いつも隣にいてくれる。そう思っていたから口汚い言葉も吐けた。けれども、それが真実ではないと知ったとき、人は悲しみにくれる。
己が悪かったと思いつつも、なぜわかってくれなかったのかと心の内によどみを抱える。
赤い血溜りの真ん中で、フリッピーは呆然と立ち尽くしていた。またやってしまったと思いながら、今日は彼がこなかったと頭の隅で考える。軍人と入れ替わることのない日にも家にきてパンを焼いてくれていた。
「ボクは一人でいなきゃいけないんだ。誰かを傷つけるから。でも、彼は傍にいてくれた。殺されない。殺してあげるって言ってた」
散らばる肉片を踏みつけて歩く。明日になればこれらも元通り命を吹き返す。
「ねえ、どうしてなの?」
呟いた言葉は誰にも聞かれず、血に溶けた。
新しい一日が、新しい命が始まる。
フリッピーは輝くお日様の下をゆらゆらと歩く。周りの声は楽しげで、昨日の惨劇などなかったかのようだ。
目的地はただ一つ。英雄、スプレンディドの家だ。人知れずひっそりとたたずむ家をフリッピーは知っている。元軍人の情報収集能力をなめてはいけない。
「こんにちはー」
友人のもとを訪ねてきたときのように軽くノックをする。扉の向こうでスプレンディドは首をかしげていることだろう。
「どうして私の家がわかったんだい?」
扉が開かれた瞬間に、パンのいい匂いが漂ってきた。
「ないしょです」
笑みを浮かべて答える。次はフリッピーが尋ねる番だ。
「なんで昨日はきてくれなかったんですか?」
「え?」
目を丸くしている。この様子だと、昨日の出来事すら知らないようだ。
超人的聴力は一体何のためにあるのだろうか。
「一昨日はきてくれました。その前も、その前の前も」
前もと何度も繰り返す。
それほどスプレンディドは毎日フリッピーのもとを訪れていた。
「どうしてですか?」
一人でいる辛さをようやく受け止めることができた。それを無にしたのはスプレンディドだ。また一人が怖くなったのに、一人にするなんて酷い。
悲しみを宿した目で詰め寄る。
スプレンディドが開いた口からは、残酷な言葉が流れた。
「君ばかりに構ってられないんだよ」
諭すような口調ではあったが、言葉は刃物となりフリッピーを傷つけた。
「最近は君も落ち着いてたし、もう大丈夫かと思ってね」
仕事で、義務感で隣にいた。それをフリッピーは受け止めきれない。
一緒にお茶を飲んだことも、パンを焼いたことも、忘れられない。まるで旧知の友のように毎日を過ごしてきた。幸せだったのだ。
「そんなの、嘘です」
震える手を見つめながら呟いた。
今までのことを思い出し、一つの事実に思い当たる。
幸せな時間だったが、よく軍人の人格も現れた。そしてスプレンディドに口汚い言葉を叩きつけるのだ。軍人の言葉にいつも彼は悲しそうに笑い、家を去って行く。
『オレの、せいか?』
頭の奥のほうで軍人の声が聞こえた。
「そうだよ! 全部、全部君のせいだ!」
その場に崩れ落ち、頭を抱えて叫ぶ。第三者から見れば、その姿は異常者でしかない。
「消えてよ! 今すぐボクの中から!」
『フリッピー……』
悲しげな声が聞こえるが、フリッピーは心の耳までふさいでしまい、軍人の声は届かない。
『一度だけ。もう一度だけ、代わってくれ』
軍人はゆっくりとフリッピーと交代した。
頭から手を離し、ゆっくりと立ち上がる。見据えるのは目の前で呆然としているスプレンディドだ。
「軍人君?」
きっかけになるようなことは何もなかったはずなのに、こうして現れたのが不思議なのだろう。目は丸くなったままだ。
「本当なのか?」
風に消えてしまいそうな声だったが、スプレンディドの耳には確かに届いた。ただ、その言葉の意味はわからない。
「お前はオレが嫌いだから、もうフリッピーのところにはこないのか?
オレのところにも、こないのか……?」
残酷な光を宿しているはずの瞳が、不安げに揺れている。
まるで初恋を秘めている乙女のような瞳だとスプレンディドは思う。
「違うよ。ただ、もう君達はボクがいなくても大丈夫だと思ったんだ」
抱きしめようと腕を伸ばす。
「嘘をつくなっ!」
伸ばされた腕をナイフで切る。
スプレンディドの腕から赤い鮮血が飛び散った。
「みんなオレが嫌いなんだ。知ってるぞ。
優しいフリッピーじゃないから。みんなをむごく殺すから。仲間だってオレには近づかない。
フリッピーじゃない。オレが一人なんだ!」
悲しみの光が目から流れ落ちる。その光は静かに地面を濡らす。
彼はどれほどの孤独にさいなまれてきたのだろうか。想像することはできないが、悲しかったことだけは今の状態を見ればわかる。
自分の半身にまで否定された絶望は想像を絶するものだろう。
「キミが」
動かない片腕を必死に動かし、軍人の頬に触れる。
「キミが一人は嫌だと言うなら。
ボクが殺してあげるよ」
切られていない方の手で軍人の首を掴む。後は力を入れるだけで、柔らかい首は簡単に潰れる。
さようならの言葉も告げないで、孤独の首を潰す。
嬉しそうな顔がスプレンディドの脳に刻まれた。
END