いつもなら、生々しい鉄の匂いをまとわせてやってくる軍人が、何の匂いも感じさせずにスプレンディドの前に現れた。
「やあ軍人君。珍しいね」
 近頃、裏の人格である軍人が表へ出ることが少なくなっていた。
 この町に住む住人としては嬉しいことではあるが、軍人に恋心を抱いているスプレンディドにとっては、どこか物寂しいことだった。
「……ああ。そう、だな」
 そこにいたのはスプレンディドの知っている軍人ではなかった。
 高圧的な笑みもなく、隙だらけ。戦うためだけに生まれてきた人格とは到底思えない。
「どうかしたの?」
 様子のおかしい軍人に、スプレンディドが尋ねてみる。軍人はスプレンディドをその瞳に映した。自分の姿を映した金色の瞳があまりにも悲しげで、スプレンディドは口を開くことができなかった。
 ただ、軍人の言葉を待つだけの時間が流れる。
「さよならを、言いにきた」
 風にかきけされてしまいそうな呟きだった。
「……え」
 軍人の言葉の意味を、スプレンディドは理解しようとしなかった。

 この町を出て行くというのだろうか。
 もし、そうだとするならば、挨拶にくるのはフリッピーだろう。

 新たな戦場に赴くというのだろうか。
 そんなことをこの町が許すはずがない。

 いくつかの仮説はあっけなく崩れる。
「オレは、裏の人格は消える」
 悲しい瞳はスプレンディドを捕らえて離さない。スプレンディドはやはり何も聞くことができない。
 聞いてしまえば、それが揺るぎない真実になってしまうから。
「だから、さよならだ」
 突き放すような冷たい声に、思わずスプレンディドは軍人の腕を掴んだ。物理的な鎖で、引き止められるものではないとはわかっていた。
 それでも諦めることはできない。
「ど、う……して……?」
 ようやくつむぐことができた言葉は、本当に陳腐なものだった。
「――ここは、平和だ」
 平和な町。ずっと恐れていた戦争の記憶は少しずつ薄れ、いつしか軍人としての人格は不必要になっていた。むしろ、大切な友人達を殺してしまうような人格は消してしまいたいものだった。
 言い終えたとき、軍人は儚く笑った。
 その笑みを見て、スプレンディドは全て本当なのだと感じた。幾度となく死を繰りかえしたとしても、また生を受けるこの町だから、会えなくなることなどないと思いこんでいた。
 だが、それは己の体を持っている者に限る話しだったのだ。
 軍人は所詮、裏の人格でしかない。体を持たぬ存在。
「なあ、スプレンディド。一つだけ聞いてくれ」
 軍人の腕を掴んでいるスプレンディドの手に、軍人はそっと手のひらを重ねた。
 頷くことも、目をそらすこともしないスプレンディドの耳に、軍人は口を近づけた。
「――――――」
 呟かれた言葉に、スプレンディドは目を見開き、軍人の顔を見る。
 そこにあったのは、何が起こったのかわかっていない表情をした、フリッピーだった。
「あれ? スプレンディドさん……。ボク、どうしてここにいるんですか?」
 軍人だった時の記憶も、雰囲気も、残っていなかった。この世界のどこを探しても、軍人はもういないと実感し、スプレンディドはフリッピーに抱きついた。
「ス、スプレンディドさん?! どうしたんですか? 大丈夫ですか?!」
 慌てつつも、スプレンディドから逃げようとはしない。むしろ、スプレンディドの背に腕を回して抱き締める。
「ごめん。ごめんね……」
 そう呟いたスプレンディドの言葉の真意を、フリッピーは知らない。

『お前が愛したのは、フリッピーだ。オレじゃない。
 だから、オレが消えたらフリッピーを愛せよ』

   ――ごめんね。やっぱりボクは軍人君が好きなんだ……。


END