないのに。
名前の話をしてから数日が過ぎたとき、審判小僧の部屋の前を通りかかった。
気配がするので、中にはいるようなのだが、いつもの歌声も声も聞こえない。ミイラ父ちゃんじゃあるまいし、中で倒れているということはないだろうが、心配になったのそっと鍵穴を覗く。
見えたのはいつも通り何もない真っ暗で広い部屋と、その真ん中で膝を抱えている審判小僧だった。
「――っ!」
ボーイはすぐに顔を離し、悟られぬようにそっと立ち去った。
見てはいけないものを見てしまった気分だ。いや、実際にそうなのだろう。何故か膝を抱えているあの姿が、名前の話をしたときの表情と重なる。
目的地があったわけではなかったが、ボーイは自室ではない場所へ足を向けていた。
「まったく――」
ふと聞こえた声に身を隠す。
少しだけ顔を出して覗いてみると、そこには審判小僧の先輩達がいた。皆、似たような服を着ているが、各々自分の好みに改造しており、見た目でも十分に区別がつく。
「あいつ、全然訓練にこないよな」
「の割りに親分に構ってもらってさ」
「ずるいよな」
「真面目にやってるのが馬鹿らしくなっちゃうよ」
彼らが誰のことを言っているのかはすぐにわかった。
「『名無し』のくせにな」
侮蔑の色を含んだ声だった。
この世界で唯一無二の名を彼は持っていないのだ。だからあの時、あんな表情をしたのだろう。
今すぐに頭を下げたい気分だった。実際、訓練のシーンを見たわけではないボーイではあったが、彼らの口調から聞いても、友好的な関係を築けているわけではないだろう。その結果がアレだ。
馬鹿のような話ではないか。こんな世界にやってきてまで、膝を抱えていなければならないなんて。
ボーイは審判小僧の部屋へ足を向けた。
「おっと。どうしたんだい?」
途中、見知った者と肩をぶつけた。
「……ゴールド」
他とは一風変わったゴールド。彼らの親分。
「あんた、審判小僧達のこと、どう思ってる?」
不意にこんな言葉が口から出た。
「どう思ってる? おかしなことを聞くんだね」
「答えてよ」
ボーイはゴールドの答えが真実かなど確かめる術はないが、それでも聞くことに意義があると考える。
「みんな私の可愛い弟子達だよ」
優しい笑みだ。
「じゃあ、どうして『名無し』がいるんだ」
瞳がわずかに大きくなった。
「どこで聞いたのかは知らないが、特に意味はないよ。
あの子はまだこのホテルから出られない。特別な名をつける必要がない。それだけさ」
先輩審判小僧達はゴールドと共に外へよく出ていく。それをしない者には名は必要ないとでもいうのだろうか。
「何で出られないんだ」
「そういう風にこの世界ができてるからだよ」
意味深な笑みを浮かべ、ゴールドは彼らの元へと向かう。今日の訓練を開始するのだろう。いつものように顔を出し、『名無し』がいないと気づき、彼を探しに行く。他の小僧達がそれに苛立つ。
ボーイは廊下を走り、扉の前に立つ。ノックもせずに扉を開くと、そこには平然とお菓子を食べている審判小僧の姿があった。
「やあ。どうしたんだい?」
「……あんた、今日は訓練いいのか?」
隣に腰を降ろしながら尋ねると、適当な返事が返ってくる。それはあまりにもいつも通りで、先ほどまでのことを聞くのがためらわれる。全ては自分の思い過ごしなのではと思う。
「何か悩みでもあるのかい?」
俯いているボーイの顔を審判小僧が覗きこむ。
「いや? そんなことないよ」
「いーや! その顔は何かあるね!
よし。ボクがジャッジしてあげよう」
ダラーとハートが浮かび上がる。
訓練は嫌がるくせに、本当にジャッジが好きな男だった。
「本当にいいって!」
ボーイは審判小僧から目を背ける。彼のジャッジを受けるということは、先ほどまでの光景がばれてしまうということだ。
「……そう」
落胆した声が聞こえ、罪悪感を感じる。
「あんた、ジャッジは好きなのに、訓練は嫌いなんだな」
何か話をしようと思った結果の言葉だったが、すぐに失敗だったと気づく。訓練へ行かないのは彼らの存在のためかもしれないのだ。
「まあ、面倒からね。親分厳しいしー」
返ってきた言葉が以外にも普通だったことに驚いた。やはり、全ては自分の杞憂なのではなかと思い始める。
「こら。訓練サボるなー」
扉の向こうからゴールドの声が聞こえた。
「ちぇー。灯台下暗しって言うから、ここにいたのに……」
文句を言いつつも、審判小僧は素直に扉を開ける。元々鍵などかかっていないのだから、無駄な抵抗はしないでおこうという考えなのだろう。
開かれた扉の先にはゴールドと先輩達の姿があった。
ゴールドの後ろに控えている彼らの表情を見て、ボーイは確信した。審判小僧が訓練を嫌う理由の三割程度は彼らの存在だと。同時に、ゴールドも気づいているだろうことも確信する。
いつも子分達をよく見ている彼が、現状に気づいていないはずがない。
「なあゴールド」
審判小僧達を引き連れて、訓練に戻ろうとするゴールドを引き止める。
「なんだい?」
笑みを浮かべて振り向いたが、その目は笑っていない。真剣な眼差しでボーイを映す。
「あんた、本当は全部わかってるんだろ?」
数秒、真剣に見つめ合った後、ゴールドは審判小僧達に先に行くように言う。暗く、広い部屋にボーイとゴールドは二人っきり。
「何を言いたいんだい?」
「わかってるだろ」
誰の邪魔も入らずに、一対一の睨み合いが続く。射殺すような鋭い眼をしたボーイとは裏腹に、ゴールドは飄々とした様子。幻影を合い手にしているような感覚に陥る。
それでもボーイは知りたかった。
「私は真実を見るだけだからね。助けはしないよ」
非情な一言だ。
「過去をジャッジして、現実と向きあわせることはしよう。未来をジャッジして背中を押すことはしよう。
でも、それだけなんだよ」
ボーイは真実を見る目を持っていない。それでもわかった。
「嘘だ」
近くにいた黒子にダラーとハートを持ってくるように頼む。
「何をするつもりだい?」
黒子が籠に入ったダラーとハートをボーイに渡す。
「ボクがあんたをジャッジしてやるよ」
金と赤が淡く輝く。
「あんたは審判小僧達の親分。全員を平等に扱ってはいるが、どうしても一人が気になってしまう。
子分達はそのことに薄々感づいている。そしてあんたの気になっている一人を虐めている。
さあ、あんたならどうする?」
ボーイの持つ鎖の先で二つの色がゆらゆらと輝いている。真実を突きつけるための輝き。
「……私は平等に接するよ」
答えと同時に、ボーイは右手を振り上げ、ハートを床に叩きつけた。
「結局、あんたは一人に構い、贔屓が増長してしまうのを恐れ、一番大切な奴の助けを求める声を無視しました。
これが真実。はい、おしまい」
吐き捨てるかのような声が向けられる。
「やはり、君には審判する才能があるみたいだね」
「どーも。で、あんたはどうすんだ」
砕けたハートを黒子が回収する。
「言っただろ? ボクは助けないよ」
冷たい視線に、ボーイは眉を寄せる。ゴールドが『名無し』のことを大切に思っているのは真実なのに、どうしてこうも上手くいかないのだろうか。
上手くいかないのは現実の世界だけで十分だ。
「おやぶーん。あいつどっか行っちゃったんですけど」
「まったく……。もういい放っておきなさい」
そんなことを言いながら、ボーイの目の前から去ろうとする。
「この……馬鹿野郎!」
投げつけたのは残ったダラーだった。
「お前! 親分に何すんだよ!」
「うるせぇ!」
親分を守るように立ちはだかった審判小僧達を一喝する。
「あんたがそうしたいなら、それでいい。だけど、二者択一を迫るあんたが、二つを選ぶことだけは許さない」
それだけ言い、審判小僧達を押しのけ、部屋から出ていく。
「ボーイ」
振り向くと、未だに迷いを拭いきれない瞳をゴールドが向けている。
「今からでも、間に合うとでも思っているのかい?」
ボーイは嫌味な笑みを浮かべた。
「さあ?
ここまで放っておいたのはあんただろ」
苦虫を噛み潰したような表情をするゴールドにボーイは続けた。
「でも、ここは永遠の時間を彷徨う魂達の場所なんだろ?
時間なんて、あってないようなものだろ」
ボーイはもう振り返らなかった。ただ、後ろの方でゴールドが何かを言い、それに口を出している審判小僧達の声は聞いていた。
本当に不器用な奴だとほくそ笑む。他人のジャッジばかりしているからああいう目にあうのだ。欲望にまみれた世界なのだから、好きな奴くらい抱き上げればいい。好きなだけ贔屓すればいい。
END