石田三成は、薄暗い部屋の中で一人生きていた。
 どこにも行く気にもなれず、死ぬことは許されておらず、けれど、生きている気にはとてもではないがなれなかった。
「……どこにいる」
 ポツリと言葉を零すが、彼自身、自分が何を探しているのかわからずにいた。ただ、不意に探さなければと思うだけなのだ。食事をする気にもなれず、何度も部屋を訪れる小姓をその度に追い出した。手にしている刃は五月蠅い者を断ち切ることができる。
 今の三成にはそれだけが支えだった。
 けれど、食事をしない体に、魂はすっかり嫌気がさしていたようだ。体から魂が抜けだそうとし、三成の目がかすむ。何も写そうとしない目は不思議と三成の心を穏やかにさせた。
 見えないのならば、探すことはできない。そんな免罪符を得たような気になれたのかもしれない。
「死んだよ」
 誰かの声が聞こえた。
 聞き覚えがあるような気がしたが、誰のものだったかを思い出すのは億劫だった。わずらわしさを振り払おうとしたが、腕が上がらない。魂はすでに腕を動かすほども残っていないらしい。
 すると、それをいいことに口の中に粥が入れられた。
 抵抗することができない体は、その粥を黙って受け入れた。そのことに、三成は吐き気がしたが、何せ魂が半分以上入っていない体なので、吐き出すことはなかった。


「一人っきりで、死んだよ」
 しばらくすると、また誰かの声が聞こえた。前回からどれほどの時間が経ったのかはわからなかったが、再び口に粥が入れられる。声の主に疑問を覚えながらも、三成は言葉の意味を考えていた。
 誰が死んだのだろうか。
 もしかすると、私なのかもしれない。そんなことをまともに動かない頭で考える。相変わらず、体も目もまともに機能しなかった。


「哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 また声が聞こえる。少しばかり回るようになった頭が、この声の主は男だと教えてくれた。
 だが、声の主が男でも女でも三成にはどうでもいいことだった。重要なのは、声の主が己の口に粥を突っ込んでくることであり、それを振り払うことができないというわずらわしさだ。
 体は勝手に粥を飲み込んでしまう。


「臓物をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 男は毎日きている。日が暮れ始めたころ、男は温かい粥を持ってくるのだ。
 薄らと機能し始めた目と頭で、それだけのことがわかった。けれど、やはり三成にとってそれはどうでもいいことだった。もう少し体の機能が回復したら、男を追い出してやろうと思うくらいだ。
 口に入れられた粥は少し熱かった。


「腹を貫かれて、臓腑をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 誰かは壮絶な死にかたをしたらしい。三成はぼんやりと思った。
 戦場では珍しくない死にかたかもしれないが、一人っきりで死んでいるらしいので、戦場ではなかったのだろう。
 一人っきりの死というのは、寂しいと考えてから、主君のことを思い出した。腹の底から憎悪が湧き出たが、それを放つ資格はないのだと気づき、目を閉じた。目じりからは涙が一筋ながれていた。


「鬼の放った銛に、腹を貫かれて、臓腑をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 金棒ではないのかと思った。銛を持った鬼とは誰のことだったか、三成の脳は教えてくれない。奥底に隠して、鍵をしてしまっているらしい。
 思い出せないということは、必要なことではないのだろうと思い、三成は鍵の上からその記憶に縄をかけた。


「被害を己にだけ向くようにして、鬼の放った銛に、腹を貫かれて、臓腑をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 男が語る死んだ者は、どうやら誰かの犠牲になったようだ。
 三成は少しだけ手に力を込める。毎日食べている粥が、彼の魂を引き戻していた。
 毎日何かを語ってくる男を殴れるようになるかもしれない、という喜び。あのまま魂と体が別れれば良かったのにという悲しみ。三成の中には二通りの感情があった。


「上手い具合に、被害を己だけに向くようにして、鬼の放った銛に、腹を貫かれて、臓腑をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 三成は一つ気がついた。毎日やってくる男には感情が見えない。
 淡々と事実を語るようなその口調に、背筋が冷えた。せめて、声を荒げてくれたのならば、と。三成は自分でもよくわからないことを考えた。


「白日のもとに晒されて、上手い具合に、被害を己だけに向くようにして、鬼の放った銛に、腹を貫かれて、臓腑をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 まだ目はよく見えなかった。だが、体はずいぶんと動くようになった。
 だが、男を殴ることが三成にはできなかった。
 毎日付け足される言葉の最後が気になり始めた。


「でも嘘は暴かれて、白日のもとに晒されて、上手い具合に、被害を己だけに向くようにして、鬼の放った銛に、腹を貫かれて、臓腑をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 死んだ者は嘘をついていたらしい。三成は嘘が嫌いだ。だから、死んでもしかたがないのかもしれないと思った。けれど、一人っきりで死んでしまうのは悲しい。三成はまた主君を思い出して少し泣いた。
 一人っきりで死んでしまった者とは、どのような人物だったのだろうか。興味がわいた。


「隣にいたいと願って、でも嘘は暴かれて、白日のもとに晒されて、上手い具合に、被害を己だけに向くようにして、鬼の放った銛に、腹を貫かれて、臓腑をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 その日、男の言葉を聞いて、三成は後ずさった。それだけの力が戻ってきていた。
 男が語る者は、誰の隣にいたかったのか。それを考えようとするだけで頭が痛んだ。
 後ずさる三成を見ても、男は何も言わなかった。いつものように粥を三成に食べさせると、部屋から出て行ってしまう。


「悩みながら、隣にいたいと願って、でも嘘は暴かれて、白日のもとに晒されて、上手い具合に、被害を己だけに向くようにして、鬼の放った銛に、腹を貫かれて、臓腑をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 聞きたくないと三成は思い始めていた。だというのに、体は男を殴ろうとしない。
 男は相変わらず、毎日言葉を一つ足すだけだ。三成を罵ることもなければ、殴ることもしない。それが三成にはひどく不思議だった。何故不思議だったのかはわからないが。


「時折、悩みながら、隣にいたいと願って、でも嘘は暴かれて、白日のもとに晒されて、上手い具合に、被害を己だけに向くようにして、鬼の放った銛に、腹を貫かれて、臓腑をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 三成は逃げようとした。だが、足はまともに動かなかった。長い間、じっとしていたために萎えてしまったようだ。
 第一、もしも歩けたとしても、視力はまだ戻っていない。どこにも逃げられないのだ。


「幸せそうに笑いながら、時折、悩みながら、隣にいたいと願って、でも嘘は暴かれて、白日のもとに晒されて、上手い具合に、被害を己だけに向くようにして、鬼の放った銛に、腹を貫かれて、臓腑をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 男の言葉に、三成は首を横に振る。何故だかはわからなかったが、その者が幸せであるはずがないと思った。
 けれど、男はやはり何も答えない。
 三成はますます男の言葉を聞きたくなくなった。早く足が戻ればいいのにと思い、部屋を歩くようになった。


「時々、幸せそうに笑いながら、時折、悩みながら、隣にいたいと願って、でも嘘は暴かれて、白日のもとに晒されて、上手い具合に、被害を己だけに向くようにして、鬼の放った銛に、腹を貫かれて、臓腑をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 萎えた足はそう簡単には戻らない。三成は苛立ちをぶつけることができず、悶々としたものを腹に抱え込んでいた。かつては、これを発散することができたはずなのだが、今となってはどのようにしていたのかわからない。
 早くここから逃げ出したいと思った。


「道を示し続けて、時々、幸せそうに笑いながら、時折、悩みながら、隣にいたいと願って、でも嘘は暴かれて、白日のもとに晒されて、上手い具合に、被害を己だけに向くようにして、鬼の放った銛に、腹を貫かれて、臓腑をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 歩くことができるようになったが、三成が部屋から出ると男がやってくる。そして、いつものように一言つけたして、また死んだ者について語るのだ。
 いっそ殺せばいいのに、と三成は脳のどこかで考えた。男がそれをしないということは、とうの昔から知っている。


「体を蝕まれながらも生きて、道を示し続けて、時々、幸せそうに笑いながら、時折、悩みながら、隣にいたいと願って、でも嘘は暴かれて、白日のもとに晒されて、上手い具合に、被害を己だけに向くようにして、鬼の放った銛に、腹を貫かれて、臓腑をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 三成の胸が痛む。死に至る痛みではない。
 だが、胸が死にたいと叫ぶ。舌を噛み切ってみようかとも思ったが、自害は許されていなかったことを思い出す。
 舌打ちをしてみたが、男は反応しなかった。


「進軍して、体を蝕まれながらも生きて、道を示し続けて、時々、幸せそうに笑いながら、時折、悩みながら、隣にいたいと願って、でも嘘は暴かれて、白日のもとに晒されて、上手い具合に、被害を己だけに向くようにして、鬼の放った銛に、腹を貫かれて、臓腑をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 この話はいつになったら終えるのだろうか。三成はただそれだけを考えていた。
 しかし、この話が終わったとき、自分がどうなっているのか、とてつもなく不安だった。


「戦って、進軍して、体を蝕まれながらも生きて、道を示し続けて、時々、幸せそうに笑いながら、時折、悩みながら、隣にいたいと願って、でも嘘は暴かれて、白日のもとに晒されて、上手い具合に、被害を己だけに向くようにして、鬼の放った銛に、腹を貫かれて、臓腑をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 戦など、もうどうでもよかった。その先にあるものに執着したこともあったが、それがいかに愚かなことだったのか、三成は理解している。
 だから、すまない。と、言葉をこぼしていた。
 誰に向けたのかはまだわからない。


「戦を有利に進めようとして、戦って、進軍して、体を蝕まれながらも生きて、道を示し続けて、時々、幸せそうに笑いながら、時折、悩みながら、隣にいたいと願って、でも嘘は暴かれて、白日のもとに晒されて、上手い具合に、被害を己だけに向くようにして、鬼の放った銛に、腹を貫かれて、臓腑をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 戦とは、ただ切ればいいものではないらしい。
 男は相変わらず淡々としており、三成が粥を差し出す手を払ったところで怒らない。
 だが、反発してみたところで、最終的には男が三成の口をこじ開けてしまうので、粥を食べることに変わりはなかった。


「徳川を倒すために、戦を有利に進めようとして、戦って、進軍して、体を蝕まれながらも生きて、道を示し続けて、時々、幸せそうに笑いながら、時折、悩みながら、隣にいたいと願って、でも嘘は暴かれて、白日のもとに晒されて、上手い具合に、被害を己だけに向くようにして、鬼の放った銛に、腹を貫かれて、臓腑をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 始めて出てきた個人名に、三成は目を見開いた。
 その名には覚えがあった。もっとも恨み、もっとも意識を向けていた人間だ。久々に三成の頭が目まぐるしく働く。そう。三成は家康を殺すために生きていた。戦っていた。その事実をはっきりと思い出す。
 同時に、ならば、男が語っている者のことを知っているはずではないのかと、自分へ疑問を投げた。答えは闇に落ちて、返ってはこなかった。


「西軍に引き入れて、徳川を倒すために、戦を有利に進めようとして、戦って、進軍して、体を蝕まれながらも生きて、道を示し続けて、時々、幸せそうに笑いながら、時折、悩みながら、隣にいたいと願って、でも嘘は暴かれて、白日のもとに晒されて、上手い具合に、被害を己だけに向くようにして、鬼の放った銛に、腹を貫かれて、臓腑をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 物事が確信に迫っていくのを肌で感じる。
 三成の萎えていた足は容易に動くようになり、頭もまともに働くようになっていた。戻っていないのは目だけだ。
 最後の一言がやってくる前に、すべてが戻ればいいと考えながら、食事を口に含んだ。もう粥ではなかった。


「鬼を騙して、西軍に引き入れて、徳川を倒すために、戦を有利に進めようとして、戦って、進軍して、体を蝕まれながらも生きて、道を示し続けて、時々、幸せそうに笑いながら、時折、悩みながら、隣にいたいと願って、でも嘘は暴かれて、白日のもとに晒されて、上手い具合に、被害を己だけに向くようにして、鬼の放った銛に、腹を貫かれて、臓腑をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 鬼に殺された者は、鬼を騙していたらしい。
 ならば、しかたがなかったのだな。と、安堵の息と共に呟くと何故か涙があふれた。同時に、自分を惨殺したくなった。霞む目で男を見てみたが、彼は三成に手を上げようとはしなかった。
 ただ、黙って三成を見つめていたようではあったが。


「毛利と一緒に、鬼を騙して、西軍に引き入れて、徳川を倒すために、戦を有利に進めようとして、戦って、進軍して、体を蝕まれながらも生きて、道を示し続けて、時々、幸せそうに笑いながら、時折、悩みながら、隣にいたいと願って、でも嘘は暴かれて、白日のもとに晒されて、上手い具合に、被害を己だけに向くようにして、鬼の放った銛に、腹を貫かれて、臓腑をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 新しい名前が出た。毛利。三成はその名を忌々しげに聞いていた。信用のならない人間であったことはハッキリと覚えている。もう一つ、あの男を構築する重要な事柄があったはずだったが、それは思い出すことができなかった。
 ふと、三成は鍵と縄を使って封じ込めた記憶のことを思い出した。


「戦を起こして、毛利と一緒に、鬼を騙して、西軍に引き入れて、徳川を倒すために、戦を有利に進めようとして、戦って、進軍して、体を蝕まれながらも生きて、道を示し続けて、時々、幸せそうに笑いながら、時折、悩みながら、隣にいたいと願って、でも嘘は暴かれて、白日のもとに晒されて、上手い具合に、被害を己だけに向くようにして、鬼の放った銛に、腹を貫かれて、臓腑をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 目が見えるようになってきた。語る男はずいぶんと体格がいいらしい。けれど、それが誰なのかはわからなかった。覚えていないのかもしれない。
 三成は首を傾げた。戦を起こしたのは自分だったはずだ。そのことはしっかりと思い出している。
 だとすれば、鬼を騙し、鬼に殺されたのは自分なのだろうか。けれど、三成は己が人を騙すことができないとよく知っていた。


「病なんて無視して、戦を起こして、毛利と一緒に、鬼を騙して、西軍に引き入れて、徳川を倒すために、戦を有利に進めようとして、戦って、進軍して、体を蝕まれながらも生きて、道を示し続けて、時々、幸せそうに笑いながら、時折、悩みながら、隣にいたいと願って、でも嘘は暴かれて、白日のもとに晒されて、上手い具合に、被害を己だけに向くようにして、鬼の放った銛に、腹を貫かれて、臓腑をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 慟哭にも似た叫び声を上げる。
 死んだ者は蝕まれていたらしいということは、ずいぶん前から知っていた。だが、それが病によってだと知ると、心が乱れた。涙があふれ、喉をかきむしりたくなる。
 男はその様子をただ眺めていた。


「欺いて、病なんて無視して、戦を起こして、毛利と一緒に、鬼を騙して、西軍に引き入れて、徳川を倒すために、戦を有利に進めようとして、戦って、進軍して、体を蝕まれながらも生きて、道を示し続けて、時々、幸せそうに笑いながら、時折、悩みながら、隣にいたいと願って、でも嘘は暴かれて、白日のもとに晒されて、上手い具合に、被害を己だけに向くようにして、鬼の放った銛に、腹を貫かれて、臓腑をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 聞きたくない。と、三成が零しても、男はそれを許さない。耳を塞ごうとする手を、無理やり引きはがし、昨日の続きを語るのだ。
 それほど苦しめたいのならば、早く殺せばいいのに、男はそれをしない。三成は涙を零す。


「騙して、欺いて、病なんて無視して、戦を起こして、毛利と一緒に、鬼を騙して、西軍に引き入れて、徳川を倒すために、戦を有利に進めようとして、戦って、進軍して、体を蝕まれながらも生きて、道を示し続けて、時々、幸せそうに笑いながら、時折、悩みながら、隣にいたいと願って、でも嘘は暴かれて、白日のもとに晒されて、上手い具合に、被害を己だけに向くようにして、鬼の放った銛に、腹を貫かれて、臓腑をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 体の調子がずいぶんよくなった。毎日、一食とはいえ食べているからだろう。
 目もずいぶんよくなった。けれど、何も見たくはなかった。聞きたくもない。だが、それが許されるはずもない。
 獣臭い男は、三成に今日も語って聞かせるのだ。


「生かすために、騙して、欺いて、病なんて無視して、戦を起こして、毛利と一緒に、鬼を騙して、西軍に引き入れて、徳川を倒すために、戦を有利に進めようとして、戦って、進軍して、体を蝕まれながらも生きて、道を示し続けて、時々、幸せそうに笑いながら、時折、悩みながら、隣にいたいと願って、でも嘘は暴かれて、白日のもとに晒されて、上手い具合に、被害を己だけに向くようにして、鬼の放った銛に、腹を貫かれて、臓腑をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 黙れ。と、何度も叫んだ。
 刀を手にしようとしたが、いつの間にか刀はなくなっていた。男に奪われたらしい。


「お前さんを、生かすために、騙して、欺いて、病なんて無視して、戦を起こして、毛利と一緒に、鬼を騙して、西軍に引き入れて、徳川を倒すために、戦を有利に進めようとして、戦って、進軍して、体を蝕まれながらも生きて、道を示し続けて、時々、幸せそうに笑いながら、時折、悩みながら、隣にいたいと願って、でも嘘は暴かれて、白日のもとに晒されて、上手い具合に、被害を己だけに向くようにして、鬼の放った銛に、腹を貫かれて、臓腑をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」
 三成は嗤った。己を嘲笑った。
 何も知らなかったのだ。失うまで気づくこともしなかった。涙を流しながら、ただただ嗤った。明日など来なければいいのにと心の底から願った。
 沈み、また昇る太陽が憎かった。
 男はもういなかった。





「官兵衛」
 三成は部屋の真ん中に座っていた。
 昨夜は一日中嗤いながら泣いていたため、目が赤く腫れていた。けれど、視力はすっかりもとに戻ったようで、官兵衛の姿をしっかりと認識している。
「今日が最後か」
 三成は小さく嗤った。
 官兵衛は小さく頷いた。
 死に急ぐような三成を生かしてほしいと、権現が、鬼が、小姓達が言ってきた。普段、知性派を豪語している官兵衛はそれを受け入れた。
 彼は三成を恨んではいたが、死んで欲しいわけではなかった。まして、衰弱していく三成を放置しておくほど、官兵衛の良心は死んでいない。
 体だけではなく、心も死にかけていた三成を生かすために、官兵衛は少しずつ現実を教えた。
 今日は、全てを教える日だ。
 官兵衛は息を吸う。そして言葉を吐き出す。


「大谷吉継は、お前さんを、生かすために、騙して、欺いて、病なんて無視して、戦を起こして、毛利と一緒に、鬼を騙して、西軍に引き入れて、徳川を倒すために、戦を有利に進めようとして、戦って、進軍して、体を蝕まれながらも生きて、道を示し続けて、時々、幸せそうに笑いながら、時折、悩みながら、隣にいたいと願って、でも嘘は暴かれて、白日のもとに晒されて、上手い具合に、被害を己だけに向くようにして、鬼の放った銛に、腹を貫かれて、臓腑をぶちまけて、哀れにも、一人っきりで、死んだよ」


 三成は笑んでいた。
 涙を零しながら笑んでいた。
「……死んだんだ」
 官兵衛の声は震えていた。
 彼もまた、大谷の死を受け入れることができずにいた。
「そうか」
「ああ。死んだんだ」
「刑部」
「もういない」
「いないのか」
「そうだ」
 二人は静かに涙を零した。ここにはもういない、豊臣の残骸に思いを馳せるばかりだった。
「すまない」
 三成は今はもういない人間へ謝罪した。
 見捨てたわけではなかった。戸惑っていただけだった。信じられなかっただけだった。けれど、これほどの空漠が心を覆うのならば、何も考えず、彼の盾になればよかったと思うのだ。今さらであったとしても、そう思わずにはいられないのだ。
 その日は、官兵衛が三成のもとへやってくるようになって三十一日目。刑部が死んでから四十五日経った日だった。