訓練のない休日、審判小僧はホテルの中を適当に歩いていた。
 すれ違う住人達と挨拶を交わし、世間話をする。行動範囲が限られている彼にしてみれば、それらは大切な情報源だ。より公平なジャッジを下すため、情報収集を怠らない自分を自分で褒めてやる。
「そういえば、この間、ゴールドがこそこそしてるのをみたわぁ」
 キャサリンが愛用の注射器に頬ずりをしながら言った。昔、ゴールドはひどい目にあわされたと言っていたが、やはり採血されてしまったのだろうかと身を震わせる。
「あれは……女ね!」
 目を光らせた。
 審判小僧はまさかと返す。住人達には隠しているが、ゴールドと審判小僧は俗に言う恋人同士というやつなのだ。見た目は軽そうであるが、ゴールドが誠実に、かつ真剣に自分のことを愛してくれているという自信があった。伊達に長い時間を弟子として過ごしてはいない。
「いいえ。私にはわかるわ」
 あまりにもハッキリとした言葉に、自信が少しだけ揺らぐ。
「なんでさ」
「女の勘よ!」
 根拠も何もない。しかし、真実を知ることのできる目が、彼女が女の勘をどれほど信用しているのかを審判小僧に告げる。
 よく考えてみれば、審判小僧がゴールドの隣にいた時間よりも、キャサリンがゴールドの隣にいたそれの方がずっと長い。時間というものの力がいかに弱いかを突き付けられた。
「……でも」
「あらぁ? 審判小僧は親分をとられるのが寂しいのねぇ」
 細く綺麗な指が審判小僧の頭を撫でた。子供扱いされることは嬉しくないことだ。どうせ同じように撫でられるのならば、ゴールドの無骨な手で乱暴に撫でられた方が幸せになる。審判小僧の価値観はすべてゴールドが基準となっていた。
 名無しとはいえ、審判小僧のはしくれだ。相手の言葉が真実かどうかを見破る自信はある。しかし、相手は上司だ。真実を見ることにも、隠すことにも長けているだろう。
 不安がのしかかる。
「ま、ちゃんと見送ってあげなさい」
 そんな言葉を残し、キャサリンは愛しのシェフのもとへと足を進めていく。
「……嘘だ」
 小さく呟いた。自分の自信を取り戻すための言葉だったのだが、何の力もなく言葉は落ちて消えた。
 歩く気力がそがれ、その場にうずくまる。この時間帯は誰も通らないので、好きなだけこうしていようと思えた。
「ボクの名前を知ってるかーい」
 慣れ親しんだ音程が聞こえてきた。
「おや、そこにいるのは可愛い名無しじゃないか」
 うずくまる審判小僧と目線を合わせるため、ゴールドは片膝をつく。
「どうしたんだい?」
 優しい言葉に顔を上げたくなったが、目を合わせるのが辛いので、自分の膝に顔を押し付けたまま沈黙を返す。
 目を見られれば自分が何を疑っているのかばれてしまうだろう。ばれるだけならばいい。もし、それが真実なのだと言われてしまえば、もう審判小僧は耐えることができない。
「……そうだ。いいものをあげよう」
 無骨な手が審判小僧の頭を撫でる。
 たったそれだけのことなのに、心が軽くなった。本当に依存してしまっているのだと、審判小僧は苦笑して顔を上げた。
「手、出して」
 右手を出すと、違うと言われ、左手を出す。
 そっとはめられたのは銀の指輪だった。
「え……親分、これ」
 月の光を受け輝く銀の指輪は、左手の薬指にはめられている。
 これがどういう意味を持つものなのか、審判小僧は知っていた。
「金にしようと思ったんだけどね」
 心なしかゴールドの頬は赤く染まっていた。
「銀には『無垢』の意味があると聞いたからね。
 きっとキミに似合うと思ったんだ」
 そう言ったゴールドの左手には金の指輪がはめられている。
「……普通」
「ん?」
「普通、こういうときはペアリングじゃないんッスか」 
 自分の勘違いと、ゴールドの行動が恥ずかしくて、また目を合わせられなくなってしまった。
「そうだね」
 審判小僧の左手にゴールドの左手が重なる。
「でも、金はお前に似合わないし、銀は私に似合わない」
 手のひらに収まるほど小さなものだ。けれど、その喜びは手のひらに収まらない。
「……そうッスね」
 金はゴールドを象徴するものだ。恋人であり、弟子である審判小僧がつけるには恐れおおい。かといって、ゴールドが銀を身につけている姿は考えられない。
「さて、キミは一体何故こんなところでうずくまっていたのかな?」
「え」
 突然の言葉に、うっかり目を合わせてしまった。
 惹きこまれるような赤い瞳は今頃真実を映しているのだろう。ゴールドの眉間にしわがよる。
「ほぉ。キミは私を疑っていたようだね」
「……そんなことないッス!」
「あ、待ちたまえ!」
 怒りを宿した瞳から逃げるために審判小僧は走り出した。


END