ホテルの中を徘徊するのは審判小僧の趣味だった。
部屋の中でひたすらに訓練をするよりも健康的であるし、気まぐれに住人の真実をジャッジしてみるのもなかなかに楽しいことだ。当然、ジャッジされる側は顔をしかめ、苦々しい表情をすること間違いなしである。
「ボクの名前を知ってるかーい」
いつものフレーズを口ずさみながら歩いていると、歌に答えが返ってきた。
「審判小僧と言うんだろー?」
声の主を探そうと辺りを見回すが、誰の姿も見えない。
「ここだよ。ここ」
導かれるように顔を向けてみると、そこには一枚の鏡があった。そこに映っているのは、右目だけが見えている仮面の男だった。
「何だ。ミラーか」
鏡の中にいるミラーマンに向けて言うと、彼は悲しげに肩をすくめた。
「声でわからねぇのかよ」
「君とは滅多に会わないからね」
ミラーマンはホテルの地下、隠された鏡の部屋に住んでいる。上に出てくることは少ない。現に、審判小僧はここ数年彼の姿を見ていなかった。顔を見ただけですんなりと名前が出ただけでも奇跡だった。
「よっと」
鏡の中から腕が生え、体全体が現れる。
久々に見た彼の姿は、他の住人と同じように以前とまったく変わらない。
「鏡の中を移動できるなんて、本当に便利だよね」
派手な赤マントをはおったミラーに言う。
「羨ましいか?」
ニタニタといやらしい笑みを浮かべている。黙っていれば、それなりに見えるのだが、このような表情をされると苛立ちしか生まれないのは本当に不思議だ。
とりあえず、挨拶代りにストレートパンチをおみまいする。
「ってーなぁ」
「君が悪いんだよ」
そんなことを言いながらも、本当に鏡の中を移動できたら、親分から逃げることができていいと思う。
いつも最終的には捕まり、説教を受けている自分を思い出して審判小僧は深いため息をついた。
「で、何しにきたんだい?」
「別に用事がなくたって、上にくることくらいあるさ」
そう言われると、なんとも言えない。上にいる者が地下へ行くことだってあるわけで、上と下を行き来するのに理由はいらない。
「でも、君は引きこもりみたいなものじゃないか」
他の住人よりも自由に、かつ楽に移動できるというのに、彼は自室から出ようとしない。部屋の中にいても外の状況が自在にわかってしまうからかもしれないが、実際のところは本人にしかわからない。
二人は廊下の真ん中で適当に言葉を交わしあう。
数年ぶりとはいえ、積もる話はまったくない。
この世界は変わらない。不変の世界だ。
「んー。じゃあ、真実でも見てみるか?」
思いつきをそのまま口にしたようだったが、名案だと思ったのだろう。本人は楽しげに口を歪ませて、マントを揺らす。
ミラーマンのマントは、写した者の真実の姿を映し出す。
審判小僧が他人をジャッジするのが好きなように、ミラーマンは他人を写すことが好きだった。
「……お断りだね」
冷たく言葉を吐いた。
「ちぇ」
拗ねたような口調をしつつも、その表情は楽しげなままだ。こうなることはわかっていたのだろう。
「じゃあ、君はボクにジャッジされてくれるかい?」
「冗談だろ?」
仕返しに言ってみれば、ミラーマンは笑みを崩さずに答える。
「ああ、冗談さ」
出現させたダラーとハートを消し、審判小僧も笑った。
「真実なんてろくなもんじゃないよ」
「違いない」
二人は滅多に会うことはない。だが、究極的に似ているところがある。
真実をつきつける者であること。知ることが好きなこと。
けれど、真実が好きだということと、偽りが嫌いだということはイコールではない。
「ボクは行くよ。カクタスガンマンでも捕まえて、ジャッジしておくよ」
「そうか。んじゃオレ様は誰にするかなぁ」
二人は真実を自分に向けることはない。
知らぬが仏。
見たくないものは見なければいい。実に身勝手なことだ。
「シェフ辺りはどう?」
「お前、オレ様に死ねっつってんのかよ」
こんな場所にきている人間に、まともな真実などありはしない。
突き付けることは楽だが、突き付けられるのは面倒だ。
END