誰にでも帰る場所はある。
 北海道から沖縄まで、世界を相手に共に戦った仲間達はもうすぐ離れ離れになる。手紙を出すから、また会いに行くから。そう言いあう仲間達を不動は一歩退いたところから眺めていた。孤高を気取るつもりはない。ただ、自分の変える場所がわからなかった。
 生前の影山がお膳立てしてくれた帝国へ行くことも考えた。だが、あの学校は文武両道の金持ちが通うところだ。あの佐久間や源田も、それ相応の家柄に生まれている。そんなところで一人、ゴミのように生きるのには抵抗があった。
「かと言って……」
 不動はため息をついた。
 地元へ帰る気にもなれなかった。かつての友人に会いたくないわけではないのだが、昔のような生活はもう送れない。
 路地裏でガラの悪い連中と付き合い、適当に寝泊りをしていたような生活に戻るには、このチームは居心地がよすぎた。以前よりもサッカーが楽しく感じられ、そのためにもあの生活からは足を洗う必要があることを意識してしまった。
 母親に相談するつもりは毛頭ない。元々家に帰ることは少なかったし、母親もそれについて何かを言うことはなかった。時たまかけられる言葉といったら、それで偉くなれるのか。といった類のものだったところから、手段は問わないから偉くなれということだったのだろう。
 不動は迷っていた。どこへ行って生きるべきなのか。どのように生きるべきなのか。
 誰にも馬鹿にされないほど偉くなる。それは未だに根強く残っている。けれど、それ以上にサッカーを楽しみたいような気がしているのだ。
「不動」
 顔を上げると、見慣れたゴーグルが目に映る。
「うお。鬼道君、どうしたんだよ」
 顔の距離は近い。今まで気がつかなかった方が不思議だ。
「いや。お前はどうするんだ」
「え?」
「オレは、またお前とサッカーがしたいし、戦いたい」
 ゴーグルの向こう側にある力強い瞳と目があった。
「だから、どこに行ってもサッカーは止めるなよ」
 その言葉が不動の背中を押し、胸を突き刺す。
 あの鬼道が、また自分とサッカーがしたいと言っている。それは素直に嬉しかった。
 だが、頷くには、不動と鬼道はあまりにも違いすぎていた。
「……したら」
「ん?」
 小さな呟きに鬼道が首を傾げる。
 顔をさらに近づけ、不動の小さな呟きを聞き取ろうと聴覚に神経を集中させた。
「サッカーしてたら、偉くなれるのかよっつってんだよ」
 怒声ではなく、大きな声でもなかった。ほんとうにポツリと零されただけの言葉。
 鬼道が一歩離れ、不動の顔を見る。同時に不動は背を向けてどこかへ立ち去って行ってしまう。鬼道は、それを追いかけることができなかった。
「不動……。何て顔しているんだ」
 苦しくて泣きそうな顔をしていた。
 楽しそうにサッカーをしている姿ばかりを見ていたので、昔の彼の姿を忘れてしまっていた。サッカーは目的でも楽しみでもなく、手段だったころがあった。今もまだ当時のことを引きずっているのだろうことに気づくことができなかった。
「あれ? 不動、どうしたんだ?」
 円堂が近づいてくる。みんなの輪に入らないのはいつものことだが、こうして姿を消すことはあまりないので心配になったのだろう。
「いや。ちょっと、な」
「……ふーん?」
 鬼道は不動が円堂のように、純粋にサッカーを好きであれたらと思う。
 そうすれば鬼道のような立場に憧れることもなかったのだろう。
「円堂」
「ん?」
「オレはお前とサッカーがやれてよかった」
 気持ちを告げれば、円堂は明るい笑顔でオレもだと返してくれる。
「……不動は、楽しかったのだろうか」
 明るい笑顔が今は痛い。
 円堂が笑えば笑うほど、泣きそうな顔をしていた不動を思い出す。
「楽しかったさ」
 迷うことのない言葉に目を丸くする。
「笑ってただろ?」
 楽しそうにサッカーをしていた不動の顔が思い浮かぶ。勝利を手にしたときは喜んでいた。あの姿を見て、演技だとか悲しんでいるだとか言う者はいないだろう。
「また一緒にサッカーしたいな」
「……そうだな」
「あー! 我慢できねぇ!」
 円堂が走りだす。その方向は不動が歩いていった方角だ。思わず鬼道もその後を追う。
 見慣れた背中を視界に入れると、円堂は息を大きく吸い込み、声を張り上げた。
「ふーどー!」
「あ?」
 突如響いた声に、不動も目を丸くして振り返る。
「サッカーやろうぜ!」
「……なんで」
 駆けてきた円堂を睨みつけながら言葉を返す。
「だって、帰ったらしばらくは会えないだろ?」
「会えないどころか、サッカーなんて二度としねぇかもな」
 顔を俯け、自虐的に呟いた不動の肩を円堂が掴む。
「何言ってんだよ。サッカー好きだろ?」
「好きで飯は食えねぇだろうが」
 円堂の手を振り払い、背を向ける。
 やはり、帰国してからはサッカーとは道を分かつことになるのだろう。鬼道は寂しさを感じたが、他人の生きかたに口を挟めるほどの力はない。
「オレはサッカーができない生活なんて嫌だ」
 誰をも拒絶するような背中を睨みつけながら円堂は自分の思いを吐露していく。
「サッカーした後の飯は美味いし、仲間達と一緒にいるのは楽しい。
 オレは辞めない。だから、不動も辞めるな!」
 不動が勢いよく振り返る。
 晒された表情は苦しげに歪められていた。
「お前とは違うんだよ!」
「違わない!」
 二人の間に沈黙が流れる。
 円堂の力強い瞳に、不動はただただ唇を噛むことしかできない。
「不動は、サッカー辞めたくないんだろ。だから、そんな悲しい顔をするんだ。
 だったら、辞めるな!」
 キーパーとして鍛えられてきた手が、不動の腕を掴む。真っ直ぐな瞳と、力強い手に絡みとられ、不動は口も体も動かすことができない。
 ただ、胸の内から暖かい感情がわいてきていた。


END