日課のパトロールをしていたスプレンディドは、行くところに血の匂いと絶叫を引き寄せるフリッピーの姿を見つけた。今日はまだ平和に過ごせているようで、血の匂いはしない。
 軍人のこともあり、フリッピーとはよい友好関係を築けている。せっかくなので、挨拶でもしていこうかと思い、飛ぶ高度を下げたとたん、フリッピーがスプレンディトを見つけた。軍人時代の経験からか、フリッピーは気配に敏感なのだ。
「あ、スプレンディトさん。こんにちわ」
 愛くるしい笑顔を見せるフリッピーに、スプレンディトも笑顔で返す。
「待っててくださいね」
 挨拶をしたときと変わらぬ笑顔で言われ、スプレンディトは首を傾げた。特に用事があるわけではないが、何故待たされるのかがわからない。理由がないのだ。
 疑問を顔に貼り付けているスプレンディトには何も言わず、フリッピーはゆっくりと瞬きをし、その目を鋭くギラつかせる。
「…………なんだ」
「え、軍人君?」
 フリッピーは軍人の存在に悩まされていたはずであり、軍人が出てくるときは、決まって戦いを連想させる何かがあったとき。今は何もなかった。フリッピーが自分の意思で軍人と入れ替わったようにしか見えない。
 スプレンティドの混乱は軍人に正確に伝わったらしく、不満気な表情を浮かべながらも軍人は口を開いた。
「よくわからねぇが、オレを前に出すってのは自分の意思で出来るようになったらしい」
 軍人を抑えることができなければ意味がないというのに、何故フリッピーは軍人を前に出すということだけができるようになってしまったのだろうか。
 目覚めたときに血の海となっている周囲を見て、涙を流すフリッピーを何度も見ているスプレンティドはため息をつく。
「何でフリッピー君はキミを……?」
 スプレンティドが尋ねると、その頬をナイフが掠めた。
 口には出さないが、わからないという意思表示なのだろう。軍人は戦いから身を守るためだけに生まれてきた人格のためか、あまり人と話すということをしない。
 話せないわけではないのだが、言葉を交わすことによって情がわくことを抑えようとしているように見える。
「……せっかくだから、何処か行くかい?」
 軍人は出てきた瞬間に周りの者達を虐殺するが、今回はその様子が見られない。普段は話すことができないような者達と話したり、できないようなことができるかもしれない。
 スプレンティトド軍人が好きだった。フリッピーではなく、軍人が好きなのだ。だから笑っているところを見てみたい。血と涙に汚れた笑顔ではなく、純粋な笑顔が見てみたい。
 やましい思いなどなく、純粋にそう思ったのだ。
「却下だ」
 親指を下に向けてあっさりと言い放った軍人の言葉にスプレンティドは肩を落とす。
「オレが他の奴らと会えるわけがないだろ」
 呟くように言われた言葉に軍人の顔をスプレンティドはじっと見た。次の言葉を待っているその表情に負けた軍人は投げ捨てるように言葉を続けた。
「殺し屋を見て喜ぶ奴がいるのか?」
 自嘲するような笑みを見て、スプレンティドは決めた。
 力ずくでも町に連れて行こう。そして、思っているよりも軍人は嫌われていないと教えてあげよう。町の仲間達を守る英雄として、愛する人がいる一人の男として、それは決定事項。
 幸い、力だけならばスプレンティドは軍人にも負けない。
「そうかい? じゃあ行ってみようじゃないか」
 無理矢理腕を掴み、空へ飛び上がる。
 万が一にでも殺してしまったりしないように、慎重に運ぶ。しばらくは抵抗していた軍人だったが、スプレンティドが手に力を入れてからは大人しい。おそらく腕を握り潰されそうになったのだろう。
 諦めにも似た表情の中には隙をみて逃げ出してやろうという思惑が見え隠れしている。
「ああ、ハンディー君がいるよ」
 相変わらず手を使わずに、大工の仕事をしているハンディーのもとへスプレンティドが降り立つと、ハンディーは明らかに驚いた顔をした。その表情の中に少なからず怯えの表情があるのを軍人は見逃さない。
 常に殺す側である自分を見て怯えない者などいないはずだと思った時、ハンディーの目線がスプレンティドに送られていることに気づいた。
 よく考えてみれば、自分のことを英雄だと言っているわりに、スプレンティドは町の者達をよく殺してしまっている。悪意のない行為ゆえに恐れも大きいのかもしれない。
「……性質がわりぃ」
 自分のことを棚に上げて軍人は呟いた。
「お前さ、大丈夫か……? 腕、とか」
 さらには、ハンディーが軍人の腕を心配している。
 戦う力を持つ者はこの町では強い。他の者達のように簡単に潰されたりはしない。
「平気だ」
「そっか。腕がないと不便だからな、大切にしろよ?」
 ハンディーの優しい言葉が軍人には痛かった。何度も殺してきた相手だ。例え相手がそのことを明確に覚えていなくとも、軍人の脳裏からそれが消えることはない。
「……てか、始めて話したな」
 太陽のような笑顔を向けられ、軍人は思わず目をそらしてしまった。戦場では相手から目を逸らすというのは自殺行為だというのに。
「普段、何度か話しているだろ」
 そっけなく言うと、ハンディーは首を傾げる。
「あれはフリッピーだろ? お前は……えっと……」
 軍人のことを何と呼べばいいのか迷っているハンディーにスプレンティドが助け船を出した。
「軍人君」
「なるほど。軍人と話すのは始めてだろ? お前がいるときは大体みんな死ぬし」
 殺されていることを何とも思っていないようないい方に、軍人は呆然とした表情をハンディーに向ける。
「な、お前さぁ、ちょっと手伝ってくんねぇ?」
 まさかの提案に、軍人は再び驚かされる。
「それはいい考えだ。よし。ボクも手伝おう!」
 スプレンティドが胸を張り、近くにある木材を持ちあげようとしたが、ハンディーが寸前のところで止める。スプレンティドが手を出せばとんでもないものができてしまうに違いない。
 ハンディーの行動は正しいと思う。だが、それで止まるスプレンティドではない。遠慮をするなと言いながら木材を振り回す。ハンディーが哀れな肉塊に変化するのも時間の問題だろう。
 二人の様子をじっと見ていた軍人は立ち上がり、スプレンティドにナイフを投げつける。
「何をするんだ軍人君!!」
 本日二度目のナイフに、さすがのスプレンティドも眉間にしわを寄せて抗議する。
「お前はじっとしてろ。手間が増える」
 そう言うと軍人はスプレンティドから木材を奪い取り、ハンディーに仕事の内容を聞く。さすがに素人に建築を任せるわけにはいかないので、ハンディーも簡単な仕事ばかり軍人に与える。
 軍人はそれに不満そうな顔もせずにハンディーの言葉に従い、仕事を進める。力仕事は得意であったし、何よりも、例え一時とはいえ、スプレンティドの呪縛から逃れられるのならば安いものだと軍人は思っていた。
「ありがとう。助かった」
 何の含みもない笑顔を向けられ、軍人はうろたえた。
「……別に」
 小さな声でそう呟くことしかできない。
 軍人よりもいくつか年下のハンディーだが、頬を赤く染めてそっぽを向く軍人を可愛いと思った。
「ハンディーさん。今日もいい天気ですか?」
 今日の天気を他人に尋ねるような人物はこの町に一人しかいない。
「はい。とてもいい天気ですよ。モールさん」
 この村で唯一盲目のモールはハンディーにお礼を言って軍人の方を見る。視力がないはずなのに、サングラスの向こう側にある瞳に軍人は見つめられているような感覚になった。
 光りを映さないその瞳は軍人の心の中を映しているようだ。
「……始めまして」
 表情を少しも変えずにモールは手を差し出す。軍人はその手を取らない。
 軍人はモールがただ者ではないと感じていた。どこか血の匂いを漂わせるモールは戦場を駆けていた軍人と同じ種類の生き物だ。
「敵……」
 血の匂いを漂わせる男の存在に、軍人は体中の毛が逆立つのを感じた。
 意識の片隅で危険だと思った。先ほどまで一緒に仕事をしていたハンディーを殺してしまう。ほんの少しだけ、楽しいと感じていただけに軍人はこれからの行動が残念だった。
 自分の意思ではどうしようもできない。戦場の中でフリッピーの体を壊さないために生まれてきた軍人の本能が囁くのだ。敵は殺せ。周りは全て敵だ。
 懐からナイフを取り、モールへ向けて振り下ろそうとした瞬間、モールの存在など消し飛ぶほどの殺気を感じた。
「軍人君。ダメだよ」
 殺気を放っていたのはスプレンティド。
 優しく手を伸ばすが、放たれている殺気は半端なものではない。
「君、楽しそうにしてたじゃないか。ボク、君のあんな楽しそうな顔を始めて見たよ」
 にこりと笑う。ハンディーと一緒にいるとき、軍人は確かに楽しそうにしていた。始めて誰かと話し、行動を共にした。今まではフリッピーの中から幸せそうな風景を眺めていることしかできなかった。
 だが、だからといって本能に勝てるというわけでもない。いや、軍人の殺戮は本能によるものではない。存在理由そのものなのだ。
 ナイフをスプレンティドに投げ、手榴弾を取り出す。
 戦場と化したその場にハンディーもモールもいなかった。どこかへ逃げたのだろう。
「……次は、もっといろんなとこに行こうね」
 軍人が最期に聞いたのはスプレンティドの優しい囁きだった。


END