学校の帰り道、猫を見つけた。ダンボールに入った捨て猫だった。可愛らしい鳴き声と、その姿に、弟者は猫を拾って帰ろうと思ったが、母者は動物があまり好きでなかったことを思い出し、自分を抑えた。
猫は可愛いが、母者は怖い。先日、母者のお気に入りのマグカップを割ってしまったときなど、三途の川が見えた。
鳴き声に後ろ髪を引かれつつも、弟者は家に帰ることにした。鳴き声が聞こえないように、耳を抑え、家まで走った。ようやく家につき、息をきらせていると、声をかけられた。
「どうした? お前が息を切らせているなんて珍しい」
振り向くと、そこには弟者と同じ顔がある。
「ああ、兄者か……。いやな――」
玄関の鍵を開け、母者に聞こえないように小さな声で猫のことを話す。
「フーン」
聞いてきた割りに、兄者は興味なさ気に言っただけだった。いつもテンションの高い兄者ならば、この話にも食いつくだろうと思っていた弟者は拍子抜けしてしまう。
しかし、大きな反応を期待していたように思われるのも癪だったので、あえて何も言わない。
「晩御飯できてるよー」
怒っていないときの母者は優しい。兄者と弟者は同時に返事をして、晩御飯の待っているリビングへと向かった。
「やったー! 今日はハンバーグ!!」
おかずを見た途端、飛びあがって喜びを表現する兄者に、弟者は小さくため息をつく。こんなのと双子だと思うたびにこのため息は出る。先に手をつけようとした兄者が母者に殴られるのを同情もせずスルーして、大人しく自分の席につく。
「じゃあ、いただきます」
母者の声に続いて、家族が手をあわせる。もう復活した兄者も手をあわせて意地汚くハンバーグに食いつく。
「もっと綺麗に食べろよ……」
「まったくだよ」
呆れる弟者と母者の目も気にせず、兄者はハンバーグを完食した。
「なんだ。弟者はまだ食べてるのか」
綺麗に、マナーを守って食べている弟者は兄者よりも食べるのが遅い。
「兄者はよく噛んで食べないから早いんだ。口の周りにご飯粒つけてるし」
弟者に指摘され、慌てて口の周りを服の袖で拭く。米粒を服につけるなと母者に怒られることがわかっていないのだろう。自分のペースを落とさず、ゆっくりと食べる弟者の横で、やはり兄者は母者に怒られていた。
食事を終えたころには、兄者はお風呂に入っていた。起きていても猫のことしか思い浮かばないので、さっさと入って寝てしまいたいと考えた弟者は、脱衣所へ向かう。
「んー? どうしたんだ?」
「オレも入る」
「はあ?! おい、待てって! うわ、マジで入ってきたよ……」
相手の体は見慣れた体と同じ形で、恥じらいなどはないが、さすがにこの歳になって兄弟で一緒にお風呂は厳しい。精神的な意味でも、風呂場の狭さ的にも。
「湯船に入っていればいいだろ」
「何で後からきたお前の方が主導権を握るんだよ」
文句を言いつつも、兄者は湯船に体を沈める。頭を洗っている姿はやはり自分が鏡に写っている姿と瓜二つだ。
「お前さぁ、風呂上がったら寝んの?」
「まあ、そのつもりだけど?」
二人は同じ部屋で生活している。さすがに六人家族全員分の部屋はない。
「じゃあ、リビングで画像でも探しとこっと」
「ブラクラは踏むなよ」
夜更かしすることを止めはしない。下手な言葉をつむげば、一晩中部屋の電気をつけてパソコンをしているだろう。睡眠妨害もいいところだ。
深い眠りについていたはずの弟者だったが、ふと目が覚めた。部屋はまだ暗く、時計を見てみると夜中の一時だった。もう一度眠ろうとは思えないが、このまま起きていたら学校へ行くころには睡魔が襲ってくることが容易に想像できる。一番いい方法は、何か目を疲れさせることをすること。
「兄者は……まだリビングか?」
ベッドに兄者がいないことを確認して、弟者は階段をゆっくりと下りていく。
「駄目なもんは駄目だよ!」
「そこを何とか!」
リビングから、母者の極力抑えられた怒鳴り声が聞こえる。それに対抗しているのは兄者のようだった。また何か無茶な頼みごとでもしているのだろうと結論づけて、ため息をもらす。
「絶対に面倒みる」
「駄目だね。あたしは動物はあまり好きじゃないんだよ」
『動物』と聞いて、一匹のネコが思い浮かんだ。ダンボールに入れられ、悲しそうに鳴いている。
まさかと思いつつ、こっそりと中を覗く。
「なあ、いいだろ?!」
「駄目だって言ってるだろ!」
喧嘩腰に言いあう二人の間にいるのは、下校中に見つけた猫そのものだった。
真っ白で、可愛くて、ふわふわしている。
「――兄者」
扉を開け、声をかけると兄者が固まった。
「あ、お、弟者……」
慌てて猫を隠そうとするが、もうばっちり見てしまった。
問い詰めるような視線を向けると、バツの悪そうな顔をしながらも話してくれた。
「だって、飼いたかったんだろ? 朝起きて猫がいたらよろこぶだろうなって……思ったんだ」
「…………嬉しかったよ」
猫ではなく、兄者の気持ちが。
「母者、やっぱり、駄目か?」
もう一度、兄者は駄目押しと言わんばかりに尋ねてみる。やはり、母者は首を横に振る。
「まあ、飼い主が見つかるまで。なら、考えてあげるよ」
ニヤリと笑い、ギリギリのところまで譲歩してくれた母者に、二人は飛びついた。ほんの一時の間ではあるが、猫が我が家に来るということが嬉しい。
「ありがとー!」
「ありがとー!」
END