城の主がいないと仕事がはかどる。
皇帝のサインがないと進まない仕事も山のようにあるのだが、サインが必要でない仕事も山のようにある。皇帝がいなければいつもならば皇帝と一緒になって遊んだり、喧嘩したりしている者達が真面目に仕事をする。
「陛下がいないと、平和デスネー」
皇帝がいれば必ず喧嘩をする者が言う。
「でも〜帰ってきたら〜サインの山ですね〜」
皇帝がいれば一緒になって遊ぶ者が返す。
二人とも個々でいればそうやっかいな性格はしていない。
ロナルドは文句を言いつつも、うるさく言われたくないので仕事をするし、ジェミニは歌いながらもやることはやる性格なのだ。
「しかし、陛下はどこに行ってしまわれたのでしょう……?」
たまにこういうことがあるのだ。突然ふらっと行き先も告げず出ていってしまうことが。夕方までには帰ってくるのを知っているので誰も心配しないが、やはりマゼランと関わりの深い四人はどこへ行っているのかくらいは気になる。
あのマゼランのことなだから、ろくでもない場所の気もするが、そんな場所にいればすぐに情報が城に入ってくるはずだ。
「…………オレ、探してみます」
各々違う仕事をしていたのだが、偶然集まってしまっていた四人の中で一人、ユリシーズが言った。
他の三人が唖然としている間に、ユリシーズはきびすを返してさっさとマゼランを探しに行こうとする。
「ま、待ってください! 仕事がまだ……!」
とっさに止めようとするジェイコブの言葉にユリシーズが足を止めた。
「今日できなかった仕事は明日する。陛下の居場所がわかっていればいざという時便利だろ」
ハッキリと自分の意思を告げると再び足を前へ進める。
「待ってくだサーイ! ワタシも行きますヨ」
ユリシーズの後ろ姿を呆然と見ていたロナルドが慌てて後を追いかけた。
「私も〜」
ジェミニも同じく追いかけようとしたのだが、服をジェイコブに掴まれ、前へ進めなくなってしまった。
体格的にもジェイコブの方が大きく、ジェミニではジェイコブを振りほどけない。
「あなたは仕事をしてください……!」
必死な表情でジェミニを引き止めるジェイコブの形相にジェミニは二人を追うことができなかった。
ジェイコブの言葉を無視して城の外へ出た二人はどこから探そうとか思いつつ足を勧めた。
「ユリシーズ。陛下の居場所に心当たりでもあるんデスカー?」
「いや」
一言で返すユリシーズにロナルドはため息をついた。冷静なユリシーズと二人っきりというのはどうもやりにくい。ジェミニとならば適当に話すこともできるし、ジェイコブならばからかって遊ぶこともできる。
だがユリシーズはからかえば殺されかねないし、話すことなどできる雰囲気ではない。
マゼランがどこでどんなことをしているのか前々から気になっていたので追いかけてきたのだが、失敗だったのかもしれないとロナルドは早くも城に帰りたくなった。
「帰りたいなら帰ってもいいんだぞ」
ロナルドの心を見透かしたかのようにユリシーズが言う。
「…………帰りマセンヨ」
ここで帰ってしまうとユリシーズに負けてしまうことになる。ユリシーズ一人に良い思いをさせるなど許せない。
どこにいるのかもわからないマゼランだが、そう遠い所へ行っているとは考えにくい。だが、町の中にいるならば城に情報が入ってもおかしくないのだから、町の中にいるとも考えにくい。
二人は町の外側をしらみつぶしに歩いて回ることにした。
二手に別れて探したほうが効率はいいのだが、片方が見つけたとしても、もう片方にそれを知らせる術がない。そうなってしまうと必死に探したという行為が無意味になってしまう。
一分一秒でも早くユリシーズと二人っきりという状況を打破したいのだが、それができない。ロナルドに残された道はマゼランを見つけ出すことしかできないのだ。
黙々と歩く。歩く。
歩くことはそう苦痛ではない。いつものメンバーと旅をしてきたのは伊達ではない。ただ、近くにいるのがユリシーズだというのがロナルドの気を重くする。
いつものメンバーならば面白可笑しく話すこともできる。時間などあっという間に過ぎてしまうが、無口で冷静で面白味の欠片もないようなユリシーズと二人っきり。
木の枝を踏む音、土を踏む音、風が木々を揺らす音。人間の作り出した音ではない自然な音。
ため息をつくこともためらわれるような空間ができあがっており、このままマゼランが見つからなかったときのことを思うとロナルドは死にたくなった。
一方、ユリシーズの方は張り詰めた空気も気にせず一心不乱にマゼランを探した。ロナルドから見ればいつもと同じ無表情なのだが、内心は一刻も早くマゼランを見つけたくてしかたがなかった。
ふらりと姿を消すあの人がどこへ行っているのか知りたい。あの人の見ている風景を見たい。
もしもモンスターが出たら、陛下を狙う刺客が現れたら、マゼランならば軽くあしらうことができるだろうが、万が一ということがある。人生に『絶対』がないことをユリシーズはよく知っている。
「ユリシーズちょっと待ってクダサーイ」
気づけば歩く速度が早くなっていたらしく、後ろの方でロナルドがユリシーズを呼んでいる。
「…………早くしろ」
冷たい言い方ではあるが、ちゃんと足を止めてくれるところがユリシーズらしい。
「スイマセンネー」
ニコニコ笑うロナルドを見ていると、置いて行きたくなったユリシーズだが、自分の心をどうにか落ち着けてロナルドだ追いつくのを待った。
ロナルドが追いつくと二人は再び歩いた。無言で、ただ足を前へ進めるだけ。
町の外側へ外側へと足を進めていた二人は自分達が知らないような森の奥へきてしまった。
「帰れるんデスカー?」
ロナルドがユリシーズへ尋ねる。答えは期待していなかったが、本当に答えがないとやはり腹が立つ。
「聞いてるんデスカ?」
「返事くらいしてクダサーイ」
「イヤーがないんデスカ?」
「ちょっと聞いて――」
「しっ!」
騒いでいたロナルドの口をユリシーズが塞いだ。
真剣な目をしているユリシーズの目線の先には木々があり、そのさらに向こうには木々が生えていない丘がわずかに見える。木々の緑と空の紅が広がるそこにたった一つ、青が混ざっていた。
剣を傍らの地面に刺し、夕日を見ているその青はロナルド達の探し人。
「へ……いか……?」
いつもとはかけ離れた雰囲気のマゼランにロナルドは目を奪われた。
「誰だ?」
自分達でも気づかぬうちにマゼランに近づいていた二人にマゼランが声をかけた。
「陛下」
「何してるんデスカ?」
木々の隙間から現れた二人にマゼランは目を大きく見開いた。
「お前ら……何してんだ? 仕事は?」
「それはこっちの台詞ですよ。皇帝のあなたが仕事をしなくてどうするんですか」
マゼランの問いかけに答えたユリシーズの返答にマゼランはうっ。と言葉を詰まらせた。
「そうデスヨー。自分だけサボろうなんてむしがよすぎるんデスヨ」
追い討ちをかけるようなロナルドの言葉にマゼランがバツの悪そうな表情をする。
「……明日、今日の分の仕事をする。それで文句ねーだろ」
ロナルド達とは目をあわせずマゼランが答える。
「オレは日が暮れたころ帰る。お前らもとっとと帰れ」
冷たい言葉にロナルドはイラッとしたが、マゼランの様子がおかしいことは一目でわかっていたので何も言わない。
どうすればいいのだろうかと考えていたロナルドの横をユリシーズが通り抜けった。
「横、失礼しますよ」
そう言ってマゼランの横にユリシーズは腰を降ろした。
「なっ……。帰れって言ってんだろ?!」
当然文句を言うマゼランだが、ユリシーズは聞く耳持たずで横に座り続けていた。
「…………じゃあワタシも」
怒鳴るマゼランをユリシーズと挟むように座ったロナルドにマゼランはさらに怒鳴る。
「お前らっ……!」
もう言う言葉も見つからないのかマゼランは言葉を詰まらせた。
「陛下。いつもここに来てるんですか?」
言葉を詰まらせたマゼランにユリシーズが尋ねる。マゼランは答えない。
「肯定。と見ますよ?」
ユリシーズの言葉にマゼランはやはり無言で返す。それを肯定と受け取ったユリシーズはさらに尋ねる。
「どうしてここに? 城にいた方がずっと楽ができるでしょう」
城にいれば好きなものを食べられるし、暑いことも寒いこともない。仕事はあるが、それも真面目にやればそう時間がかかることではない。
マゼランは何も答えない。ただ眉間にしわを寄せて地面を見ている。
「…………そんなに、城は居心地が悪いデスカ?」
ずっと口を噤んでいたロナルドが唐突に言葉を紡いだ。
その言葉は核心をついていたのか、ずっと地面を見ていたマゼランの視線を上に向けさせた。
「……どういう、ことですか?」
ロナルドの言葉を理解できていないユリシーズが怪訝な顔をする。
「ワタシは知ってるんデスヨ。陛下が……」
「うるせぇ! わかってんなら探しにくるんじゃねーよ!」
ロナルドが全てを言いきる前にマゼランが怒鳴り散らした。
眉間のしわを深くし、拳を握り締めているマゼランをユリシーズはじっと見つめた。
「武装商船団上がりの陛下は、城のグレートな人に……」
「黙れっ!」
「嫌われ、疎まれて……」
「…………っ!!」
ロナルドの顔面をマゼランの拳がとらえた。
力強い男が人を殴った嫌な音が響き、ロナルドはやや後ろへ飛ばされた。
「陛下!」
興奮状態にあるマゼランの名をユリシーズが呼び、どうにかマゼランを止めようとする。
「武装商船団の何が悪いっ! 海のならず者だろうが、今は帝国のために動いてる戦士達だろうが!
海に出てることが悪いってのかよ。オレだって好きで皇帝になったわけじゃねーんだよ! 海の恐ろしさも、優しさも知らねぇような奴らに何がわかる……!」
次々に吐露されるマゼランの感情。
城の者達はおおらかなマゼランを好いているが、代々皇帝に使えているような偉いさん方は武装商船団上がりのマゼランをよく思っていなかった。
表向きは皇帝に従っているように見せかけておいて、裏ではマゼランの、ひいては武装商船団の罵詈雑言。
自分のことは何と言われようがいい。だが、昔の仲間達のことを言われるのは我慢ができなかった。できることならば武装商船団の陰口を叩く者達すべてを叩きのめしたい思いに襲われたが、マゼランは堪えた。
ここで自分が不祥事を起こしてどうする。結局は「武装商船団上がりなんぞ皇帝に相応しくない」と言われるのがオチだ。
これ以上武装商船団のことを言われぬように仕事をしても陰口はなくならない。気品だ、教養だ。そんなマゼランにとってくだらないものでしかないものを奴らは押し付けてくる。自分が必要としないものをマゼランは押し払う。そしてまた陰口を叩かれる。
「陛下。落ち着いてください」
同じような体格をしているものの、マゼランの方がユリシーズよりもやや小さい。そのためマゼランは簡単にユリシーズの腕の中に収まってしまった。
「ユリシーズ。手を離した方が身のためデスヨ……?」
不穏な気配を身にまとい、マゼランに殴られた頬を抑えてロナルドはユリシーズを見据える。
「少なくとも私はあなたのことをそんな風に見てません。わかっていますよね?」
ロナルドの言葉を華麗に無視したユリシーズはマゼランに囁く。
「……んなこと、わかってらぁ。でもな、やっぱりユリシーズ、お前は向こう側にいた方がいい」
傭兵であるユリシーズは偉いさんの味方。皇帝の敵でいるべきだとマゼランは言うのだ。自分はいつ皇帝を降ろされてもおかしくない身。もしも新たな皇帝が選ばれた時、その時にユリシーズが解雇にでもされてしまったら目覚めが悪い。
「ワタシは平気ですよ。いつでも、あなたの傍にいてあげられマース」
ユリシーズに抱き締められているマゼランの手をロナルドがとった。
「……お前ら馬鹿だな」
マゼランが呟く。
空はもう暗く、お互いの表情はわからない。
「馬鹿でいいですよ」
「馬鹿同士、仲良しになれマスネ」
二人がマゼランに返した。
END