ロックブーケを倒し、アバロンへ帰ったマゼラン達は城内で仕事をする日々が続いていた。
ロナルドが資料を部屋に運ぼうと廊下を歩いているとマゼランが進行方向からやってきた。皇帝が一番忙しいはずなのでマゼランがさぼっていることはすぐにわかる。
「陛下。サボらないでくださいヨ」
資料を抱えたロナルドがマゼランに注意する。
自分への負担は少しでも少なくしたい。そのためにはマゼランには馬車馬のごとく働いてもらわねば困るのだ。
「なあ……。お前、皇帝になりたいか?」
注意されたマゼラン本人はロナルドの話を無視して質問をぶつけてきた。その目は真剣にロナルドを見ている。
「Why?」
とりあえず自分の話しが華麗にスルーされてしまったことは理解できたが、マゼランの言っていることの意味がよくわからなかった。自分よりほんの少しだけ背の低い皇帝をじっと見てロナルドは口を開いた。
「別にワタシは皇帝になりたいとは思いマセンネー。でも、陛下が皇帝なのはゴメンデスネ」
いつも通りの毒舌で軽く答えたロナルドはマゼランが次にどういう反応をするのか大体予想がついていた。子供のような悪口と暴力を使い、最終的には給料カットだとか言いだすと予想していた。
にも関わらず、マゼランはロナルドの予想とは少し違った反応を見せた。
「ああ、そうかよ!」
ここまでは予想通りの言葉。次にくる悪口の返し言葉も、暴力に対するやりかえしもロナルドは全て考えていた。それがマゼランとロナルドの絆でもあったし、仲間である証拠でもあった。
「お前にはもう聞かん……!」
だから、ロナルドはマゼランの言葉に驚いた。予想外の言葉。本当に、真剣に皇帝になりたいかなどと聞いていたというのだろうか。冗談だと思っていた。真剣に話し合うことなどないと思っていた。
呆然としているロナルドの横をマゼランが通り過ぎ何処かへ行ってしまう。いつもとは違うマゼランにロナルドは少し、不安を覚えた。手を伸ばして通り過ぎるマゼランを捕まえようとしたが、それもあっさりすり抜けられてしまう。
マゼランの後ろ姿が角で消えてしまうまでロナルドはその姿を見ていた。
後を追おうかとも考えたが、手の中にある資料が邪魔でそれはできなかった。
角を曲がり、ロナルドの視界から姿を消したマゼランはしばらく文句を言いながら歩いていた。
「まったく……あいつは……」
真剣に話したことなどないような仲ではあるのだが、自分が真面目に話しをしているのに冗談で返されるのは気分のいいものではない。
どこへ行こうか考えながら歩いていたマゼランの胸が鋭く痛んだ。
「――――っ!!」
痛みに歯を食いしばり、膝をついたマゼランはゆっくりと壁にもたれかかった。右手は心臓の位置を強く握り締め、痛みと必死に戦う。今にも心臓が食い破られてしまうのではないかという痛みに叫びそうになるが、痛みのあまり呼吸ができない。
いっそのこと、心臓を抉り出せたらどれほど楽なのかわからない。
「も……う。長く……ない、な……」
痛みに顔を歪めながらもマゼランは笑った。自分が滑稽だったのか、全てを諦めたのか。あるいはその両方か。
「この、命……」
自分を動かす中心部分である心臓がもうすぐ動かなくなるとマゼランは知っていた。
走ったわけでもないのに激しく脈打ち、錆びた釘を刺されるかのような痛みが胸を刺す。医者に診てもらったわけではないのでどんな病気なのかはわからない。
それでも、自分の体だからわかる。
もうすぐ、自分は死ぬ。
「まだ、生きてーよ」
痛みが和らいできた胸をまだ抑えつつマゼランは呟いた。
もっと馬鹿騒ぎをしたい。もっと笑いたい。もっと仲間達といたい。もっと、もっともっと、生きたい。
「チクショー」
胸を抑えてないほうの手でマゼランは手を覆った。目の隙間からは一筋の涙が流れている。
死を自覚しているだけに死が怖い。残りわずかな時間で自分がいったい何ができるのか考えてみるが、大したことはできそうにない。少しでも多くの雑務をこなすことと、次の皇帝を決めることくらいしかできない。
「……っ…………っくぅ……」
マゼランの喉からは自然と嗚咽がもれた。
何もできない自分が不甲斐なくて、何もできない体が憎たらしくて。
こんなの自分らしくないと思いつつも、涙も嗚咽も止められなかった。今までの自分は涙など流さなかった。こんなにも弱くはなかった。どんな恐ろしいものにだって立ち向かってきた自分が、今ではこんなに弱く、脆い。
城内の廊下で座り込んで泣く自分などみっともないが、今はここから動くこともできない。せめて、もれる嗚咽が誰にも聞かれないように嗚咽を押し殺すことしかできなかった。
「……陛下?」
突如、慣れ親しんだ声がマゼランの耳に入った。
まさか、そんなことあって欲しくないと思いつつ、マゼランは指の隙間から声の主を見た。
そこにいたのは予想通りの人物であり、最も今の姿を見られたくない人物でもあった。
「……ロ、ロナルド…………」
若干震える声でマゼランは目の前の人物の名を呼んだ。
「………………」
一方、呼ばれたロナルドの方はマゼランのありえない姿に何も言えずにいた。
頼まれていた資料を持って行った帰り道、誰もいないはずの廊下からわずかに聞こえた嗚咽にロナルドは引き寄せられてきたのだ。
お互い何も言えずに時間は過ぎていく。
マゼランにとって、死ぬその瞬間だとしても弱さを見せたくない相手がロナルドであった。ロナルドだけには常に強い姿を見せつけてやりたかった。そしていつでも自分が皇帝であることを見せつけてやりたいと思っていた。そんな相手にこんな弱い姿を見られたくなかった。
「まだ、泣いてるんデスカ?」
ロナルドがためらいがちに声をかけた。マゼランは未だ目を手で覆っている。
「……誰が、泣いてるかよ」
ロナルドが目の前に現れてから涙は徐々に止まっていき、今では一粒も涙はでない。心臓の痛みも治まり、普通に過ごせる。ただ、今の顔はたぶん人前に出せない顔だろうと予測がつく。
「リアリィ? さっきまで嗚咽が零れてましたヨ?」
いつもと変わらない調子で言うロナルドについマゼランも言い返してしまった。
「んだと?! 泣いてねぇつってんだろうが!!」
勢いに任せて口から出た言葉は思ったよりも迫力がなかった。しかも、目を隠していた手を離してしまうという失態までやってしまった。
「…………ラビットみたいなアイですネー」
マゼランの真っ赤な目を見たロナルドは小さく呟いた。
「あっ……!」
慌てて目を隠すがもう遅い。
「で? 陛下はどうして泣いてたんデスカ?」
先ほどとは違って真剣な口調でロナルドは尋ねた。皇帝を皇帝と思わないような男が、自分勝手な男が、真っ直ぐな目で。
一瞬、マゼランは全て吐いてしまいたい気持ちに襲われた。心臓のことも、死への恐怖も、全て。
「……何でもねーよ」
マゼランは一瞬の気の迷いを振り払った。失態は一度で十分だ。
「ワタシには言えマセンカ?」
「誰にも言わねーよ」
マゼランは立ち上がりロナルドの横を通り過ぎていった。
「ロナルド」
「What?」
マゼランはロナルドの方を振り向かずに続けた。
「お前が、次の皇帝だからな」
マゼランはそう言い残してロナルドの前から姿を消した。
ロナルドの脳内にマゼランの言葉が到達したときには既にマゼランの姿はなかった。ロナルドは何も聞くことができなかった。
「いったい、何だったんデショウネ……?」
何の冗談なのだろうと思う。今日のマゼランは、いや、最近のマゼランは様子がおかしいとはずっと思っていた。どこか弱々しいというか、雄雄しさがなかった。
先ほどの姿といい、ロナルドにはマゼランの真意がわからなかった。
わかったのは、この出来事があって数日してからのことだった。
その日、ロナルドは真面目に仕事をしていた。
他のメンバーが呼び出されたことに気がつかないくらいには集中していたのだ。
「――――っ?!」
突如、自分の体に変化が現れた。つい先ほどまででは考えられなかったほどに力が溢れてきたのだ。同時に自分の能力の幅が広がったのも感じた。まるで、誰かの力が自分の中に流れ込んできたような感覚。
「ま、まさか……」
誰かの力が自分の中に流れ込んでくる。その感覚にロナルドは覚えがあった。
皇帝が次の世代へ力を伝承させる力。それはちょうどこのような力ではないのだろうか。
気づいたロナルドはマゼランがいるであろう部屋まで走った。脳内には先日の出来事が巡っている。マゼランが言った一言『お前が、次の皇帝だからな』
あれは本気だったのだろうか。今自分の中にある力はあの皇帝と過去の皇帝達のものなのだろうか。
「陛下!」
ドアをノックもせずに開けた。ノックの存在など今のロナルドは認識していない。
「……ロナルド」
部屋には自分以外のメンバーがそろっていた。たった一人の部外者と共にマゼランを囲んでいた。
「今、お亡くなりになられたよ」
たった一人の部外者はロナルドにそう告げた。白井をきたその男はおそらく医者なのだろう。瞳は悲しげに伏せられており、右手はマゼランの脈拍を計っていた。
「先ほどまで……ずっと苦しんでおられた」
ジェイコブは目を硬く閉じつつも、涙を流していた。何度も独立してしまいたいと思うほどの皇帝ではあったが、知り合いの死を目にして平然としていられるはずもない。
「次の皇帝は……お前だと言っていた」
ジェイコブとは違い、ユリシーズは悲しんだ風も見せず、涙一つ流さなかった。いつもと同じく冷静で、冷めた目をしていた。
「何だかんだ〜であなたが〜一番だと〜言ってま〜し〜た〜」
相変わらずの喋り方ではあるが、ジェミニの声は震えており、今にも崩れそうなテンポであった。
そんな仲間達を見てもロナルドは自分だけ別世界にいるように感じた。自分だけが死を見届けることができなかった。自分だけが、この死を受け入れられずにいた。
目の前で横たわっている人が死んでいるようには見えない。いつものように悪い冗談なのではないかと思う。
「……冗談はよしてクダサーイ」
なんとか言葉をしぼりだした。答えはわかっているが言わずにはいられない。誰かがバレたかと言ってくれるのではないかと期待してしまう。
「冗談じゃ、ないんですよ」
声を震わせてジェイコブが答える。
「陛下は、心臓の病、だったそうです……。陛下は誰にも言いませんでしたけど、すごく苦しんだはずだとお医者様に言われました」
思い出した。あの日、あの時廊下に座りこんでいたマゼランの片手は確かに胸を握り締めていた。まるで、痛みに耐えようとするかのように。
ロナルドは後少しで真実にたどり着けるはずだった。ヒントは誰よりもたくさん与えられていた。
「……ワタシは、認めマセンヨ」
決着がまだついていない。なんの勝負をしていたのかわからないが、とにかく決着がついてないのだ。勝手に逃げるなんて認めない。
「認める、認めねぇはお前の勝手だ。だけど……お前が皇帝になった事実は動かねぇんだ」
ユリシーズはクールに言う。いつも腹ただしいその口調が今回はさらに憎たらしかった。
「…………ワタシは何も聞かされてマセン」
ロナルドがポツリと反論した。
「私達も今日集められるまで知りませんでした。あなたのことも、陛下のことも……」
ジェイコブが言う。
「ワタシは、認めマセン」
ロナルドは何度も認めないと言った。認めることができなかった。
「いいかげんにしろ!!」
自虐的にも聞こえる口調で何度も、何度も認めないと呟くロナルドをユリシーズが叱咤した。
その表情は先ほどまでのクールな人物と同一人物とは思えない。
「オレだって、オレ達だって認められねーんだよ! 昨日まで普通にしてたんだぞ?! ついこの間まで一緒に戦ってたんだぞ?! 一緒に旅して、一緒に戦ったんだ!
いつも馬鹿みたいに笑ってて、皇帝なんてがらじゃなくて、いつもいつもなんでこんな奴が皇帝なんだって思ってた。でも、こんな終わり方は考えちゃいなかった!!」
扉の向こう側にまで聞こえているであろう音量でユリシーズはまくし立てた。
「なあ、ロナルド皇帝陛下よぉ」
一呼吸置いて、今度は静かにユリシーズは言う。
「認められる。認められねぇじゃねーんだよ」
震えるユリシーズの声。目からは一筋の涙が零れる。
「今は陛下の意思を継ぐか、継がねぇかなんだよ」
静かな口調だが、絶対的なユリシーズの口調にロナルドは圧倒された。何も言うことができず、何も言う気になれない。
ユリシーズもそれ以上は何も言わず、部屋全体に沈黙が降りた。
「……陛下」
沈黙を破ったのはロナルドであった。
「草葉の影からでも、skyからでもワタシを見てやがれデース。ワタシの方がずっといいエンペラーになってみせマース」
多少無理をした感じになってしまったが、ロナルドは笑った。笑ってマゼランの抜け殻に言う。
「ヘブンにいるのかヘルにいるのかは知りマセンが、地団太踏むとイイデース」
それだけ言うと、ロナルドは部屋から出て行った。
今日はまだ、そこはマゼランの部屋なのだ。
数日間にわたる葬儀の後、新たな皇帝が誕生した。
しかし、その皇帝は自分の名を記録することを禁じ、五代目皇帝の名を受けとらなかった。
「何で、五代目皇帝の名を受け取らなかったんですか?」
ユリシーズがロナルドに尋ねる。今は皇帝となったロナルドに。
「敬語はやめてクダサーイ。変な気分になりマース」
自分がまさかユリシーズに敬語を使われるなどと思ってもみなかったロナルドは苦笑いしながらユリシーズに頼む。
「ワタシが五代目の名を受け取ってしまったら……陛下が死んだと認めなければなりマセーン」
マゼランの葬儀が終わり、マゼランの体が灰になってもロナルドはマゼランの死を認めていなかった。
まだロナルドとマゼランの勝負は続いているのだ。
「……お前がそれでいいなら、いいけどな」
かくいうユリシーズもまだマゼランの死を認められなかった。
あまりにも突然な死は周りの者を混乱に陥れた。おそらくジェイコブもジェミニも認めきれていないはず。
ロナルドはマゼランのことを未だに陛下と呼ぶし、それはユリシーズやジェイコブも同じであった。
あくまでマゼランは死んでいないという前提でロナルドは皇帝をやっていくのだ。それが今後どんな重みになろうとも、苦痛になろうともきっとそれは変わらない。
END