チャバと言葉を交わして数日後。絶好の機会が訪れた。
 それは偶然の産物によるものだった。
「おー。セの字、どないしたんじゃ?」
「そりゃこっちの台詞だ」
 街周辺の見回りも兼ねて、セネルは浜辺に足を運んでいた。シャーリィと共に始めて遺跡船の地を踏んだ場所だ。思い出深い場所であり、どことなく特別だという意識の強い場所でもある。
 あまり人の訪れない浜辺でもあり、知らぬうちに魔物が繁殖してしまっていることも多い。今回は、その調査にきていた。
 そこにモーゼスがいることなど、考えもしていなかった。
「ワイは散歩じゃ」
「散歩って……。こんな所にか?」
 輝きの泉と違い、こちらは大したものは何もない。ただの浜辺だ。海を見たいのならば、もっと人が多くいる場所や、景色のいい場所が山ほどある。
「おう。ここは静かじゃけぇの」
 そう言うと、眼帯で覆われていない片目を細め、海へ視線を移す。
 普段は彼自身も騒がしく、同様のものを好んでいる節がある。セネルは、モーゼスでも静けさを求める時があるのかと心の内だけで驚きを表す。余計なことを言っていつものような騒がしさを引き出すのではなく、今日ばかりはこの珍しい一時に身を寄せたいと思えた。
 荒れた海ばかりを見てきていたが、今の海は穏やかだ。押しては退いていく波は心地良い音色を奏でている。
「そういえばさ」
 セネルがぽつりと零す。
 二人っきりという状況。いつもとどこか違うモーゼス。すべてを受け入れてくれそうですらある波の音。疑問を解消するには、今しかないとさえ思えた。
「お前の両親って、どんな人だったんだ?」
 視線だけをモーゼスに向ける。どのような顔をしているのかが気になった。
 驚くか、しかめるか、意外にも笑うか。そんなところにアタリをつけていた。
 しかし、セネルの目に映ったモーゼスは、どの表情も浮かべていなかった。海を眺めていたときのまま、片目を細めてそこにいるだけだ。無表情といっても過言ではない。
 やはり、触れるべき部分ではなかったのだろうか。一瞬、後悔が胸を過ぎったが、口にした言葉をなかったことにはできない。
「唐突じゃの」
「気になっていた」
 モーゼスが苦笑したのが気配でわかった。
「つまらん話じゃぞ」
「それでも、お前がいいなら聞かせて欲しい」
 いいなら、と言ってはいるが、強調されたのは聞かせて欲しい、という部分だ。セネルの感情がどの方向に傾いているかなど、馬鹿と言われ続けているモーゼスでも気づけるようなことだった。
「ワイの親は、族長じゃった」
 大いなる海の向こう側に、モーゼスの故郷がある。あれから七年の時が経っているが、あの場所の風景を忘れたことは一度もない。穏やかな波の音に、木々のざわめきを思い出す程に。
「魔獣使いを育てちょる部族じゃった。
 そもそも、魔獣使いっちゅうんは、自然と共に暮らすっちゅう風習の一環での派生らしい。村の奴らが言うちょった。
 風習の中で魔獣使いをしちょる連中は、一人と一体で連れ添っちょった。魔獣使いの宿命に苦しむんは、この連中じゃ」
 たった一匹だけを連れ、魔獣使いを名乗っていたモーゼスに疑問を感じたことがないわけではなかった。ただ、その理由は彼が「家族」にこだわりを持っているからだとばかり思っていた。大陸で見たことのある魔獣使いは、いつも複数の魔獣を連れているのが常だったのだ。
「職として魔獣使いをやっとるような連中は、魔獣を何匹も従わせよる。魔獣化した相棒を殺すことも躊躇わん」
 きっと、モーゼスからしてみれば、それは吐き気のするような行為なのだ。変わることのなかった表情がわずかに歪んでいた。
「村の人間は半々じゃった。どっちを選ぶのも自由じゃった。
 じゃがの、ワイは違った」
 どこの世界でも、頂点に立つ者の子供というのは進むべき道が定められてしまっている。そこから外れるには、相応の代償が必要となるものだ。ウィルと彼の妻のように。
 モーゼスが先の話をする前から、セネルは察しがついてしまった。
「村と外を繋ぐために、職としての魔獣使いを育てるために、魔獣の「家族」なんぞいらん言われたわ。
 毎日、毎日、長に相応しい魔獣を従えさせろ。いつまでに何匹の魔獣を従えさせろ……」
「モーゼス」
 言葉を止めさせようとした。
 自分から聞いておいて酷い話ではあるが、それ以上聞きたくなかった。あのモーゼスが「家族」を否定するような言葉を吐き出そうとしていることが、とても恐ろしく思えた。
「……じゃけの、ワイと来てくれたチャバらを大切にしよう思ったんじゃ」
 モーゼスはセネルに目を向けた。
 その瞳は穏やかだ。
「血の繋がりなんぞなくても「家族」にはなれる。
 そうじゃろ?」
 口角をあげて笑う表情は、いつもと同じモーゼスだ。
「あぁ」
 セネルは頷く。
 彼とシャーリィが兄妹であったように。今のジェイとモーゼスが兄弟であるように。血の繋がりなんぞ「家族」には関係ない。言ってしまえば、いくら血が繋がっていたとしても「家族」であるとは限らない。
「なぁ、今からパンでも焼こうと思ってるんだが、お前も来るか?」
「おっ! えぇの。セの字はパン作りが上手いから楽しみじゃ」
 二人は大いなる海に背を向けて足を進めていく。
 どうせならば、ウィル達も呼ぼうと話し合う姿は「家族」を思う兄貴達のそれだった。

END