何だかんだとあったものの、アクターレは今もちゃっかりと大統領の座についている。不満の声がないわけではないが、それほど多くないのも事実だ。
「ダメだ。みんなあいつに毒され始めているんだ……!」
 頭を抱えて悲痛な叫び声をあげたのは、前大統領の一人息子であるエミーゼルだ。いつか父のような立派な悪魔になりたいと考えていたエミーゼルは、今の魔界を憂えていた。何せ、アクターレはアホだ。アホに支配されている魔界など、ここくらいのものだろう。
 ただでさえ、人間界とのいざこざがあった後で消耗しているのだ。立派な指導者が必要なのだ。
「あいつに魔界を任せるなら、まだヴァルバトーゼの方がマシだよ」
 フェンリッヒが聞けば怒りそうなもの言いだが、本心だった。エミーゼルはヴァルバトーゼの傍にいることで多くのことを学ぶことができた。ただ、イワシを連呼している普段の姿を見ていると、あまり大統領に推したくないのも本心だ。
 結論として、やはり自分が大統領になるしかないと悟る。まだまだ若輩者の身ではあるが、このまま頭の痛い思いをし続けるのはごめんだ。決意を強くし、立ち上がったところにターゲットが現れる。
「あ、坊ちゃん! 何してるんですか?」
 エミーゼルと姿を視界に映すと、目をキラキラさせて近づいてくる。
「……なんでまだ坊ちゃんなんだよ」
 とりあえずはツッコミを入れておく。以前は大統領の息子であり、坊ちゃんと呼ばれてもおかしくない立場ではあったが、今は違う。ただの悪魔と変わらない立場にいる。
 経験上というわけではないが、成り上がった者というのは、今まで媚びていた相手を見下すのが常だ。
「え? そりゃあ……何ででしょう?」
 ヘラリとマヌケな笑みを浮かべる。
 怒声を上げようと思ったが、どのような言葉を向ければいいのかわからず、深いため息だけが吐き出された。
「お前、馬鹿だろ」
 知っていたことだが、改めて思い知ったので言葉にする。
「まあいいや。アクターレ、ボクと勝負しろ」
「勝負、ですか? いいですよー」
 案外あっさりと勝負に乗られたものの、エミーゼルは緊張して拳を強く握る。
 いくらアホでも、マヌケでも、それなりの実力は持っている。油断すれば命を取られるのはこちらだろう。
 本気で勝負をするつもりのエミーゼルに対し、アクターレは子供の遊びに付き合ってあげる感覚だった。適度に手加減をしつつ、抱き締めてから抱き上げてやろうなどと自分の中でシュミュレーションをする。
 二人は広場で向かい合う。アクターレは近距離攻撃を得意としているのに対し、エミーゼルは魔法を使った遠距離攻撃を得意としている。この差を上手く使えば勝てるはずだ。先手必勝と言わんばかりに、エミーゼルは魔法を繰り出す。
「おっと! 中々やりますね坊ちゃん!」
 だが、魔法は当たらない。
 素早い動きでアクターレは魔法を避け、エミーゼルに一歩ずつ着実に近づいてくる。
「嘘だ。こんなの、嘘だ……」
 力の差があるのはわかっていた。年齢差もあり、育ってきた環境も違う。それでも、戦いを重ねると同時に築き上げてきた自信があった。
「ほら、つかまえ――」
「うわあ!」
 目の前に現れたアクターレ。大きく広げられた腕に恐怖を感じた。
 生死をかけた勝負をしていた。だから殺されるのだろうと思ったのだ。
 とっさに腕を振り上げ、また降ろす。嫌な感触が手から全身へと這い上がる。
「……坊ちゃん、強いですね」
 目を見開き、口を振るわせる。言葉が出ない。
 エミーゼルが手にしている鎌は、アクターレの肩に食い込んでいた。
「よっと」
 力任せに鎌を抜くと、赤い血のついた鎌の先が目に映る。どこまで刺さっていたのだろうか。
「汚れちゃいましたね。拭いておきますねー」
 とこからか取り出したハンカチで鎌を拭く。血が拭き取られ、ハンカチが赤く染まる。何も言えないままのエミーゼルに笑みを向けて、平気ですよとアクターレは言った。
「じゃあ、オレ様は仕事してきますねー」
 仕事してたのかよ。という言葉もでない。頭がぼんやりとして、赤い血を忘れることができない。そんな中、視界からアクターレの姿が消えた。いつの間に、と思い視線を下げてみると、地面に倒れているのが見える。
 まともに動かない脳を働かせ、エミーゼルは現状を把握しようとする。
 目に映っているのは白いマントと、広がり続ける赤い染みだ。
「ア、アクターレ……?」
 返事はない。
 いくら悪魔とはいえ、あれほどの出血に耐えられるはずがないのだ。先ほどまでの言葉や行動は、格好をつけようとしていただけなのだろう。
「アクターレ! おい、目を開けろよ!」
 固く閉じられていた瞼がわずかに開かれる。まだ生きていることに安堵し、助けを呼ぶために声を張り上げる。
「……アク、タレオ」
 エミーゼルの手に、アクターレの手が重なる。
「兄ちゃんは、だい……じょうぶ、だぞ」
 優しく微笑む。
 いつものアホ面ではなく、慈悲のこもった笑みだ。
「おい。目を閉じるなよ馬鹿!」
 笑みを浮かべたまま、アクターレの瞼は再び閉じられた。
「どうした!」
「アクターレがっ!」
 駆けつけてきたヴァルバトーゼ達に連れられ、アクターレとエミーゼルは保健所へと急いだ。
「大丈夫ですよ。ちょっと出血が多かったくらいですから」
 保健所のヒーラーがエミーゼルへと告げる。心配されるほど青い顔をしていたのだと、始めて気がついた。
「それにしても、意外だな」
 フェンリッヒが言葉を投げる。
「お前のことだから、アクターレと大統領の座を賭けて勝負をしていたのだと思ったが……。
 それにしては、敵の心配をするなど、愚の骨頂だ」
 相変わらずの口調にも、エミーゼルは反論することができない。
 確かに、アクターレを殺そうとしていたはずだ。なのに、気がつけばその命を救っていた。
「……わかんねぇよ」
 ただ、あのような勝ち方は本意ではなかったし、いくら幼いエミーゼルが相手とはいえ、あのような行動にでたアクターレを見殺しにはできなかった。
「……アクタレオって、誰なんだろう」
 少しばかり気になった。自分のことを兄ちゃんと言っていた様子から、弟なのかもしれない。家族を大切にする習慣のない悪魔にしては珍しいことだが、アクターレならばありえるかもしれない。
 あのときの表情は、悪魔らしからぬ優しさを持っていた。
 アクターレはエミーゼルの向こうに、家族を見ていたのだ。それが、なぜか悔しかった。
「オレ達はもう行く。後は好きにするがいい」
 エミーゼルの心境を察したのか、ヴァルバトーゼがフェンリッヒを連れて立ち去る。
 眠るアクターレを見ながら、一人っきりになったエミーゼルは涙を流した。
「クソッ……。何なんだ」
 涙を拭う。父親に見捨てられたと思ったときでさえ、涙は流さなかったというのに、今流れてる理由がわからない。理由がわからないのに、涙は絶え間なく流れ続けている。
「……坊ちゃん?」
 声に顔を上げると、いまいち視点化定まらないアクターレの瞳が見えた。
「な、何で泣いているんですか! 大丈夫ですか? どこか怪我でも――」
「うるさい! 理由なんてわからないよ!」
 ようやく頭が働きだしたのか、慌てふためくアクターレに怒声を返す。
「……アクタレオって、誰だよ」
「え、なんで坊ちゃんがその名前を?」
 記憶にないのか、目を丸くしている。
 そんないつもどおりの間抜け面にまで腹がたった。目の前にいるのが、自分が傷つけてしまった元怪我人でなければ、ひ弱な拳を顔面のど真ん中にたたきつけていただろう。たとえ、それが大したダメージを与えてくれないとしてもだ。
「アクタレオは、オレの弟ですよ」
 そう言ったアクターレはやはり、知らない顔をしていた。
「別魔界にいるんですよ。母親と、三人の兄弟がそこにはいるんです。
 珍しいでしょ? 悪魔なのに家族が多いって」
 照れくさそうにしている顔も珍しい。このような顔もできるのかと思わず感心してしまったほどだ。
「お前は一緒に暮らさないのか」
 エミーゼルも悪魔にしては珍しく、父親のことを尊敬し、愛している。父親と離れて暮らすなど、ついこの間までは思いもよらなかったことだ。
「いやー。お袋は体が弱くて……。オレが仕送りをしてやらなきゃならないんですよ」
「だから、大統領に……?」
 普段の様子からは想像もつかないような裏側だった。このことを知っているのは、エミーゼルだけだろう。
「いえ、ダークヒーロー時代に稼いだ金があるので安心です!」
 エミーゼルは思わず椅子から転げ落ちた。
「なんだよ! なら一緒に暮らしてもいいじゃないか!
 こんなところで大統領やってないで、実家に帰ってやれよ!」
「そこが有名人の辛いところなんですよ。オレ様が実家に帰ると、たちまちテレビ局やら何やらが押し寄せてきて、お袋の体によくないんですよ」
 胸を張り、自慢するように語る。昔は人気だったと何度も聞いたことがあるが、それほどまでとは思っていなかった。むしろ、それらすべては虚言だと思っていた。普段の生活態度や言動を見る限り、カリスマ性があるとは思えないのだからしかたがないだろう。
 理由がわかったところで、家族と離れ離れになって生きていることに納得できない。エミーゼルは自らの意思で親元を離れているが、アクターレの兄弟はそうでないだろう。今も兄の帰りを待っているかもしれない。
「大丈夫ですよ。
 あいつら、オレ様に似てハートが強いですから」
 悪魔なのに、他人を信じているのだ。
「……お前、悪魔らしくねーな」
 不思議とそれが嬉しく感じた。


END