わからない。血の海の真ん中で、覚醒したフリッピーは言った。
そこにいるのはフリッピーとスプレンティドだけ。他の者達は全て原型を留めていない。
「また、殺したのかい?」
悲鳴を聞き、かけつけたのだが一足遅かった。
「ああ」
二重人格であるフリッピーの主人格が、祭りの花火を聞いて発砲音と認識してしまったのが、そもそもの始まりだった。戦争のことを思い出すことを嫌う主人格に変わり、裏の人格が外へでる。
話はそれだけでは終わらない。そこで終わっていれば、今のような地獄絵図にはなっていないはずだ。
フリッピーの裏の人格は主人格の恐怖を全て取り除く。そう、周りを全て敵と見なし、殺害する。
「いつ間で続けるんだい?」
スプレンディドは町の人々を守るため、悲鳴を聞いたら出動する。その悲鳴の原因というのは、一週間に一度以上の割合で、フリッピーが原因なのだ。
一度覚醒してしまったフリッピーを止めるのは困難なことで、今までスプレンディドが町の人々を守れたことは少ない。いくら次の日には甦るとはいえ、守りきれないというのは自称ヒーローであるスプレンディドにとって、喜ばしくない事態だ。
なので、少しでも覚醒を抑えられないだろうかと、何度もフリッピーと接触していた結果、裏の人格とも言葉を交わすことができるようになっていた。
「……さあな」
だからこそ、スプレンディンドにはわかる。血の海の真ん中でフリッピーが泣いているということが。
いくら主人格を守るためだとはいえ、今やっていることが正しいことだとは思っていないのだ。結局は他人を殺していることに変わりはない。
「お前と話すようになって、ずいぶんマシになったと思ったんだがな」
戦場にいき、功績を上げれば友情とはほぼ無縁の生活を送ることになる。共に戦いを生きぬいてきた者は死に、戦いが終わり祖国へ帰れば人殺しと罵られる。
そんなフリッピーを唯一受け入れてくれた町。その中でも特に自分のことを気にかけてくれている存在がいる。それは心の傷を癒すために必要なものだった。
「イチゴジャムくらいじゃ、オレを引っ張り出さなくなった」
主人格を守ることに全てをかけているフリッピーにしては、悲しそうな声だった。このままいけば、心の傷が完全に癒えるかもしれないというのに。
「だから、オレに関わるな」
地面に落ちていたナイフを拾い、スプレンディドへ向ける。
ナイフを向けられたところで、怖くも何ともないが、突然の言葉と行動に同様を隠すことができない。
「……勘違いすんな。
オレが出てない時は今までと同じようにしていればいい」
無表情で淡々と言葉を紡ぐ。その瞳にはなんの感情もなかった。
「そうすりゃ、優しいフリッピーが永遠に続く。町も少しは平和になるんじゃねぇの?」
フリッピーの傷が癒えつつあることを誰よりもよく知っているからこその言葉に、スプレンディドはフリッピーが必死に感情を抑えているように感じた。
裏の人格は寂しいのが嫌いだ。戦争の傷で生み出された人格のため、好戦的な性格となってはいるが、最後に自分一人が残る感覚はやるせないもので、いつも寂しい思いをしていた。
「ボクはね、ヒーローだから君と一緒にいるわけじゃないんだよ」
向けられていたナイフをそっと掴み、フリッピーの瞳を見つめる。
「君が好きなんだ」
どちらかと言えば美形の部類にはいる顔立ちで、真剣なその瞳を向けられて告白されれば、大抵の者は嫌な顔をせず、頬を赤らめるだろう。だが、残念なことにフリッピーは『大抵の者』ではなかった。
一瞬だけ体を固まらせたが、すぐに怒りの表情を浮かべてナイフを強く引いた。
軽くナイフを掴んでいたスプレンディドの指からは血が噴き出した。
赤い血と痛みがスプレンディドを襲ったが、その瞳はフリッピーから逸らされることはない。
「オレとこいつを一緒にするな……!」
怒りを宿した瞳からは涙が溢れ、手はナイフを振り回す。
スプレンディドはナイフを恐れず、フリッピーに近づき、抱き締めた。錯乱状態にあるフリッピーはスプレンディドの背中に何度も突き刺す。致命傷にまではいたらないが、その痛みは先ほどナイフで切れた指の比ではない。
「軍人君。聞いてくれ」
青い背中を赤く染めながら、スプレンディドはフリッピーに囁く。その暖かい声はフリッピーの脳に深く浸透したが、ナイフを突き刺す手を止めない。もう何も聞きたくない。
「ボクは、君とフリッピー君を一緒にしたことはないよ」
その言葉に手が止まった。
「気づいてなかったのかい? ボクは君のことを軍人君と呼ぶけど、主人格の君のことはフリッピー君って呼んでるんだよ」
傷だらけの背中からはとめどなく血が流れ、意識が遠のきそうになるが、スプレンディドは耐えた。ここで死んでしまえば、二度と目の前にいる人とは会えなくなる。
スプレンディドに抱き締められているフリッピーは、彼が虫の息になりつつあることを知った。体は冷たく、力は弱くなっていくというのに、抱き締める腕だけは話さないスプレンディトをフリッピーは抱き締め返さない。
「ボクはね、君が、軍人君が好きなんだ」
「……オレは殺人鬼だ」
優しくもなければ、家事もろくにできない。唯一自信をもってできると言えることは、他人を殺す技術だけ。愛される価値は微塵もなく、憎まれる価値だけが嫌になるほどある。
「でも好きなんだ」
体はずいぶん冷たくなり、流れる血は海をさらに大きくした。それでもスプレンディドはフリッピーを離さない。
「忘れろ。死んで、忘れちまえ」
「無駄だよ。ずっと、ずっと前から思ってたことなんだから」
死んで忘れることは、死んだ時のことだけ。フリッピーに告白したことも、殺されたことも忘れてしまうだろうが、好きだという思いは忘れることがない。
「オレは消えなきゃいけない」
平和な町で暮らしていくのに、恐ろしい裏の人格は不要。いつか心の傷が完全に癒えたとき、消えてしまう儚い存在でしかない。
「だから……。だから、オレに未練を残させるな」
好きだなどと言われてしまっては、消えたくなくなってしまう。
どうせならば誰からも嫌われていたい。そうすれば消えることなど怖くなくなる。きっと消滅を受け入れることができる。
「ごめんね……」
最期の言葉をフリッピーに残し、スプレンディドは明日の朝まで眠る。
静かな静寂と赤い海。その中心でフリッピーは涙を流す。消えたくない。そう願ってしまった自分が憎く、願う原因を作り出したスプレンディッドが愛おしくて。
END