自分を庇った者の死体を、呆然と見下ろす。震える声で言葉を投げたところで返ってはこない。
腰に差した刀を握り、彼を殺した男の方へ居直る。しかし、肝心の男もすでに死体と化していた。この世に復讐するべき者はいないのだ。
「な、ぜ……だあああああ!」
残った虚無感を振り払うかのような咆哮。けれど、胸の隙間が埋まるはずもない。絶対的な者を失ったとき、三成はもう二度とこのような気持ちはごめんだと思った。同時に、このような気持ちを生み出した家康を憎んだ。
その結果がこれだ。
誰も、何も残らない。復讐を遂げた達成感もなければ、大切にしていた友人も失った。
「こんなことならば」
傍を離れなければよかった。いつも通りにしておけばよかった。そんな後悔ばかりが胸を突く。そう、いつもならば、戦場で離れ離れになったとしても、彼に何かあれば馬よりも速く駆け、はせ参じる心づもりであったはずだ。
けれど、この度の決戦ではそうしていなかった。
はやる気持ちが抑えられなかった。自分の知らぬところで動いていた彼に、一抹の不信感を抱いてしまっていた。彼が、三成にとって不利益なことをするはずがないと、今ならばわかるのに。
その証拠に彼は三成を庇って死んだ。
「認めないぞ……。私を置いて逝くなど!」
赤い涙が頬を伝う。何もなくなったこの世界で、三成はどう生きていけばいいのかわからない。優しく手をとり、引いてくれる者はもういないのだ。
「それが、自分の心を偽れなかった者の末路よ」
静かな声が辺りに響いた。冷静すぎるとも言えるその声色は、常人のものとは幾分も離れている。三成はそんな声色をしている者に覚えがあった。
「毛利。どういうことだ」
剣を抜き、毛利に向かって構える。痛いほどの殺気を向けられた毛利ではあったが、恐れる気配も見せず鼻で笑う。
「それを告げて、我に何の得があるのだ」
「貴様っ!」
刹那の時を駆け、毛利を切り刻まんとする太刀筋を、輪刀が受け止める。
「我が何を言おうと、そやつは死んだ。それは変わらん」
淡々と告げられた言葉に、三成は手にしていた刀を落とした。それを拾おうとして身を屈めるが、力の入らない体はそのまま地面に膝をつける。
「私は……どうすれば良かったのだ」
毛利からの答えなど期待していない。毛利も答える気はなかった。
どのような仮定を並べたところで、その道を歩むことはできない。怒りも憎しみも生み出すことのできない三成は、ひたすらに過去へ思いを馳せた。その時間は長く、もやのかかったような意識が現在へ戻ってきたとき、辺りはすっかり日が暮れていた。
夜の冷たい風が三成を撫でる。
「……寒いな。お前は体が弱いのだから、こんなところにいてはいけないだろう」
傍らに落ちていた刀を拾い、鞘に戻す。そしてゆらりと彼の死体の元へと足を進める。
「夢を見た。秀吉様と半兵衛様と、お前がいる夢だ」
死体に話しかける様子はとても穏やかなものだった。この光景を見ている者がいたならば、三成の穏やかさに目を見開いたことあろう。
「とても、幸せだった」
花見をして、川を渡り、紅葉を楽しみ、雪景色に目を向けた。戦の様子など欠片もない、穏やかすぎる日々を見た。夢はめまぐるしく情景を変えていく。穏やかな日常は戦乱へと変わり、人を切り捨て秀吉や半兵衛に褒められる幸福なものへと変化する。そこで夢は終わるのだ。
誰も死なず、三成は一人っきりにならない。
「まあ、夢などどうでもいい。ほら、早く行くぞ」
三成は彼の死体を担ぎあげ、ゆっくりと歩きだす。
「やはり冷え切っているではないか。私を待たずとも良いのだぞ」
ゆっくり、ゆっくりと足を進める。何も食わず、時折水を飲み、三成は再び歩きだす。背中の死体は腐臭を伴い、虫がわき始めていた。それでも三成は、まるで彼が生きているかのように話しかけるのだ。
天気の話、昔の話。戦の色を持たぬ言葉だけを紡ぎ続けた。
そうしてたどりついた。生命を感じさせぬ山。恐山に。
足を踏み入れただけで生気を根こそぎ吸い取られそうになるそこに、来る理由などたった一つしかない。
「南部。南部晴政」
「ワシを呼ぶのは誰ぞ。地獄の亡者かそれとも」
この地に住まう男、南部は感情のない表情で命の消えた岩山を降りる。傍から見れば南部の方が亡者に見えるだろう。
「私だ。石田三成だ」
「現の者がこの地へ何用か。背におる屍を落としにでも来たか」
三成は彼の死体をそっと降ろした。こまめに返られた包帯は美しさを保っているが、腐臭を隠すことはできない。この山へ入った途端に虫達は消えうせたが、もう幾日か外で放っておいてやれば立派な肥料となるだろう。
「この者を、呼び戻してくれ」
「ほう」
南部も三成のことは知っていた。敬愛する者を失い、生きながらにして亡者となった男。だが、三成は秀吉や半兵衛を呼び戻せとは言わなかった。
「わかっておるのか。呼び戻したところで、屍は屍。生者には成れぬ」
それは一重に、敬愛した者を半亡者として生かしたくなかったからなのだろう。
だとすれば、今横たわっている男は何なのか。
敬愛を上回る感情を向けられたのか、敬愛していないからこそ修羅の道を歩ませることができるのか。
「よかろう」
三成の目にわずかな光が宿る。
邪法を使い、光を取り戻すとは業の深い人間だと南部は思う。死体が呼び戻されたとき、彼はどのような顔をするのだろうか。
山の奥へと三成をいざなう。死体と共に香が充満した場所まで歩く。適当なところに死体をおかせ、南部はおどろおどろしい呪文を唱える。三成にはそれがどのような意味を持つのかはわからない。けれど、それがとてつもなく素晴らしいものに聞こえた。
「――こ、こは」
開くはずのない目蓋が開く。
「刑部! 刑部! この愚か者が! 私を残して逝くなど、許可していない!」
声を聞き、目を見て、三成は刑部の手を握る。ぐしゃりとした感触も気にはならない。
「三成? 我は何故、このようなところに」
痛覚も何もないのか、刑部は上半身を起こす。生きた人間ならば、今の体の状態で動けるはずがない。
「業の深い術よ。故に、制約も多い」
ポツリと南部が紡ぐ。彼の姿と、周りの風景から刑部は自分に何が起こったのかを察した。このような行動を三成にとらせてしまうほど、自分の行った行動というのは恐ろしいものだったのだとも知る。
「術はこの山でしか効かぬ。故に、どこにも行くことはまかりならん。
そして、その身はすでに朽ち始めておる。この山でもそうは持つまい。ゆるり、ゆるりと死にゆくだろう」
前半の言葉は耳を通りすぎるばかりだったが、後半の言葉はそうするわけにいかなかった。
「何だと! では、刑部は、また……また……」
手を握る力が強くなる。
「これ、三成。そう強く握るでない。我の身が持たぬゆえ」
「す、すまない」
慌てて手を離した三成に、刑部は以前と変わらない笑い声をあげながらよいよいと答える。
「なれば三成よ。我の身が朽ちぬ方法でも探すとしよう」
そのような方法があるはずがないと思いながらも、刑部は言葉を紡ぐ。今は三成が元気を取り戻しさえすればそれでいい。
刑部の身が朽ちるその日までに、今度こそ三成を納得させなければならない。そうでなければ三成は狂ってしまうだろう。これ以上の不幸を彼に与えるのは、何とも心が痛む話だ。だからこそ、刑部は誓った。
納得させることができぬのならば、次は共に。と。
END