審判小僧はその日の厳しい訓練を終え、黒子達の仕事をぼんやりと眺めていた。
キラキラと輝くハートとダラーを作っている彼らは愛おしい。思えば、審判を下した後、砕けたハートやダラーを掃除してくれているのは彼らだ。働いた分は何らかの形で利益を得ているらしいが、詳しいことはわからない。
輝く二つの色を眺めていた審判小僧は、ふと思うところがあって、手の上に審判を下すときにしか出さない籠を出す。黒い籠の中に入ったハートとダラーは、目の前で作られているものとまったく同じだ。美しい輝きを放ち、どこか透明感を持っている。
真実を見極める力は、審判小僧自身のものだが、審判を下すときには、この二つがなければならない。そして、二つは審判小僧を持ってしても取り出すことができない。籠からハートかダラーのどちらかが落ちて、砕ける。そうしてようやく、審判小僧は輝くそれらに触れることができる。
様々な角度から二つを眺める。綺麗なそれが砕けるところを想像すると、楽しくなってしまうのは、砕けるときは審判を下すことができたときだからだ。
「何をしているのかね」
唐突に聞こえてきた声に、思わず出現させていた籠を消してしまう。
「……お、親分」
声が震えた。
今日は訓練をサボっていないので、怯える必要はまったくないのだが、条件反射で腰がひけてしまっている。
「そんな態度を取られると、流石に傷つくねぇ」
そういって、審判小僧の頭をくしゃりと撫でる。
「黒子達の仕事っぷりに見とれていたのかい?」
「仕事っぷりというか、ダラーやハートって綺麗だなぁ。って」
真実をはっきりというのは、職業柄というやつだ。
正直者の審判小僧に、ゴールドは笑みを浮かべた。場の空気を読むのならば、嘘でも仕事っぷりを見ていた。と、言ったほうがよかっただろう。しかし、それができないからこそ、審判小僧なのだ。
「――でも」
輝きを目に映していた審判小僧が呟いた。
「ダラーもハートも、同じ数だけ作られているんッスね」
一つ一つを数えるなんてことはできないが、見たところ金色とピンク色は同じ数だけあるように見える。絶え間なく増え続けるその二つの色から、審判小僧は目を離さない。
「圧倒的にハートの方が割れるのに」
さらりと口から出る言葉。
その言葉自体は、恐ろしくも何とも無いもののはずだ。けれど、この場にまともな人間がいたならば、背筋を冷やしただろう。ただ、幸か不幸か、そのような人間はこのホテル中を探したところで見つかりはしないので安心とも言える。
ハートが落ちるということは、真心も真実もそこにはないということだ。ダラーが残るということは、欲望と虚実がそこにあるということだ。
誰も彼もがダラーを残すような世界だと、人は心のどこかで感じている。それでありながら、ハートを残す人間も数多くいると信じている。虚像を思い描き、世界を見誤っている。審判小僧が言っているのは、そういうことだ。
「親分、ダラーばっかりが残っちゃいますよ。どうするんッスか?」
空になった籠はいつも黒子が取り替えてくれる。しかし、ダラーが取り替えられることは少なく、今現在、審判小僧が所有しているダラーも、ずいぶん昔の物だ。先輩達の審判を間近で見ることは少ないが、結果は似たようなものだろう。
同じ数だけ増えるハートとダラー。ならば、余った金色はどこへ消えていくのだろうか。
ちらりと、ゴールドを見た。
「……親分?」
彼は赤い目を細め、どこか悲しげな表情をしていた。
「もっともっと昔はね、もう少しダラーが割れたんだよ」
いつの時代、どの世界でも、欲望はあった。ゆえに、この場所は存在しており、ゴールドはここにいた。彼の言葉には重みがあり、審判小僧が知らぬ昔は、今ほど真心が失われていなかったのだろうことがわかる。
「少しずつ、少しずつダラーばかりが残るようになってしまってね」
苦笑いをしたゴールドを、審判小僧はただ見つめていた。
問いかけに答えているようで、答えていない。いつもならば、残酷なほど簡潔に答えをくれる人だからこそ、審判小僧は不安になった。そして、ゴールドの鮮やかな金色の下に、錆びたような鉄色が見えることから目をそらす。
「気づいただろ?」
赤い目が真実を見抜く。
審判小僧が見ないふりをしたところで、隠し通せるはずもない。目を伏せ、明確な答えを回避することにだけ専念する。その行動こそ、肯定という答えになっていることはどちらも触れなかった。
激しい音を立てて、輝く二つを作っていく黒子が憎く感じた。いっそのこと、機械も全て壊れてしまえばいいと願う。
「泣くんじゃないよ」
「泣いてないッス」
「そういうことは、もっと演技が上手になってから言いたまえ」
真実を見抜かずともわかるよ。と、言われ、審判小僧は乱暴に涙を拭う。それでも、目からは涙が溢れてくる。
「大丈夫だよ」
また頭をくしゃりと撫でらる。
暖かい感触に、審判小僧はゴールドの胸へ飛びこんだ。胸に精一杯頭を押し付け、涙を隠す。
「この世界では、思いの強さが全てだから。大丈夫だよ。キミのようなサボり魔を置いて消えたりしない」
これ以上ないほど優しい声で囁きながら、押し付けられている頭を撫でる。
いつもならば安心させてくれるその温もりも、今の審判小僧には恐ろしさに変わる。今ある温もりが、いつか消えてしまう危険を帯びているのだと、気づいてしまった。
金色に光るダラーは、金色に輝くゴールドと何か密接に関係している。細かいことはわからないが、ダラーが増えれば、ゴールドはその身に宿す金を失うのだろう。まるで、ダラーがゴールド自身から作られているかのように。砕けたダラーがゴールドの体に戻るかのように。
審判小僧はゴールドに縋りつく。
できることならば、己の持つ籠からダラーを取り出し、地面に叩きつけてやりたい。
「安心しなさい」
幸福に包み込んでくれる声が、嘘なのだと審判小僧は知っていた。
END