平和ではあるが、安全であるとはけっしていえない町で、フリッピーは発砲音とよく似た音を聞き、昔の戦場を思い出した。
戦場を思い出したフリッピーは自分の命を守るために、裏の人格と入れ替わる。裏の人格が出てくれば、まわりにいる者をすべて殺すまでフリッピーの意識は戻らない。
だが、軍人が出てきたとき、そこには誰もいなかった。発砲音とよく似た音を出したのは一羽の鳥で、とりあえず串刺しにしてみたが、いくらなんでも出てきてすぐに表の人格と入れ替わることはできない。
いつもは守るという意識のもと、全てを殺すしかしない軍人なので、たまにはゆっくり町を見てみたいと思った。誰かと会って、殺したくなれば、それはそれでいい。
無駄に広い町だというのに、それほど多くの住民がいるわけでもないので、中々人と会わない。いつもこうならば、誰も殺さなくていいのかもしれないとも思ったが、フリッピーが軍人と入れ替わる原因を作るのは、大抵町の奴らなので、それは叶わない。
「よぉ、フリッピー」
後ろから声が聞こえ、軍人は振り向く。
「――――っ!」
振り向けば、そこには肘から先のない大工がいた。軍人はハンディーと直接話したことはないが、フリッピーが気に入っている奴だとは知っている。
おそらく、金に光る目を見て、フリッピーだと思っていた人物が覚醒した殺人鬼になっていると悟ったのだろう。ハンディーは軍人の動作に気を配りながらゆっくりと後ずさる。
愚かだと軍人は思った。
敵から逃げてはいけない。逃げるくらいならば死を選べ。そう教えられてきた。それを実行してきた。同時に、敵を逃がすなとも叩きこまれた。
ナイフを握る。この距離ならば、間違いなく急所に投げられると確信するが、手からナイフは放たれない。
目の前にいる者がただの肉の塊に変わる。それは何よりも嬉しいことで、最高の遊びだと信じていた。信じたいと思っていた。
「どうしたんだ……?」
一向に襲ってくる気配を見せない軍人に、ハンディーは心配そうに尋ねる。
「…………さっさと逃げればいいだろ」
逃げればいい。そうすれば殺されない。
「そんな悲しそうな顔してるやつを放っておけるかよ」
悲しそう。そう言われ、軍人は目を見開いた。悲しいことなどありはしない。
軍人はナイフを強く握り、ハンディーへ向かって投げつける。
「外すなんて、あんたらしくねぇじゃねーの?」
投げられたナイフは、ハンディーの頬をわずかに切ったにすぎなかった。
確実に急所を狙ってくる軍人ではありえないこと。
「死にたいのか?」
再びナイフを取り出し、強く握る。
「まさか」
「なら何で逃げない」
二人は睨みあう。
「さっきも言っただろ? そんな悲しそうな顔してるやつを放っておけるかよ」
軍人は何も言わず、行動も起こさない。
「なあ。いつも聞きたいと思ってたんだけどよ」
ハンディーは口を開いた。
「あんたは何で殺すんだ?」
殺されたときのことは覚えていないが、軍人が町の者達を殺していることは誰もが知っている。
それはドジでもなく、事故でもない。本物の殺意を持っておこなわれる殺人劇。ハンディーはずっと聞きたいと思っていた。戦場に出ていたころの記憶が甦り、周りの者が全て敵に見えると誰かが言っていた。だが、それならば何故、軍人は今ハンディーと向きあっているのだろうか。
「……死ぬのは御免だからな」
軍人は静かに答える。実のところ、答えが返ってくるとは思っていなかったハンディーは、予想外の出来事に目を丸くする。
「でもここは戦場じゃない。わかってるんだろ?」
現に、フリッピーはここが平和な町であることを知っている。だからこそ、表に出てきたとき、自分がおこなった虐殺に嘆く。
「頭に血が上ると、わけがわからなくなる」
何故か軍人の口からは言葉が零れでる。
ハンディーにこんなことを告白するのか、そもそも、自分がそんなことを思っていたのか、軍人にはまったくわからない。それでも、言葉だけは溢れる。
「オレが消えるまで、フリッピーはオレが守る。
そうでないと、オレは存在する意味がなくなる」
恐ろしい金の瞳が、これほどまで弱々しく見えたことはなかった。
「オレは、専門家とかじゃないからよくわかんねぇけど、あんたは存在してる意味があればいいんじゃねーの?」
そう言われれば、そんな気もしたが、軍人はフリッピーを守ること以外、存在する意味など与えられない。
「友達とか作ってさ、それを存在する意味にでもすれば――」
ハンディーの言葉は最後まで紡がれない。
軍人の手からナイフは離れ、ハンディーの胸を突き刺していた。
「悪いな。オレもすぐ逝くから、許してくれ」
気づいてしまった。
町の奴らの優しさに、自分の心の奥にあるものに。
「……また、独りだ」
いつだって周りは血の海。例え自分がしていることとはいえ、寂しい。独りは嫌だ。けれど、戦うこと以外の意味など見つけられない。見つけてはいけない。
死ねば、殺されれば、死の前後のことを忘れる。ハンディーは軍人と会ったことすら覚えてないだろう。そして、今から死ぬ軍人も、自分の気持ちを忘れる。
軍人は己の体にナイフを突き刺した。
死の直前、守るはずの体を傷つけたことを、少しだけ後悔した。
END