旅を終えてからも、ルカは周囲は賑やかなことこの上なかった。
 元王女であるマルレインや、今も魔王を自称しているすたんが同じ屋根の下に暮らしているからだ。マルレインはベーロンの行方不明により、身寄りがなくなってしまっている。交流があり、少女の一人や二人を受け入れることが容易であると思われるルカ宅にやってきたのは、何も不思議ではなかった。
 だが、自称魔王であり、誰かの庇護が必要なわけでもないスタンまでもが同じ家に暮らしているというのはどうなのだろうか。ルカはそう思わずにはいわれない。マルレインも同じ気持ちらしく、一日に一度は彼女とスタンの喧嘩を見るハメになっている。
 相変わらず影の薄いルカは、いつも二人の間に立たされて迷惑を被っている。旅をしていたときと変わらない。むしろ、ルカを庇ってくれるような人間がいなくなった分、今の状況の方が辛いとも言える。
「スタン! 今日こそは私の影を治してもらうからね!」
「何だ、また来たのか。キタロー女」
 ルカの頭を痛ませる原因がここにもある。
 元旅仲間であるロザリーだ。彼女はスタンが再びルカのもとに現れたことを知ってから、時折スタンに勝負を申し込みにやってくる。一応、勇者としてオバケ退治の仕事もしているらしいのだが、詳細は不明だ。
 流石のルカも、この二人の間には立てない。マルレインの時とは違い、こちらは本格的な戦闘だ。間に入るなど、命が幾つあっても足りない。互いに相手を殺さぬようにという意思はあるらしく、今のところは大事に陥ったことはない。
 スタンがさっさとロザリーの影を戻してやらぬのも、ロザリーが本気でないのも、互いにこの殺しあいめいたコミュニケーションを楽しんでいるからだ。二人とも素直でないので、直接にその言葉を聞いたことはないが、周囲の者ならば誰もがわかっている。公然の秘密というやつだ。
「ブルータス!」
「そのようなものが効くか! 馬鹿め! 臼女め!」
「言ったわね! この額後退男!」
「誰が後退しておるのだ!」
 前述のような理由もあって、戦うことはそれ程問題ではない。ルカが頭を痛めているのは、彼らが戦っている場所だ。
「……外、行ってくれないかなぁ」
 スタンが外にいるときは、外で戦闘が行われる。しかし、そう都合よくいつも外にいるわけではない。彼が家にいれば、ルカの自宅が戦場と化すのだ。これはいただけない。いくら、後々、スタンやロザリーが綺麗に修繕してくれるとはいえ、納得できるものではないはずだ。ルカからしてみれば、納得できている家族が信じられない。どこかおかしいとは思っていたが、最近では確信に変わっている。
 ルカは諦めの面持ちで二人を見守る。手には旅の友であった剣。傍らには、戦う力のないマルレイン。
「今日も派手ね」
「うん……」
 何かあった場合にはマルレインを守ってやらなければならない。部屋の奥にいた方が安全かもしれないが、彼らの戦闘は被害がどこまで広がるかわからない。下手な場所に匿うよりも、実力のあるルカの傍にいる方が安全なのだ。
 ルカは楽しげに罵りあいながら戦いを続ける二人を目で追いかける。すっかり平和に馴染んだと思っていたスタンも、こんなときばかりは目をギラギラと輝かせている。鋭い爪は戦いのためにあるものだと主張を始めるし、口は呪文を唱えるために動く。
 それが本当に楽しそうで、嬉しそうで、ルカは剣を握る力を強くする。
「ルカ、どうかした?」
「え? あ、あぁ。いや、何でもないよ」
 マルレインに裾を引かれて我に返る。
 楽しそうなのは良いことだ。自宅の惨状を見ると、あまり良いとはいえないが、これが外なら問題はないはずだ。言い知れぬ感情のはけ口に拳を握ることなどないし、叫び出したくなどならない。
「無理はしないでね」
 そう言って、マルレインは目を伏せる。
 言葉の意味がわからなかったので、ルカは首を軽く傾げた。
「ね?」
「よくわからないけど……。
 うん。わかった」
 念を押され、ルカは静かに頷いた。
 丁度、スタンとロザリーのじゃれあいも終わったようで、破壊音が止んだ。
「今日はこのくらいにしておいてあげるわ!」
「言ってろ」
 二人は終戦の会話を交わし、自身の体についた汚れを払う。家の惨状からすれば、ささやかすぎる汚れだ。戦闘経験を積んだルカでさえ、あの程度の汚れと怪我ですんでいる理由はわからない。
 家を修繕する前にと、スタンは自身の体についた傷に回復魔法をかける。放っておいても問題ないような怪我なのだが、魔王としての矜持が体に残った傷を許さないらしい。彼に対して、ロザリーはいつも一度ルカの家を出る。近くの川で汚れを取り、傷の手当てをしてから戻ってくるのだ。
 スタンと違い、ただの人間である彼女は、無理な回復を好まない。木の実や回復魔法の力は絶大であるが、元々兼ね備えている免疫力を低下させてしまうのだ。そのため、旅をしているわけでもない今では、ささいな傷は自己治癒力に任せることにしている。それならば、ルカの家で手当てをした方がいいのではないかと思われるが、仮にも勇者である自分が一般人の家を壊し、そこで手当てをするという図太さは持っていないという。
 それならば、家を壊さないで欲しい。と、言ったのはルカだったが、その意見が受け入れられたことは今のところない。勇者とはいえ、一般人であるルカを殺そうとしたこともある女性だ。割合、身勝手な部分は多い。
「マルレイン、ちょっとスタンを見張っててくれる?」
「え?」
「ボク、ちょっとロザリーさんの様子を見てくる!」
 家では、一足先に回復を終えたスタンが修繕を始めている。彼もルカ宅に住んでいるので、修繕をサボるようなことはしないだろうが、万が一に備えてマルレインにスタンの見張りを頼む。
 引きとめようとしていたマルレインを置いて、ルカは家を飛び出した。
 今までもルカ宅で戦闘が行われ、ロザリーが外へ出て行ったことは何度もあった。そのいずれも、ルカはロザリーを追わず、スタンと共に家の修繕にせいをだしていた。だが、今回に限っては、いつもとは違うらしい。
 その理由も、原因も、察しがついているマルレインは肩をすくめ、スタンへと目をやる。頼まれたのは見張りであって、手伝いではない。彼女なりの八つ当たりだ。
 一方、家を出たルカは近くの川でロザリーの姿を見つけた。
「ロザリーさん」
「あら、ルカ君。
 お家、ごめんなさいね」
 苦笑いをしながら、手慣れた手つきで包帯を巻いていく。ルカがスタンと出会う前から、ロザリーとスタンが出会ってから、ずっとこうして傷の手当てをしていたのだろう。彼女は勇者だ。戦闘経験だけでいえば、旅仲間の中でも多い方だっただろう。
「それは……別にいいんですけど……」
 本当は良くない。しかし、今のルカとしては、家の破損など大したことではないように思えた。
 何か、もっと大切なことを知りたくてロザリーを追ったはずなのだ。なのに、何故かルカの口から言葉が出ない。
「……ルカ君、ちょっとここに座りなさい」
 ロザリーが隣を軽く叩く。ルカは促されるまま、彼女の隣に腰を降ろした。流れる川のせせらぎが心地よく耳に染みる。
「キミはもう少し自己主張をするべきだわ」
 周囲から幾度となく言われてきた言葉だ。分類があった世界では、どれだけ自己主張をしたところで、大した結果は得られなかった。気付けば、諦めるという癖がついてしまっている。無駄に抵抗して疲れるよりも、諦めてしまった方が楽なのだということを、まだまだ若いにも関わらずルカは知ってしまった。
 なので、ロザリーの言葉は耳が痛くはあるが、行動に移せと言われてもどうしようもないという思いの方が強い。
「臆病でいたって、どうにもならないのよ」
 真剣な声に、ルカは恐る恐るロザリーを見る。
 髪に隠されていない瞳が強くルカを責めた。しかし、その瞳もすぐに穏やかなものに変わった。
「お姉さん、美貌に嫉妬されるのは慣れてるけど、恋愛的な嫉妬をされるのには慣れてないのよ」
 おどけたように言ったが、ルカの思考を一瞬で真っ白にしてしまう程の威力がそこにはあった。
「――え?」
「わかるわよ。そのくらい。
 私だって、女性なのよ。恋愛には敏感なの」
 目を細めて笑う表情は、確かに女性らしいものだった。何となく想像できずにいたが、ロザリーも誰かを愛したことがあるのだろう。
「あの馬鹿魔王のこと、好きなんでしょ?」
 問いかけの体を成しているが、その実、ただの確認だ。
 ルカはロザリーの言葉に、無意識のうちに頷いた。
 ベーロンを倒し、世界図書館が潰れた。その後、拍子抜けしてしまうくらい、あっさりとルカのことを解放してしまったスタンが、少しばかり憎かった。あれだけ、子分だの、余のモノだの言っておきながら、目的を果たしてしまえば捨ててしまえる程軽い存在だったのだと思わされた。誰もいなくなったあの時、こっそりと自身の存在が消えた日のことを思い出して悲しくなった。
 マルレインの姿を目にし、感激に浸る中でも、その気持ちは残っていた。ただ一人、小五月蝿い魔王がいないだけで、ルカの心は不安定になっていた。
 だからこそ、スタンが再び目の前に現れたとき、ルカは言いようのない幸福感に満たされていたのだ。必要とされていると思ったし、記憶に残る程度には絆を深め合っていたのだという確証が持てた。
 それらを喜ぶほど、ルカはスタンのことが好きだった。今もそれは変わっていない。
「嫉妬してたなんて、知らなかったです」
 顔を俯けて言葉を零す。
 楽しそうにしているスタンを見て、自分では物足りないのかと感じていた。彼を満たすことができるロザリーに嫉妬していた。ルカ本人は気づいていなかった感情だ。ロザリーはそれに気づいた。おそらくは、マルレインもだろう。
「言わないとわからないわよ。あの馬鹿には」
 人の機微に聡いとはお世辞にも言えない魔王だ。ルカ本人が気づいていなかったような感情に気づけているとは思えない。また、これからだって、言葉にされなければ知らぬままに生きていくだろう。
 ルカもロザリーの言葉を肯定する。
「でも、やっぱり無理ですよ。
 告白なんてできないです」
 スタンは男で、ルカも男。告白をするにはデメリットが大きすぎる。
 このまま、何も気づいていなかった時と同じように過ごすのが一番いい。そうすれば、スタンはルカの隣にいてくれる。穏やかな毎日を過ごして、喧嘩の声を聞いて、面倒だと思いながら人生を歩む。それでいいではないか。
「何言ってんのよ!」
 力一杯にルカの背中を叩く。乾いた音が辺りに響き、ルカは痛みのあまり立ち上がった。女性とはいえ、今の現役の勇者だ。そこいらの男よりも力は強い。
「ずっと傍にいたいんでしょ?
 少しでも心を近づけたいんでしょ?
 なら、勇気を出しなさい!」
 今はスタンも平穏な日常に浸かっている。しかし、また旅に出ると言っても不思議ではない。ルカを置いていくことだってしてしまうかもしれない。本当に傍にいたいなら、置いて行かれる不安を取り除きたいのならば、心を曝け出すしかない。それだって、引き止める要素になれないかもしれない。だが、やらぬよりはマシだ。
「絶対に大丈夫。なんて、言ってあげられないけどね。
 でも、あいつは魔族だから私達とは違う常識を持ってる。
 偽悪者だから、子分の行為を無碍にだってできないわよ。
 あの馬鹿のそういうところは、ルカ君だってよーく知ってるでしょ?」
 確かに、スタンは偽悪者だ。成す悪事もさほど大きなものではない。だが、それとこれとは話が別というものだ。
 ルカの心境を察したのか、ロザリーがレイピアを抜いた。
「うじうじしない!」
「はい!」
 短気なロザリーなら、ルカをぐさりとしかねない。
 ルカは元気に返事をし、回れ右をした。
「――まったく。
 強引に背中を押してあげないと動かないんだから」
 小さく笑ったロザリーは、何となくではあるが今回の結末が予想できていた。

END