小生は刑部も三成も嫌いだ。あと、毛利も。
 あいつらは小生のことを畜生かなんかだと思っている。いや、畜生ならまだマシかもしれん。下手をするとそれ以下。壊れた輿程度にして認識していないという可能性も十分にありえる。自分で言っていて悲しくなってくるが……。
 だから、いつかあいつらをぎゃふんと言わせてやろうと日々考えている。
 そのためにもまず、腕の自由を奪っている枷を外したい。鍵じゃ鍵。今は天下よりも鍵が欲しい。いや、天下も欲しい。
「刑部、刑部。貴様は、何処にも行くな。私を置いて逝くな」
「あい、わかっておる。我はここにおるゆえ」
「裏切るな。傍にいろ。いいか。ずっとだ」
 ――だが、こんな姿を見ていると胸が痛まないこともない。
 縋るような三成と、慈愛に満ちた瞳を持った刑部が目に映る。今夜もか、とため息がでる。見ることになるだろうとわかっていながらも、つい足を運んでしまう。
 小生が大阪に留まるようになってから、夜の散歩をするようになってから、こんな光景を見るのはほぼ毎日のことだ。三成は気づいていない。刑部は気づいているだろうが、何か言ってきたことはない。他言にしなければあちらも見て見ぬふりをしてくれるということだろう。
 そんな優しさよりも鍵をくれ。鍵を。
 それにしても、三成はあれでよく戦場を駆け回れるものだと思う。付き合わされている刑部は病持ちだし、軍師としての仕事も山のようにある。生きろと言っている奴が、寿命を縮めてりゃ世話ない。毛利辺りが遠まわしにそのことを告げているようだが、愚直の言葉が似合う三成がそれを正しく受け取ることはない。
 刑部は何も言わない。辛いとも、苦しいとも言いやしない。むしろ、三成が縋っている間は嬉しそうにさえしている。たぶん、気づいてないんだろうな。あいつら自身はきっと死ぬ直前まで気づかないようなことに、小生は気づいている。
 そこそこ長い付き合いだし、秀吉が死んだことは小生からしてみれば悲しみでも何でもない。あいつらよりも冷静にあいつらのことを見ていられるってだけの話だ。
 三成は元々、一つのことしか目に入らん。刑部は病を持ってから嘘を吐くのが上手くなった。自分のこともわからないなんて、小生からしてみれば阿呆の極みにしか見えんがな。そうだ。いつもは小生のことを阿呆だ役立たずだと罵倒するあいつらの方が、ずっとずっと阿呆だ。
 教えてやる気はない。言ったところで受け入れるとは思えん。三成なんかは抜刀しかねん。小生はまだ生きていたい。死にたくない。
「家康。家康。あいつだけは必ず斬滅する」
「そうよな。許しえるものではない」
 嘆きの次は憎悪。これもいつものことだ。秀吉に対する尊崇で動いていたかと思えば、次は権現に対する憎悪で動く。あいつはいつだって自分の力で動きやしない。優しく銀色の髪を梳いている刑部のために動くこともしない。
 死と死の行く末は末広がりとはよく言ったもんだ。これは刑部の言葉だったか?
 人が一人死ねば、そいつの血をひくはずだった人間が生まれない。それが未来永劫続けばそりゃ末が見えんほど広がるだろうな。死んだ人間が殺されたともなれば、恨み辛みは広がるばかり。死は連鎖していく。あいつからして見れば、戦なんぞ末が広がりっぱなしなんだろうな。んで、あの引きつった笑い声を上げるんだろうよ。ああ、耳にあの笑い声がこびりついてとれやしない。
 仮に三成が権現を殺したら、次は誰が三成を殺すんだろうな。いや、三成の前に刑部が殺されるかもしれん。あいつは人の恨みを買うのが上手いからな。
 黒い憎悪を肌に感じながら空を見上げる。あいも変わらず小生の勝利の星は見えん。
 このままずっとここにいたとして、小生はどうなるのだろうか。西海の鬼に殺されるか、再び穴倉行きか西軍の将として首を撥ねられるか……。どちらにしろ、碌な目には合いそうにない。ならば北条殿の所にでも逃げてやろうか。三成辺りは激怒しそうだが、そろそろ権現との決着をつけるため、大きな戦が始まる。その直前に逃げちまえば、追ってくることもできないだろう。
 あいつらには悪いが、正直なところ東軍に勝てるなんざぁ、小生には思えない。西軍はつぎはぎだ。見かけだけの軍と言ってもいいだろう。その上、総大将があの状態となれば、彗眼を持たぬ人間でも結果はわかりきっているだろ。
 負ける。それを明確に知っているのは毛利と刑部くらいのものか。毛利辺りは戦の最中に反旗を翻す程度のことはしそうだが……。さて、刑部はどうするつもりなのかねぇ。
 不幸を降らせるためならば西軍をも犠牲にするのか。それとも三成を楽にしてやりたいのか。あるいはその両方か? 後者に関しては無自覚だろうから、正確には計りかねる。気がつけば、もう少しは幸せになれるだろうにな。
 互いを何よりも大切にしてるなんて、羨ましい限りじゃないか。小生には自分よりも大切なものなんてないぞ。なあ、だからお前さん達は気づくべきなんだ。んで、戦いなんてとっとと止めちまえばいい。どっかの山奥でゆっくり養生すればいい。二人だけで、憎悪も不幸も忘れちまえ。
「今日はもう寝やれ。我が傍におる。安心せよ。主は我を信ずるであろ?」
「疑う余地など、ない……」
 でも、気づかないんだろ?
 小生が告げたところで、その言葉ごと否定しちまうんだろ?
 己の内にあるのは憎悪の不幸だけだと、お前さん達は信じているんだろ。それなら勝手にすればいいさ。今まで小生のことを虐めてきた奴らだ。不幸を背負ったまま死んだって構いやせん。ざまーみろと最後に言ってやる。
「三成」
 優しい声が夜に溶ける。
 そんな声が出るのに、どうして己に嘘を吐けるんだ。あんな声を聞いてるはずなのに、どうして気がつかないんだ。
 小生にはわからんね。わかりたくもない。だから、早く気がつけよ。戦いが終わる前に。もう後戻りはできないなんて、誰にも言わせないさ。こんな戦はやめちまえばいい。放って逃げちまえばいい。
 どうして、小生がこんな心配をしてやらにゃならんのかねぇ。
「主だけは――」
 やっぱり、北条殿の所へ行こう。心配するのにも、もう疲れた。
 枷は……まあ、どうにかなるだろう。東軍へ行っちまえば、刑部や三成、毛利に虐められることもなくなる。天下にだって近くなるやもしれん。
 重たい鉄球を引きずりながら考える。その思考の端に、あの二人の姿が消えなかった。


 そして、戦は終わった。
 やはり西軍は負けた。誰一人生き残らなかった。いや、長曾我部は途中で家康へ向けていた憎悪が見当違いなものと気づいたから生きている。西軍を裏切ろうとした毛利は死んだ。鬼に殺された。
 権現は三成の隣に腰を降ろしていた。フードを被って、泣いてるのかも知れん。あの二人は仲が良かった。よく刑部を交えて話合っていたのを見かけた。
 三成から少し離れたところに刑部の屍が転がっている。三成を庇って死んだらしい。あいつらしい、と思う。信じるのは、絆を掲げている権現くらいのものだろうけど、その行動は本当に刑部らしい。三成のために生き、三成のために死んだ。友情か愛情か。そこまでは知らん。野暮ってもんだろ。
「官兵衛……。終わったな」
「ああ、そうだな」
 声は震えているが、泣いてはいないようだ。東の総大将ともなれば、簡単には涙を見せるわけにはいかないってことだろう。
「ワシは、少し嬉しいのかもしれん」
「天下を手に入れられてか?」
「違うよ」
 フードの下にある瞳がわずかに見えた。いつもの輝きはないが、どこか穏やかだ。
「刑部は最期に三成を守った。三成は最期の時に刑部へ向けて謝罪の言葉を紡いでいた。
 二人の絆を見ることができた。ワシが、ワシが切ってしまった絆を、また見ることができて嬉しいのだ」
 それが忌まわしいのか。再び繋ぐために死ぬことしかできなかった二人の姿に、罪悪感があるのか。死しか与えられなかったことが悔しいのか。
 豊臣にいた餓鬼共ってのは、どうしてこうもややこしいんだろうな。泣きたいなら泣けばいい。好きなら好きと言えばいい。大切なら大切にすればいい。そんな簡単なこともできんから、こんなことになっちまったんだろうが。
 三成の隣に刑部の屍を運んでやる。最期の最期に互いしか見えてなかった奴らへ、せめてもの情けだ。
 穏やかな顔をしやがって。お前さん達は死んだんだぞ? わかってるのか? ああ、そっちへ逝けば秀吉も半兵衛もいるな。ならばそっちは極楽か。死んでようやく幸せになるのか。
 死と死の行く末が末広がりなら、死と死が合わさった先は幸せか? それならいいな。
 小生は結局、何もできない。今、目の前でうずくまっている餓鬼を抱き締めることもできない。碌な大人じゃないのさ。小生も秀吉も半兵衛も、どうしたら幸せになれるのかを教えてやることができないんだ。
「……官兵衛、泣いているのか?」
「そりゃ、お前さんだろうよ」
「そうか、泣いているのはワシか」
 どっちでもいいさ。もう時期、空から雨が降ってくる。それが全て流しちまうだろうさ。
 雨はきっと強い。周りの音さえもかき消す。だから、大声を上げたってかまわないぞ。さあ、泣け。心の底をぶちまけろ。好きも嫌いも、全部だ。