一人で人間界へやってきたフーカは、懐かしい匂いを胸一杯に吸いこむ。道路を見ると、通学中の男女が目に入る。ついこの間までは、フーカもあの輪の中にいたのだ。
ここは夢の中と、自分に言い聞かせてはいるが、少しばかり寂しさが渦巻く。
「……今日はただ遊びにきたわけじゃないんだから」
誰に言うでもなく呟き、道路に背を向ける。彼女の足は父親のいる研究所へと進んで行く。人間界への干渉を許さないヴァルバトーゼに内緒で、ここまできたのだ。連れ戻される前に目的を果たさなければならない。
ネモが消えて、悪魔を研究する資金やルートがなくなったため、以前ほど大きな施設ではない。傍目には極普通の一軒屋に見えなくもない。
インタンホーンを一度押す。高い音が耳に入ったが、懐かしいあの声が聞こえてくることはない。再びインターホンを押すが、反応は返ってこない。
「もー! あのクソ親父が!」
怒りに身を任せ、乱暴にドアを蹴る。何度も蹴っていると、ドアの向こう側から慌てたような声が聞こえてきた。
「おいおい。ドアが壊れちゃうだろ」
ドアが開けられたと同時に、フーカは男の腹に一撃喰らわせる。地獄で鍛え上げられたその力に、男は腹を抑えてその場に跪くことしかできなかった。うめき声を上げて崩れ落ちた父親を横目に、フーカは堂々と研究所の中へと足を踏み入れる。
辺りを見回してみるが、デスゼットの姿は見えない。
「あの子は?」
「あの子……? ああ、デスゼットか」
彼女ならば、今は別の研究所に出張しているよと答える。他の研究所に一体何の用があるというのだろうか。想像できることといえば、何らかの実験体として送り出されたか、サンプルとして受け渡されたかだ。
頭のネジの一本や二本は優に抜けている源十郎ならば、どれも行いそうなところが恐ろしい。
「真・バトルスーツの強度を計りに行っただけだよ」
フーカの思考を読んだのか、源十郎は優しく頭を撫でて言った。
「そう。まあちょうどいいわ」
愛用のバットを源十郎の喉元につきつける。殺傷能力があるわけではないが、彼女の強さは源十郎もよく知っているので、大人しく両腕を上げて降参のポーズを取る。
「パパは、アタシが死んでも悲しくなかったの?」
目をそらさずに、真っ直ぐ見つめる。
「なんだ。お前、自分は死んでないとか言ってなかったか?」
「そうよ! でも、いくら夢の中だからって、自分の娘が死んだのに悲しまない父親なんて、信じられない! 理由を言いなさい。理由を!」
ネモを追って人間界へきたとき、源十郎は笑っていた。フーカが死んだと思っていたにも関わらずだ。元々変な人だとは思っていたが、ここまでイカれているとは思ってもみなかった。フーカにも心がある。
いつもと変わらない父親を見て、悲しい気持ちや、悔しい気持ちが生まれていた。
「……パパの考えてることはよくわからないよ」
愛されていたというのは、デスコ達から聞かされた。自分のために彼女達を創ったということも本人の口から聞いた。だが、源十郎の考えはあまりにも突拍子もなく、本当の気持ちは実の娘であるフーカにも読むことができない。
「私はフーカのことが好きだよ」
バットを掴みながら穏やかな顔をして答える。
「パパは地獄や魔界があることを知ってたから、フーカはきっとそこにいると思ってた」
クローン悪魔を作り上げていた源十郎が魔界や地獄についての情報を得ていたとしても、何ら不思議ではない。そして、覚えがないとはいえ、世界征服を望み、親の財布からお金を盗んでいたフーカが天国に行けるとは思えない。
「最強のラスボスと、軍隊を作り上げたら迎えにいくつもりだったんだよ」
世界は何もここだけではない。この世界が滅ぶのならば、別の世界を征服してしまえばいい。
あっけらかんと答えられたその言葉に、フーカは目を丸くする。沈黙のあと、大きなため息をつく。やはり、この父親はまともな人間ではないようだ。
「大切なのはお前の肉体じゃないからな。大切なのは、お前を作り上げている魂だ」
幽霊でも頭を撫でてもらえて、抱き締めてもらえるようだ。父親の腕の中でフーカは静かに目を閉じる。
「って、納得できるかあああああ!」
腕を振りほどき、その勢いのままアッパーをお見舞いする。
「なんでええええええ」
地面に尻もちをついた父親を見下す。
「死んじゃっていいわけなーい! 大体、アタシが本格的なプリニーになっちゃってたらどうするつもりだったのよ!」
「プリニーが世界征服したっていいじゃないか」
「そういう話をしてるんじゃないの!」
声を上げて口論をしていると、ドアが開いた音がした。
「あんたパパになにやってんのよ!」
見れば、デスゼットが立っている。最愛の父親を守るため、フーカとの間に立ちふさがり、威嚇をしてくる。
「どきなさいよ!」
「イヤよ! パパを虐めるなんてサイテー」
二人の娘の姿を眺めながら、源十郎は深く頷く。
「うんうん。仲良きことは美しきかな」
「誰がこんな奴と!」
「パパ!」
END
―――――
最強のラスボスを創るために、心身を削るのは苦ではない。いや、苦とすら感じない。むしろ充実だ。
フーカの喜ぶ顔が見たい。アイツが死んでしまってから、フーカもあまり笑わなくなってしまったからなぁ……。こう、もっと笑って欲しいんだけどなぁ。お小遣いだってちゃんとあげてるんだけどなぁ。
「パパ」
声が聞こえた。ここにくるのは、ネモとかいう男か、デスゼットくらいのものだ。
「どうしたんだい?」
振り返れば赤い液体を滴らせたデスゼットがいた。その顔は満面の笑みで、手には胸の辺りが真っ赤なところを除けば、綺麗な肉の塊を持っている。似合わない二つに思わず目を奪われた。
デスゼットが持っている肉は、フーカじゃないのか。そういえば、今日辺りに着替えを持ってくると言っていなかっただろうか。
ゆっくりとデスゼットに近づく。嬉しそうな顔をしていた。
「パパ。アタシはパパの唯一の娘よ」
肉の塊から手を離し、私に抱きついてくる。小さなその背中に腕を回しながら、放り出された肉の塊を凝視する。ああ、やはりフーカだ。母親譲りの長く美しい髪を、私が見間違えるはずない。
表情は見えないが、これから一生あれは変わることがないのだろう。
「アタシ、パパの言うことちゃんと聞くわ。パパに愛されるためだもの」
この子は最高だ。自分のために他を蹴り落とすこの精神は、ラスボスとして必要不可欠なものだろう。
「そうか。期待してるぞデスゼット」
「はい!」
大丈夫だフーカ。
きっとお前は地獄に堕ちているだろうから、私がちゃんと迎えにいってあげよう。最高のラスボスと軍隊を連れて。
END