最初に目覚めたとき、自分は何を思っていただろう。
 フラウィはふとした瞬間にそんなことを考える。
「――全部、お前さんの仕業なんだろ?」
 眼前にいる小柄なスケルトンは、何かを懇願するような顔でフラウィを見つめていた。
 おそらく、彼が欲しいのは肯定でなく否定だ。
「そうだよ」
 何を求められているのか知っていてなお、フラウィは残酷な真実を口にする。
 適当な嘘で誤魔化してやるルートは既に踏破済みだ。無論、真実を告げるルートも何十回とこなしてきた。比較して、後者の方がより面白いと思うからこちらを選んだに過ぎない。何の感慨もわかない選択肢だ。
「ボクが元凶さ。
 時空を歪めた。戻るも進むも終わるもぜーんぶボクの思い通り」
 小さな葉を揺らしながら嘲笑ってやれば、サンズの左目が黄と青に輝く。嫌な思い出が詰まった色合いだが、それすらフラウィは見飽きてしまっている。
 あの色を携えた彼に何十、何百と殺されたのは遠い昔の話だ。
「何が、目的なんだ」
「目的? 面白いことを聞くね」
 昔はそんなものも持っていた。
 得るもの、知りたいこと、見たいもの。
「そんなものはないよ」
 全て得た。知った。見た。
 わかるでしょ、とフラウィは目を眇める。
「キミが計測してるだけで何百回?
 ボクは気づかれるよりも前から同じ時間を繰り返してる」
 気が狂うほどのリセットとスタート。ソウルのない存在だからこそ全てのルートを、わずかな変化を確かめるために動き続けることができた。
 ある意味では幸いだっただろう。非情になることができなければ、死と変化のない退屈な時間を天秤にかけることになる。
 無為な時間を過ごすことを生と呼んでもいいか。それを生きたままの死というのであれば、フラウィには死の選択肢しか残されていなかったことになる。
「じゃあ何で……」
 サンズは辛そうな顔をして問いかける。
 この光景も何十回と見てきた。
「オイラ達、うまくやってたじゃないか」
「今回はね」
 一つ前の時間軸では初めから敵として対峙した。その前は仲良しのまま終わらせた。そのまた前は関わりあうことすらなかった。その前は、前は。どれもこれも幾度となく繰り返してきた道だ。
 喜ぶ顔も、苦痛に歪む顔も、怒りに震える顔も見た。
「ずいぶん前の時間軸ではキミにすっごく苦労させられたんだ。
 色んなルートを試してはリセットさせられた。
 まあ、今ではキミのいなし方もバッチリだから問題ないけど」
 初めてサンズを敵に回したときのことは、忌々しいことに今でもフラウィの記憶にこびりついて離れない。
 体力も攻撃力もゴミ。そう油断していた彼をサンズは圧倒した。どれ程に脆いモンスターであったとしても、攻撃が当たらなければ意味がない。おかしい、こんなはずでは、と焦っている間に与えられるたった一のダメージはフラウィが殺してきたモンスターの怨念によって継続的なものへと変化していた。
 卑怯だぞ、と叫んだとき、こちらを見ていたにやけ面が忘れられない。繰り返し、諦めて、リセットして、別のルートを行き、また殺し合い、繰り返しを続け、ようやく難なくサンズを殺せるようになった。あの瞬間の快感もまた、フラウィの中で薄れぬ記憶として残っている。
「懐かしかったよ。キミと出会って何十回目かまでの、本当にキミと仲良くなりたいって思っていた頃のことを思い出せた。
 いなくなった博士の分もと頑張るキミがボクの話を真摯に聞いてくれて、失った感情を取り戻すために努力してくれた。
 あぁ、もっとも、あの時はまだ時間軸が狂ってることに気づいてなかったから、今のキミよりもずっとずっと精力的に動いてくれていたけどね」
 暗いサンズの瞳がフラウィを写している。
 かつての輝きはとうに消えてしまっていた。
「研究の傍ら、誰だったっけ。誰かが時間軸の狂いを見つけた。
 キミはとっさに緘口令を敷いた。特に、アマルガムのことで精一杯になってるアルフィーには伝わらないように」
 今回も、その前も、同じようにサンズは動いていた。フラウィが積極的に介入しない場合、この流れに変化はない。幾度となく傍観者としてその光景を眺めていたフラウィはよく知っている。
「英断だよ。キミはよくやった。
 ボクが緘口令をアルフィーに時間軸の歪みを教えてあげたときなんて、そりゃもう酷かったもの」
 過去を振り返ってやれば、サンズの口から軋んだ音が聞こえてきた。そのまま顎も歯も砕けてしまえ、とフラウィは胸中で吐き捨てる。そうなってしまった彼は見たことがない。ここで新しい展開があってもいいではないか。
「彼女、抱えきれなくて壊れたよ。
 アマルガムを引き連れてマグマに落ちていったり、ラボから出てこなくなって死んだり、一日中モニターを見つめるだけになったり。
 伝え方や周囲のモンスターによってそれぞれだったけど、彼女が死ぬことに変わりはなかった」
 ただでさえ、抱え込んだ秘密と罪の重さで苦しみ続けているアルフィーだ。時間軸の異常とそこに付随する絶望に耐えられるわけがない。仲間やサンズがどれだけ多くの言葉を彼女に贈ったところで、心の奥底にまでは届かない。
 死に逝くアルフィーを見つめることしかできないサンズの表情は実に愉快だった。
「――でも、キミもそんなに変わらないか」
 笑みを消し、冷たい目をサンズへ向ける。
「時間軸の歪みを受けない地点で回数を計測して。
 何十、何百の数字を見て、たくさんのエンディングを知って、キミも壊れた」
 原因を追究しようと必死にデータと向き合っていたスケルトンはもういない。
 立ち去る仲間の背中を悲しげに見つめていた研究員はもういない。
 何かを満足させてやろうと苦心していたサンズはもういない。
「諦めて、アルフィーを置いて出て行って。
 自分は弟とせめて今の時間を楽しんで」
 ある時点から先、サンズは全てを諦めた。増え続ける数字。終わらぬ時間軸の異常。自分ではどうにもできないという無力感。
 希望を失った彼は、弟の手を引いてラボから逃げた。
 アルフィーとは最低限の連絡を取り、必要があれば協力もしてやっているようだが、積極的に関わろうとはせず、時間軸の異常を受け付けない地点に家を構えていながら計測以外にそこを使用することはない。
 表面上はにやけ面を貼り付け、怠惰なスケルトンを演じた。流れに身を任せ、つかの間の平穏を受け止めるだけに留める。真実を知ってしまったモンスターの哀れな末路だ。
「最低だね」
「お前さんがそれを、言うのか!」
 サンズが手を挙げれば地中から骨が生えてくる。
 このタイミングで攻撃がくることを知っていたフラウィは難なくソレを避け、別の位置から顔を出す。表情は笑み。大嫌いで憎たらしいスケルトンの怒りや憎しみの感情は何度味わっても悪い気はしないものだった。
「繰り返し、繰り返し……!
 この記憶だって、どうせリセットされるんだろ!」
「そうだよ。良かったじゃない。
 弟が死んだ事実がなくなって」
「くそったれ!」
 連続攻撃。青い骨も混ざっており、ノーダメージでやり過ごすには難しい配置だ。
 無論、何百の経験を持つフラウィには造作もない攻撃だが。
「可哀想に。ボクを信じて、友達になって、後ろから殺されるなんて!」
 甲高い笑いが廊下にこだまする。悪魔の鳴き声であると言われたとして、誰もそれを疑わないだろう。
「いつだってそうさ!
 あいつは! パピルスは大馬鹿さ。
 知ってるかい? キミが彼を救うことに成功したルートでさえ、あいつはボクを殺せない! 殺意を向けることすらできない!
 兄貴思いの弟を持って幸せだねぇ!」
「そうだな。オレは幸せもんだよ。
 あいつは、パピルスは、こんな汚い感情を持たなくていい」
 他を信じ、全てを受け入れる度量を持つパピルスはフラウィを傷つけない。寂しいと言えばファンクラブを作ってくれ、楽しくないと言えばスノーフル中をつれまわしてくれる。
 つまらなく広大でちっぽけなこの世界の中で、フラウィが最も長く付き合ってきたモンスターだ。
 それでも、ソウルを持たぬ彼は殺してしまえる。思い出と情は直結しない。新しいルートのためならば、あの信用だけを浮かべた目を何度だって潰してしまえる。
「キミは多くのルートでそこにいる。
 弟を見殺しにしてね!」
 フラウィが蔦を伸ばし、サンズへ攻撃をしかける。だが、彼は近道を使い、うまく蔦を避けて攻撃を繰り出してきた。
「素敵じゃないか! 何がリアルスターだ! 大切な兄弟だ!
 いつだって守りきれず、殺してきたくせに!」
「違う!」
 ブラスターが展開され、フラウィに降り注ぐ。
 素早く地中にもぐることでソレを回避。
 サンズは重力操作という攻撃手段も持ちえているのだが、その魔法は相手のソウルに干渉することで効力を発揮する。ソウルを失った生き物であるフラウィには意味を持たぬものだ。
「オレは、オレはただ」
「任せてくれって言ったパピルスを信じた?
 ボクがあいつを殺すルートがあるって知ってたくせに?」
 灰の山を見て悲しみに暮れ、家から出ることなくリセットを願っていたのはいつまでの時間軸だったか。いつからかサンズは復讐者となった。繰り返される弟の死に、怠け者がその皮を脱ぎ捨てたのだ。
 後々に加害者を殺すくらいならば、初めから守ってやれ、と告げたのは何十回だったか。大抵の場合、愚直なパピルスの言葉と行動力に押され、サンズは止めることすらできないと知っている。ただ、守れなかった事実を突きつけてやれば、サンズは面白いくらいに壊れ始めるからやめられない。
「お前に何がわかる!」
 精密性の欠片もないブラスターの乱射。
 常に物事を冷めた目で見ているサンズらしからぬ攻撃だ。否、彼は冷静なわけではない。ただ、全てを諦め、受け入れているだけ。この世の無常を知っている彼の心はその体と同じく脆い。少し突けばひび割れる。
「わかるさ」
 攻撃の全てを避け、蔦でちょっかいをかけながらフラウィは言う。
「だって見てきたもの」
 優しささえ滲み出ているようなその声に、サンズの攻撃が止まる。
 彼は今もなお絶望という深い深い闇の底に落ちつつある瞳をしていた。フラウィはその瞳が好きだ。絶望に底などないのだ、ということを自分以外にも知っている存在がいるというのは喜ばしい。
「パピルスだけは助けてくれ、ってボクに懇願してきた。骨を少しずつ、少しずつ折って、潰してやってもお前は言葉を撤回しなかった。
 真実を知って、耐え切れなくなってパピルスに全てを話し懺悔したところも見た。あいつは全てを受け止めてくれてたよ。
 絶望から少しでもパピルスを遠ざけたくて、自ら離れて行ったお前も見た。光を失い、狂っていく様は見事だったよ!」
「……お前さんは、それでも」
「それでもパピルスを殺した」
 先にある絶望のおぞましさを知っているからこそ、殺したのだ。
「絶望したキミが見たくてね」
「オレの」
「そう。キミがいなけりゃ、あんなにパピルスを殺すこともなかったよ」
 にやけ面を潰す方法はとても少ない。
 サンズを殺すか、パピルスを殺すかの二択。
 他のモンスターをどれだけ殺したとしても、サンズはパピルスの心を守るために仮面をつけ続ける。自身が壊れるその寸前まで、彼のにやけ面は崩れることがないのだ。
「ハハ、素晴らしいアイディアでしょ?」
 殺す瞬間の表情よりも、愛する弟を殺された後に待つ表情の方がずっと長く楽しめる。経験則としてフラウィはそのことを知っていた。
「一つ、良いことを教えてあげる」
 醜い笑い声を引っ込めてフラウィは目を細める。
「今回のリセットで終わりにするつもりなんだ」
 心を深い闇の底へ落としつつあるサンズは緩慢にフラウィを見た。言葉の意味を理解できていないようだ。
「もう飽きちゃったからね。
 全ての本を見て燃やした。
 みんなを助けて、殺した。
 全てのルート、全ての台詞。細かな全てのアイテムまで見つけた」
 今更、何を見たところで新たな発見はない。想定外の行動を多くとるパピルスの次の台詞さえ、今のフラウィであれば簡単に当てることができてしまう。
 退屈なゲームをわざわざプレイしようとは思わない。
「だから、もうボクは介入しない。
 何にも、誰にも、ね。
 キミはリセットに怯えてこの閉鎖された世界を生きればいい」
 果たして、それは幸福足りえるのか。
 その答えだけはフラウィも持ちえぬものだ。
「ボクがいれば地上に出ることもできただろうけど、ボクの協力なしに地上へはいけない。
 かといって、ボクが何もしないんだから誰かが無闇に死ぬこともない。
 わお! 素晴らしい世界だね!」
 過去、フラウィは皆と地上の世界を見た。美しい景色。澄んだ空気。広い世界。どれもこれも素晴らしくて、くそったれだった。
 周囲のモンスター達が歓喜しようとも、目を輝かせようとも、フラウィはその気持ちを共有することができない。
 自分も欲しているその感情。ただそれが欲しくて頑張っていたのに、得られない報酬。こちらの気持ちに欠片も気づかぬモンスター共が憎くてたまらなかった。
 あんなハッピーエンドを享受させ続けてやる義理はない。
 細かな台詞やアイテムを見るために幾度となく地上の世界までは行ったけれど、外の風景を見ると同時にリセットをし続けてきた。
「諦めるのが得意なスケルトン。
 キミはいつまでそのにやけ面を続ける?
 疑心暗鬼が爆発するのを楽しみにしているよ」
 サンズが息を呑む。
 同時に彼の胸へ突き刺さる一本の太い蔦。
「――は、け、っきょく、こう、か」
 一度目を見開いてからゆっくりと閉じる。
 こんな時でも彼は諦めることが得意らしい。
「オレも、お前さん、を」
「信じていた、でしょ?」
 壊れた笑みを浮かべ、サンズは灰になる。
 目の前に落ちた、やや粘着質な白い粉を見つめ、フラウィはため息をついた。
「五十三回は聞いたよ。その台詞」
 所詮、彼はパピルスの兄だ。
 どれだけ頭が良くとも、観察眼があれども、何度か友達として接してきた時間軸の証拠がある限り、彼はフラウィを諦めきれない。ほんの少し、何かきっかけさえあれば、いつかの時のように友達として在れるのではないか。
 そんな愚かしい幻想を抱いてやまないのだ。
「さようなら。クソ野郎」
 フラウィはリセットボタンを心の中で押す。
 全ては振り出しに。まだ、サンズが時間軸の異常を知らぬ地点へと戻る。
 これからはただ見守るだけの時間。地下世界が緩やかに崩壊するか、モンスター達が地上へ這い出すか。長い長い、気が遠くなるような、それでもフラウィが経験してきた時間よりも幾分かは短いであろう時間をこれからぼんやりと過ごすことになる。
「ボクも生きることを諦めれたら良かったのにねぇ」
 そう言って地中へ戻った彼は先の未来で想定外に出会うことになる。
 落ちてきた七番目のニンゲン。リセットとロード、セーブの権利を彼から奪うニンゲン。フリスクと。

END