ギルドの町、ダングレストはお世辞にも治安が良いとは言えない。それは、誰もが尊敬し敬愛していたドンが亡くなってから明きかに悪化していた。ハリー達が必死になって動いているものの、以前のように戻るのは難しいだろう。
 何せ、元々荒くれ者が多い町だ。年若いハリーの言うことをあっさり受け入れるとも思えない。
 それでも皆ダングレストのことは好きだった。もちろん、カロルもそうだ。
「ユーリやジュティスは元気かな……」
 酒場の前で小さく呟く。
 凛々の明星は束縛を良しとしない。掟は義を持ってことを成す。世界を救うという壮大で、けれど誰にも真相を知られることのない旅を終えた後、彼らとは別々の道を歩んだ。
 それでも幼いボスを心配してか、度々顔を出しにはきてくれている。そんな時は一緒に依頼を受けることも多い。
「よ、どうしたんだい少年」
「レイヴン!」
 肩を叩かれ、顔を上げてみれば見知った顔がそこにあった。飄々とした面持ちの男は、カロルのかつての仲間であり、今ではギルドと騎士団のかけ橋となっている者だ。
 彼の拠点は帝都ではなく、ダングレストらしく姿を見かけることは少なくない。ただ、いつも忙しそうにしている様子を見ると、どうも声をかけずらかった。
「久しぶり! 元気だった?」
「それが聞いてよー。ハリーもフレンもオレ様のことを働かせまくり。もうおっさん困っちゃう」
 肩をすくめて見せているものの、その顔はどこか楽しそうだ。レイヴンの過去をそれとなくではあるが知っているカロルは、少しだけ安心した。もう、以前のように死のうなどとは考えていないのだろう。もしかすると、夢が見つかるのもそう遠い出来事ではないかもしれない。
 カロルはそれが純粋に嬉しかった。あのメンツの中で、ある意味一番心配だったのはレイヴンだ。二人の主を失い、心臓を失くしてから手に入れた数少ないものを全て捨ててしまったのだ。
「レイヴンも頑張ってるんだね」
 そう言ってから、カロルは少し悲しそうな顔をした。
 割と人の感情に敏感なレイヴンが、それを見逃すはずもない。
「どうしたんだ? おっさんが聞いてあげようじゃないか」
 ふわふわの髪をくしゃりと撫でてやれば、くすぐったそうな顔をしながらもどこか嬉しそうな表情が浮かぶ。他人に気をかけてもらえるのが嬉しいのだろう。
 カロルはまだ幼い。以前ならば所属しているギルドの者がいたのだろうが、今はカロル自身がギルドのボスだ。頼りあうことは恥と思っていないようだが、やはりボスとしての責任を感じることがあるのだろう。
 そんな顔を見ていると、レイヴンはどこかに置いてきたはずの父性が刺激された。
「やっぱり、すぐには上手くいかないなーって思ってさ」
「そりゃねー。おっさんだっていっぱい失敗してきたからね」
 カロルは小さく頷いた。
「何かあったの?」
「新しくギルドに入りたいって人がいたんだけどさ」
 苦笑したような言い方に、レイヴンは何となくではあるが察しがついた。
 凛々の明星の掟は単純で、仕事の選び方もある意味では自由だ。さらに言えば、ボスがまだ若いカロルであることから、夢にあふれた若すぎる者が入りたいということが多い。けれど、凛々の明星の仕事はそれほど簡単ではない。
 人数が少ないことから、一人一人が広大な世界を相手にしなければならない。中には強い魔物がいるような地域もある。
 カロルは気づいていないかもしれないが、彼は一般的な基準からすれば強い方だ。そのため、危険に対する感覚が危うい。元々慎重な性格であるから、命の危機に陥るような場所には行かせぬようにしているようだが、それでもボロボロになってしまった子達は凛々の明星を後にする。
「ボクだって死ぬのは嫌だから、強い魔物がいるところには行きたくないよ。
 でも、みんなとボクの感覚は違うみたい……」
 しかたない。と、いえばそれまでだ。
 死線を何度も潜り抜けてきたカロルが強くなるのは当然だ。自分の力と周りの力を比べる能力に欠けているのも、今までは周りが強すぎた。
 しいて彼の悪いところを上げるのならば、急激な自分の変化に対応できるだけの経験が足りなかったことだろう。
「そうねー。少年は強いからね」
「……ボクなんて、まだまだ弱いよ」
 魔導器がなくなった世界でも、カロルはよくやっている。彼がまだ弱いとするのならば、それは周りが強すぎるにすぎない。とはいうものの、未だに臆病な部分が残っているカロルは他人と戦わない。魔物は生身の人間が相手をするとなると、いささか強いすぎる。
「もっと自信を持ちなって。ユーリだって少年のことを認めてるでしょ?
 青年はそうそう他人を認めないタイプだと思うよ。オレ様は」
 いつも自信に満ち溢れている男の姿を思い浮かべながら言う。カロルも同じ人物の姿を思い浮かべたのか、小さく微笑みをこぼした。ユーリは子供に甘い。だからこそ、カロルに優しいのだろうけど、今はそれだけではないはずだ。
「うん。ちょっと自信ついた」
「青年様々だね」
 いつもの輝きを瞳に取り戻したカロルは、レイヴンをまっすぐ見る。
「ボクも頑張るから、レイヴンも頑張ってね!」
 とびっきりの笑みを浮かべて、カロルは走りだす。どこからか舞い込んでくる依頼を解決しに行くのか、新たなメンバーを探しに行くのか。そこまではレイヴンが首を突っ込むべきものではないだろう。
「あ……」
 しかし、走りだしたカロルは歩いていた男にぶつかってしまった。
 やるときはやるのだが、どこか抜けている凛々の明星のボスを遠目に眺めながら、レイヴンは口角を上げる。カロルがぶつかった男は体格からして、魔物と戦う系統のギルドに所属しているのだろう。
 彼らの迫力に圧倒されたのか、カロルはすぐに立ち上がり頭を下げている。
「本当に変わらないねぇ」
 微笑ましく見ていたレイヴンだが、どこか不穏な空気を感じ取り眉をひそめる。間に割り込むべきか、カロル自身に任せるべきかを探るため、耳を澄ませてみる。
「すみませんじゃねーよ」
「え、あ、あの」
「オレ達は魔物を倒してきたところで、疲れてるってのによぉ」
 当たり屋や傷のある職業の人間のような言い草だ。まともに戦えばカロルが勝つだろうが、すっかり怯えているカロルにそれができるとは思えない。
 レイヴンが飛び出そうとしたとき、彼らの雰囲気が変わった。
「おい、こいつもしかして凛々の明星のボスじゃねーの?」
「ああ。そうだな。
 ガキがギルドのボスなんざあ、荷が重いんじゃねぇの? オレらが代わってやろうか?」
「ヒャヒャ。そりゃあいい。今よりもずっと良くしてやるよ」
 下種な笑い声に、怒声を上げたのはカロルだった。
「うるさい!」
 男達の笑い声はやみ、レイヴンの足が止まった。
「凛々の明星はボクのギルドじゃない! ボクのことはともかく、ギルドを馬鹿にするのは許さないぞ!」
 小さな体が大きな体を押し倒す。そのまま男を殴ろうとするが、もう一人の男に蹴り倒される。
 本気になったカロルならば、二対一でも負けはしないだろうが、黙ってみていられるはずもない。
「おい! お前ら――」
「うちのボスに、何してくれてんだ?」
 レイヴンも背筋が凍った。
 冷たい声だ。殺すことを厭わない。そんな意志を感じられた。
「ユーリ。どうしたの?」
 男達を殴ることも忘れ、カロルは呆然とユーリを見る。いくらなんでも、タイミングが良すぎる。だが、狙ったわけではないのだろう。怒りに満ち溢れた瞳が今の場面を見てブチ切れたことを示している。
「あら、私もいるのよ?」
 ユーリの後ろから現れたのはジュティスだ。
 指を鳴らすその姿は鬼神のようにも見える。これほどの恐怖にはそうそう出会えないだろう。レイヴンは二人に道を譲り、大柄の男達に心の中でそっと手を合わせた。
 これは不味い。と、思ったのはカロルで、慌てて二人の前に立ちはだかる。先ほどまでは粋がっていた男達も、ユーリとジュティスの怒気に当てられたのか、慌てて逃げ出す。
「どけよ!」
「ダメダメ! ユーリもジュティスも落ち着いてよ!」
「わふ」
 ラピードがカロルの心強い味方となる。
 一人と一匹の説得のかいあって、二人は何とか落ち着きを取り戻した。それでも、ユーリは未だに不満気な顔をしている。
「もー。青年はもうちっと冷静にね」
「うるせ。自分とこのボスが絡まれりゃ怒りもするだろ」
 カロルが馬鹿にされていることは何となくではあるが知っていた。まだ幼くあるし、凛々の明星を作るまでは様々なギルドに入っては逃げ出していたのだ。酷なことを言うようだが、馬鹿にされるのは当然だろう。
 無論、ユーリもジュティスもその程度のことはわかっている。だからといって、黙って見過ごせるのかと問われれば、答えは否であるというだけの話だ。彼らはカロルの勇気を知っている。優しい心を持っていることも知っている。
 だからこそ、何も知らないような連中に馬鹿にされるのがたまらなく悔しいのだ。
「そんなことよりさ、折角ユーリもジュティスもラピードもいるんだし、ギガントモンスターのところに行かない?」
「お、カロル先生からのお誘いとあっちゃ断れねぇな」
「遊びに行くんじゃないよ。依頼だからね」
「わかってるわよ。さっ、行きましょ」
 すっかり置いてけぼりを喰らったレイヴンは三人と一匹の背中を見送る。できることなら一緒に行ってやりたいが、彼にも仕事が残っていた。
「凛々の明星に祝福の光があらんことを」


END