ボロいホテルにボーイの悲鳴が響き渡った。
住人の殆どは興味も示さず、自分の生活リズムのままにすごす。興味を持った数人は悲鳴の方へ駆けて行く。
「どうしたの?」
もっとも早く悲鳴にたどりついた審判小僧は、自室の前にある壁に背を預けているボーイを発見した。衣服が若干乱れている辺りから予想はついてしまったが、ボーイの視線をたどり部屋を見てみる。
「うるせーなぁ」
部屋の中にいたのは予想通りの人物だった。
赤い髪が特徴的なパブリックフォンは頭を掻いている。彼の服も前があけられ、普段は見ることのできない素肌がさらされていた。
「ボーイを虐めたらダメだよ」
興がそれたのか、服を着なおしているパブリックフォンへ言う。しかし、当の本人は適当に返事をするばかりで、審判小僧の話を聞いているとは到底思えない。効果のほどは期待できないが、もう一度念押しをしておこうと口を開く。
「何してんの〜?」
タイミングよくやってきたのはジェームズだ。悪戯好きの彼ならば、あの悲鳴を聞いて嬉々としてやってきてもおかしくはない。
「ちょっとした行き違いってやつだよ」
さすがのパブリックフォンも子供相手に猥談をするつもりはないのか、適当な言葉でジェームズを納得させる。彼が祖父の愛書からそういった知識を持っていることは知っているが、子供相手にそういった話をするというのは居心地が悪い。
審判小僧の横を通り抜ける際、お前が相手にならないかなどという言葉を発したがために、ダラーを頭にくらうことになってしまった。
「ボクは絶対にしないよ」
「ちぇー」
唇を尖らせている姿は子供のようだ。
廊下を進んでいくパブリックフォンの後ろ姿を見送り、審判小僧はボーイに手を差し伸べる。
「大丈夫?」
「う、うん……何とか」
ジェームズがいるため、ボーイも言葉をためらっているが審判小僧は全てわかっていると告げた。
パブリックフォンの手癖が悪いのはいつものことだ。金に対しても、対人に対してもそれは変わらない。
「つまんなーいの」
大人達だけが全てわかっているという雰囲気が気にいらなかったのか、ジェームズは唇を尖らせて去っていく。子供の仕草とパブリックフォンの仕草がピッタリ当てはまる。
「こりゃ、しばらくは警戒しないとね」
「どんな悪戯をされるか」
気に入らない大人達へ対するジェームズの悪戯など知りたくもない。
苦笑いをしながら、審判小僧はボーイを部屋の中へ戻す。扉を閉め、誰も聞いていないことを確認してから、先ほどの事態について少しだけ尋ねる。
「あのさ、こんなこと聞きにくいんだけど……。やっぱり襲われたの?」
やっぱりという言葉にボーイは少し驚いた顔をする。
「うん……。ボクは彼のことあまり知らないんだけどさ、いつもああなの?」
残念ながら、と審判小僧は頷いた。
好きなことだけをするパブリックフォンの思考回路は単純明快で、今回ボーイを襲ったのは単なる味見のつもりだったのだろう。相性が合えばもうけもの程度の考えで動いたに違いない。
このホテルにいる住人は、一度はパブリックフォンに寝込みを襲われている。大抵は撃退されて終わっているが、時折誘いに乗ってくれる者もいるらしい。その人物についてパブリックフォンは決して口を割らない。
口が固いというよりは、相手の機嫌をそこねることによるデメリットが面倒なようだ。
「ボクらはともかく、ボーイは弱いしね……」
審判小僧にはダラーやハートがある。他の住人達にも何らかの攻撃手段があるが、ボーイにはそれがなかった。
自分の楽しみのためならば、多少の面倒はこなしてくるパブリックフォンのことだ。また日を改めて襲ってくる可能性が高い。そのことを正直に告げると、ボーイは顔を真っ青にして落ち込んだ。
「……そうだ。タクシーに聞いてみる?」
タクシーという名前にボーイは首を傾げる。
ホテルから出ないボーイにとって、その名前は始めてのものだった。
「パブリックフォンの従兄弟なんだって。仲も良いし、弱点とか知ってるかもよ」
善は急げだと、審判小僧はボーイの手を掴んで歩き出す。ホテルの外が安全ではないと知っているので、ボーイは渋ったが襲われるのを待つだけというのもよろしくない事態だと気づき、大人しくついて行くことにした。
ホテルの外に出て、少しだけ歩くと審判小僧は大きく息を吸い込んだ。
「タクシー!」
大声で叫ぶ。木々が揺れる音がした後、静けさが当たりに戻ってくる。
呆然と審判小僧を見ていると、どこからかエンジンの音が聞こえてきた。
「お客さん。どこまで?」
黄色い車から顔を出した男はどことなくパブリックフォンと似ていた。
「その辺りをぐるっと」
「はいよ」
車の後部座席のドアが開く。
審判小僧が乗り込み、手招きをするのでボーイもそれに続く。
「お前が外にでるなんて珍しいな」
「ちょっとタクシーに聞きたいことがあってさ」
答えられることなら答えてやるよとタクシーは返す。
車の中から見える風景はどこも変わり映えがなく、陰鬱としたものが見えるだけだ。
「パブリックフォンに襲われたらどうしたらいい?」
単刀直入な言い方に、ボーイは思わず審判小僧を凝視する。
それに比べ、タクシーの方は動揺もせず、対処法かと悩んでいる。
「まあ、一つだけ言えるなら」
ようやく答えが出たのか、タクシーの口から言葉が紡がれる。
「犯られる前に犯れ」
予想もしていなかった答えに、ボーイは言葉が出なかった。今回は審判小僧も驚いたようで、目を丸くしている。
「上にさせてくれって言えばあっさりと了承するから、主導権を奪う必要はねぇし。それが一番楽だぞ」
口調から楽しんでいることが伝わってくる。
からかわれていると思いつつも、言葉を返すことができない。
「つか、あいつ下手だし。上になられたら死んじまうぞ」
タクシー曰く、パブリックフォンは自分の快楽しか考えていないので、自分が能動的な立場になった場合、相手を思いやる気持ちなど欠片もなく、ただ挿れて動くだけというとんでもないものらしい。
「他には何かないんですか……」
ここへくる前よりも落ち込んでしまったボーイの方を審判小僧が叩く。
励ましのつもりだが、今のボーイへどれだけの効果があるのかわからない。
「……お、噂をすればなんとやら」
タクシーがブレーキを踏み、助手席のドアを開けると赤い髪の男が乗り込んでくる。
「ボーイじゃん。何やってんだよ」
目を輝かせているパブリックフォンに、ボーイは身を引く。すっかり苦手意識ができてしまったようだ。
「ちゃんと座れ。シートに泥がつくだろ」
「へいへい」
諭され、大人しくシートに腰をかける。
「パブリックフォン」
審判小僧が声をかけると、彼は気の抜けた返事をした。
「ボーイをもう襲わないでやってよ」
「えー。お前が相手してくれるんならいいけどよー」
予想通りの答えだ。ボーイはうなだれる。これからの夜は今までにも増して眠れそうにない。
「お前どんだけ溜まってんだよ」
ポツリとタクシーがツッコミを入れる。
パブリックフォンの相手をしてくれる者は少ないが、タクシーの他にも三人はいることを彼は知っている。毎日するだけの体力はないと以前言っていたのに、ボーイにまで手を伸ばす理由がわからない。
「溜まってるっつーか、ボーイと遊びたいんだよ」
タクシーのため息が聞こた。
「とりあえず、今夜はオレが遊んでやるからボーイはやめとけ」
「マジで?」
後ろにその気がないどころか、性欲があるのかも怪しい二人がいることを忘れているのか、前に座っている二人は濃い話をし始める。
そろそろ、ボーイか審判小僧のどちらかが恥ずかしさで死んでしまうのではないかと思い始めたころ、ようやく車がホテルの前へ戻ってきた。
「それじゃ!」
「これ代金ね!」
二人はすぐさま車を降り、ホテルの中へと駆け込んでいった。
「せわしない奴らだな」
「まったくだ」
車に残された二人はそんなことを言い合っていた。
END