いつもは静かな時間帯だというのに、何故かその日は騒がしかった。
騒々しさとは違う、音を隠した騒がしさだ。
キレネンコは目を開け、扉を睨みつける。どれほど見たところで、向こう側が見えるわけではないが、集中することにより、音を聞くことはできる。
「おい、ここか?」
「そうだ」
「静かにしろよ」
「起きちまうだろ」
複数の声が聞こえてくる。会話の端々から、彼らが看守ではなく脱獄を計画している最中の囚人ということがわかった。騒がしさの元凶がわかったところで、キレネンコは再び目を閉じた。
囚人が逃げたとしても、彼には関係ない。騒々しければ眠りを妨げたとして殴りつけてもいいが、眠れないほどではない。
扉が鈍い音を立てながら開かれる。キレネンコの扉ではない。向かいにあるカンシュコフの扉だ。報復として殺されるのだろうかと思った。しかし、殺気は感じられない。
開かれた扉は再び鈍い音を立てながら閉められる。音は聞こえなくなった。
静かな夜が戻り、キレネンコはゆっくりと眠りに落ちていく。このまま眠れるだろうと思っていたが、一向に頭が寝ようとしない。扉の向こうが気にかかるのだ。閉じられた扉が開いた音はしていない。殺したのならば、とうに出てきてもいい時間が経った。酒盛りをしているわけもない。
扉の前にまで歩み寄り、耳をそばだてる。何が起こっているのかさえわかれば眠れるはずだ。
廊下と扉を二枚挟んでいるが、キレネンコの耳は部屋の中の声をかすかにだがとらえた。
「おい、どうだ?」
「ヤッベェ、マジサイコー」
「お前根っからのホモだもんな」
男達の下品な笑い声が聞こえた。
言葉の意味がわからぬほど、キレネンコも純真な子供ではない。
殺されたほうがマシだったかもしれないと、冷静な頭で考える。見えはしないが、目の前の部屋で行われていることは男として屈辱的な行為だ。それも無理やりされている。珍しく哀れだとすら思った。
「た、すけ……」
ふいに聞こえた声。小さく、キレネンコでなければ気づくこともないであろう声だった。
何故かその声は耳に残った。この苛立ちを放って眠れるとは思えない。早く寝たいというのに、自分のペースが乱される。腹の中に燃えるような怒りが生み出された。
生まれた怒りに身を任せ、目の前にある扉を殴り飛ばす。開けた空間が現れるが、目もくれずさらに前にある扉をはぎ取った。
「何だ?」
「あれ、キレネンコじゃねぇか?」
扉がなくなると、たった一部屋しかない居住空間が見える。一人暮らし用のその場所に、今は多くの男がいる。部屋の主はその中央で男のものを上下で咥えさせられている。瞳には光がなく、ただ行為からの解放を求めているように見えた。
どうしようもないその光景に、吐き気がした。
部屋の主から男達を引き剥がし、部屋の外へ放り投げる。手加減なしに放り投げているので、壁に刺さる音がしているが、気にするほどのことではない。
不純物を取り除いた部屋には、キレネンコとカンシュコフだけが残った。
カンシュコフは何も言わなかった。助かったという情報が脳に回っていないらしく、呆然と光のない目にキレネンコを映す。
酷い姿だった。
誰のものかもわからぬような白い液体に体を染め、それは口内にまで及んでいる。おそらくは、体内にも溜まっているのだろう。無理やり行為に及ばれた証のように、赤い血も床に点々とついている。いつもとは違う光のない目が気に食わないと、キレネンコは目に手を伸ばした。
くぼみから抜いてやれば何か変わるだろうと思ったのだ。
しかし、伸ばした手は弱々しい力によって弾かれた。
「……ダ、メだ」
かすれた声で言葉を吐き。涙を流した。
「お前、潔癖、性じゃん……。オレ、汚ぇよ……」
女のような言葉をひたすらにこぼす。
屈辱的なことをされたすぐ後ということで、気が動転しているのだろうことは容易に想像がつく。慰める気にはならなかった。騒ぎを聞きつけたのは、ようやく看守達の足音が聞こえてくる。
キレネンコは自分の部屋へ向かって足を進める。後ろで泣いている声が聞こえたが、どうでもよかった。
END