派閥の任務が舞いこんできたのは、勉強漬けの毎日にマグナが泣き言を口にし始めたときのことだった。
「外道召喚師の討伐?」
 確かに蒼の派閥は今までにも外道召喚師を討伐してきている。だが、脅威と感じなければ放置しておくことの方が多い。派閥が動くのは、それこそ一つの町が揺れ動くような自体だとか、一般人に召喚術を教えている元凶を捕まえるだとかいったときだ。
 だが、今回の任務で討伐する外道召喚師はそのどれにも当てはまらない。人数もさほどおらず、金目的で召喚術を売りさばいているような連中に繋がるものもない。言い方は悪いが、放置しても被害は小さなものがいくつか生まれるだけだ。
「怪しいなぁ。
 おい、またおかしなことに巻きこまれるんじゃねぇだろうなぁ」
 バルレルが任務が書かれた書状を覗き込みながら言う。
 彼の主人であるマグナが始めて課せられた任務の道中でどれほどの厄介に巻き込まれたのかは、今さら口にする必要もない。悪魔としてはアレはアレで楽しめたのだが、後ろに控えていた存在が面倒すぎた。一歩間違わずとも死ぬ危険性が十二分にあったのだ。いくら楽しめたとしても、もう二度とごめんだ。
「心配いらないよ。これはキミに甘い養父さんからのプレゼントだからね」
 任務を受け取ってきたネスティは肩をすくめながら言った。
「師範が?」
 対するマグナは首を傾げた。
 面倒を見てもらった記憶はあるが、ラウルが特別自分に甘かったという感覚はない。あの人は誰にでも平等に優しさを与えてくれるような人だった。
「最近、キミは勉強を頑張っているからね」
 口ではそう言いつつも、裏にはマグナが勉強に飽き始めていることを案じている、という言葉が見え隠れしている。
 元より、マグナは体を動かしている方が性にあっているのだ。椅子に座って真面目にお勉強、という性格ではない。そのことをラウルもよく知っているのだ。だからこそ、こうして堂々と体を動かすことのできる任務を与えてくれた、というわけだ。
 勿論、安全な任務というわけではないが、メルギトスとも戦ったことのあるマグナ達が遅れをとるようなものでもない。
「そっか。
 じゃあ、みんなにも言ってくるよ!」
 嬉しそうに笑みを浮かべ、マグナは部屋を出る。彼と同じくギブソン邸に身を寄せている面々に伝えるためだ。彼らはマグナとは違い、時折町の外へ行って盗賊退治をするなどして食費を稼いできているので、特に体を動かしたいという欲求はない。だが、たまの休日を得ることができなマグナにきっと付き合ってくれるだろう。
 簡単な任務ということもあり、ピクニック気分で赴くのも悪くはない。
 いつもならば任務と遊びは違う、と怒鳴るネスティだが、今回は養父の思いを尊重してか、呆れたように笑うだけで怒りはしなかった。
「けけけ。あいつ、久々すぎてヘマしかねねぇぞ」
 マグナの背を見送ったバルレルが笑う。
 しかし、彼も何処か浮かれた雰囲気だ。護衛獣としてマグナの傍にいるバルレルは、当然戦いの場から離れて久しい。マグナよりも好戦的な面がある彼は今回の任務にご満悦のようだ。
「フォローは頼むよ。護衛獣としてね」
「さーて。どうすっかなぁ」
 口では何と言っていても、バルレルがマグナのことを放っておくはずがない。マグナが死ねば、バルレルはサプレスに還ることができなくなる。そして、それ以上に対等の友人として気に入っている人間をみすみす殺させるはずがない。


 そうこうしている間に、任務に向かう日取りが決まった。当時はアメルがお弁当を作ってくれることになった。気分はすっかりピクニックだ。
「任務だということは頭に置いておいてくれよ」
 流石にネスティも苦言を呈さずには入られない状況だった。それでも、彼がどこか楽しそうだったのは気のせいではないだろう。
 ただ一つ、想定外だったのは、外道召喚師達が蒼の派閥が入手していた情報よりも大人数の集団になっていたことだ。彼ら一人一人の力は大したことなくとも、数が集まればそれ相応に手こずってしまう。
「みんな! 大丈夫か!」
 マグナが叫べば、少し離れたところから仲間の声が返ってくる。
 一先ずの無事は確認できたものの、安心してはいられない。各々の距離が開いているということがそもそも問題なのだ。全員がマグナやモーリンのような前衛タイプというわけではない。アメルやネスティのような後衛タイプが敵の召喚獣に囲まれてしまえば、命の危険だってありえる。
 戦闘が始まってから少しばかり長い時間が経過している。そろそろ召喚術を使うことにも限界が来ているころのはずだ。敵がこれ以上の増援を呼ぶことはないかもしれないが、ネスティ達が身を守る術を失いつつあるのも事実だ。
 事は一刻を争う。マグナは急く心を落ち着けようとしつつも、切先が鈍るのを感じていた。しばらく実戦から離れていたのもマグナには痛かった。体は動くのだが、思考や精神が追いつかない。
「くそ!」
 雑に払われた剣は、大きな隙を生む。
「馬鹿!」
 バルレルの声が聞こえた。同時にマグナは眼前に迫る召喚獣を見た。鋭い爪がこちらを向いている。剣を構えるには時間が足りない。召喚術を使う力は残っていない。反撃も防御もできない。
 マグナは死を覚悟した。
 一瞬の内に今までのことが思い起こされる。
 孤児として生きた記憶。蒼の派閥にやってきた記憶。護衛獣を召喚し、外の世界を見た記憶。
 記憶を巡る中で、このままではバルレルがはぐれになってしまうことだけが気がかりだった。幸い、誓約は解いてあるので、生きる分には苦労しないだろうけれど。
「――グァッ」
 爪が突き刺さる。そう認識する寸前、何かがマグナの目の前に現れた。
 それは低い呻き声をあげた。
「バ、バルレル!」
 マグナが名を呼ぶと同時に、バルレルの腹から爪が引き抜かれる。
 赤い鮮血が宙を舞い、青い雑草を赤く染める。
「マジで、ヘマしてんじゃ、ねーよ」
 小さなバルレルの体だ。召喚獣の爪が突き刺さっていたことを考えれば、傷の比率はかなり大きなものになっているはずだ。その証拠とばかりに、彼が抑えているにも関わらず赤い血がぽたぽたと垂れている。
 傷口を見ることはできないが、このまま放っておいていいはずがない。
「アメル!」
 すでにマグナは召喚術を使い果たしている。リプシーを召喚することさえ叶わない。ここは聖女であるアメルの力を借りるしかない、と判断したのだが、彼女との距離はずいぶんと開いてしまっている。声が届いていたとしても、こちらにやってくることは難しいだろう。
「おい!」
 どうすれば、と考えていたマグナの思考をバルレルの怒声が邪魔をした。
「何だよ!」
「なにぼさっとしてんだ! とっとと戦え!」
「でも、お前がっ!」
 左手で腹を抑えながらも、バルレルは戦っていた。右手でどうにか槍を振るい、目の前にいる敵を倒している。正気の沙汰とは思えぬ戦いっぷりだ。
「誓約を受けてねぇんだ、このくらいすぐに治る!」
 言われてみれば、激しく動いているというのにバルレルの腹から出ている血は少しずつ量を減らしていた。失血により動きは鈍っているが、確かに傷自体はすぐにふさがるのだろう。すぐに増血剤を飲めば命に別状はないはずだ。
「――わかった。
 すまない。オレのせいで」
 マグナは剣を構え、再び戦いの中に身を投じる。
「けっ。護衛獣ってのも楽じゃねーよな!」
 そう言ったバルレルは、すっかりいつも通りの様子だった。ただ、彼の腹とマグナの手に付着した血液が、先ほどの光景が夢でも幻でもないことを示している。
 動揺で乱れる感情をマグナはどうにか制御する。またバルレルを身代わりにするわけにはいかない。
 今までにないほどの集中力だった。気がつけば周囲に敵はおらず、立っているのはマグナの仲間だけ。体感時間としてはわずか数十秒というもので、思わずマグナは自身の集中力に恐怖した。記憶が飛ぶほどの集中は、過ちを起こしかねない。過去に過ちを犯した血を彼は受け継いでおり、幼少のころに暴発という形ではあったが彼も過ちを犯している。二度目、三度目がないとは誰にも断言できない。
 呆然とした一瞬。すぐにマグナは我へと返り、別の意味で血の気を引かせる。
「あいつは……。
 バルレルは!」
 大丈夫だと言っていたし、声は常と同じだった。
 それでも心配だった。彼の死を考えるのは恐ろしいものだった。
「ここだよ」
 聞き慣れた不機嫌な声が耳に届く。
 勢いよく振り返れば、そこには血に濡れたバルレルの姿がある。傍らにいるアメルは穏やかな笑みを浮かべていた。
「大丈夫よ。もう傷はふさがってたから」
「そ、そうか……」
 安堵で腰が抜ける。
 戦いが終わったと認識しても得ることのできなかった感情だ。
「たっく。
 もっとしっかりしろってーの」
 バルレルの拳がマグナの頭を軽くこずく。
 普段は見下ろしている彼の顔を見上げるのは何だか新鮮だった。
「……なあ」
 マグナは軽く顔を俯ける。
 周囲は彼の様子に眉をひそめたり、首を傾げたりしていた。マグナという男は、楽観的でのんびりとした人間だ。不安気に声を揺らせたりすることは少ない。
「もう、あんなことしないでくれよ」
 再びバルレルを見上げた瞳には恐怖の色がハッキリと見てとれた。
「は?」
 思わぬ言葉にバルレルは素っ頓狂な声をあげる。
 怪訝な表情を浮かべたまま、マグナの言葉を待つ。
「オレの身代わりなんてっ……」
 思い出すだけで体を震える。
 飛び散る鮮血と苦痛に歪んだ顔。どれも死を連想させるものだ。
「テメェは相変わらずの馬鹿さ加減だなぁ?
 護衛獣ってのは、テメェを守るための存在だろーが」
 マグナは顔を歪める。
 バルレルの言葉は間違いではない。本来、護衛獣とは非力な召喚師を守るための存在だ。彼らは自身がはぐれにならぬようにとその命を遂行する。
 戦闘中におこった一連の出来事も、当たり前のものであって特別なことではなかった。
 それを恐れるマグナがおかしいだけなのだ。
「――じゃあ!
 オレは、護衛獣なんていらない!」
 張り裂けるような感情がこもった叫び声が響く。
 青い空のもと、周囲がしんと静まり返る。
「この、馬鹿野郎が!」
 怒声と打撃音が静寂を壊す。
 マグナはバルレルに顔面を殴られ、なす術もないままに草原へ背中をつける。
「何するんだ!」
「一度、頭を打った方が、ちったぁマシになるんじゃねぇかと思ってな!」
 二人の怒声に周囲は声をかけることもできない。
 戦いのすぐ後だ。無駄な体力を使うべきではない、と誰もが思っているにも関わらず。
「テメェの言葉はな!
 オレなんていらねぇってことだぞ!」
 見れば、バルレルの顔には怒りだけではなく、悲しみの感情があった。
 まるで捨てられた犬だ。今にも泣きそうで、それでも怒りを前面に押し出している。
「オレはテメェの護衛獣だ!
 テメェを守って、助けて、一緒にいるためにここにいるんだろうが!
 それをいらねぇってことは、オレがいらねぇってことだろ!」
「違う!」
 マグナが体を起こし、バルレルを草原へ押し倒す。
「バルレルがいらないんじゃない!」
「同じことだ!」
「オレとお前は対等だって言ったのはお前じゃないか!
 対等なのに、オレだけ守られて、助けられて……そんなのおかしい!」
 とうとう、マグナの目からは涙が零れ始めた。
 彼は男だからか、元来の性格からか、あまり涙を見せない。今日は珍しいものをよく見る日だ、とバルレルが思ったのもつかの間、すぐにマグナの言葉を理解し、目をつり上げる。
「テメェが死ねば、オレはサプレスに還れなくなる。
 だから、オレはテメェを助ける。
 対等であろうが、その点に関しては変わらねぇんだよ」
 ひたり、と殺気さえこもった声だった。
 黙って事の成り行きを見守っていた周囲も、思わず息を飲む。彼らもバルレルの本当の力は知っている。その気になれば、この場にいる全員を相手にもできる。
 マグナは唇を噛んだ。
 わかりきったことだった。今まで目をそらしてきたことだった。
 そろそろ、向き合うべき問題だということも、マグナには理解できていた。
「オレは、お前とずっと一緒にいたい」
 絞り出すように言葉を吐く。
 懇願にも似た声に、バルレルは口を挟まず話を聞く姿勢をとった。
「死ぬまで一緒にいたい。
 でも、お前がはぐれになるのは、嫌だ。お前を苦しめたいわけじゃないから。
 身代わりになって死んでほしいわけでもない。
 だって、オレはお前が好きで、大切なんだ。失いたくなんてない」
 幼少時にマグナはすべてを失った。
 生まれ育った町も、自由も、何もかもが手から零れ落ちた。
 蒼の派閥に所属し、ネスティやラウルと出会うことで心は多少満たされた。それでも、さげすんだ瞳や排他的な感情にさらされ続けた彼の気持ちはじくじくと痛みを訴え、失ったものを思い起こさせた。
 一人前の召喚師になり、旅に出たことでようやく得たのだ。
 家族のような仲間も、心が温かくなる空間も、幸せだという感情も。
「オレの代わりに死ぬくらいなら、オレの血識を奪ってくれ」
 ギブソン邸にて割り当てられているマグナの部屋には、アヴィスがある。以前、バルレルがメルギトス側へと誘われた際に渡された短剣だ。今となっては、アレに血識を吸い取る力があるのか確かめる術はないが、試してみる価値はある。
 マグナの血識を奪えば、バルレルはサプレスに還ることができる。さらに、クレスメントの末裔であるマグナの魔力さえ奪うことができるのだ。
「……本当に、テメェは、よぉ!」
 組み敷かれていたバルレルがマグナの腹を蹴り上げる。
 手加減なしに蹴られた彼は、わずかに宙をゆき、再び草原へと落ちた。
「いらねぇよ。テメェみたいな大馬鹿者の血識なんて」
 立ち上がったバルレルは、寝そべっているマグナを見下すようにして睨みつける。
「誓約もかけられてねぇオレが、どうしてテメェの傍にいると思ってんだ」
「それは……サプレスに還るた――」
「んなもんはなぁ!」
 マグナの言葉を遮る。
「脅してでも、それこそ、そこらへんにいるテメェの仲間を人質にしてでも、やらせようと思えばできるだろうが!」
 それ以前に、マグナが相手ならば還せと要求するだけでも叶えられそうなことだ。帰還の願いがここへ残る理由にはならない。
「テメェと一緒にいるのがおもしれぇから、ここにいるのも悪くねぇと思えるから、ここにいるんだ!
 ずっと一緒にいたいだぁ? そう思ってんのが自分だけだと思ってんじゃねーよ!」
 それは、つまり、とマグナは頭を働かせる。
 考えが一巡りする前に、バルレルが背を向ける。
「オレだって、傷ついてほしくねぇんだよ」
 空気中に霧散してしまいそうなほど、かすかで小さな声だった。それでも、マグナは彼の声を聞き逃すほど愚かではなかった。
「バルレル!」
 まだ体のあちらこちらが痛い。
 戦闘での傷より、バルレルにやられた痛みのほうがずっと大きかった。
 マグナはどうにか立ち上がり、バルレルを背中から抱きしめる。
「……ごめん」
 強く抱きしめる。
 腕の中にあるのは小さな体だ。仮初の姿ではあるが、見慣れた、今まで一緒にいた体だ。
「オレが馬鹿だった。それは認めるよ」
 バルレルを否定したいわけでも、思いを拒絶したいわけでもなかった。だが、結果的にそうとられてもしかたのない言葉だった。
「でもさ、本当になんだ。
 お前がいいって言ってくれても、オレが嫌なんだ」
 はぐれにさせることも、傷つくことも。
 相手が自分に同じ気持ちを抱いてくれていたのは、素直に嬉しい。けれど、受け入れるには、あまりにも辛い。
 どちらも退くことのできない感情だ。退けば、相手が傷つくことを容認することになる。
 互いに無言の時間を過ごした。風の音と鳥の声だけが静かに広がっている。
「はい、そこまで」
 パン、と乾いた音が鳴った。手を叩いた音だ。
 マグナとバルレルが顔を上げれば、ネスティが手を合わせた状態でこちらを見ている。
「二人とも、仲が良いのは喜ばしいことだけどね、いつまでそうしているつもりだい?」
 問いかけられ、始めて自身達の状態を認識した。
 慌ててマグナは腕を上げ、バルレルは素早くその場から離れる。
「どちらも、互いに傷ついてほしくない。
 それなら、話は簡単じゃないか」
 主も護衛獣もよく似ている、とネスティは眼鏡を軽く上げる。
「キミ達が強くなればいい」
 守られることも、助けることも不必要になるくらいに。
 それでもいつか訪れる死という名の別れに耐えられるくらいに。
 長い時間を生きたとしても、何度もなぞり直せるほどの思い出を作れるくらいに。
 どちらからが先に笑ったのだろうか。気づけば、マグナもバルレルも笑っていた。
 考えてみれば単純で、簡単で、あっけない答えだ。だが、間違いでも不可能でもない答えだ。
「うん。オレ、強くなるよ」
 マグナは目を細めてネスティを見る。
 メルギトスと対立していたときと同じく、強い意志を持った瞳だった。
 ネスティは満足げにしながら息を吐く。
「そうか、なら帰ったらさっそく勉強だな」
「えっ! きょ、今日はもう疲れたし……」
 目に見えて焦るマグナは、すっかりいつも通りだ。
 涙のあとも、不安げな雰囲気もありはしない。
「おや? 強くなるんじゃなかったのかい?」
「うっ……」
「せーぜー頑張れよ、マグナ」
 笑いながらマグナの腹を肘でつつく。
 気ままな悪魔は主の不幸が嬉しいらしい。
「バルレルも強くなるんだろ!
 じゃあ、オレと勉強しろよ!」
「バーカ。オレはもう十分強いだろ。
 第一、必要な知識は、ぜーんぶ頭ん中に入ってんだよ。何百年生きてると思ってんだか」
 楽しげに口論を始めた二人を見て、周囲にいた仲間達も近づいてくる。
 呆れた風に見ていたり、片方をなだめてみたり。青い空の下、それはとても楽しそうな光景だった。

END