カーヤの精神が死んでしまったという事実をつきつけられてから、早三日がたった。
三日間の間に敬一郎は何とか立ち直った。カーヤの身体はまだあるわけだし、その中には天邪鬼という中身もある。今までも天邪鬼のことをカーヤと呼んでいた敬一郎は元々傷つく必要もなかったのだ。
だがさつきは違った。天邪鬼は天邪鬼。カーヤはカーヤと、割り切っていたさつきにとって、カーヤがいなくなったというのはあまりにも大きな出来事であった。
生きていればいつかは死ぬ。
そんなことはさつきもわかっていた。わかっていたが、納得はできなかった。カーヤは天邪鬼に殺されたと思っていた。いや、思わずにはいられなかった。
自分の中で暴れ回る感情を持て余していたさつきには、それをぶつける相手が必要だった。今回、それが天邪鬼だったのだ。
家の中で黒猫の姿を見ることはなくなった。
天邪鬼は人型でその辺を歩き回るようになり、家に寄り付かなくなった。
敬一郎にご飯を食べないの?と聞かれた時、天邪鬼はカーヤの体もお化けになったから、別に食べる必要もないと答えたので、食事にも帰らなかった。
「さつきさん。いいのですか?」
「何のこと?」
桃子に尋ねられたさつきは、何のことかわからないと演技して答えたつもりであった。しかし、その言葉には確かに棘があり、何のことを言っているのかわかっているということは一目瞭然であった。
「天邪鬼さんは……待ってらっしゃるのだと思いますわよ?」
優しい、聖母のような笑みを浮かべた桃子を見上げながら、さつきは首を傾げた。それは演技ではなく、自然な行動であった。
一体何を待っていると言うのだろうか?
「桃子ちゃん、一体何を……?」
何のことを言っているのか、桃子に尋ねようとしたさつきであったが、そこに桃子の姿はなかった。
すでに横断歩道を渡っていた桃子は、小さく手を振って家へ帰って行った。
さつきは桃子が一体、何を言いたかったのかを考えながら歩いていた。
考えても、考えても答えは出ず、ため息を一つついた。
「あ……」
ため息をついて前を見ると、公園の中に目立つ男が一人ベンチに座っていた。
夕日のオレンジがよく似合う赤い髪の男はまさしく天邪鬼であった。
時折頭を掻いたりしながら口を動かしているので、誰かと話しているように見えたが、天邪鬼の近くには誰もいなかった。
独り言でも言っているのだろうと思ったさつきは、天邪鬼に見つからぬようその場を後にしようとした。
だが、どうしても独り言の内容が気になり、さつきはそっと天邪鬼に近づいて行った。
「お前は本当にうるせえな……」
その口調は、独り言ではなく誰かと会話しているようであった。
「わかってるっつてんだろ? だからこうして猫の姿にならねぇようにだなあ……あ? 逃げてるだけだと?」
目の前に広がる空間を睨みつけている天邪鬼は、第三者、すなわちさつきから見ると、あまりにも滑稽であった。
さつきがどのような目で見ていようと、天邪鬼が知るはずもなく、いたって真剣に睨み続けていた。
もしかすると、お化けと話しているのだろうかと思い当たったさつきは天邪鬼の視線の先辺りをじっと見つめた。何もない空間が広がるばかり。強いて言うのならブランコやジャングルジムがあった。
それでも見続けていると、ぼんやりと何かが見え始めた。始めは水蒸気のような白い煙に見えていたものが徐々に黒く、しなやかな体に見えてきた。
「カーヤ……?」
金と蒼の珍しいオッドアイを持つ猫の姿をその目に捕らえたさつきは、思わず呟いた。
『逃げてるんだろ? 猫の姿になったらさつきちゃんや敬一郎君を傷つけるとか言ってるけど、結局傷ついた二人を見るのが嫌なんだろ?』
「じゃあ、傷つくのがわかってるのにあの姿になれっていうのかよ?!」
カーヤの姿が見えるようになると同時に聞こえてきた声にさつきは驚いた。話しの流から、声の主はカーヤで間違いなさそうだが、その声はまるで鈴を鳴らしたような声で、雌なのかと思わせるのにも関わらず、雄だとわかってしまう不思議な声であった。
『いつかは乗り越えなきゃいけないだろ? いつまでも痛みから逃げていたら、傷は痛いままなんだよ』
カーヤの言葉に言い返す術を持たないのか、天邪鬼は黙りこんでしまった。
業とらしくカーヤが大きなため息をつくと、天邪鬼は髪が逆立つのではないかというほど怒りをあらわにした。
「うるせぇ! とっとと成仏しやがれ!」
『君は分が悪くなるといつもそれだ。君とさつきちゃんが仲直りしたら成仏してあげるさ』
言葉のやり取りを見ていると、出来の悪い息子をたしなめる母親のようにカーヤが見えてきた。
さつきはカーヤと天邪鬼の会話を聞いていると、不思議と先ほどまであった怒りや悲しみが抜けていくような感覚になった。
カーヤが天邪鬼のせいで死んでしまった。だからカーヤも天邪鬼のことを憎んでいるはずだと思いこんでいた。
天邪鬼は自分の心の痛みなんてわかっていないと、だからあんなに素っ気ないんだと思いこんでいた。
悪いのは天邪鬼ではなかった。いや、悪い者などいなかった。全ては自分自身の思いこみとワガママだったのだ。
「天邪鬼」
隠れていた茂みから天邪鬼を呼んだ。
「さつき?」
『さつきちゃん』
天邪鬼とカーヤを目の前にしたさつきは、大きく息を吸い込んで、自分に渇を入れた。
「ごめん! あたしが勝手に怒って、恨んで……カーヤの代わりにあたしがそうしなきゃいけないって思いこんでた」
手を握り締め、後悔の言葉を紡ぎだすさつきを天邪鬼は抱きしめた。
突然のことにさつきは驚いた。思わず鳩尾)を殴りそうになったが、天邪鬼の力に敵うはずもなく、されるがままであった。
「ばーか。お前が謝るようなことじゃねぇよ」
天邪鬼に許されたことが嬉しかったのか、言いたいことを言って安心したのか、さつきの目からは涙が溢れて流れていた。
小さく嗚咽をもらすさつきの背を天邪鬼はポンポンと叩いて宥めてやっていた。