冒険家でもあるワリオは、家を空けることが多い。期間は長短様々であり、帰ってきたときには家中が薄っすらと白くなっていることもあった。もとより清潔とは言い難い家だが、生活感のある汚れとない汚れではかなりの差がある。
 いつの間にか住み着いていた虫を、埃やゴミと一緒に払い、生活するために必要なスペースを作り出す。ゴミの上で生活することに抵抗はないのだが、凹凸のある床よりも平らな床の方がいくぶんか生活しやすいというだけの理由だ。
 外と内を行き来する生活はそれ程悪くはない。幼馴染であり、ライバルでもある男だって似たような生活をしている。違いがあるとすれば、行動理由と、家で待ってくれている人物がいる、ということだろう。
 マリオには双子の弟がいる。兄ほど有能で存在感のある人物ではないが、家事全般が得意な男だ。また、誰よりもマリオのことを案じ、信頼している。ワリオからしてみれば、家に帰って誰かが出迎えてくれるなど、想像もつかないような光景だ。
 羨ましいとは全く思わなかったが、楽しそうで幸せそうな二人を見ていると、それなりに興味がわいたこともある。だが、全ては過去の話だ。
「ただいまっと」
 ワリオは自宅に帰ってきたときに、ただいまを言うようになった。言葉を返してくれる人物ができたからだ。いつの頃からか忘れてしまうほど、今ではそれが当然になっている。
 時には何も告げず、置手紙すらない状態で冒険に出てしまうワリオを待ってくれる人ができた。女性であったのならば、麗しいラブロマンスにでもなったかもしれない。ワリオもあまり自覚はないとはいえ、一部の女性からは好かれているのでそれもありえない話ではなかっただろう。
 だが、現実には彼の家に女性の姿はない。
「あ? ワルイージのやつ、今日はこねぇなぁ」
 共に暮らし、ワリオの帰りを待っているのは、悪戯仲間であるワルイージだ。マリオ達とは違い、兄弟でもなんでもない赤の他人だが、気が合っているということもあり同居を始めたのだ。幸いというべきか、ワリオの家はワルイージを置いておくことができるくらいには広かった。
 あっちこっちと出歩くワリオと違い、ワルイージはあまり遠出することがない。出不精なのではなく、考えてから動く節のある男なので、旅に出るにしても綿密な計画を立ててからでないと動かないというだけの話だ。
 そんな彼なので、いつもならば、ワリオが帰ってくると同時に玄関の辺りまで足を運んでくる。大声を意識しておらずとも、ワリオの声は家中に響くのだ。ワルイージがトレーニングに励んでいたとしても、すぐに向かえに来るのだ。だが、今回はそうではなかった。
 ワリオは頭を掻きながら、綺麗な廊下を歩く。
 得意とまではいかないが、ワルイージは家事ができた。そのため、彼が同居するようになってからは、ワリオハウスもそこそこの清潔さを保つようになっている。
「まだ寝てんのか?」
 そう呟いてはみたものの、太陽は真上を過ぎている時間だ。規則正しい生活をしているワルイージに限ってそれはないだろう。
 候補としては、買い物に行っているだとか、遊びに行っているだとか、いくつでも挙げることができる。互いに行動を制限しているわけではない。ワリオが冒険に出て行くのと同じように、ワルイージがそれをする権利は十二分にある。
 だが、今まで一度もそれらがなされていたことはなかった。ワリオが帰宅する日がわかっているかのように、ワルイージはいつでも彼を出迎えてくれていたのだ。
 ワルイージと共に住む前ならば、出迎えがないことなど当たり前だった。彼以外に住んでいる者はいなかったのだから。しかし、根付いてしまったいつも通りがなくなると、どうしようもない違和感を覚えてしまう。
 むずむずとした感覚を振り払うように、ワリオはワルイージの部屋へと足を進める。寝ているのならばからかってやろう。部屋にいないのであれば、何か悪戯をしてやろう。出迎えなかった罰だ。
「ん?」
 足を進め、ワリオは気づいた。
 ワルイージの部屋から物音がする。バタバタとした音は、クローゼットを開け閉めしている音だろう。
「何だ。いるんじゃねぇか」
 泥棒がいるという考えはない。出迎えがなかったことには疑問を感じるが、ワルイージがそこいらの泥棒にやられるとは思えないし、彼が戸締りを怠るとも思えない。
「帰ったぞ」
 ノックももなしに、ワリオは扉を開けた。かろうじて声が出ていたが、言葉を終えると同時に扉は開き切っていたので、あまり意味はなかった。
「ちょっ。一言、確認してから開けろって」
 非難の声をあげたのはワルイージだ。起きたばかりのようで、髪の毛は跳ねているし、半分ほどパジャマだ。ワリオの声を聞いて慌てて服を着替えていたらしい。
 ワリオは眉を寄せる。
 こんな時間まで寝ていたことを咎めるつもりはない。出迎えにこなかったことも同様だ。一言くらい謝罪の言葉があってもよいのではないかと言うかもしれないが、心の底から怒るような事柄ではない。
 ワルイージは雇われのメイドでも何でもないのだ。寝起きのマヌケな姿をワリオに見せることもあるだろう。今まで一度も見せたことがない姿だったとしてもだ。
「てめぇ、熱あるだろ」
「なーに言ってんだよ、兄貴。
 オレが熱? そんなわけないだろぉ?」
 肩をすくめてみせる。口調も軽く、何も知らぬ人間からすれば、健康体に見えなくもないかもしれない。だが、ワリオの目を誤魔化すことはできない。伊達に同居しているわけではないのだ。
 ワルイージの頬は紅潮しており、額には汗が滲んでいる。耳をすませば、彼の呼吸が荒いこともわかる。どの程度の具合の悪さなのかまではわからないが、平常時とは違うことだけはハッキリとしている。
「嘘ついてんじゃねーよ。
 ほれ。寝てろ」
 力強くワルイージの手首を掴む。できるのならば、首根っこを掴むのだが、残念ながら彼とワリオでは身長差がありすぎた。ワリオは乱暴にワルイージを放り投げた。縦には長いが、全体的に細いワルイージの体は軽い。ワリオの力ならば簡単に投げ捨てることができた。ただ、病人に対する行為にしては些か無体がすぎるといえただろうけれど。
 マットの上に着地したワルイージの体は軽く跳ね、かけ布団の上に収まる。
「なーにすんだよぉ」
 目を細くし、口先を尖らせて言う。不満を顔いっぱいで表現しているが、ワリオはそれを黙殺する。
「とりあえず寝とけ。オレ様は病人の看病なんてしたことないからな」
 何を食べさせればいいのか。何をしてやればいいのか。何もわからない。ひとまず、寝ていた方がいいということだけは知っていた。
 ワリオはベッドの上にいるワルイージを一瞥し、視線だけで無理に起き上がることのないように念押しをし、彼の部屋を後にする。
「ったく……」
 軽くぼやき、とんと使っていないキッチンへと向かう。何か食べさせた方がいいだろうが、長い冒険の後だ。冷蔵庫の中に何が入っているのかも知らない。第一、病人に食べさせるような料理など作れない。想像だってできない。
 ため息をつきながら冷蔵庫を開けた。中に入っているのは、肉やにんにくの類だ。どれもワリオの好物であり、彼が帰宅してきた際にはワルイージが調理してくれるものだ。いつ帰ってきてもいいように用意されているのか、ワリオが帰ってくる日がわかっているのか。おそらくは前者なのだろう。見かけによらずマメな男なのだ。
「にんにくでも食わせてみるか」
 塊を一つ手に取る。ワリオの感覚からすれば、にんにくを食べれば万事解決だ。問題としては、その感覚が万人共通のものではないことだろう。
 軽く手の中で遊ばせながら、再びワルイージのもとへと向かう。よくはわからないが、酷いようならば医者を呼んだ方がいいかもしれない。
「おい、飯食えるか?」
「流石に、にんにくの丸齧りは、キツイぜぇ」
 ワリオの手にあるにんにくを見て、思わず苦笑いをする。体調不良を隠すことを諦めたのか、ワルイージの息は先ほどよりも荒い。吐き出された呼気が見えるようだ。
「……悪ぃねぇ」
 弱々しい声だ。熱のせいだけではないだろう。
「あ? 何がだ?」
「せっかく帰ってきたってのに、飯の一つも作れねぇでさ」
 ワルイージは目を閉じる。疲れているのだろう。熱は体力を奪う。
 目蓋の裏には、先ほどのワリオが映っていた。何事にも豪快で、竹を割ったような彼が静かに眉を寄せる姿など、ワルイージは見たことがなかった。
 怒っている。ワルイージは直感的にそう感じた。
 大人しく布団に潜った彼は、何故ワリオが怒っていたのかを考えていた。出た結論は、出迎えることも、飯を作ることもできなかった己の不甲斐なさだった。
 家政婦のつもりでワリオハウスにいるわけではない。だが、何の得にもならぬような存在を置いておく程、ワリオは優しい人間ではないだろう。
 使えぬ男だと思われたのかもしれない。そう考えるだけで、ワルイージは憂鬱になる。謝罪は早いに越したことはないはずだ。
「馬鹿野郎」
 静かな声だった。いつもの大声はどこに消えてしまったのだろうか。
 感情をぐっと堪えたような声は、ワリオらしくない。
「熱が出ようが、出迎えがなかろうが、飯の用意ができなかろうが、どうだっていいんだよ」
「……そっか」
 熱で弱った心は、ワリオの言葉をネガティブに捉える。まるで必要ないと言われたような気さえした。
 半ば無理矢理に押しかけた身だ。一人でも生きていけるワリオにとって、ワルイージの提案など、悪くはないが良くもない、どうでもいいものだったのだろう。まだ、家政婦のように思われていた方がマシだったのかもしれない。
 怒られていたのではなく、呆れられていたのかと、心の内にしまいこんで息を吐き出す。胸の内に生まれたモヤも吐き出してしまいたい。
「隠してんじゃねぇよ」
「ふぇ?」
 ワルイージは驚きのあまり、目を開けた。
 驚くに足りるほど優しい声だったのだ。あのワリオの、優しい声など始めて聞いた。
「苦しいのを隠されてる方がずっと腹がたつ」
 ワリオはワルイージの頭をくしゃりと撫でる。
 大きく、皮の厚い手は軽く触れられているだけでも力強さを感じることができた。手が離れても、温もりが頭に残っているようだ。
「オレ達は兄弟じゃねぇ」
 だけど、とワリオは目を細めた。
「他人でもねぇだろ」
 こんな顔もするのか。ワルイージは心の中で呟く。
 豪快に笑うのでもなく、いやらしく笑うのでもなく、優しく笑うこともできるのか。まるで、どこかのヒーローのようだ。
「……あぁ」
 ワルイージも小さく笑った。
 熱とはまた違った暖かさが体中に染み渡る。おそらく、この感覚を幸せだというのだろう。

END