ある晩、審判小僧の部屋の扉が開かれた。
 盗られて困る物もないので鍵をかけていなかったとはいえ、唐突に開かれた扉に身をすくめる。第一、時刻は真夜中であり、人が訪ねてくるような時間帯ではない。
「やあ私の可愛い名無し。今からおやすみかい?」
 扉の前に立っていたのはゴールドだった。
「え、ええ。親分、一体どうしたんッスか?」
 ちょうど寝ようと思っていた矢先の出来事だったので、シーツを握りながらゴールドへ近づく。
「いやね、キミの顔が見たくなって」
 言うやいなや、審判小僧の腰に手が回され、抱きしめられる。
「ちょっ……何するんですか。
 ってか、酒くさいッス!」
 至近距離から漂う香りは紛れもない酒の香りだった。
 ゴールドの酒好きはホテルでも有名で、知らぬ者はいない。しかし、同時にザルであることでも有名で、誰もゴールドが酔っ払ったところを見たことはなかった。今の審判小僧を除いては。
「もー。何をどれだけ飲めばこんな状態になるんッスか……」
 楽しげに笑いながら審判小僧に絡みついてくるゴールドを引きずり、部屋の中へ入れる。床に転がしておこうと思い、引き剥がそうとしてみるが、力が強すぎて離れない。
「どうして私を引き剥がそうとするんだい?」
 アルコールに侵された瞳はわずかに潤んでいる。
 自分よりも年下であったならば、これも可愛いと思えたのかもしれない。しかし、相手は年上、しかも上司に当たる人物であり、普段の厳しさも知っている。そんな人の潤んだ瞳というのは気持ち悪いものでしかない。
「ボクは寝るッス。だから、親分も寝てください」
 抱きしめられているような体制になってしまい、ゴールドの表情は見えない。だが回された腕に力が入ったところを見る限り、離れるつもりはないらしい。
「親分」
「嫌だ」
 本当に酔っているのかと思わされるほどはっきりとした拒否だった。
「……本当は素面なんじゃないですか?」
「んー。どうだろうねぇ」
 またふわりとした口調に変わる。
 長年付き合っているが、こういったところは未だに掴めない。
「どうしたら離れてくれるんッスか」
 ため息をつきながら尋ねてみるが、返事は返ってこない。考えている様子はなく、ただ無視をしているだけのようだ。
「親分。一緒に寝ましょ」
 離れてくれないのならば、一緒に寝てしまおう。
 この提案に納得してくれたのか、審判小僧はようやく横になることができた。何もない部屋の片隅に布を敷き、シーツを被る。
「……審判」
「はい?」
 シーツの中でも抱きしめられていた審判小僧は目を軽くあける。
「私の部屋へ行こう」
「え?」
 抱きしめられていた腕が解かれ、手が握られる。
「ここは寒い」
 温度を不満に思うことはない。この場所は寒くも熱くもない。腐ってしまいそうな常温があるだけだ。
 眠たい頭を働かせながら首を傾げる。そして一つ思い当った。
 ゴールドの部屋にはベッドがある。いつもベッドで眠っている者からすれば、床に薄い布を引いただけの寝具では眠れないのだろう。
「ワガママなんだから……」
 呆れた顔をする。
 酔っているとはいえ、自分勝手すぎる。いつもの冷静なゴールドはどこへ行ってしまったのだろうか。
 ゴールドの部屋へ続く扉は金色だ。中もまた金色。派手なことが好きなのは知っているが、何度見てもこれはやりすぎだと思う。ゴールドの部屋には何度かお邪魔したことはあったが、眠ったことはさすがにない。あの眩しい部屋で眠れるのか不安になる。
「私の部屋へようこそ」
 笑顔で部屋に招きいれられる。
 やはり目に痛いほどの金色が飛び込んでくる。
「さあ、眠ろう」
 金色のベッドは思っていたよりも柔らかく、暖かい。このベッドで寝てしまったら、もう自分の部屋で眠れないのではないかと考えた。しかし、それは杞憂であった。
「……眠れない」
 いつもとは違うベッドの感覚のためか、目を閉じていてもわかる眩しさのためか。審判小僧は一向に眠ることができなかった。
 眠気も吹き飛んでしまう部屋で審判小僧はどうするべきか頭を働かせた。こっそりと出て行ってしまおうとも思ったが、手はゴールドに握られており、ベッドから抜け出すこともできそうにない。
 審判小僧が困っていると、ゴールドの大きな手が目に添えられた。
「お眠り」
 優しい声だった。
 ゴールドの手に目隠しをされ、視界は暗くなる。すると途端に眠気が襲ってきた。
「お、やぶ……ん」
 眠りに落ちていくのを確認し、ゴールドは目を開ける。
「まったく。この子には危機感というものがないのか」
 その目はしっかりと審判小僧を映しており、酔っ払っているようには見えない。実際、本当に酔っていたわけではないのだろう。
「大体から、床にあんな薄い布一枚敷いて寝るなんて……。
 私に言えばベッドくらい手配したものを」
 初めに与えられた部屋をそのまま使っているなんて、誰が予想するのだろうか。他の弟子達は自分の趣味に合わせて部屋を作っている。
「……ま、そういうところが可愛いんだけれどね」
 目隠しをしたままそっと口づけをする。
「危機感はもうちょっと持って欲しいけどね」
 少しだけ苦笑し、ゴールドは再び布団の中へもぐる。
 明日起きたとき、今の状況がわからないと言ってみようと密かに計画していた。


END