黒田官兵衛は山を登っていた。
それなりに高い山なのだが、山中に町があり、そこまでは車で入ることができるので、ふもとから登ることを考えれば楽だった。彼が今、木々をかき分けて、とある場所を目指しているのには理由がある。
「歩きにくったらないね」
誰に言うでもなくぼやく。
だが、口では文句を言いつつも、心の中では昔に比べればマシだろうとも思っていた。
所謂、前世の記憶というものを持っている官兵衛はかつてこの山を訪れたときのことを思い出す。当時は、山はもっと荒れていたし、夜だったため視界も悪かった。それに加えて、手には鉄球つきの枷と、死体があったのだ。それに比べれば、今の素晴らしいこと。昼間なので山の中も明るく、その体には枷も荷物もない。
一つだけあるとするならば、今から行く場所へ行くのが嫌だという気の重さだけだ。
「……だが、こればかりは他人には任せられん」
ここへきたのは仕事だ。
正確には副業と言ってもいいだろう。
官兵衛は普段、土木現場で働いている。体を動かすのは嫌いではなく、同僚も気の良い者ばかりなので気に入っている。それと同時に、官兵衛は祓い屋をしていた。と、いうよりはさせられている。
生れ落ちた家が祓い屋だったのだ。おかげで官兵衛は幼い頃から幽霊やら妖怪やらを目にし、同年代の子供達には虐められていた。前世の記憶を取り戻したときには、今生でも不運に見舞われるのかとため息をついたほどだ。
官兵衛の携帯電話に実家から連絡がきたのは二日前のことだ。
時折、連絡をしてきては祓い屋の仕事を押し付けてくる父からの電話だ。通話ボタンを押したあと、仕事だと言われても驚かなかった。
「嫌だ。今は仕事が忙しい」
嘘ではない。丁度、仕事が立て込んでいるのだ。二日程度ならば休ませてくれるかもしれないが、周りにその分の仕事を任せることになる。それは気が進まないので、実行する気はない。
だが、官兵衛の拒否は認可されなかった。
「婆様がお前に、と言うのだ」
「婆様が?」
官兵衛の祖母はすでに祓い屋を引退している。その代わり、日々占いをしている。趣味半分の商売だ。それなりに繁盛していると聞いた。
「……なんでまた」
「私が知っているわけないだろう」
婆様は占いの内容について深く話さない。死を告げながらも、何故死ぬのかは告げないような人間だ。
「まあ、話だけでも聞きなさい」
そう言われ、官兵衛は話だけならと思ってしまう。
沈黙を肯定と取ったのか、父は勝手に仕事について話始める。
「とある山を開発しようとしている会社の社長からの依頼だ。そこには昔から病を撒く妖怪の伝承があったそうだ。
ただの噂程度に思っていたそうだが、下見に行った者達が全員謎の高熱にうなされているらしい」
妖怪や幽霊など、現代では古くさい遺物だ。信じる者は少ない。部下が謎の不運に見舞われても、偶然だと工事を強行するような会社も少なくない。それを思えば、依頼してきた社長というのはまだ柔軟な思考を持った者のようだ。
官兵衛自身、知性派を謳っていたので、思考が柔軟な人間には好感がわく。
「依頼は妖怪を確認することと、その土地から離れてもらい、部下の病を治させること。
話し合いが通じないようであれば退治してほしいそうだが、その場合は見物したので連絡が欲しいのだそうだ」
「見物だと?」
官兵衛の眉間にしわが寄る。
先ほどわいたばかりの好感が一気に下がる。柔軟な思考どころの話ではない。ただの馬鹿だ。
妖怪は恐ろしい。ピンきりではあるが、人ならざる力を駆使してくる。一般人を守りつつ妖怪を退治するなど御免こうむりたい。
「お前の気持ちはわかるが、これも仕事だ。退治が嫌ならば、話し合いで解決すればいい。
ああ、場所を言っていなかったな。場所は――」
婆様の占いなど無視してしまおう。官兵衛がそう決めたとき、父の口から知っている地名が出た。
「――わかった」
場所を知った途端、官兵衛は理解してしまった。
「そうか。なら、早めに行ってくれ」
それだけ言い、父は通話を切る。
官兵衛はしばらく携帯電話を握ったままじっとしていた。
婆様の占いは正しいのだろう。そして、それに感謝しなくてはいけない。官兵衛は自嘲気味に笑い、手のひらで目を覆う。
暗闇は様々なことを思い出させる。星も見えない穴倉、月のような男、死体を運んだ山。
父の口から告げられた場所は、かつて蝶を埋めた場所だった。病を撒く妖怪。なんとも、あの蝶に似合の言葉ではないだろうか。もしも、あの蝶が妖怪になってしまったと言うのならば、官兵衛は会わなければならない。こればかりは誰にも譲る気がおきない。
「明日、休暇を貰おう」
その声に答える者はいない。
二日前のことを思い出しているうちに、目的の場所にたどり着いた。
人の手が入っていない山の中で、大きめの石がポツリと鎮座していた。石には苔が生えており、なんともみすぼらしい。
これが、大谷吉継の墓だ。
長曾我部に討たれた大谷を官兵衛がここまで運んだ。人の体ほどの穴を掘るのが面倒だったので、適当に体を焼き、燃えカスだけを小さな穴に埋めた。その上に、少しばかり大きな石を墓石代わりにと置いた。墓とも言えない墓だ。
「刑部」
「……ヒヒ、穴熊がきやったか」
墓石代わりの石の上に、男はいた。
「やっぱりお前さんか」
かつてと変わらぬ姿、と言えば語弊がある。鎧も兜も、包帯までもがかつてのままだが、ただ一つだけ違うものがある。彼の背中に生えた大きく禍々しい美しさを持った羽根だ。蝶の羽根は赤と黒で構成されている。赤は目が冴えるような明るさで、黒は闇よりも深い。二つの色はただでさえ禍々しい男を、よりいっそ禍々しくしている。
大谷が軽く羽根を動かすと、赤い鱗粉が見えた。あれは毒なのだろう。直感だがそう思った。かつて操っていた数珠の代わりだとでも思えばしっくりくる。
「と、言うことは我のことを何処かで聞いてきやったか。
ああ、先日訪れた男の知りあいだったか?」
変わらぬ笑い声が官兵衛の耳に届く。
大谷の声や笑い声が常人と違うのは病であったが故のはずだが、死して妖怪となった今でもそれらは変わることがないようだ。おそらくは、包帯の下もかつてと変わらぬ醜さを持っているのだろう。
死を経験してもなお逃れることのできぬ業とは、何とも恐ろしい。
「似たようなもんだ。
小生は今、祓い屋をやっていてね。お前さんが虐めた男の上司から頼まれてきたんだよ」
「さようか」
細められた目は、男達の不幸を喜んでいるのだろう。体と同じく、性格の悪さも変わっていない。
少し前の時代には、山周辺の村々を病で滅ぼしたと聞いている。近くの町を狙わなくなった分、マシになっているのかもしれないが、それでも他人の不幸を笑っている性格がよいとは言えないだろう。
「ならば我を祓うか」
「いや、とりあえずは説得しろって依頼なんでね」
「我が主の言葉に頷くと思うか?」
答えは否だろう。
官兵衛はため息をつく。この展開を予想していなかったわけではないが、大谷を相手に戦う気にもなれない。しかも、退治するとなれば無力な一般人を守りながら、という無駄な枷がつく。
大谷と会うのは自分の役目だとは思っていたが、いざ会ってみたところでかける言葉も何も見つからない。
謝罪する必要性は感じず、慰めという言葉も理由が見当たらない。何をするべきなのかわからず、官兵衛はため息をつきながら言葉を投げる。
「小生としては、お前さんが男達にかけた呪いを解いて、ここから立ち去ってくれりゃそれでいいんだがなぁ」
「それは無理よ。ムリ」
笑いながら大谷は己の足を指差す。
「これは今も使い物にならぬ」
「その羽根で飛びゃいいんじゃねぇの」
「これは呪うためのものよ。飛ぶことはできぬ」
「石を輿代わりにするとか」
「あの力はもう使えぬ」
全ての提案が却下される。
「……お前さん、ここに縛られているのか」
「知らぬ。ここで幽鬼となり、変化して妖怪になったが、動けぬことは変わらぬ」
立派すぎる羽根は鱗粉を落とし、病を作ることしかしない。足は生前と変わらぬ棒切れ。足代わりに使っていた力も死と同時になくなった。それを厭うたこともあったが、今ではすっかり諦めてしまったと言う。
昔から諦めるのが上手い奴だったと、官兵衛は心の中で呆れる。もっと生き汚くとも、誰も文句を言わなかっただろうに。
「今生の主は運が良い」
大谷の言葉に、官兵衛は目を丸くする。
その顔が面白かったのか、大谷は笑いながら言葉を続けた。
「ずーっとここにいるのも飽きた。だが、我は己で動くことも、死ぬこともできぬ故な、主に祓われてやろう」
包帯越しにでも、大谷がニタリと口角を上げたのがわかる。
官兵衛は顔をしかめた。嘘くさい。あまりにも嘘くさい。大谷の言葉は八割り方が嘘だ。彼が真を吐くのは三成に対してだけではないかと、官兵衛は以前から思っていた。考えていることが顔に出ていたのか、大谷は笑みをよりいっそ強くする。
「そう怯えやるな。反撃なんぞせぬ。真よ。マコト」
大谷を信じても碌なことがない。そんなことは過去の経験から痛いほど学んでいる。だが、何百年もここでじっとしているというのはどのような気持ちなのだろうか。
「……今は道具がない。それに、祓うなら、見学させろと依頼者が言ってたらしいんでね。お前さんを祓うのは明日以降だろうよ」
「主は相変わらず愚図よなぁ。早に用意してきやれ」
呆れたようにそう言い、追い払うように手を振る。
「呪いは解いておけよな」
「わかった。ワカッタ」
大谷から視線を外す寸前、羽根がゆるやかに動いたのが見えた。呪いをかけられたか、はたまたアレが解呪のための動作なのか。
多少気にはなったが、今ここで自分を殺したところで大谷には何の利益もなく、楽しみもないだろうという考えから、アレは解呪だったのだと結論づけた。きた時と同じ道を歩き、山を下る。
携帯電話を開くと、アンテナが三本立っている。大谷を待たせればまたネチネチと嫌味を言われるのはわかっていたので、少しでも早く手を打っておくことにする。
数少ない短縮ボタンの一つを押し、実家の父へと電話をかける。大抵は家にいる父はすぐに電話に出た。
「どうした?」
「祓うことになったんでな。社長さんとやらに連絡しておいてくれ」
「ああ……。そのことなんだがな」
嫌な予感がした。そして、予感というのは嫌なものほど当たりやすい。
「すでにそっちに向かったようだ」
「何故じゃ!!」
官兵衛が今日、山へくることは父に告げていた。そして、父はそれを依頼人に告げたらしい。すると、相手はその日にこちらへくればすぐに見物ができる。もしも話し合いで決着がついたのならば、下見ができるということでこちらに来ることになったのだろいう。
そういう話は先にしておけとか、明日以降になると大谷に言った手前、すぐに戻るのも気が引けるとか、官兵衛の頭の中はぐるぐると回る。父はそんな息子のことを知ってか知らずか、目印に紫の花を持って山へ入る道へ向かうらしいと言って通話を切ってしまう。
「……何故じゃあああ!」
思わず雄たけびを上げた官兵衛は何も悪くない。ただ、ツイていない時というのは、とことんだということだ。
「官兵衛ええええ!」
官兵衛の雄たけびよりも大きく、怒りに満ちた声が聞こえてくる。
思わず背筋が粟立つ。逃げろという本能と、無駄だという理性がせめぎあい、官兵衛は硬直する。気のせいであればいいと思い、どうにかゆっくりと声のした方向へと体を向ける。
見えたのは土埃だ。早い何かがこちらへ向かってきている。気のせいではなかった。逃げても間に合わない。下手に逃げようとすれば、酷い目にあうのが目に見えている。余計なことはしないでおこうと、官兵衛は覚悟を決めた。
「貴様! こんなところで何をしている!」
勢いのままに官兵衛の胸倉を掴みあげてくる特徴的な前髪の男を、官兵衛はよく知っていた。
「み、つな……しま、くび」
「答えろ!」
無茶を言うな。首が締絞まって息もできない官兵衛は泣きたくなった。
瞳を赤く光らせている三成は学生服を身にまとっている。昔と変わらず体は細い。だというのに、やはり力は強い。
「石田の旦那。首を絞めてたら喋れないよ」
そう告げたのは佐助だった。三成は舌打ちをしながらも官兵衛から手を離す。
「た、助かった……」
「大丈夫?」
心配そうに官兵衛を見る佐助の後ろに、数人の男達を見た。どいつもこいつも見覚えのある顔だ。
「急に走りだすなよ」
「大丈夫でござるか?」
「官兵衛も災難だったなぁ」
「情報を吐かせる前に殺しては意味がないだろう」
長曾我部、幸村、家康に毛利。この辺りには武将を集める何かがあるのだろうかと、官兵衛は真面目に考えたくなる。
「それで、貴様はどうしてここにいる」
瞳の色は赤から琥珀へと戻っていたが、苛立った様子に変化は見えない。
「……仕事だよ」
少し迷ってから答える。
嘘ではないが、正確ではない。三成に告げるのならば、大谷を祓いにきたというべきなのかもしれない。
「職種はなんぞ」
細かいところに突っ込みを入れてくるのは毛利だ。知将として名高い毛利が三成側につくのは予想外だ。彼らは仲が悪かったと記憶している。だが、見れば彼らは全員同じ制服を着ているので、それなりに良い関係を築けているのかもしれない。
三成の顔色も昔に比べてずいぶんと良くなっている。そんなどうでもいいことに気がついてしまう。
「それは言う必要があることかい」
「我が聞いているのだ。答えよ」
傲慢なところは変わっていない。
「土木業だ。今日は下見に来ただけだ」
真実ではない真実をすらすらと吐く。本当のことを言っても問題はないが、大谷のことを目の前にいる面々に言う気になれなかった。特に、三成と長曾我部、家康には言いたくない。何せ、官兵衛が山奥に大谷の墓をこしらえる原因になったのは彼らだ。
死体の処理もしなかった者達を、妖怪になった大谷にあわせるのは気がひける。
「黒田殿」
真っ直ぐな瞳で幸村が官兵衛を見る。
三成とはまた違った純真さが痛い。
「大谷殿について、何か知っておりませぬか」
「刑部?」
よく見れば、幸村は悲しげな瞳をしていた。
「石田殿はずっと大谷殿を探しておられるのです」
幸村から視線をはずし、三成を見る。幸村の言葉に嘘はないのか、三成は眉間にしわを寄せて地面を睨みつけていた。見つけられないことが歯がゆくてしかたがないという顔だ。次に見たのは長曾我部だ。彼は少し困ったような顔をしていた。
「そんな目で見るなよ。昔は昔。今は今だ」
殺したことは後悔していないのだろう。そして、今生で大谷が幸せになることに別段不満もないのだろう。
「官兵衛、ワシらはずっと刑部を探しているのだ。
周りには見知った者達が何人もいるのだが、刑部だけは見つからない。知っていることがあれば教えてくれないか」
真摯に頼む家康は、今生でも絆を掲げているのだろうことが容易に想像できる。
けれど、官兵衛は納得ができないという顔をする。
「三成、お前さんは刑部を憎んでいたんじゃないのか」
事の顛末を詳しく知っているわけではなかったが、大谷の死体を処理してから見た三成の様子を見るかぎり、裏切りを憎み、大谷を憎んでいると思っていた。その後、官兵衛は人目から隠れるように生き、死んでしまったために、三成の心境に変化があったとしてもわからない。
復讐のために大谷を探している風ではなかったが、最後に見た三成とあまりにも違いすぎている。
「私はっ……」
「失くさねば気づかぬ愚か者だったのであろ」
「貴様!」
毛利の言葉にどこか棘があるのは、殺された恨みからなのかもしれない。かつてに比べれば、幾分か感情がある知将に多少の驚きを感じる。
同じ制服を着て、共に行動しているところから見ても、関係は前世よりも改善されたのだろうことが予測できる。だというのに、この険悪な雰囲気は何なのだろうか。
「はいはい。喧嘩しない。ね?」
一触即発の二人を止めたのは佐助だ。手慣れた様子を見るかぎり、このような喧嘩は始めてではないのだろう。三成と毛利は同時に顔をしかめ、そっぽを向く。この一連の動作だけを見るならば、二人は仲が良いように見えなくもない。
「一時でも、刑部を恨んだ己を私は許せない。私だけは奴の味方でいたかったというのに」
強く拳が握られる。
「死後の世界とやらは覚えていないが、会うことは叶わなかったことだけは覚えている。
私は死の瞬間、刑部に会えることに歓喜したというのにっ!」
血が流れていくのが見えた。
毛利の言うとおり、三成は愚か者だと、官兵衛の冷めた思考回路が告げている。気づくのがあまりにも遅かった。せめて、官兵衛と会ったときに、その気持ちに気がついていれば、墓参りの一つでもできただろうに。
第一、死したところで大谷は見つからない。ずっと現にいるのだから当然だ。
「残念だが、小生も知らんな」
上手くなかった嘘が簡単に口から零れる。
「本当に?」
佐助が官兵衛の顔を覗きこむ。隠された前髪の向こうにある瞳を見ようとしているらしい。
「嘘をついて何になる」
「そうなんだけどねー」
嘘の匂いがする、と佐助は官兵衛にだけ聞こえるように告げる。
「……お前さん、妖怪か」
思わずそう返す。
しまった、と思うが、佐助は喰えない笑みを浮かべる。
「みんな知ってるから大丈夫だよ」
笑いながら、手を振ると、一瞬だけその手が獣の手に見えた。
「土木業ってのは……嘘だけど本当じゃないよね。本当は祓い屋かなんかでしょ」
妖怪は当然、天敵である祓い屋のことを見抜く力に長けている。相手が妖怪なのだとしたら、祓い屋であることを偽ることの方が困難だ。官兵衛は両手を上げる。
「そうだ。だが、刑部のことは本当に知らん」
この嘘だけはつき通すつもりだ。
三成と出会ってしまった場合、大谷は生きようとするかもしれない。そうなれば依頼の達成が困難になる。また、あの諦め早い大谷のことだ、すぐに殺せと叫ぶかもしれない。そうなった場合、大谷を祓った後で三成に殺される。どう転んでも、官兵衛の明日はない。
「墓はどうだ? 刑部を埋葬したのはお前ではないのか」
家康の言葉に、三成が官兵衛を凝視する。本当なのかと視線が尋ねている。
頷けば連れていけというだろう。大谷の墓へ、すなわち大谷のもとへ。それでは嘘をついた意味がなくなる。
「し――」
「知らぬとは言わせぬぞ」
「そうだぜ。お前が大谷の死体を抱えてどこかに行ったってのは、野郎共から聞いてるんだ」
こんなときばかり息をあわせてくる男達が恨めしい。そもそも、長曾我部と毛利は宿敵同士だったのではないのかと叫びたい。だが、それを言うならば隣でニコニコしている家康と、未だに官兵衛を凝視している三成にも同じようなことを言わなければならない。
「せめて墓の場所だけでも教えてはくださらぬか」
そしてこの瞳だ。
何気にこの面子は最強なのではないだろうか。
「小生は――」
何も知らない。それを通そうと思った。思っていたのだ。
「あれ? 三成君?」
聞こえてきた声に、誰もがそちらを向いた。
「おお、家康もおるな」
大柄な男と、華奢な男が道を歩いてくる。手には紫色の花があった。
その瞬間、官兵衛は嘘をつくことの無意味さを知り、同時に意識を飛ばしてしまいたいという切実な願いを得た。
「秀吉様!」
始めに動いたのは三成だ。神速と呼ばれた速さで秀吉のもとへ駆け、跪く。この瞬間、三成の頭から大谷のことは抜け落ちたことは言うまでもない。
そして朗々と出会えたことの感謝と、今生でも変わらぬ威厳や風貌について語る。周りはドン引きだ。あの幸村でさえやや引いている。毛利などは心境を実際の距離に置き換えれば、地球の反対側へ行ってしまうのではないかというほどの引きっぷりだ。
「何だか知っている顔がたくさんあるけど……どうしたんだい?」
半兵衛の疑問に、三成が答えようと口を開けたが、官兵衛がそれを阻んだ。
「もういい。小生は全ての無駄を悟った」
「キミのしていたことで無駄じゃないことがあったのか聞きたいところだけど、見たところキミが年長者であり、祓い屋であるという推測は正しいかい?」
「ああ」
官兵衛は一度だけ頷き、先ほど通ったばかりの道へ足を踏み入れる。
「ついてこい」
その一言だけで十分だった。
秀吉を筆頭に半兵衛が続き、三成が続く。長曾我部や幸村は少し迷ったが、他の者達がついていく様子を見て、己も続くことにした。
歩きにくい道をひょいひょい進むのは佐助だけで、他の者達は苦労しながらも山を登っていく。太陽のおかげで足元が見えやすいことだけが幸いだった。
「もうすぐつくはずだけど、大丈夫かい?」
後ろに続く子達を心配したのは半兵衛だ。自分達はどの辺りへ行くか知っているので、精神的な疲労は少ない。だが、どこまで行くのか知らぬ子達にとって、このは道辛いものがあるだろう。先が見えないというのは、人を不安にさせる。
「大丈夫です」
元気いっぱいに答えたのはやはり三成だ。彼にとって、秀吉と半兵衛が行くところが目的地であり、その距離はどうでもいいのだ。それに続いて、家康や幸村が元気に返事をする。返事の無かった毛利は、同じく返事の無かった長曾我部の背に背負われている。体力がないので背負われたというよりは、疲れたので背負わせたといったところだろう。
楽しげな背後を恨めしく思いながら、官兵衛は黙々と歩く。
依頼人が秀吉と半兵衛だった。つまり、もう祓うという選択肢は消えたも同然だ。ならばいっそのこと、三成も連れて行ってやればいい。どうせ二人の口から大谷のことは伝わるだろう。秀吉達がくる前までは必死になって隠そうとしていたことが、意味のなかったことだと知り、官兵衛は考えることを止めた。
大谷と三成が再会すれば、三成は喜ぶだろう。だが、大谷は嘆くだろう。妖怪になった我が身を呪い、動くことのできない身を厭うだろう。だが、もうどうにもできないし、どうにでもなればいい。
「ここだ」
目的地につく。
苔の生えた少し大きめの石がある。何も掘られていない墓石がある。
その上には蝶がいる。
禍々しい色は霊感の無い人間にもその色を見つけさせるだろう。得に、佐助という妖怪と共に過ごしているような者達ならばなおさらに。
「ぞろぞろと何をつれてきやった。暗よ」
地を這うような声だ。その声だけで呪われそうだが、広げられた禍々しい羽根は怒りに反応してか、薄く光っている。それでも官兵衛は冷静だった。後ろにいる者達のことを思えば、大谷は迂闊なことができないとわかっていた。
「……刑部!」
主君である秀吉を差し置いて、三成が駆けた。
「み、つなり」
広げられた羽根が畳まれる。大谷は三成から逃げるように動こうといたが、石の上から動くことができなかった。忌々しい体だと思っている間に、三成は大谷の前へ膝をつく。触れようとして、少し迷った。
「官兵衛、これはどういうことだ」
動こうとしない二人を見ながら、秀吉が問いかける。官兵衛は肩をすくめて、見た通りさと答えた。
「ここに住んでいる妖怪ってのは、刑部のことだ」
「まさか……。いや、でも……」
否定できるはずがなかった。背中に羽根の生えた人間などいるはずがない。しかも、大谷は戦国時代の鎧をそのまま着用している。現代であのような格好をしていれば通報ものだ。
「佐助、お前のようだな」
「いやー。ちょっと、てか、だいぶ? 違うっしょ」
獣と虫程度の違いはある。佐助はさりげなく幸村の前に立ちながら考える。
そして、佐助は同族であるが故に、大谷と自分が根本的に違うことを理解していた。
大谷は幽鬼が時間をかけて妖怪へと変化したものだが、佐助は違う。人を殺し、心を殺し、少しずつ人間ではなくなり、幸村を失って全てを捨てたのだ。人から妖怪への変化。それは醜いものだと、佐助は考えている。少なくとも、未練から幽鬼になり、強い感情から妖怪へと変化したものよりもずっと。
「ああ、今日は何て素晴らしい日だ。
貴様に会えた。秀吉様と半兵衛様にも間見えることができた」
けっして触れようとせず、穏やかな瞳を大谷へ向ける。
戸惑ったのは大谷だ。彼の記憶の中の三成は、己を憎んでいるように見えたし、それも当然だと納得していた。けれど、今の三成に憎しみはない。加えて、三成は秀吉と半兵衛の名を口にした。
ゆっくりと視線を三成から官兵衛達の方へと向ける。そこにいたのは見知った者達だ。その中に主君と姿を見つけ、座りなおそうと体を動かす。だが、病を得ていたとき以上に不自由な体はそれをよしとはしない。
「……このような姿で申し訳ありませぬ」
大谷は恭しく頭を下げる。体勢を直すことができないことを悟った二人は良いと返す。
「どうりで探しても見つからねぇわけだ」
「おかげで我がどれほど面倒事に巻き込まれたか……。
大谷、貴様には言いたいことが山の様にあるぞ」
死んだときからずっとここにいたのだということを知った長曾我部はそれでも嬉しそうに、毛利は至極嫌な顔をして言葉を投げる。大方、三成が大谷を探すのに引きずりまわされ、面倒事を押し付けられていたのだろう。
三成の性分を知っている大谷は苦笑いしかできない。
「すまぬなぁ。三成は考えを曲げぬ男ゆえ。
ところで、暗や。これはどういうことか説明できるのであろうなぁ?」
怒っている。瞳を見るだけでわかる。
家康はアレは本気の目だと一歩下がる。つられて下がったのは長曾我部だけで、他の者達はただ黙っていた。
「小生は悪くないぞ!
仕事の依頼人が秀吉と半兵衛で、三成達は地元の人間だったってだけだ」
「なんと。それでは我が呪った男は太閤の部下であったか」
眉を寄せる。
知らなかったとはいえ、主君の部下を手にかけようとしたことが許せないらしい。三成ほどではないとはいえ、病を得た己を軍に置き続けてくれた主君のことを大谷は尊愛していた。
「良い。部下の病を治し、この土地を使わせてくれればな」
「そうだ。せっかくだし、吉継君もボクらと一緒にこない?
三成君も卒業したら是非」
「本当ですか!」
秀吉と半兵衛の方へ振り返り、三成は目を輝かせる。何があっても、再び二人のもとで働こうとは思っていたが、誘われたとなれば喜びは格別だ。
「じゃあワシも入ろうかな」
「キミは駄目」
冗談めいた口調で言った家康を半兵衛がバッサリと切る。
「いえ、我は――」
「刑部」
大谷の声に三成が言葉を被せる。いつの間にか三成は大谷に向きなおっていた。
「私は、ずっと貴様に会いたかった。
会って、謝罪をしたかった」
「何を言っていやる?」
真っ直ぐな瞳は、今にも涙を零しそうに見えた。それが後悔のためか、再会できた喜びのためかは判別がつかない。
「貴様を一時とはいえ、憎んだ。貴様はいつも私のために動いていたというのに。私はそれを信じることができなかった」
三成の白く、細い指が大谷の頬へと向けられる。
「許してくれ。そして、できるならば、また私と共に秀吉様のもとへ身を置いてくれ」
指が包帯に触れる。その寸前、悲鳴のような怒声が響いた。
「触れやるな!」
周りの木々を揺らすほどの声に、三成は思わず手を止める。
様子を見守っていた者達も目を丸くした。唯一、佐助だけが冷めた目で大谷を見ている。
「……刑部?」
手を叩かれた子供のような顔で、呟く。簡単に許されることではないと思いながらも、大谷ならば許してくれるだろうと三成は思っていた。仕方がないと、優しく笑いながら抱きとめてくれるだろうと。
大谷が三成に甘いのは周知の事実だったため、見守っていた面々も驚きを隠せない。
「我は病よ。病そのものに成り果てた。
だから、触れてくれるな」
突き放すための手もなく、大谷はただ俯く。
なるほど、と思ったのは官兵衛で、やはり、と思ったのは佐助だった。
「悪いけど、オレ様は大谷の旦那に賛成だね」
「佐助!」
咎めるような声を上げた幸村に、佐助は首を横に振る。譲れないものがある。己よりも大切な者があるからこそ、佐助は大谷の気持ちがわかる。
「もし、オレ様が病を撒くことのできる妖怪だったら……。
オレは大将の前には現れなかったよ。自分が大将を傷つけるなんて、真っ平御免だ」
「だが、ある程度の制御はできるのだろ?」
「万が一を考えるのが軍師としての役目ぞ。わずかな危険も排除する。
それが己ならば、己を排除するのは当然のこと」
悲しげな家康に毛利が返す。一つを生かすために、その他全てを捨てることができる。そうでなければ軍師にはなれない。毛利はそのことを体言してきた男だ。彼と気が合っていた大谷も、同じことを考えていると予測するのは容易い。
ならば、と家康は半兵衛を見る。彼もまた軍師として生きてきた。吉継を誘った彼は、どのような反応をしているのだろうか。
「半兵衛。お前に任せよう」
昔は半兵衛も病を得ていた。ならば、大谷の気持ちは半兵衛が一番よくわかっているのかもしれない。秀吉は全てを半兵衛に委ねた。それは秀吉にとって、もっとも手慣れた行為だ。
「――吉継君。ボクは病を持った自分を、それでも豊臣に置いた。そして、キミを引きとめた」
万が一のために失うのには惜しいものだった。万が一のために捨てるには、豊臣に軍師は必要な存在だった。
「その気持ちは今も変わってないよ」
手放す気はない。半兵衛の瞳は語る。
「しかし!
……しかし、我はここから動くことができませぬ」
この場を開発するために、大谷はどうしても邪魔だ。病を撒かないとしても、妖怪は幽霊と違い、人にも見えやすい。妖怪がいるような土地を開発するのは難しい。知恵を豊臣のために使うとしても、こんな場所へ秀吉達を呼びつけるわけにもいかない。
結局、大谷は彼らのもとへは行けない。
「どうにかなんねぇのか?」
心優しい長曾我部は官兵衛を見る。
祓い屋というくらいなのだから、妖怪には詳しいはずだ。この面子の中で、妖怪に詳しいのは官兵衛か佐助だろう。
「小生が思うにな」
ほぼ全員の視線が官兵衛に集まる。
「お前さんが、そこから動きたくないんだろうよ」
「どういうことだ?」
疑問を明らかに顔に出す者、顔には出していないが疑問に思っている者。反応は様々だ。
「幽霊になるってのはよっぽどの未練だ。それは三成だろう。だが、会うのが怖かったんだろ?
お前さんは諦めるのが得意だからな。三成には会えないと、その理由のために縛られたんだろ?」
「何を言う!」
大谷が声を荒げる。彼にしては珍しいことだ。何を言われようとも、大谷は飄々と受け流すばかりだ。
普段は隠されている感情がむき出しにされていくのを、誰もが感じた。
「我の体が言うことを聞かぬのは昔からよ!
縛られるなど、そんなことある訳がなかろう!」
「大谷よ」
毛利が一歩前へ踏み出す。
冷たい視線が、燃える視線と交わった。
「昔から思っていたがな、貴様は愚かだ」
「おい、毛利……」
「黙れ。我は今、大谷と話しておる」
長曾我部の手を振り払い、毛利はまた一歩踏み出す。
「心を偽ることができぬ愚か者よ。
それほど声を荒げて、貴様は何を隠したい。石田に会うことを諦めたことか。石田が未練だということか」
馬鹿馬鹿しい。毛利はそう鼻で笑う。
「貴様が石田を何よりも第一にしていたことなど、誰もが知っていることであろ」
大谷が苦々しそうな顔をする。自分が三成に甘いことはある程度自覚していたが、そこまで酷かったのかと過去のことを思い返す。言われてみれば、日々飯を喰え、眠れ、自愛しろという行為は友というよりも母のようだった気がしないでもない。
「今さら、石田に関わることで隠しだてできるようなことは何一つないぞ」
「毛利、毛利。大谷の野郎が固まってるって。そのくらいにしておいてやれよ」
この程度で何を言う、という表情をして見せたが、大谷を守るためか、三成が言葉を紡ぐ。
「刑部。貴様の未練が私だったと言うのならば、共にこい」
嫌がる大谷の手を無理矢理につかみ、己の方へと引き寄せる。
すると、大谷の体はふわりと石から離れた。
「なっ……!」
驚いたのは大谷だ。三成はそれが当然のことだという表情をして、己の胸に飛びこむ形になった大谷を受け止めている。
「おお、絆か!」
「友情ってやつはいいねぇ」
「愛ぞ」
「真に素晴らしき友情ううう!」
「大将。ちょっと黙ろうねー」
反応はバラバラであったが、目の前の光景を祝福しているのだろう。
「今日は収穫がたくさんあったね」
「うむ。やはり現地には直接訪れるべきだな」
三成は大谷を強く抱き締める。畳まれた羽根が押しつぶされ、大谷は居心地が悪そうに体を捻る。だが、三成は力を緩めようとしない。隙を見せれば大谷が羽根で飛んで行ってしまうとでも思っているのだろうか。
二人を眺めてた官兵衛は、ふと思い出してポケットを探る。何となく持ってきていたものがあるはずだ。指先が目的の物にぶつかる。
「三成」
手にした物を放り投げる。三成は大谷を片手で抱き寄せながら、自由になった手でそれを受け取る。
「何だこれは」
「三成、三成。離しやれ。我はどこにも行かぬ。約束する故」
「本当か」
「真よ。マコト」
しばし悩んだ末、三成は大谷から手を離した。それでも不安が残っているのか、包帯の端を掴んでいる。地面に足をつけた大谷は、ゆっくりと足を動かす。死んでから、いや生きている時から、忘れてしまっていた感覚だ。気分が上昇するのも無理はない。
そんな大谷を視界の端に収めながら、三成は受け取った物を眺める。
手のひらに収まるそれは、指輪だ。
「なんだコレは」
指でつまみ、官兵衛に疑問をぶつける。三成が抓む指輪を大谷も眺める。金の輪に白い石がついたそれは、質素ではあるが価値があるように見える。
「契約の指輪だ。
白い石に、契約者の血を垂らし、妖怪に指輪をはめると、契約者の了承なしでは完全に力を発揮することができなくなる。
刑部はずっとここにいたから、人間に化けたこともないだろ? それがありゃ、羽根くらいは完璧に消せるだろうさ」
「そんな良いものがあるならさっさと出しなよ!」
半兵衛の文句を右から左へと受け流し、官兵衛は指輪の説明に付け加える。
「ただし、契約者が死んだら妖怪も死ぬ」
「な――」
妖怪が死ぬ。大谷が死ぬ。三成は一瞬目を見開き、官兵衛を怒鳴りつけようと目を細めた。
だが、三成よりも先に、幸村の絶叫が響いた。
「何だと! 佐助! お前知っていたのか!」
「あー! 余計なこと言わないでよ!」
叫ぶ幸村と、官兵衛に文句を言う佐助。よく見れば、佐助の小指には指輪がはめられている。金の輪に、石は血のように赤い。
「黒田殿、今の言葉は真でございまするか」
「ああ。嘘じゃない」
「それは……ちょっと物騒じゃないか?」
家康の言葉に同意を示したのは長曾我部だ。
おそらくは妖怪が契約者を裏切らぬようにと施されているものなのだろうけれど、寿命はどうしたって人間の方が短い。
「いや、我はそれで良い」
微妙な空気を討ったのは大谷だ。
どことなく嬉しそうに三成が持つ指輪を撫でる。
「三成がいなくなった世界で生きるのは辛い。なれば、共に生き、共に死にゆこう」
「刑部。それでいいのか」
「無論よ」
相変わらず甘い、と言ったのは毛利で、ならば仕方がないと笑ったのが家康と長曾我部だ。
「佐助……詳しい話は後で聞こうか」
「何でこうなっちゃったかねぇ……」
佐助は官兵衛を恨めしそうに睨んだが、契約の細部を教えなかった佐助の自業自得だろうと、官兵衛は思うことにした。
三成は己の指を噛み、血を流す。赤い血は白い石へと垂れ、白を赤へと変える。
「刑部」
「三成……」
すっかり二人の空間が完成してしまっている。
目をそらしている長曾我部も家康も、過去の黒歴史を思い出しそうになっている毛利も、二人には関係ない。
「何だか、結婚式みたいだね」
「……その例えはどうかと思うぞ。半兵衛」
この先、二人が幸せになるのは間違いないでしょ。と、笑った。
余談ではあるが、この後、官兵衛は務めていた会社を辞めることとなった。理由は引き抜きだ。会社の同僚はより良い会社へ務めることができるのだと、官兵衛を祝ってくれたが、彼の気持ちは重い。強制的な引き抜きがまかり通るなど、あってはならないはずだ。絶対に。
「……何故じゃあああああ!」
了