「まったく……。またしてもお客様は帰ってしまわれた」
「それは残念だねグレゴリー」
 ホテルのロビー。玄関扉の前でホテルの主はため息をついていた。そんな彼に声をかけたのは、いつも笑顔の審判小僧だ。
 残念だと言いつつも、その口には笑みが浮かんでいる。いや、彼が笑っていないところを見たことがないので、あれでも無表情なのかもしれない。
「貴様らのせいだぞ」
「おや、それは心外だなぁ」
 くるくるとおどけたように回る。
 正確には、彼の親分であるゴールドのせいと言っていいのかもしれない。
「ボクらはただ真実をジャッジしただけだよ」
 この世界にきた人へ真実をつきつける。それが彼らの仕事だ。
 真実に立ち向かう人もいれば、打ち負かされここへ残る人間もいる。どちらになるか。それは審判小僧の知るところではない。真実の天秤もそれは教えてくれない。
「お客様が帰ってしまわれれば、一度扉とこのホテルは燃える。
 その苦しみを味わってでも、その真実は大切なのか」
「当然じゃないか!」
 相変わらずの笑みだ。
「ボクらはそのために生まれたんだからね」
 この世界自体に真実など存在しない。住人の真実を叩きつけるような真似をすれば、ただではすまないだろう。彼らにとって、やってくる哀れな客はただの暇つぶしになる。
 自分勝手だと、文句を言うために口を開いてみるが、すぐに閉じてしまう。自分勝手でない人物がどこにいるのだろう。グレゴリーの孫も自分勝手だ。むろん、自分も勝手なのだ。他人のために精神をさくなど面倒くさい。
 結局、大きなため息を一つついてホテルを巡回することにした。
「まあ、どうせすぐ戻ってくるわい」
「現実の世界は恐ろしいところだからね」
「貴様はいつまでついてくるのだ!」
 今日もいつも通り暇なのか、審判小僧はグレゴリーの後ろをついて回る。楽しげなのがまた腹にたった。いつもの歌を歌いながら時折くるくると回る。
「あー審判小僧のお兄ちゃんだ」
「なにしてんのー?」
「遊んで遊んで!」
 また悪戯を考えていたのか、ホテルの中でこそこそしていた子供達が審判小僧にむらがる。
 ずっとこのホテルにいて、面倒見の良い審判小僧は良いお兄さんであった。ちなみに、悪いお兄さんはパブリックフォンである。
「うーん。ボクはそろそろ訓練の時間だから、ここで失礼させてもらうよ!」
 良いお兄さんとはいえ、何度も悪戯の犠牲になるのは嫌だったようで、片手を上げて天井の向こう側へと消えていく。
「ずーるーいー!」
 文句を言う子供達を横目に、グレゴリーはアレはどのような構造になっているのだろうとぼんやり考えていた。彼も今すぐここから逃げ出したい気持ちでいっぱいなのだ。子供達は無邪気で加減を知らぬ分性質が悪い。だが、彼らから逃げきるのは体力的に不可能だろう。
 せめて、現実逃避くらいさせて欲しいものだ。
「じゃあ、おじいちゃん」
 可愛くない孫を目に、口元をひくつかせる。
 どうしてこうも自分は運がないのだろうか。
 長年つちかってきた悪知恵を働かそうと、脳をフル回転させる。しかし何も思いつかない。
「あ、カクタスおじちゃんだ!」
 そのとき、生贄という名の救世主が現れた。毎日見ている番組が終わり、部屋に帰る途中だったのだろう。
「げっ! ジェームズ!」
 救世主は情けない顔をして一歩後ずさる。しかし、その間に子供達はバタバタと間合いを詰めていく。
 これ幸いと言わんばかりにグレゴリーはその場を離れた。銃を持っているとはいえ、カクタスガンマンのノーコンさはよく知っていた。さらにいえば、彼も子供には優しいので銃を向けるような真似はしないだろう。
 仮にしたとしても、グレゴリーには関係のないことだが。
「ヒッヒッヒ。あいつも運がないの」
 他人の不幸は蜜の味。この世界では当然の理だ。
 子供達の魔の手から逃れることに成功したグレゴリーはホテルの見回りと続ける。遠くの方で断末魔が聞こえると、再び嫌味な笑い声を出す。
「相変わらず勘に触る笑い声だニャ」
 暗い独房の中から声が響いてくる。そういえばここはアイツの部屋の前だったと、グレゴリーは舌打ちをした。
「うるさいぞ」
 このホテルにたった一つだけある鉄の扉を蹴る。
「審判小僧共もそうだが、貴様も貴様だ!」
「……ボクは、こんな世界嫌いだニャ」
 鉄の扉は錆びた音をたてて開かれる。
「そのわりにはいつまでもここで生きるのだな」
 ネコゾンビを冷たい目で見る。
「お前の思い通りになるのだけは嫌だニャ」
 薄く笑う。鎖に繋がれ、冷たい部屋に閉じ込められているのはネコゾンビのはずだ。だというのに、傍から見れば逆転しているようにも見えた。
「……貴様の苦労はいつも無に返る」
 ニヤリと歯を見せて笑う。
 ネコゾンビの耳にも聞こえてきた。このホテルの扉が開かれる音だ。開けたのはきっと、先日帰ったばかりの者だろう。
「それでもボクは……」
 続きは言うことができなかった。言葉が見つからないのだ。
「現実の世界は恐ろしく、無意味だ」
 グレゴリーが言いきり、鉄の扉を閉める。
 現実は生きにくい。ならば、この世界は生き易いのだろうか。
 ネコゾンビにはわからなかった。


END