殺す。殺される。死ぬ。死んだ。
ここはそんな言葉達で溢れかえっている世界。
モンスターの多くはかつて自分達を封じ込めたニンゲンという生き物を酷く憎んでいる。あまりにも憎すぎて、疎ましすぎて、次こそは彼らを全て滅ぼすのだ、と。強い意志が燃え盛り、鎮火することなく今日まで続いてきている。
年月に比例して感情は重く、深いものへと変化していく。
過剰に言っていただけの呪詛がいつしか最底辺レベルの呪詛へ成り代わり、世界にはそれ以上の呪詛が広まり根付いた。晴れぬ鬱憤を抱え込んだモンスター達は感情をぶつけ合い、弱者を淘汰し強者を増やした。そもそも、モンスターの強さは意志の強さでもある。ニンゲンを慈しむような、他へ慈悲をかけるようなモンスターは早々に死んでいく。
強者が残り、子が生まれ、より強いモンスターが生まれ、また戦い、生死を分かつ。
ニンゲンが全て滅んだ後も何も変わることなく、むしろ王の後ろ盾を得てよりいっそう過激に争いが生まれていった。
灰と怨嗟でできた、呪われた世界だ。
「駄犬が……。
貴様、何をしている」
「――う、え。ボス?
何で、いや、ちが」
閉ざされた遺跡からスノーフルの町に至るまでの道。そこにある見張り場で転寝をしていたスケルトンのサンズは、頭上から降ってきた声に一気に意識が覚醒する。
知らぬ声ではない。むしろ、生まれてから今に至るまで、その声を知らなかった時間のほうがずっと短い。大切な弟の声。
「またサボりか」
「ちょっと、ちょっとだけ、その、眠気が」
「仕事を何だと思っている!」
たどたどしく並べられた言い訳を長身のスケルトンは叱咤を持って切り捨てる。
サンズは肩を揺らし、目を硬く閉じる。視界が閉じる寸前、眼前のスケルトンが手を上げるのを見た。
殴られるか、骨による攻撃か。どちらにせよ、ヘタに動かぬほうが得策だというのは、今までの経験で痛いほど思い知っている。無論、比喩でもなんでもない。
「ぐ、あっ」
腕に鋭い骨が突き刺さる。隙間を縫う、などという慈悲深いマネをパピルスはしてくれない。きっちり全力で、サンズの白い骨を貫いている。
たった一撃では大したダメージにならないが、それでも他のモンスターと比べればずいぶんと体力の劣るサンズにはかなりの苦痛があった。
腕から全身へと響く痛みは死に対する恐怖を空っぽの頭に送り出し、全身をカタカタと震わせる。あと数度、同じ痛みをソウルに受けるだけで、脆いサンズの体は灰になってこの世界に溶けることだろう。
「一人ではまともに戦うことすらできん弱者のくせに、ちっぽけな仕事さえまともに完遂できんとは。
貴様と我輩に縁があると吹聴されることさえおぞましい」
目玉のない眼孔には憤怒と憎悪の光があった。他者を殺すこと、傷つけることを欠片も躊躇しない強者のそれに、サンズはまた体を震わせる。
「ご、ごめん、な、さい」
息が荒れて言葉を上手く紡ぐことができない。痛みと恐怖。その二つはサンズの体を毎日毎日苛むものだ。
死にたくない。モンスターにもニンゲンにも備わっている当たり前の本能。しかし、それをもとに敵を殺すのがこの世界の理だ。弟の目すらまともに見ることができず、声を震わせるなど、みっともないを通り越し、生きる価値なしの烙印を押されても不思議ではない。
否、実際、サンズは周囲のモンスター達からそのような目で見られている。
彼が今も生きていられる理由はただ一つ。ロイヤル・ガードの副団長にまで上り詰めた弟がいるから、だ。パピルスの奴隷として存在しているサンズはある程度の安全が保障されている。恐ろしく残虐なモンスターの所有物を勝手に壊すモンスターは自殺願望持ちと同意義といえるだろう。
「――仕置きだ」
鈍い音が聞こえた。パピルスが攻撃のための骨を召還した音だ。昨日も、一昨日も、その前もずっとずっと、敵を屠り続けている凶器が自身を狙っている。サンズのソウルがどうしようもなく震えて止まらない。
一発や二発ではすまないだろう。ソウルが破壊される寸前までいくだろう。
悪くはない頭でそんな未来予想をしてみるが、彼は抗うことを決してしない。そんなものは無意味だ。
攻撃力も防御力も、体力も俊敏さも、パピルスはサンズを上回る。機転と手数だけはどうにか勝っているものの、その程度のものでは戦況を覆すことは難しい。
「お、お手柔らかに、頼むぜ……ボス」
「笑止」
サンズの道は服従しかない。
もとより、諦めることは得意だった。
苦を飲み込み、溜めて、消化不良を起こして捨ててしまう。ただそれだけでいい。今から与えられる苦しみや痛みも、いずれは捨て去るものの一つだ。
「あぁ、あっが、いぎっ……!」
片手を固定されたまま降り注ぐ骨を受け止める。
明確な殺意を持たぬそれらはサンズの体を傷つけてもソウルまでは傷つけようとしない。下手に殺されるよりも苦痛を長く味わう攻撃方法だ。
時には拷問としても使用されるそれをサンズはおそらく明日も受けることになる。
仕事が不出来であるから、癇に障ることをしてしまったから、敵を殺すことができなかったから。様々な理由をつけられ、傷つけられるのだ。
「貴様のサボり癖はどうにかならんのか?」
「ひゅっ……は、ご、ごめん、な、さ……い」
鋭い骨が消える。
サンズは全身の力を抜き、机の上に上半身を投げ出した。全身を苛む痛みにより、まともに座っていることすらできなかった。
「我輩が聞いているのは謝罪ではない」
「……ど、しても、ねむ、くて、なぁ」
片目を開け、パピルスを見る。
怒っている。脳を通さずともわかってしまう形相を目にし、サンズは目を開けたことを後悔した。
「仕事をなんだと思っておるのだ!」
怒声。同時に出たのは骨ではなく手だった。
パピルスはうつ伏せるサンズの首根っこを掴み、見張り場から力任せに引きずり出す。痛みによって力を入れることすら叶わぬ体は何の抵抗もなく雪に落ちる。冷えた地面がサンズの体を冷やすよりも早く、パピルスが足を動かす。
「どうせ昨夜も浴びるように酒を飲んでいたのだろう!」
牙をむき出しにして歩調を緩めることなく前へ前へと進んでいく。彼の通った後には、足跡と一筋の線。サンズが引きずられた跡が残っている。
モンスターには血液という物質は存在していないけれど、もしもそんなものが存在していたとすれば、白い雪に赤い色が綺麗に入っていたことだろう。
「わ、わるい……な。
ちょっと、グリ、ビーと、もり、あがって」
「貴様の責任感のなさにはほとほと呆れるばかりだ」
息も絶え絶えになりながらサンズは声を出す。断定の形であったとはいえ、弟が兄に向かって言葉を投げているのだ。キャッチして返してやらねばなるまい。無力なモンスターとはいえ、流石にその程度のことはできる。
「大体からして、あんな場所で眠っているなど殺してくれと言っているようなものではないか」
「そんな、つもりは、なか……ったんだけど、なぁ」
もう少し、優しく引きずってほしい。
そんな気持ちをサンズは飲み込む。
いつの日だったか首につけられた大きな首輪。これは、サンズがボスに忠実な奴隷である証だ。
今は掴まれているだけの首輪にリードが装着され、適当な場所に繋がれることもある。首を緩やかに締めるために使用されたこともある。その全てにサンズは是を返してきた。奴隷は、所有物は、主に逆らったりなどしない。
「ほう。貴様は殺されぬ自信がある、と」
パピルスの目が暗い色を伴って輝く。
不味い。サンズがそう思うと同時に首に感じていた圧迫感が消えた。
「ならばもう一度、持ち場に戻って今度こそ仕事を完遂してもらおうか」
「じょ、ジョーク、だよ、なぁ?
ボス……?」
見張り場からずいぶんと進んできた。中間地点も既に過ぎており、元の場所に戻るより、家に帰るほうが近いくらいだ。そんな場所から、体の痛みによって動くことさえ出来ないサンズが行けるはずがない。
無茶としかいいようのないパピルスの言葉に、サンズは声を上ずらせる。
「我輩はつまらないジョークなど言わん」
知っている。サンズは弟の真面目さをよく理解していた。
多少、見当違いな方向へ突き進むこともあるパピルスは、何処までも真っ直ぐで真面目なスケルトンなのだ。笑えないジョークを口にするはずがない。
「――あぁ、そう、だな。
マイ、ボス。ご、命令の、ままに」
主人の言葉は絶対だ。サンズは震える体をどうにか持ち上げ、両の足で立ち上がる。重力により圧迫を受ける部位が悲鳴をあげ、連鎖するかのように上半身まで痛みが響く。
呻き声を飲み込んだ彼は、無理やり口角を上げてパピルスを見上げた。
「じゃ、あ。行って、くる」
優しくされたい、と。望まないわけではない。遠い昔、まだ共に兄弟と呼び合っていた頃へ思いを馳せないわけではない。けれど、この世界でそれらを求めることはできないのだ。
情は隙となり、死を寄せ付ける。
パピルスは強いモンスターだが、絶対的な存在として君臨するにはまだ足りない。サンズに至っては言及するまでもないだろう。
弱い自分が悪い。雑魚と呼ばれる種族達よりもステータスが低いから、兄としてパピルスの隣に立てないのだ。責めるべきは最愛の弟ではなく、弱い自分自身。
「おい」
「え?」
声をかけられ振り返る。
すると、頭に軽い刺激があった。
「それくらいならば恵んでやろう。
無様な姿は癇に障る」
忌々しげに言われ、サンズが足元を見ると、そこにはモンスターアメがあった。
小さく包まれたそれは、ほんのわずかではあるがソウルの傷を癒してくれるもの。当然、体の修復にも役立つ。
「あり、がとう。ボス」
歯を食いしばり、痛みに耐えながらアメを拾い上げる。
体は悲鳴を上げているけれど、サンズは嬉しかった。こんな世界の中で、パピルスはまだ心に優しさを宿している。他に見られても体裁を保てるギリギリの優しさを愚かで弱い兄に向けてくれる。たったそれだけで、サンズはこのクソのような世界で生きていくケツイを抱くことができた。
「さっさと行ってこい。
次に仕事をサボるときは灰になる覚悟を決めてからにしろ」
「肝に銘じておこう」
アメを口の中に放り込む。
絶妙な味わいをもったそれは舌の上ですぐに溶け、魔力となって体を循環する。
しかし、回復量の低いアメ一つでは全快には至らず、気だるい痛みがサンズの体には残っていた。目に見える傷が全て塞がっただけでも良しというものだ。
少しばかり気合を入れればいつも通りの動きができるようになった体でサンズは元の場所へと向かう。
近道を使えば痛みを感じる時間は少なくなるのだが、後の疲労を考えれば徒歩の方が幾分かマシといえた。痛みを得るほうが楽だという辺り、サンズの持つ魔法の欠陥具合がよくわかる。
「――ボス」
「わかっている」
数歩、サンズが雪に足跡をつけたところで立ち止まった。
彼が赤い瞳を向ける方向にパピルスの視線もある。
雪が全ての音を飲み込んでしまうこの場所に、わずかではあるが足音が響いた。常に気を張っている彼らだからこそ察知することができたその音は、気配を隠そうともせずこちらへと向かってきているようだ。
サンズは一度、息を深く吸い込み、吐き出してから手を上げる。
上空に出現した骨は今から姿を現すであろう敵へ贈るちょっとしたプレゼントだ。足音も気配も殺せないような弱者を殺すのにパピルスの力は勿体無い。
一歩、二歩、と音でカウントを取る。あと少し。数歩で姿を現すはずだ。愚かなモンスターの死に面くらい拝んでやらねば。
サンズのソウルが脈動し、カウントがゼロになる。
「死ねっ!」
「は?」
「――っ!」
勢いよく振り下ろさんとしていた手が止まり、召還されていた骨達も同様に静止した。
見知らぬモンスターであれば、間違いなくそれらは相手を貫き、灰にしていたことだろう。しかし、サンズにはできない。木々の間から姿を現した存在が目を見開き、こちらを見ていることを認識してもなお、サンズは無防備な姿を晒したままだった。
「な、んで」
赤い目に映る姿は、後ろにいる弟と同じ姿。いや、服装や目つきが大いに違っているのだが、サンズにはわかってしまう。彼もまた、パピルスなのだ、と。
「え? 何、これ……」
目を白黒させているスケルトンは緩いサイズのパーカーを着ており、口には細い煙草が一本。見た目が白い骨であることと、長身であることを除けばパピルスらしい面はないように見える。他のモノ達は観測できないLOVEやEXPに関しても眼前の男は1から動いていない。つまり、誰も殺していない。ロイヤル・ガードに入団しているパピルスではありえない数値だ。
「てめぇ、誰だ」
おそらく、突然の出来事に混乱しているのであろう弟に代わり、サンズが低い声を出す。
幸か不幸か、サンズは目の前にある存在に心当たりのようなものがあった。確証はないけれど、それしかない、とまで。
「――パピルス」
紫煙と共に吐き出された名前は、想定していたものと同じだった。
「ふざけるな!」
怒声を上げたのはサンズの弟であるパピルスだ。突如として目の前に現れた、スケルトンが自身の名を名乗ったのだ。混乱も怒りも、彼のソウルに収まることをよしとしない。
「我輩こそ、ロイヤル・ガード副団長、パピルス様だ!」
赤い光と共に四方が骨に囲まれる。隙のない弾幕は彼がいかに本気かを語っていた。
「死ね!」
「……あんま、働きたくないんだけど」
オレンジのパーカーを着たパピルスは目を細め、自身へ向けられている骨をいる。その姿に恐れはなく、まるで凪いだ風を見ているかのようですらあった。
余裕を持ったその表情がまた神経に障ったのだろう。漆黒を身にまとうパピルスは舌打ちをし、手を振り下ろす。
全ての骨が殺意を伴って一斉に動く。
「ボス! 待ってくれ!」
「黙れ!」
目の前で「パピルス」が死ぬ。
サンズにとってそれは耐え難いことだった。
思わず口を挟むが奴隷の進言に耳を貸す主ではない。一言で切り捨て、攻撃の行く末を注視する。ソウルが砕け散り、体が灰になるところまで見守らなければ完全なる勝利とはいえない。
勢いよく降下した骨達によって雪が舞い上がり、辺りが白い煙に包まれる。
普通のモンスターであれば、間違いなく死んだはずだ。
「ちょっと落ち着いてくんない?」
だが、彼は違った。
サンズよりも後ろ、パピルスの後ろで平然と煙草をくわえ、二人を見ている。
「……近道でもしたか?」
「死にたくないからね」
パピルスの攻撃は完璧だった。一寸の隙もない弾幕。それを逃れる術をたった一つ、サンズは知っていた。
自身も使うことのできる、近道。進むべき過程をカットしてしまうその技であれば、弾幕もサンズもパピルスも抜けてくことができる。
「もしかして、こっちではサンズが使うの?」
「あぁ」
軽く首を傾げ、問いかけてくる。
近道は研究と実験の末に生まれた技だ。空間をいじり、過程を飛ばすそれを扱えるモンスターは、あの時共に研究をしていた面々のみ。サンズは当時のことをパピルスに話したことはないし、近道について説明したこともない。根が素直な彼は、幼い頃に聞かされた、ただの近道、という言葉を信じきっており、改めて問い詰められたことはなかった。
すなわち、近道は研究員として働いていた証であり、兄である証でもある。
「パピルスー!」
緊迫感の解けぬ中、間の抜けた声が響いた。
場にいる三人の誰でもなく、パピルスの名を気軽に呼ぶことのできる存在。
数回、ソウルが脈打ったタイミングでそいつはやってきた。
「オレ様を置いてどこに行ってたんだ! まったく!」
「サンズがオレを置いてったんでしょ」
木々の間から出てきたのは、サンズだった。青と白の色調に包まれ、目には爛々と輝く星を抱いたリアルスター。黒と赤を持つサンズはあまりの眩しさに目を細める。
きっと、パピルスもこうなるはずだったのだろう、と。純粋で、無垢で、誰も傷つけない。そんなモンスターになれるはずだった。
「サンズ、だと……?」
困惑しているパピルスに、サンズはどのような説明をすればいいのか悩む。
互いの話をしっかりと聞いてみなければならないが、おそらく彼らは別の世界線にいる自分達だ。進んで、止まって、飛んで、戻って、終わりを迎える。そんな絶望的な観測をしている際に、時間軸だけではなく、今いる場所とは待ったく別の世界が存在していることも発見されていた。
だが、それらには近づくことも、まして、移動することなど到底できなかった。仮にそれが叶っていたとしても、全ての世界線が歪な時間軸を有していたため、危険性を考慮し、接触をさけていたかもしれないけれど。
「うわっ! 何だ! パピルスとオレ様がいる!」
「あー、サンズ。
何て説明すればいいか、オレもちょっとわかんないや」
オレンジ色が何を考えているのか、サンズは手に取るようにわかる。
それは、自身が考えていることと同じだ。
研究のことは伏せておきたい。時間軸の話など事の端さえ掴ませたくない。しかし、それらを告げずに世界線の話をするのは難しいことだ。また、上手く説明できたとして、何故お前は世界線のことを知っているんだ、と問われでもしたら終わり、という恐怖もある。
「……前、読んだ本に、似ているが違う世界ってのがある、って書いてあったな。
それじゃねぇの?」
黙していて解決するのであればそうしたかったが、場の雰囲気を見るにそんな都合の良い話はなさそうだった。サンズは考えた末、適当な話をでっちあげる。
自分がよく本を読んでいることは事実だ。パピルスはそれを知っているが何を読んでいるか、という詳細にまで興味を示さない。内容に関して多少嘘を告げたところでバレる要素はなかった。
「それに、何となくだけどよ、ソウルがあれはオレだって言ってるしな」
「確かに! オレ様にもわかるぞ!
お前はサンズだ!」
キラキラとした目が軽い足取りで近づいてくる。
警戒心というものがないのだろうか。彼の後ろでオレンジ色が慌てて静止の言葉を投げているが、青い星は全くもって気にする様子がない。
「初めまして別のオレ様!」
LOVEもEXPも1の兄弟。彼らの世界は平和そのものなのだろう。サンズは上半身を仰け反らせながら別世界の自分を見る。
「どうした? オレ様があまりにもグレートで驚いてしまったのか?」
「……あぁ、まあ、そんなところだ」
眩しい。ただただ、眩しい。
思わず彼の後ろにいるオレンジ色のパピルスに救いを求めて目線をやってしまうほど、青い星は輝いていた。
「なるほど! ならば仕方がないな!
だが、オレ様は貴様ともお友達になってやるぞ!
友情のハグをしようではないか!」
テンション高く宣言した彼は両の手を広げ、サンズへと迫ってくる。
隙を生ませるための嘘でも、場を収めるための適当な嘘でもない。それらを当たり前としてきたサンズにとって、正真正銘の暖かく美しい感情は、吐き気を催すほどにおぞましいものに見えてしまう。
「信じがたい話だ」
「ぐえっ」
ソウルからせり上がってくる気持ち悪さにサンズが動けずにいると、後ろから首輪が引っ張られた。
「しかし、確かに、貴様には我輩を感じる」
「どーも。オレとしては、信じたくないけどね」
「こちらの台詞だ」
紫煙をくゆらせるパピルスの目は、わずかにオレンジ色の輝きを放っている。サンズと同じ目を持って、彼は二人がLOVEとEXPを得ていることに気づいているのだ。
おそらくは平和な世界に生まれ育った彼らは、悪意や殺意に耐性がない。
青い星の方はともかくとして、オレンジ色は自身達の不利を理解し、気を張り詰めているようだった。
「おい! こっちのパピルス!」
赤とオレンジが火花を散らす中、青が声を荒げた。
「何でハグの邪魔をするんだ!」
「サンズ、落ち着いて」
今にも飛び掛っていきそうな青い星をオレンジ色が捕まえる。真っ白なモンスターが向かって行くには、パピルスのLOVEは高すぎる。心配になるのも無理はない。
「我輩の所有物に勝手に触れられては困る」
冷たい目が青い星を見下ろした。
普段、被虐している存在と同一の存在。しかも、目に見えてわかるほどの無防備さと純真さ。殺伐とした世界に生きるパピルスと相容れるわけがない。
「向こうには向こうの事情ってのがあるんだろうし、さっさと帰ろうよ」
「オレ様は誰かの所有物じゃないぞ!」
引き止めるオレンジ色を振りほどき、青い星は骨を片手にパピルスと向き合う。殺す意思もないくせに、やるつもりらしい。
「貴様など知らん。
だが、この愚兄は我輩の所有物だ」
サンズの首輪をさらに強く引き、後ろへと放り投げる。
想定外の動きにサンズは悲鳴を上げていたが、そんなことに気をやってくれるパピルスではない。彼はじっと目の前にいる異物を見据えていた。
「なるほど、そっちのオレ様は兄なのか!
それは素晴らしい! 何せ、パピルスときたら仕事をサボってばかりだからな。
オレ様のほうが兄にずっと相応しい」
「こっちに火を飛ばすのは勘弁してくれ。
ヒーヒー言うことになっちまう」
「パップ!」
つまらぬジョークに青い星が兄の名を叫ぶ。口角はわずかに上がっているが、現在の状況とジョークが即していないのは明白だ。
「我輩の癖に怠け骨だと……。
忌々しい。うちの愚兄とそっくりだ」
立ち上る怒気にサンズは後ずさりをする。普段の行いが宜しくないのは重々承知しているが、今のパピルスが相手では本当に殺されかねない。許されるのであれば、今すぐにでもご機嫌取りのため地を這い蹲り、靴の一つでも舐めてやりたいくらいだ。
「貴様も苦労しているのだな!
だが! 兄弟は仲良くするものだぞ」
「……違う世界線の我輩達だと、言ったな」
パピルスが手を上げる。
鋭利な骨は全て青い星へと向けられていた。
「だとすれば、貴様らの世界はずいぶんと生ぬるいらしい」
手が振り下ろされ、戦闘が開始される。
鋭利な1骨が敵を排除するため降り注がれるが、それらは地面にすらあたることなく消えていく。
「パァップ余計なことしないで!
オレ様一人でも防げたんだぞ!」
「わかってるさ。でも、目の前で兄弟が傷つけられそうになったんだ。
どうして黙って見てることができる?」
パピルスの放った骨は、オレンジ色が呼び出した骨によって相殺されていた。青い星も迎撃の構えをとってはいるが、技の発動にまでは至っていない。弟を案じた兄の行動は大正解と言っていいだろう。
「別の世界のパピルス!」
青い星は手にした骨をパピルスへと向ける。
「オレ様にはわかるぞ!
貴様は兄弟を大切にすることができるスケルトンだ!」
青い骨がパピルスの周囲に召還される。
四方を取り囲み、徐々に狭まってくるが、所詮は青。じっとしていればなんら問題のない攻撃だ。
「馬鹿馬鹿しい」
パピルスは涼しい顔をして青い星を見る。動揺は一切ない。同じ魔法を使うことができる彼は、ほんのわずかな呼吸の乱れが無害を有害に変えると知っていた。
次の攻撃を繰り出すことさえできない状況ではあるが、骨を長時間召還し続けることはできない。わずかな時間で美しい青が透けている骨は消えることだろう。
「アレはただの奴隷だ」
「またそういうことを言う!
ちゃんとソウルに聞いてみろ。
きっと、貴様の心は兄弟を愛しているはずだ」
何処まで無垢なのだろう。忌々しささえ感じられる光にサンズは目の端を歪めた。しかし、彼が見据えるのはただ一人。自身の弟でも、それに相対する青い星でもない。
彼らの向こう側でことを見守っているオレンジ色。
必要とあれば、彼はパピルスを殺すために攻撃をしかけてくるだろう。LOVEがたった1のモンスターにパピルスが殺られるとは思わないが、舐めてかかれる相手でもない。彼がブラスターを所持しているのだとすれば、兄として生き、研究員としての時間を過ごしていたのだとすれば、単純なLOVEでは測れない威力があると考えていいはずだ。
いざというときは、こちらも覚悟を持って対応しなければならない。
サンズは鈍い痛みによって欠けそうになる集中力をかき集め、必死にオレンジ色を監視する。
「くだらん。この世界は殺るか殺られるか。
弱いモノに価値などない」
パピルスを囲んでいた骨が消えると同時に、彼は手を振り上げる。空中での召還ではなく、地中からの召還。骨は雪を突き上げて青い星を狙う。しかし、呆然とそれをくらうほど、相手も愚かではない。
「つまり……。
貴様の兄は強いということだな!」
楽しげに笑う星は地を蹴り、宙にいた。また、その身体は薄青い光に包まれており、重力操作の影響を受けているように見えた。身動きの取れぬ空中を狙われぬよう、オレンジ色が手を貸しているらしい。
「サンズ!」
重力操作に気づいたパピルスが兄の名を呼ぶ。それだけでサンズは全てを承知することができた。
「イエス。マイ、ボス」
左目が赤く発光し、宙へ光の軌跡を作り出す。それはソウルの光。サンズの強い魔力が器から零れ、外へ漏れ出しているが故に知覚できるエネルギーの塊だ。
彼が両手を挙げれば青い星を囲むようにしてブラスターが四つ出現する。赤々としたオーラをまとっているそれは、敵を確実に屠るためのもの。
「サンズ!」
オレンジ色が悲鳴のような声をあげ、手を下げる。
青い星が急速降下するのに合わせてブラスターも照準を変える。発射回数は一体につき一度。しかし、発射さえしなければ、方向はいくらでも変更が可能だ。
サンズは目を細め、状況の細やかな変化すらも見定め、慎重に頃合を測る。
「くらえ! あおこうげき!」
星は空中での動きをオレンジ色に任せ、真っ青な骨を地面から出す。狙うはパピルスではなく、サンズだ。
「――う、あぁ」
止まっている身体を貫通した青色はわずかなダメージすら与えることなく消えていく。じわり、と溶けるような消え方をしたそれは、サンズのソウルを自身の色に染める。
ソウルが真っ青に染まれば身体は重力操作の影響下。
サンズは降りかかる重みによって上半身から雪の中へと倒れこむ。
指標を失ったブラスター達は銃口をあちらこちらに彷徨わせ、青い星を自由の身にした。これは彼にとっての好機であり、パピルス達にとっての危機だ。
煌く星の宿った瞳は笑う。
「この役立たずが!」
舌打ちを一つ。パピルスは空に地に大量の骨を呼び出し、青い星へ弾幕を向ける。白と青で構成された弾幕を避けきるのは容易いことではない。だが、相手は味方による重力操作の助けがある。幾分か難易度は下がっていることだろう。
「我輩のために働け! それが貴様の存在意義だろう!」
「――あぁ」
サンズは歯を食いしばり、どうにか顔を上げる。立ち上がることは不可能であったとしても、目を使い、敵を狙うことはできるはずだ。
「わお! 一緒にいるのが存在意義だって?
実は貴様も兄弟のことが大好きなのだな!」
「どうしてそうなる!」
雪煙が舞い、骨が乱舞する。その全てを華麗に避けきっている姿は、オレンジ色の手腕がいかに優れているかを物語っている。
回避に集中するあまり、攻撃に転じることは難しいようだが、どのみち青い星は敵の殲滅を願っていない。攻撃手段に関しては彼に任せることが最良だろう。オレンジ色はただ弾幕に集中し、弟の身を守るだけでいいのだから、スノーフルでくるかわからぬニンゲンを待つよりもずっと楽な仕事だ。
「だって貴様の傍に兄弟はいるじゃないか!
オレ様は嫌いな奴の傍なんていやだぞ!」
わずかに、瞬き以下の時間、パピルスの動きが止まる。
次々に現れ、途切れることなく張られていた弾幕に一瞬の隙が生まれた。
だが、その隙間を縫ったのは青い星でも、オレンジ色でもなかった。
「死ね」
赤い魔力が燃え上がる。
ブラスターの銃口は全て青い星を見ていた。
「サンズ!」
オレンジ色が叫ぶと同時に青い星は手を腕を挙げ、振り下ろす。
腕の上下に合わせ、サンズの身体は宙へ浮き、雪に叩きつけられる。積もったばかりの雪は柔らかく、大したダメージを与えない。はず、だった。
「ぐっあぁっ――!」
雪で作られた煙も、緊迫した空気も、全てを切り裂くようにして上げられた呻き声。演技でも何でもなく、苦痛を得て反射的に発せられたであろう声に、青い星は目を見開く。
元々、サンズの身体は非常に脆い。殺すか殺されるかという世界の状況もあり、常にケツイが身体から漏れ出ているような状態で、ちょっとした衝撃で崩れてしまいかねない危うさがあった。そのような身体を彼が今も保ち続けることができているのも、また、ケツイという力のおかげなのだから皮肉なものだ。
パピルスから受けたダメージと雪に叩きつけられたダメージ。ケツイを強く抱き、攻撃を行おうとしていたサンズの身体は容易く苦痛を受け取ってしまう。
ダメージがソウルにまで至らなかったのは、青い星に敵意がまったくなかったからにすぎない。彼からしてみれば、ちょっと動きを止めるくらいの気持ちで行った重力操作だったはずなのに呻き声が上がったのだ。困惑も大きい。
「ど、どうしたのだ?」
星の疑問に答えをよこすモノはいなかった。
オレンジ色は青い星と同じく驚きを顔に表しており答えを有しておらず、呻き声の原因を知っているパピルスは忌々しげな顔をするばかり。
苦痛に顔を歪めるサンズはそれでもなお、口角を上げる。
「情け、なんざ、かけてる余裕、ねぇだろぉ?」
震える指先を動かせば、ブラスターの口が大きく開き、濃縮されたエネルギーが発射された。
「っの野郎!」
重力操作で上へ避けるべきか。そう考えたオレンジ色は瞬時にその意見を却下する。サンズは戦い好きの気狂いではない。先を読み、ブラスターを配置する知能を有しているモンスターだ。ヘタな移動はエネルギーの直撃を食らうだけに終わる。
回避は不可能。ならば、残る選択肢は一つ。
オレンジ色は重力操作を解除すると同時に青い星の周囲へ骨を呼び出す。
避けられないのであれば、防ぐしかない。
「――やめろ」
数発のエネルギー砲によって青い星を守る骨が砕けそうになったところで、静かな声が戦場に落ちてきた。
残りの攻撃を防ぎきることは難しいだろう、と考えていたところに放たれた声へ、オレンジ色は安堵の気持ちより心地の悪い疑問が先に浮かぶ。
「ボス?」
「興が冷めた。
奴は何をしてもこちらを殺すつもりはないらしい」
パピルスの言葉に従い、ブラスターを止めたサンズは戸惑いを隠せずにいた。
今まで、いくら殺さなくてもいいのでは、と進言したところで是とは返さなかった弟が、一度敵と定めた相手を逃そうとしている。別の世界線の自分達であるからこそ、何か思うところがあったのかもしれないけれど、それにしたって予想外のことだ。
「貴様らは別の世界線とやらに帰れるのか?」
「たぶん」
オレンジ色が答える。
近道を使えるモノだからこそ、自身が行きたいと願う場所と道が繋がっているのかどうかが感覚としてわかるのだ。たとえ、世界線が違っていたとしても、来ることができた以上、道はある。ならば、その過程を省略してしまえば理論的には元の世界に帰れるはず。
「ならばさっさと帰れ。
おい、愚兄。貴様は仕事の続きだ」
頭蓋骨をわし掴みにし、上を向けて強制的に口を開かせる。
マヌケな口の中へ飴玉を一つ放り込めば、わずかながらサンズの身体から苦痛が遠のいていく。
「お、っけぇ、マイボス」
しかし、荒れた息は戻らない。戦闘が始まる前から得ていたダメージですら、彼の動きを鈍らせていたのだ。飴玉一つでは加算されたダメージ分さえ回復させることはできない。蓄積された苦痛はサンズの表情から余裕を消し去ってしまう。
どうにか足に力を込め、立ち上がるサンズをパピルスは冷め切った目で見ていた。
不完全燃焼に終わってしまった戦闘に思うところもあるのだろう。
「待って!」
青い星は悲しげな声を出す。
「そんな状態で仕事なんて無理だ!
ちゃんと休まないと!」
「こっちのやり方に口を挟まないでもらおうか」
「駄目だよ! オレ様がそっちのサンズを酷い目にあわせちゃったんだもん。
ちゃんと責任はとる! 無責任なパップとは違うもん!」
「オゥ。兄弟。そりゃないんじゃないの?」
さくさくと雪を踏みしめ、青い星はサンズの前に立つ。
「オレ様の家に行けば美味しいタコスがあるぞ!
それを食べればすぐに元気一杯だ!」
優しく手をとられ、サンズは息を呑んだ。
攻撃の意味を持たぬ手など、いつ以来だろうか。
「いや、オレは」
「大丈夫だ! パピルスが道に迷わないよう、オレ様もちゃんと見てるからな」
別の世界になど行きたくない。自分のいる世界がいかに残酷で、辛いものかなど、改めて確認したくない。その思いで手を退こうとするが、青い星はキラキラとした目を曇らせることなく手を握ってしまう。
「……まあ、ちょっとくらいいいんじゃない?」
オレンジ色はため息をつきながらも星を肯定する。拒絶の無意味さを知っていると同時に、今にも崩れてしまいそうなサンズが気になってしまったのだろう。姿形だけ見れば、彼は星と類似している部分が幾つかある。
別の世界線とはいえ、サンズがオレンジ色を攻撃できなかったように、オレンジ色もまた、サンズを無視することができないらしい。
「貴様ら何を勝手に」
「一緒にくればいいじゃないか。
大丈夫、タコスならたくさんあるからな!」
星は空いた片手でパピルスの手を掴み、自らが出てきた方向へと歩いていく。
近道の原理を聞かされていない彼は、純粋に来た道を戻ろうとしているようだ。
「待ってサンズ。
そっちのお前さんは歩くのも辛そうだ」
オレンジ色はそう言うや否や、サンズの体を抱き上げる。
骨のみで構成されている彼の身体はとても軽く、体力に自信のないオレンジ色でも軽々と抱き上げることができた。
「なっ……。
はな、せ!」
「暴れんなって」
小脇に抱え込むような体勢にされ、サンズは手足を緩慢に動かし、拘束から逃れようとする。弱々しいその動きでは蝶々結びにされたリボンでさえ解くことはできないだろう。オレンジ色はサンズの抵抗を無視し、空いた片手を青い星と繋ぐ。
「馴れ馴れしいぞ」
不服そうな顔をしながらも、大した抵抗もなく連れられて行くパピルスが言う。
戦闘はもう終了している。今更、改めて戦いを行おうという気持ちはないようだ。
「お友達だからな!」
「いつの間に……?」
どれだけの攻撃を受けたのか理解していないはずもないというのに、青い星は平然と言ってのける。
「だってオレ様は殺されなかった!
貴様達はオレ様を殺さなかった!
なら、もうお友達だろ?」
少しの理屈も通っていない。サンズとオレンジ色は思った。だが、愚かしいほどに真っ直ぐな性根は美しい、とも思った。
「そうか」
しばし沈黙した後、パピルスは頷く。
LOVEが高くとも、残虐であったとしても、彼もまた、リアルスターだ。荒唐無稽な理屈に頷き、受け止める素養があったらしい。
彼は青い星と繋がっている手に力を込めた。
「ならば貴様は我輩の友人だ。
光栄に思え」
「やったー! 友達が増えたぞー!」
傲慢な物言いだが、青い星はこれっぽっちも気にしていないらしい。嬉々とした感情を隠すことなく、両手を挙げている。
「なら今日はタコスパーティだ!
たくさん食べていいぞ!」
楽しげな様子に、サンズはちらりとオレンジ色を見上げる。
「ちなみに、そっちのパピルスは料理が上手いか?」
自身を抱きかかえる存在から発せられる雰囲気に嫌な予感がした。
パピルスの家事は完璧といってもいい出来で、ロイヤル・ガードの仕事をしつつ、暇があれば家のことをこなしてしまうようなスケルトンだ。料理をする頻度は高くないけれど、思い立ったかのように台所に立っては、絶品パスタを作り上げてくれる。
弟の手料理にサンズがありつける確率は非常に低いのだが、毎度毎度、期待にソウルを膨らませてしまう。
「……まあ、死にはしないよ」
「なるほど」
口にすれば魔力を体内に吸収することはできる。精神的な苦痛や残る舌触り、味はともかくとして、身体に残るダメージくらいは回復することができるだろう。
サンズは脱力し、事の流れに身を任せる覚悟を決めた。
しばしの間、楽しげな弟達と歩いていれば、サンズには馴染みのある近道の感覚。
オレンジ色が近道を使ったらしい。
「ここがオレ達の家」
目の前にあったのは、サンズ達の家とよく似た、しかし、ずいぶんと平和そうな家だった。窓を含め、壁のあちらこちらに修繕の跡が見られるようなことはなく、とても綺麗で、可愛らしい装飾がされている。
「……別の世界線、か」
パピルスは目を細め、周囲を見た。
正直なところ、別の世界線、などという言葉にはまだ半分程の疑いがあった。目の前の存在に己を感じたとしても、今、自分達が立っている世界とは違う世界など、易々と信じるには荒唐無稽が過ぎる。
けれども、こうなってしまっては認めるしかないだろう。
殺意も敵意もなく、住人達は笑いあい、外で談笑しているようなスノーフルの町をパピルスは知らない。気を抜けばソウルを壊されるような緊迫感はどこにもなかった。
「どうした? 早く入るんだ」
青い星が手を引く。
友人を家に招待できることが嬉しいようだ。
「わかった」
率先して家に入って行った弟の背を見送り、オレンジ色はサンズを地面にそっと降ろす。
「あんたさ」
「なん、だよ……」
オレンジ色はサンズを抱えていた腕を見る。
そこにはわずかだが、灰が付着していた。
「無茶はやめたほうがいいんじゃない?」
ソウルは違えども、同じ兄だ。オレンジ色はサンズの危うさを理解していた。
体に収まらぬ強大な魔力とケツイ。それらはモンスターの身体を破壊する。
「魔力の操作もちょっと下手だし、そんなんじゃ弟を置いて逝くことになる」
サンズは目元に力を入れ、オレンジ色から視線をそらした。
「……別に、あいつにオレは必要ない。だから、問題ない」
常に気を張っていなければならない世界だ。平和な世界に生き、魔力を押さえ、ケツイを抱かずに日々を送れているオレンジ色より、サンズの身体は早く崩壊を迎えるだろう。
昔は、早死にするであろう自分を悔やんだ。残される弟を思い、胸を痛めたこともあった。だが、強くなったパピルスに自分は必要ない。それは嬉しいことでもあり、悲しいことでもあった。
「そっちの事情はわからないけど、知り合っちゃったんだし、身体は大事にしてくれ。
うちのサンズが悲しむことになるからな」
「出会いがあれば別れもあるって教えてやってくれ」
サンズは身体を引きずるようにして前へ進み、家に入る。
これ以上、オレンジ色と議論を重ねるつもりはなかった。
生きる世界が違う以上、わかりあえる日など、けっしてこないのだから。
「レッド!」
「……は?」
家に入ったサンズは、青い星に呼ばれて目を白黒させる。
「せっかく友達になったのに、オレ様と同じ名前だと呼び辛いからな!
貴様は赤い服を着ているし、とても似合っている。だからレッドだ!」
「あー、ボス?」
反応に困り、思わず主の顔色を窺う。
自分が呼び名をつけられたということは、パピルスの名を持つ彼も同様のはずだ。
「好きに呼ばせてやればいい。
我輩もそうする」
「オレ様はブルーって呼んでいいぞ!
クールな青が似合ってるだろ?」
ブルーと名乗った彼は首に巻かれている青いスカーフを抓む。鮮やかな色合いをした青は確かに彼に似合いの品だ。
「じゃあ、オレはスモーカーって呼んでね」
レッドに続いて家に入ってきたオレンジ色が、煙を撒き散らしながら言う。出会ってから今まで、彼が煙草を切らしているところは見ていない。戦闘中ですら、口には細い煙草がくわえられていた。チェーンスモーカーというやつなのだろう。
「そっちのオレはエッジとでも名乗ったら?
切れ味凄いし」
「……てめぇ、ボスのこと舐めて、んの、か」
軽いノリでパピルスの呼び名を決めようとするスモーカーにレッドは敵意を向ける。赤く光る左目は彼が本気であることを示すが、強い魔力とケツイは瀬戸際にある彼の体力をさらに削る結果となってしまった。整いつつあった息は荒れ、身体が沈むようにして傾く。
「サンズ。我輩に二度も同じことを言わせるな。
好きに、呼ばせて、やれ」
片膝をついたレッドへの労わりは一言もなく、ただただ冷たい一言が放たれる。
「ソーリー。マイ、ボス」
レッドは目を閉じ、深く呼吸をした。気持ちさえ落ち着かせれば、体内で暴れる魔力やケツイも静まり、軋むダメージも軽減された。
「エッジ。喧嘩は駄目だぞ」
「喧嘩などするものか」
強者と弱者の間に発生する諍いを喧嘩とは呼ばない。
虐殺、虐遇、甚振り、嬲る。そんな言葉が似合いだ。
「なら良かった!」
ブルーは言葉の裏に隠された残酷に気づくことなくキラキラと笑う。
「そうそう。レッドはこれを食べて早く元気になるんだぞ!
差し出されたのはトルティーヤで野菜や肉を包み込んだタコス。暖めてくれたのか、薄っすらと湯気が見えるそれは、美味しそうな見た目をしていた。鼻をつくような香りさえしていなければ、の話ではあるが。
「パピルスも食べるだろ?」
「あー、うん。そう、だね。いただくよ」
スモーカーは目を彷徨わせながらも、断ることができず、タコスを受け取る。
毎日毎日、飽きもせずに同じ料理ばかりを作っているのだ。腕は着実に上がっている。たとえ半歩であったとしても、四分の一歩であったとしても、前進は前進だ。来年の今頃には食べれるものができているはず。
「どうだ?」
瞳の中に星を入れたブルーが問う。
「……悪く、ねぇよ」
レッドは声を絞り出す。
口の中で鋭い刺激が乱反射したとしても、鼻に突き抜ける香りが粘着質なものであったとしても、魔力に還元されるよりも身体を傷つける方が早いのではないか、と錯覚してしまうような溶けかたも、全て飲み込む。
自分の弟ではない。別世界の自分だ。しかし、それでも、リアルスターを否定できない。
スモーカーなど完璧な笑みを顔に貼り付け、流石だ何だと褒め称えている。
「グレードな味だ」
エッジの言葉は正直な感想だ。
彼の舌が馬鹿である、というわけではない。味に対する許容範囲が広いだけ。
「そうだろ! そうだろ!
遠慮しなくていいからな。友達にはいくらでも作ってやる!」
こうして波乱から始まり、穏やかな方面へと流れていった二つの世界の繋がりは、その後も途切れることがなかった。世界をまたいでいるというのに、どういった理屈が通っているのか、携帯電話が通じたのだ。
何事も試してみるべきだ、とブルーとエッジによってなされた実験が成功した時、レッドとスモーカーは昔においてきたはずの好奇心が酷く刺激されたのを感じた。実際、弟達が見ていないところで、ちょっとした実験も行った。結論はでなかったけれど、それなりに有意義な時間であったことは間違いない。
「エッジ! レッド! いらっしゃい!」
にこやかなブルーに迎えられ、二人は家に足を踏み入れる。
携帯電話によって連絡を取り合うことが可能になった彼らは、こうして度々顔を合わせていた。基本的に集合場所はブルーとスモーカーの家だ。
穏やかな世界で生きているブルー達がレッド達の世界にやってくるのは、得策であるとはいえないだろう。
ブルーとしては、たまには遊びに行きたい、と主張しているのだが、他三名からの猛烈な否定によって、今のところ実現の目処はたっていない。
また、エッジとしても、気を抜くことのできるブルー達の世界を気に入っているようでもあった。素直にそれを口にしたことはないけれど、スモーカーとレッドの目を通せば一目瞭然だ。
「手土産だ」
「わっ! エッジのパスタだ。
ありがとう!」
「修行を終えたら食べようではないか」
「そうだな!」
顔を合わせる理由は様々だ。
美味しいアイスクリームがあるから、というような他愛もない情報の共有から、ロイヤル・ガードを目指すブルーに修行をつけるというものまで、幅広い目的を持って彼らは集まる。
レッドやスモーカーは積極的に別の世界線と連絡を取り合うことはなく、顔をあわせようという話にすらならないのだが、近道を使えるのが彼らだけである以上、必然的にエッジとブルーと同程度の頻度で顔を合わせることになっていた。
「ボス、オレはスモーカーと留守番してるぜ?」
「勝手にしろ」
「サンキュ」
たまには体を動かしたほうが良い、というブルーを適当にあしらい、レッドは修行のためウォーターフェルに向かう二人を見送る。
この世界でなら、ボスの身を案じる必要もない。殺るか殺られるかの世界で生き、LOVEを蓄積しているエッジを殺すことができるようなモンスターは存在していないだろう。
「――ふぅ」
二人の姿がなくなり、スモーカーと二人っきりになった家で、レッドはソファに倒れこむ。
「お疲れさま」
近道、という名前で呼んではいるが、時空を歪めて移動する技が楽に使えるわけがない。同じ世界の中であったとしても体力を消費するのだ。違う世界線への移動となればなおさらなのは当然。
ただでさえ、魔力の操作が上手ではなく、体力の少ないレッドだ。頻繁に行われる世界間の移動と、日常的な荒事により、疲労は蓄積するばかり。弟達の見ていないところで息抜きをしなければ本当に灰になってしまいかねない。
「ちょっとは控えてもらったら?」
楽しそうにしてる弟達の姿を愛おしく思う気持ちはわかるが、だからといって自身の寿命を削る必要はあるのだろうか。スモーカーは度々思う。
ブルーの願いは極力叶えてやりたいけれど、その先にあるのが絶望だというのならば全力で拒否する気概はある。何なら、普段怠けているのは、大切なときに本気を出せるようにしているのだ、と冗談交じりに言うことだってできる。
「馬鹿言うな」
レッドは片目でスモーカーを見る。
「お前は向こうの世界でボスがどんな顔をしてるか知らないからそんなことを言えるんだ」
表情を少しも動かさず、敵を屠る姿。
何度胸を痛めたことだろう。何度、恐ろしく思ってしまったことだろう。
「お前達といるときのボスは穏やかだ。
オレとしても、ありがたい」
二人と出会い、世界間を行き来するようになってから、エッジからの暴力は確実に頻度が下がっている。レッドがいなければ別の世界線に行けないという理由もあるが、何よりも、彼のささくれだった心が少しずつ回復している証拠であるようにレッドは思えた。兄として、それはとても嬉しいことなのだ。
「そのわりに、前に来たときはボロボロだったみたいだけど?」
短くなった煙草を消し、新しい一本に火をつける。
「ありゃあ、オレが悪い」
ブルーにバレればまたとやかく言われるので、エッジは服で隠れる部分を重点的に嬲った。レッドは平然とした様子であったが、今日と同じく、エッジとブルーが家を去ってすぐに崩れ落ちていた。
スモーカーが服をめくり上げれば、骨の何本かは確実に折れており、あともうわずかでも敵意があればソウルに深い傷を負わせていたことだろうことがひと目でわかってしまう有様だった。
「ボスの命令を完遂できなかった」
蓄積した疲労を言い訳に使うつもりはない。今までも、ない体力を補うための睡眠を言い訳に使ったことはなかった。
敵の足を止めるための重力操作を発動させることができなかった。骨を召還するタイミングが遅かった。ブラスターを使うことを躊躇った。数日に渡った失敗に、エッジの怒りが大爆発した。負傷の理由には十分すぎるものだろう。
「そっちのオレ達は相変わらずだな。
レッドが弱いからってのだけが理由じゃないだろうけど」
弱者だから虐げる、とエッジは言うが、ならばブルーはどうなのだろう。確かに、スモーカーやレッドと比べれば、攻撃力も防御力も有しているが、肝心の敵意というものを彼は持っていない。
実際に殺るか殺られるかを本気ですれば、レッドに軍配が上がるのは明白だ。
「ま、オレは良き兄じゃなかった、ってことだ」
怠け骨と罵られてはいるが、スモーカーはブルーにとって良き兄であった。スノーフルに来るよりも前は献身的に面倒を見ていたし、今も生活のために必要な費用は主にスモーカーの稼ぎから出ている。
詳しいことを聞き出すようなマネはしないけれど、ブルーはスモーカーが今も自分のために働いてくれていることを知っているのだ。
「お前が羨ましいよ」
目を閉じ、それだけ言い残してレッドは眠りの世界へと落ちてゆく。
しばらくすればエッジと共に元の世界へと帰らなければならない。体力と魔力を回復させなければ。
「ただいまー!」
「ん、今日は早いな」
レッドが眠り、静かな空間が出来上がった室内が騒がしくなる。
時計を見れば、ブルー達が出て行ってからそれほど時間は経っていないようだった。いつもならばグリルビーズが開くような時間にならねば帰ってこないというのに、珍しいこともあるようだ。
「アルフィーも混ざって修行してたら疲れちゃった!」
顔や身体が泥だらけになっているのは、アルフィーとの修行が原因らしい。
「……こちらのアルフィーは中々に強いものだな」
それでもエッジからすれば、容易い相手だったようだ。
ブルー達と既知の仲であるアルフィー達にはエッジ達のことを説明している。初めは皆、驚いていたが、二度、三度と顔を合わせればすっかり慣れたらしく、今では昔からの友人のように接してくれている。
「む。愚兄。何を寝ている。
留守番の許可はしたが、他者の家でだらだらしても良いとは言っておらんぞ」
「別にいいぞ?」
「我輩の気分の問題だ」
エッジが眠っているレッドの首輪を引けば、反射なのか習性なのか、レッドはすぐに目を開けた。
「おかえり、ボス」
「眠る許可はしていない」
「そりゃ……すまない。
スモーカーと話すこともなくて退屈でな」
まだ疲労を回復できていないだろうに、レッドの様子は平素と何ら変わりない。よくやる、とスモーカーは自身を棚に上げて胸中で呟く。
いっそのこと、一度くらい本気で倒れればいい。
その際のエッジの反応如何ではレッドも己が身を案じるようになる未来もあるかもしれない。
「パップは喋るのも怠けるときがあるからなぁ……」
「流石にそれはないよ。
……ない、よね?」
「あるぞ」
ブルーはスモーカーの問いをバッサリと切り捨てる。
平和にかまけて怠け癖を最大限に発揮しているらしい彼は、時折、ブルーに対する返事でさえぼんやりとしたものになることがあるらしい。
本人は自覚していないようだが、リアルスターが言っているのだ。間違いないだろう。
「そっかあ……」
少し改めなければ、と思うスモーカーを横目に、ブルーは快活な笑みを浮かべる。
「今日は疲れちゃったし、シャワーを浴びて二人で料理をするぞ!
料理は友情を深めるのに最適だってアルフィーも言ってた!」
というわけで行ってきまーす、と駆け抜けたブルーを三人は見送る。
最も騒がしい個体が去ってしまい、静まり返って部屋の中でレッドは自身の弟を見上げた。
「あー、ボス?
何かオレに出来ることはあるか?
下準備くらいならしておくが」
「貴様の手など必要ない」
「オーケイ。なら、ボスの邪魔をしないよう、大人しくしていよう。
勿論、目はパッチリと開けて、な」
ブルーと何かをしているとき、しようとしている時のエッジは笑顔さえ浮かべている瞬間があるというのに、自分と話すときは以前と変わらぬ仏頂面だ。
一度くらい、スターの笑みを真正面から見たい、と思うのは贅沢なことだろうか。
レッドは降参のポーズをとったままソファの端へ座る。
「ちなみに今日のメニューは?」
悪戯っぽく笑いながらスモーカーが問う。
答えなどわかりきっている。エッジはパスタしか作らず、ブルーはタコスしか作らない。そこから導き出されるメニューは唯一つ。
「パスタコスだ」
「なーるほど」
トルティーヤでパスタを包んだ料理。
エッジ単体でならば美味い料理も、ブルーとの共同制作となるとハメが外れるのか酷いものができあがるばかりだ。味の破壊力はお墨付き。
スモーカーはちらりとレッドを見る。疲労の上にあの料理はきついものがあるかもしれない。必要であるのなら、グリルビーズからまともな食事を調達してくることも考慮しなければ。
「我輩は材料の確認をしてくる」
「足りないものがあったら言ってくれ。
エッジがシャワーから出てくる前に買ってきておくよ」
「すまないな」
穏やかなやり取りだ。
レッドはソファの上から二人のやり取りをぼんやりと見ていた。
「……どうした?」
弟組みがそれぞれ別の場所へ行き、再び二人が部屋に取り残される。そこでスモーカーは意識をどこかに飛ばしてしまったかのようなレッドに気づく。
「何がだ?」
問い掛けをレッドはさらりと流す。
別段、深い何かがあったわけでもない。
本当の兄弟であるはずの自分より、スモーカーやブルーと共にいる瞬間の方が、エッジは本来の自分で在れているような気がしただけだ。
ブルーといるときなど、それが顕著に現れる。
彼の優しさや無垢さは他を変える力を持っていた。相手が密やかに持つ優しさや良心を見つけ出し、楽しげに掬い上げてくれる。
レッドがもっと強いモンスターで、エッジが他のモンスターを手にかけずとも良い環境を作ってやれていたのならば。守りきることができていたのならば。彼は穏やかに光をまとって生きていただろう、というレッドの夢想を具現かしてくれたのは、間違いなくブルーであり、彼を育ててくれたスモーカーであった。
「エッジー! 上がったぞー!」
手先から服から湯を滴らせながらブルーが出てくる。服ごと丸洗いできて便利だな、とレッドは思う。彼らの服装でそれをすれば、装飾品のいくつかは錆びてしまうだろうから。
「貴様、せめて水くらい拭いてこんか!」
「うえ〜。そのうち乾くから大丈夫」
「良くないって。ほら、タオル」
ブルーを叱り飛ばすエッジ。タオルを手渡すスモーカー。
背の高いスケルトンに囲まれると、まるで親戚に構われている幼児のようだ。
「こっちはオレに任せてあんたシャワー浴びてきな」
「そうさせてもらおう」
無邪気な彼を中心に暖かな光景が広がっている。
幸福な、求めるに足るそのシーンを目にすると、レッドはどうしようもなくソウルが傷む。ダメージはない。灰になる心配もない。ただただ痛いだけ。
不可解な苦しみが何なのか。答えを知ったのはそれからしばらく経ってからのことだ。
定期的な連絡と顔合わせが習慣と化し、示し合わせずとも思い立ったその日にブルー達の家を訪れることも珍しくなくなり始めた頃。
ブルーがたまにはレッド達の世界に行きたい、と強く主張したことが事のきっかけだった。
平和な世界に慣れている彼が、殺戮の世界で安全に過ごせるはずがない。
三体は強く反対し、何度も何度もブルーの意見を撤回させた。しかし、強固な意思の持ち主であるブルーの言葉を完全に打ち倒すことはできなかった。
何十度目かの主張に、三人は勝つことができず、とうとう妥協を許してしまったのだ。
「いいか。決して我輩から離れてはならんぞ」
「何度も言わなくてもわかってるぞ」
「兄弟のことを信用してないわけじゃないさ。
ただ、念には念をって言うだろ?」
エッジもスモーカーも、ない耳にタコができるのではないかという程、ブルーに言って聞かせる。
潜在的な力はともかくとして、その精神性によってブルーは敵を殺すことができない。攻撃を防ぐことはできるだろうけれど、本物の殺意を持つモノを相手どるにはまだまだ不足が目立つ。
その身を案じるからこそ、しつこくしてしまうのだ。
「ボスの傍にいりゃ問題ない。
それだけはちゃんと守ってくれよ?」
長いとは言わないが、短いとも言えない時間の中で、レッドはブルーという存在の大きさを何度も目の当たりにしてきた。穏やかな心を取り戻しつつあるエッジが、彼を失えばどうなるか。兄として、想像したくない未来だ。
三者三様に心配をされ、釘を刺され、ブルーはそのたびに首を縦に動かした。能天気なところのある彼とはいえ、エッジやレッドから彼らの世界がどう在るのかを聞かされていたため、その危険性もよくよく理解していたのだろう。
だからこそ、レッドは驚愕する。
「こっちにブルーがこなかったか!」
エッジとスモーカーがブルーと共にこちらの世界を楽しんでいる間、レッドはいつもの仕事を任されることとなっていた。向こうの世界に行くのであればレッドの存在は必要不可欠だが、こちらの世界に滞在するのであれば、必要なのはスモーカーであってレッドではない。
不要な存在を遊ばせてくれるほど、エッジは心優しいモンスターではなかった。
ボスの命令に逆らうことなど頭の片隅程度にしかわいてこないレッドは、言われるがまま持ち場の見回りをしていた。必死の形相をしたスモーカーが突如として現れたのは、そんな時のことだった。
「……は?」
レッドはない血の気が引く音を確かに聞いた。
この世界で、ブルーが行方不明。
生死の危機に直結する問題だ。
「見てないぞ。
てか、何で、いなくなってんだよ!」
「ちょっとドタバタしてる間にいなくなってたんだよ!
悪いけどお前も探してくれ!」
そう言い残し、スモーカーは姿を消す。別の場所へ近道をして行ったのだろう。
雪が降り積もり、音が消えた世界でしばしの間、レッドは呆然と立ち尽くす。
スモーカーの言っていたドタバタというのは、戦闘のことだろう。エッジに喧嘩を売るモンスターはそうそういないが、時にはその地位を妬み、恨み、決死の覚悟で突っ込んでくるモノがいるのもまた事実。
運の悪いことに、ブルーはその瞬間に居合わせてしまったのだ。
「こうしてる場合じゃねえな!」
レッドは雪を蹴り上げ、周囲を駆ける。居場所の目安さえついていれば、近道をしていけるのだが、今回ばかりは大よその場所さえ検討がつけられていない。下手に体力を消耗させるより、周辺を足で探すほうが効率的だ。
「ブルー! いるか?
いたら返事をしろ!」
大声を出し、木々の間を抜けて回る。
見つけ次第、近道を使って自宅へ連れ帰る。ミッションはそれで終了だ。最悪なのは、彼の衣類と灰を見つけること。
一分一秒、瞬きの間さえ時間が惜しい。レッドはない体力をギリギリまで削り、辺りを探った。声を上げれば、自身が敵に見つかりやすくなるということも理解していたが、そこに気をやる余裕はない。
「どーした、サンズゥ。
探しものでもしてるのか?」
求めていたものではない声。しかも、友好的とは言い難い雰囲気だ。
レッドは足を止め、相手を真正面に迎える。
「何だ、手伝ってくれるのか?」
余裕ぶって敵を挑発してみるが、胸の内側ではソウルが恐怖に震えていた。
何だかんだと言いつつも、命だけは守ってくれる存在が今日はいない。相手が油断なくその気になれば、ひ弱なレッドなど軽く潰すことができてしまう。
自身の命を確保するためにも、思考だけは止められない。
「まさか。だけど、探し回らなくていいようにはしてあげようじゃないか」
「ほう?」
敵は軽薄な口調と共に片目を閉じる。
これが平和な空間での会話ならば、レッドも笑ってやれただろう。
「つまりだな――。
灰になっちまえってことだよ!」
言葉と同時に降り注ぐのはキラキラとした刃。鋭利なそれはレッドのソウルを引き裂くために四方八方に動き回る。
「手伝うつもりがないなら邪魔しないでもらおう、か!」
レッドは骨を使い、刃を弾く。骨が間に合わなければ身体能力を持って避け、それも不可能だと判断すれば近道の応用で近距離を移動する。極短い距離の移動なので近道ほど体力を消費することはないが、それでも連続使用には難がある。
額から伝う汗は、発光している左目の作用によるものだ。
長時間の戦闘を続ければ、灰になるよりも先に解けて消えてしまうことだろう。
「残念ながら遊んでやる時間はねぇ。
初っ端から全力でいかせてもらう」
相手のソウルを青く染め、手を上下左右に振り回す。周囲の木々へ、地面へと敵の身体はレッドの思うがままに叩きつけられていく。致命傷にはならないものの、その攻撃はソウルの表面を削るに足るものだ。
召還の際と放つ際にのみ魔力や調整を必要とするブラストや骨による攻撃と違い、重力操作は発動している間、常に魔力の調整と消費の両方が必要とされる。瞬間的な足止めや行動制限には有効的な技だが、長時間使い続けるとなれば勝手が悪い。加えて、それ自体に殺傷能力があるわけではないため、殺戮には向かぬ技だった。
にもかかわらず、レッドはバスターでも骨でもなく、重力操作を持って敵を相手取っている。
「……はぁ、は、こんな、もん、だろ」
息は荒れ、融解した身体の一部を拭いながらレッドは呟く。
彼の前には気絶した敵。周囲には枝が折れ、幹が傷ついた木々で溢れていた。
「ッチ。時間を使っちまった」
レッドは疲れを訴える身体を無視して走り出す。敵にはトドメを刺さなかった。いや、刺せなかった。
意気地がないのだ。他のモンスターを殺すということに、レッドはどうしても馴染むことができない。何度か、どうしようもない際に敵を灰にしたことはある。そのおかげでスモーカーよりはLOVEも攻撃力もある。しかし、殺しに慣れることだけは、できなかったのだ。
死に際の顔が目に焼きついて離れない。自身へ降り注ぐ敵の灰の感触が忘れられない。思い出しただけで吐き気がするような経験だ。あんな思いを弟が何度も何度も味わっていることが辛くて怖くて、許せなかった。
「おーい! ブルー!」
駆けて、駆けて、駆け抜けて。
普段、大人しく寝こけているレッドが走り回っている姿は相当目立つようで、数度、ダンスの相手を願われた。単体で来るモノもいれば、団体のモノ達もいた。
それら全てをレッドは気絶させる、という形でいなし、雪が降り積もる森中を回った。
隅から隅まで、とは言わずとも、大よそこの辺りの地理を知らぬモンスターが足を踏み入れそうな場所は全て確認したといっていいだろう。
「もし、かしたら、戻って、るかも、しんねぇ、な、これ、は」
歩調を緩め、息を整える。
スモーカーからブルーの不在を聞いてからずいぶんと時間が経っていた。町の方にブルーがいたのならば見つかっていてもおかしくない頃合だろう。レッドの携帯電話に何の連絡もきていないことは気になるが、再会の喜びと安堵のあまり伝えるのを忘れている、という可能性はあった。
何せ、相手は弟をリアルスターと称してやまないスモーカーと、基本的にレッドへの興味関心が薄いエッジだ。
連絡ミスの一度や二度、経験がないわけでもない。
レッドは荒れた息が落ち着いたところで携帯電話を取り出した。
スモーカーへコール。一回。二回。
「ハイ、スモーカー。こちらレッド。
ブルーは見つかったか?」
数度目のコールでスモーカーが出る。
第一声から生気が見て取れたため、レッドはどのような返事があるのか大方の予想がついてしまう。
『すまない。連絡を忘れていたみたいだ。
ブルーは見つかったよ。今、エッジと家で遊んでる』
「そりゃ良かった。オレも近いうちに帰る。
ゆっくりしていってくれ」
近くの大木に背を預け、レッドは通話をきる。
そして、そのままずるずると身を沈ませ、雪の上に座り込んだ。
「――よかった」
安堵から力が抜け、酷使した身体がわずかに痙攣を起こす。ポタポタと今も垂れているモノは後どれだけの時間を待てば止まってくれるだろうか。帰宅はその後だ。こんな姿をエッジに見せるわけにはいかない。
「しっかし、アレだな。
ハ、ハハ、マジで忘れられてるとはな」
乾いた笑いがこみ上げてくる。
同じサンズであるブルー。同じ兄であるスモーカー。彼らと自分。何が違うのだろうか。別の世界線の自分達であるはずなのに、レッドは自分だけが遠いどこかにいるような気がしてならなかった。
帰りたくない。自身の身体の状況だけでなく、心が、家を避ける言葉を吐く。
「そうか」
レッドは目を閉じる。
疲れてしまった。体力も魔力も殆ど空っぽだ。今ならばLOVEを持たぬ子供でも彼を殺すことができるだろう。
「オレは嫉妬してたんだな」
胸の痛みが何なのか。ようやくわかった。
別の世界で幸せに平和に暮らし、愛し愛されている彼らにレッドは醜い嫉妬を向けていたのだ。
「馬鹿みてぇ」
弟の心一つ救ってやれなかったモンスターに嫉妬する権利などない。愛される理由も、愛を受け取ってもらえるわけもない。頭ではわかっている。だが、ソウルは泣き叫んで止まない。その嘆きが痛みとなり、レッドの胸を苦しめる。
何が違うのだ。積み上げてきたものが違うのか。心が違うのか。そう在れとした世界が違うのか。
レッドは薄く目を開ける。左目には赤いケツイがあった。
「世界が違う。
あぁ、そうだ。そうだった」
全て、この世界が悪い。
真っ直ぐになるはずだった弟の心を歪めたのは、灰に塗れたこの世界だ。自分を弱いモンスターにしたのは力こそ全てにしたこの世界だ。
救われた心とて、こんな場所ではまたすぐに傷ついてしまう。優しさを取り戻したエッジが敵を見逃せばどうなる。
殺されるだけだ。隙を狙われ、背後を狙われる。命乞いをしたその口で敵を罵るなど、この世界では日常茶飯事なのだから。
「パピルス。お前にこの世界は似合わない」
さようならを告げよう。愛すべき弟のために。
彼の幸福を見続けることができないのは悲しいけれど。嫉妬に胸を痛めることもなくなるはずだ。その先にある未来は短いものになってしまうだろうけれど、それもいい。
レッドは一人、ケラケラと笑う。
だが、狂った声は雪に吸い込まれ、誰にも聞かれることはなかった。
そこから先、レッドの行動は迅速だった。
「意外と残ってるもんだな」
かつて、自身が所属していたラボへ近道を用いて入りこみ、残っていたデータを掘り起こす。別の世界線との接触が困難であったため、実験するにまで至らなかったもの達は、理論だけで言えば世界間をまたぐ道を塞ぐことは可能である、と告げていた。確証を得ることができるまで実験を繰り返すことができればよかったのだが、残念ながらその機会も時間もない。
何が原因で繋がったのかわからぬ道だ。遅々としている間にあっさり道が閉ざされてしまう可能性だって大いにある。たまたまそのタイミングでエッジだけをあちらの世界に連れて行っている、などという奇跡を期待するのは愚かモノの所業だ。
「慎重にやらねぇとな」
レッドはたった一度の本番に全てを賭けなければならなかった。
失敗は何を引き起こすかわからない。自分だけに悪夢が降り注ぐのならばまだしも、弟やあちら側の世界へ影響が出ることは避けねばならない。
「まずは何から取り掛かるか……」
かつては複数人で行っていた研究を一人で行わなければならない。考えるだけで骨身が削れそうな疲労感があるが、レッドは足を止めるつもりはない。弟のため、最期にしてやれる唯一のことなのだ。気合を入れて取り掛からなくてどうするというのだ。
「データの整理……これのメンテナンスもか。こういうのはアルフィーの分野なんだが。
協力してもらえるはずもねぇし、オレが一人でやるしかないな」
信用のできるモンスターなどいない。共に研究をしてきた仲間であったとしても、今回の計画ばかりは共同研究というわけにはいかないだろう。
そんなことをすれば最後。こちらの世界の血気盛んなモンスター達が平和な世界を蹂躙する最悪のバッドエンドが待っている。
エッジに平和を贈るための計画だというのに、そのようなことをされては話の根本から崩れてしまう。
「よっしゃ」
軽く肩を回し、レッドは作業に取り掛かる。
納得のいくデータと理論を構築するのに数日から数週間はかかるだろう。はやる気持ちはあれども、ミスもできない。ならば、わずかな時間も無駄にしないことが大切だ。
「しばらくは忙しくなりそうだ」
小さな呟きは誰もいない部屋に反響し、静かに解けてゆく。
レッドの脳裏に浮かぶのは表情を変えぬ弟の姿。
共に行くという選択肢はない。嫉妬に狂い、溺れて灰になるような無様な姿は見せたくないから。
似たような知識を持っているであろうスモーカーに相談する気もない。弾みでエッジに計画がばれてはことだ。真面目で優しい彼は、自分だけが別の世界に行くことを厭うだろう。
ロイヤル・ガードに入ったのも、モンスターを地上世界へと導くため。それに付属して、羨望の眼差しや心地の良いキスのシャワーをも求めてはいるが、彼の願いは汚らしいものではない。幼子が正義のヒーローを夢見るような、綺麗な願いだ。
「どんな説得も無駄だろうな」
幸せを掴めるのだ、と言っても、エッジは首を横に振る。
自分には成すべきことがあるのだ、と格好をつけ、大きな背中をレッドへ向けることだろう。
鮮明に浮かぶ未来を変えるためにも、レッドは計画を成功に導く必要がある。平和な世界に閉じ込められるという、どうしようもない事態に直面すれば、元の世界での役割や野望を忘れてくれるはずだ。
「こっちにかかりきりになるかもしんねぇな。
サボる言い訳も考えて…… いや、いつものことか。殴られて、蹴られて、刺されて終わりだ」
自宅から持ってきていた工具を手に、レッドは機械をいじる。
手元に集中しつつ、脳裏をよぎるのは弟の表情と、彼に与えられてきた痛みと苦痛。遠くに見える笑顔。
感情の消えうせた瞳でレッドは黙々と作業を進めていく。余計なことを考えてはいけない。身体が勝手に震えてしまう。
「大丈夫。大丈夫だ。
これが成功すれば、ボスだって、喜ぶ」
専攻していた分野ではないが、メンテナンス程度ならば聞きかじっていたのでどうにかなる。意外に思われるかもしれないが、レッドは研究員の中でも一、二を争う優秀さを持っていた。
「これは、こっちで。ここにこれを当てはめて――」
機械をまともに稼動させ、データの収集、理論構築。そして、日常の仕事やエッジと共にブルー達のもとへ。レッドは全てを完璧にこなした。仕事は多少サボることがあったけれど、他に違和感を与えるような頻度ではなく、むしろ、いつも通りの彼である、とされる程度のものだ。
「悪いなボス。ちょっと用事を済ませたらすぐに来るから」
「帰りに支障がなければどうでもよい」
「そうかい。なら安心だ。
スモーカー、ボスのことをよろしくな」
決行の日でさえ、レッドは万事抜かりなくこなした。
エッジをブルー達のもとへと送り届け、自分は元の世界で用事を済ませてくると告げる。引き止められることはなく、あっさりと自身の世界へと戻ったレッドは、既に数式を入力し、スイッチを押すだけの状態になっている機械の前へ立つ。
口元には笑みを。目元は細めて。清々しささえ抱いて彼は手を伸ばす。
「さようなら。パピルス」
カチ。
小さなその音が響き。全て終わった。
実感のない喪失感。レッドは長い時間をその場で立ち尽くし、ようやっと空っぽになってしまった身体を動かす。近道を使い、彼が向かったのはグリルビーズだ。現在の時刻もわからないような状態だったが、開店前であるならば外で待てばいい。敵の存在さえ考慮せず、レッドはぼんやりとした表情で店先に立つ。
窓からは仄かな明かりが漏れている。もう、開いているのだろうか。
ゆっくりと手を伸ばし、ノブに触れた。金属の冷たさが骨に染みた。
一方、その頃、エッジ達も異常に気がついていた。
「……愚兄がこない」
「どうしたんだろうな?」
ブルー達の家のソファに座り込み、エッジは怒りのオーラを放っていた。
「なーんか電話も繋がんないな」
談笑に鍛錬に料理にと、今回も別の世界線を楽しんだエッジだったが、元の世界に帰るための迎えが一向に現れない。気をつかったスモーカーが携帯電話に連絡を入れてみるが、その番号は使われていません、というアナウンスが流れる始末。
まさか、昨日の今日で電話番号を変えたというわけでもあるまい。
この時点で、スモーカーの背筋には相当嫌な予感が這い上がってきていた。存在は違えども、似通っている部分がある自分達だ。ある程度ならば思考も読める。
「とりあえず、今日はオレが送るよ。
一度、いつもの場所へ行こう」
新しい煙草に火をつけ、スモーカーはエッジを誘う。
本当はこの場所からでも近道を使うことはできるのだが、弟達へ近道の詳細を隠すために毎度わざわざ森まで行くのが慣例化している。
「すまん。帰ったら折檻をしておこう」
「いやいや、そんなのいいから。
罪悪感凄いし」
雪道を三人連れ添って歩く。
エッジの言葉にスモーカーは拒否を唱えた。自分のせいであの小さな身体がまたボロボロになるのかと思うと、いたたまれない気持ちで一杯になってしまう。
「ヤツが悪いのだから気にする必要などない」
「レッドは忘れん坊だな」
「骨だけに、忘れんボーンって?」
「パップ!」
軽快にジョークを挟みながら、スモーカーはエッジにどう告げるべきかを考える。
彼はもう、わかってしまっていた。
「……なあ、エッジ」
雪を踏みしめ、硬めながら口を開く。
このまま黙し、歩き続けることに意味をもたらすことはできない。
「どうした」
「近道、なくなっちゃったみたい」
重々しく、しかし端的にスモーカ-は言った。
世界と世界の間に道がない。
ないものを省略することはできない。
近道は、使えない。
「何……?」
驚愕と疑問。エッジは怪訝な顔をして問う。
「理由はわからない。
そもそも、何でオレ達の世界とそちらさんの世界が繋がってたのかもわかってないんだ。
ある日突然、道が途絶えても不思議じゃない」
「でも、じゃあ、エッジはもう……」
ブルーの白い顔が青みがかる。スモーカーの言葉から導き出される一つの結論。それはあまりにも残酷なものだった。
いっそ、性質の悪いジョークだと言ってくれればいいのに、とブルーは思ってしまう。しかし、彼の知るスモーカーは、つまらないジョークは言っても、他を傷つけるようなジョークは言わないモンスターだ。
わずかに目を伏せて語る様子からも、嘘偽りは見えてこない。
「我輩は帰れないのか?」
「そういうことになる」
沈黙が落ちる。
誰も、何を言えばいいのかわからなかった。
「……そう、か」
長い時間をかけ、エッジが零す。
視線は下を向いており、表情から感情を読むことはできない。
「とりあえず、一度帰ろうか。
しばらくはオレ達の家にいればいい」
部屋は余っていないけれど、リビングには横になれるサイズのソファがある。この世界での身の振り方を決めるまでの間、そこをベッドの代わりにでもすればそれなりの快適さで過ごせるはずだ。
幸いなことに、エッジはこちらの世界に何度も足を運んでいるだけあって、スノーフルのモンスター達とも親交を深めることができている。ソファの硬さに身体を痛めるよりも先に仕事と住居を見つけることも可能だろう。
「いや。我輩は帰り道を探す」
「は?」
間の抜けた声を出したスモーカーを責めることができるモノはどこの世界を探したって、それこそ、エッジを主としているレッドくらいしかいないはずだ。
「おたく、オレの話をちゃんと聞いてた?」
苦虫を噛み潰したような顔をして、スモーカーはエッジを睨む。
帰れない、と言ったはずだ。エッジも時間をかけてその言葉を受け止めたはず。
何をどうすれば、そこから帰り道を探す、という選択肢が出てきたのか。
「聞いていた。だが、我輩は帰らなければならない」
「だから! 帰れないんだって!」
「わからんだろうが。繋がっていた道だ。また、どこかに同じ道があるかもしれん」
「この広いスノーフルの森を端から端まで歩くって?
馬鹿馬鹿しい。そんなことしなくても、オレには道がないってハッキリわかるんだ」
世界を繋ぐ道は目に見える形で存在しているわけではない。様々な軸の歪みと同調によって出来上がる道は、近道を習得しているモノだからこそ感じ取り、扱うことができる代物だ。
どれだけ集中し、感覚を鋭くしても今現在、スモーカーはレッド達の世界を感じ取ることができない。道の端ですら掴むことができていない状態は、エッジが帰れないことを断言するには充分過ぎる要素になる。
「やってみなければ――」
「わかるって言ってるだろ!
無駄なんだよ! 少なくとも、今は帰れない! 絶対に!」
「パピルス」
足元から聞こえた凛とした声にスモーカーは息を止めた。
熱くなりすぎていた。諦めるということを知らないように振舞うエッジが腹立たしかったのだ。ケツイにも似た意志は、かつてスモーカーが捨てたもの。同じ存在であるエッジにそれを見せ付けられ、どうにも感情を飲み込むことができなかった。
兄弟関連以外でこうも感情的になったのは久々だ。
「……ごめん」
だが、失言だったことは認めなければなるまい。
ここはスモーカー達の世界で、エッジは別の世界線に取り残された被害者だ。混乱もしているだろうし、元の世界へ帰りたいと願う気持ちも当然あるだろう。
冷静になって考えてみれば、彼がわずかな希望を求めて行動を起こすこともある程度は理解が可能だ。
「構わん。我輩も、少々、冷静さを欠いていた」
悔しげに目を伏せる。エッジに唇というものが存在していたのならば、彼はきっとそれを強く噛み締めていただろう。そんな顔をしていた。
「元の世界に帰りたいよな。でも、ここもそんなに悪いところじゃないぞ。
少しの間、お泊りだと思ってオレ様達の家にいればいい。
きっと楽しくてしかたがないぞ!」
「あぁ、それは、楽しそうだ」
平坦な声と笑おうとして失敗した顔。痛ましいその様子は、エッジの精神がこの短時間でいかに磨耗してしまっているかを表していた。
「……ほら、とりあえず家に行こう。
オレ様が美味しいタコスを作ってあげるから」
ブルーは優しくエッジの手を取り、来た道を戻ろうと足を踏み出す。
「エッジ?」
しかし、エッジは動かない。
握られた小さな手を見つめ、不安げに瞳を揺らしている。
「サンズ」
雪に吸い込まれてしまいそうな声量で彼はブルーの、いや、兄の本当の名を零した。
「我輩は、あぁ、そうか。そうだ、そう、だった」
エッジは雪に膝を埋め、自身の手を握ってくれていたブルーの手を両手で包む。
額を手に当てているポーズは、まるで神に許しでも乞うているかのようですらあった。
「どうしたんだ? 痛いのか? 大丈夫か?」
突如、様子が変化したエッジに思考が追いつかないのか、ブルーは矢継ぎ早に疑問符を提示していく。そのどれにもエッジは答えを返すことができないようだ。長身を小さくしてしまった彼は、かすかに震えながらブルーの手を離すまいとするばかり。
「もしかしてだけどさ」
一つの結論に至ったスモーカーは悲しげな目をしてエッジを見下ろす。目線をあわしてやろうとは思えなかった。彼の心情を慮り、心を寄せてやろうと思うには、導き出された答えは残酷すぎた。
時は異常をきたしている。しかし、体感する時はいつだって一方通行で、起こってしまったことを変えることはできない。自分達にはセーブもロードも、リセットもないのだ。
「レッドが心配?」
喉の奥から搾り出されたような呻き声が下方から漏れてくる。
「力こそが、全てのあの世界。
我輩が、いなければ、サンズはっ……!」
置いてきてしまった仕事より、抱いていた野望より、違う世界に取り残されたという事実より、レッドが傍らにいないという事態がエッジの心に重くのしかかっていた。
仮定の話ではあるが、この場にレッドがいたならば、エッジは大人しくこの世界で生きていく方法を模索し始めただろう。未練など何もない、というには生まれ育った世界に思い入れを持っているが、少ない可能性を求めて縋って見せるほどのことではない。
「早く戻れなければ。手遅れになってしまう。
奴は、弱い……。容易く、灰に還される……」
忘れてしまっていた感情を思い出した。
当たり前になり、前提を失ってしまっていた行為を自覚した。
「頼む。我輩を、帰してくれ」
大切な兄を守りたかった。誰も信用などできない世界で賢明に弟を守ってくれる兄が大好きだった。強いのだとばかり思っていた彼が弱いモンスターであると気づいたとき、いつか今までの分も兄を守ってやるのだ、とまだ弱い自分に誓った。
どこから歪んだのだろうか。
強さの証明としてあらゆるモンスターを殺した。止める兄の言葉など聴かなかった。兄がしてくれたような守り方ではなく、強者の所有物であると周囲に見せつけることで牽制とした。情による行為だと知られれば兄が利用されるかもしれないと案じ、非道な主を徹底することにした。
いつの間にか、兄を守るという意志が抜け落ちていた。
所有物を痛めつけ、気まぐれに扱い、敵の死を何度も何度も見せつけた。
「ごめんな」
ブルーは空いた手でエッジを抱き寄せる。
「オレ様にはできない。
でも、協力する。約束だ。
だから泣かないで」
兄と同じ存在であるブルーに手を取られたらかこそ、エッジは無自覚だった部分に気づいてしまった。そんな彼が、抱きしめられて気持ちを落ち着けることなどできるはずがない。
エッジは低い嗚咽を漏らし、ブルーの胸元を濡らす。
「協力する、ったって」
弟達が一塊になっている姿を眺めつつ、スモーカーは独りごちた。
約束は嫌いだ。どうせ無駄になる。そうでなくとも、世界間の道を探し出すなどという無茶なことに協力する気にはなれない。
兄弟を想う気持ちはわかるけれど、エッジが嘆く結果になってしまったのは自業自得なところもある。最初からちゃんと大切にしていれば良かったのだ。そうすれば、少なくとも今ほど心に深い傷を負うことはなかったはずだ。
加えて、兄として在るスモーカーとしては、弟であるエッジがこの世界に留まることを否ということはできない。平和で、争いのない世界。そこで彼が穏やかに過ごすことができるのだから、殺るか殺られるかの世界に在るよりもずっと安心できる。おそらく、レッドも同じことを考えるはずだ。
迷うスモーカーの耳に、聞きなれた、しかし、違った声が入ってくる。
「どうやらオイラ達はとんだ修羅場に出くわしちまったみたいだぜ、兄弟」
「わあ! オレ様にちょっと似たスケルトンが二人もいるぞ! サンズみたいなのもいる!」
まさか、と目をやればそこには赤いスカーフを巻き、キラキラと瞳を輝かせている長身のスケルトンと、他者に感情を読ませぬにやけ面をした青パーカーのスケルトンがいた。
「黒いオレ様はどうしたのだ?
何か悲しいことがあったのか?
ならばこのパピルス様に相談するといい!」
「あー、兄弟。オイラの予想が正しければ、だが、そっちのスケルトンも、こっちのスケルトンもパピルスなんじゃないか?」
「えっ! でも、オレ様もパピルスだよ?」
「そうだな。だから、ちゃんと話を聞こうと思ってる。
勘違いして阿呆ね、なんて言われちゃたまんないだろ?
骨、だけに」
「兄ちゃん! こんな時につまらないギャグはやめて!」
どうにも陽気な兄弟だ。
軽快に飛び交う言葉のやりとりに、エッジも思わず涙を止めてしまっている。
「……何にしたって、一度オレ達の家に行こうか」
スモーカーは状況を見回し、提案を出す。
ここにいたところで、エッジの望みは叶わない。新たにやってきたサンズ達に事情を説明するにも、立ち話で軽く済ませていいような話題でもない。
どのみち、この場にい続ける理由など欠片もないのだ。暖かな屋根の下へ移動し、腰でも下ろして今後について話し合うべきだろう。
全員に言葉の意図が伝わったのか、スモーカーの意見に反対するモノは誰もいなかった。
「大丈夫か?」
「情けないところを見せた」
「ううん。いいんだぞ。
オレだってパップと離れ離れになったら悲しい」
自力で立ち上がり、歩き出したエッジだが、その足取りはどこか危うい。ブルーは彼から離れることなくしっかりと寄り添い、片手を繋いでいた。
レッドが不在の今、同じ存在であるブルーを近くに感じることができるというのは、エッジの精神をある程度、安定させるのに役立っているようだ。
「よくわからないけど悲しいのは駄目だ!
オレ様も貴様に寄り添う!
これでオレ様は貴様の友達だ!」
「……お前は、我輩ともヤツとも違うパピルスなのだな」
攻撃的でもなく、無気力でもない。明るく、純粋。ブルーに似た性質のパピルス。
平素であれば、温い環境で育ったのだとエッジは唾棄しただろう。自分と同じ世界に生まれていればすぐに死ぬ弱者だと。
だが、心を不安定にされている今。エッジは自身がこの新しくやってきたパピルスのような存在であれば、もっと真っ直ぐにレッドを守ってやれたのではないかと思わずにはいられない。
「兄ちゃんの言ってた通り、貴様達もパピルスなのか?」
「そうだぞ! ちなみにオレ様はサンズだ!」
「わぁお! それはグレートだ!
でも、それだとパピルス、って呼ばれると困っちゃうぞ?」
「あだ名をつけてるんだ。オレ様はブルー!
このパピルスはエッジで、オレの兄弟はスモーカーだ」
「じゃあオレ様にもあだ名をつけてよ!」
エッジを挟み、似たようなテンションの二人がキラキラと言葉を投げあう。途方もなく微笑ましく、癒しの波動が出ているのではないか、というようなやりとりだ。
兄と離れ、落ち込んでいるエッジには辛い状況なのではないか、とスモーカーは一瞬だけ考えたが、彼の表情を見るに良い気晴らしになっているらしい。微笑む、とまではいかないけれど、先ほどまでのような悲壮感溢れる顔はしていなかった。
「あんたは物好きだね」
「ん?」
弟達から少し離れたところでスモーカーは青いパーカーを身にまとったサンズへ声をかける。
油断ならぬ雰囲気を持つ彼は左目を閉じてウインクをしながらスモーカーの言葉を促した。
「どう考えても面倒なことが起きてるのに首を突っ込んできたでしょ」
携帯灰皿を取り出し、すっかり短くなってしまった煙草を捨てる。すぐに次の煙草を取り出そうとして、持っていた分は全て吸いきってしまったことに気づく。どれだけの時間、この森の中にいたのだろうか。
「顔を合わせてはい、さようなら、ってわけにはいかないだろ?」
「色々あって気を取られてたオレ達と違って、そっちはオレ達の気配に気づいてたでしょ。
すぐに近道を使って自分達の世界に帰ってもおかしくない」
「そりゃオイラを買いかぶりすぎだ。
あんたらのことは顔を見るまでなーんにも気づかなかったよ」
肩をすくめて放たれる言葉は軽い。嘘の軽さだ。
「……言いたくないなら別にいいけど」
スモーカーは大きく息を吐き出す。
温度を持たぬ彼の口では宙に白い色を塗ることすらできない。それがあれば、せめて視覚的には煙草を吸っている気分になれたかもしれないのに。
「違う世界線とはいえ、弟が泣いてるのは嫌だった?」
サンズは目を丸くしてスモーカーを見上げる。
「――お前さんは少しばかり性格が悪いらしい」
「オレはお兄ちゃんだからな」
「なら納得だ」
兄は多くを知り、捻くれている。
弟は純粋無垢なリアルスター。たとえ、多くのLOVEを得ていようとそれは変わらない。
「スモーカー!」
離れた場所からブルーが兄を呼ぶ。星を持ったその瞳は暗い洞窟の中でも美しく瞬いている。
「このパピルスはクラシックって呼ぶぞ!」
「クラシック?」
「エッジやパップに比べるとちょっとクラシックな服装からクラシック!」
笑顔で言われ、改めてクラシックと呼ばれたパピルスを見た。
パーカーを着ているスモーカーや、改造されたロイヤル・ガードの戦闘服を着ているエッジと違い、クラシックの服は古典的な騎士の格好にも見える。言われなければそうは感じなかったけれど、なるほど、クラシック、とスモーカーは頷きを返してしまう。
「ふーん。なら、オイラのことはケチャップとでも呼んでくれ。大好物なんだ」
「わかったぞケチャップ!」
「兄ちゃん、食べ物の名前はどうかと思うぞ……」
呆れ顔の弟にウインクを一つ返し、サンズは再びスモーカーを見上げる。
「リアルスターに悲しみは似合わないだろ?」
「そっちのクラシックはともかく、エッジはねぇ」
第一印象がまず良くなかった。高いLOVE、好戦的な態度、レッドへの仕打ち。
彼を危険なモンスターと認識するには充分で、友情を築く気概さえ起きなかった。
ブルーと共に過ごすエッジは徐々に態度や気性を変化させ、彼もまた、リアルスターであるのだという部分も見てきた。彼の兄であるレッドから語られたこともあるし、そこを否定したことはない。
それでも、スモーカーは素直にエッジを受けとめてやることができなかった。
「贔屓は良くないぜ。
たとえ、自分と同一の存在だったとしても、な」
言われて、理解する。
弟としての役割を担っているとはいえ、相手は自分と同一の存在。手放しでリアルスターだと言ってやるには抵抗があった。罪深いモンスター殺しであるならばなおさら。
もしも、エッジが自身と全く違うモンスターであったならば、元の世界へ戻ろうとする彼をもっと優しく慰めてやれたのかもしれない。
「あんたはブルーのこと」
「ちと小っ恥ずかしい気もするが、中身がパピルスとそっくりだからな。
うちのほどではないとはいえ、立派なリアルスターさ」
「……一番綺麗なのはブルーの星だよ」
「おっと、その議論はやめておこう。
お互いに絶対退けない戦いになる」
どちらの星が強い輝きを放っているかなど、不毛にもほどがある議題だ。どちらかが灰になるとしても、自らの兄弟以外を提示することはできない。
相打ちになり、弟を悲しませる結果になるのが目に見えている。
二体は互いに頷きあい、停戦を了承しあった。
そうこうしているうちに一行はスノーフルの町につき、ブルーとスモーカーの自宅へとたどりついた。
「うちとそっくりだね!」
「違う世界って言われてもピンとこないくらいにな」
ほぅ、とケチャップは息を漏らす。
町の風景にも大した違いは見られない。ただ、町を行く住民の姿だけが、どこか違和感を持っている。何かと何かが入れ替わってしまっているようだ。ケチャップはそう感じていた。
これが的を射た意見であることは、スモーカーとブルーの例から見ても明らかだろう。
役割と性格を綺麗に入れ替えたような二人は、この世界の法則を如実に表している。
「ソファは一つしかないんだ」
「オイラ達は床に座るとしよう。
落ち込んでる弟と家主が気を使うことはないさ」
室内に通されたケチャップは何の躊躇いもなく床へ腰を下ろす。行儀が悪い、とクラシックが騒いでいるが、話を聞いている間、ずっと立っているというのは体力的に厳しいものがあった。
適当な椅子はないのか、と問うには、この家はケチャップ達の家と似すぎている。聞かずとも、椅子が存在しないことを察してしまえる程に。
「それじゃあ、長い話を聞かせてもらおうか。
きっと、オイラが一体足りない理由もそこにあるんだろ?」
家主に挟まれたエッジを見つめ、ケチャップは言う。
スモーカー達を見てすぐに世界線の混同に気づいた彼が、自身と同一の存在が不足していることに気づかぬはずがない。傍らに立っているクラシックは苦しげな顔をしていた。
能天気な阿呆のように見えるかもしれないが、彼は聡いスケルトンだ。問うべき時とそうでない時くらいは把握している。
「簡単な話だから、長くなることもないよ」
帰宅したことで真新しい煙草を手に入れることができたスモーカーは、さっそく一本に火をつける。ブルーの視線は冷たいものだったが、いつものことなのでスルーも慣れたものだ。
紫煙を吐き出しひと心地ついたところで再び口を開く。
「ここはオレとブルーが元からいた世界で、エッジは別の世界線のパピルス。
向こうの世界は殺すか殺されるかの殺伐とした世界なんだけど、まあ、端的に言えば、そこに帰れなくなった」
かすかにエッジが震えた。
落ち着いていた思考がまたぐるぐると回り始めているのだろう。
話を続けるのは酷か、と思いつつもスモーカーは口を止めない。説明の場から離してやったとしても、一人で深みにハマるだけだ。
勝手に思いつめられるよりも、この場で動揺してくれているほうが対処のしようもある。
「取り残されたのはエッジだけで、兄であるレッドは向こうの世界に残ってる。
で、ここで問題なのが、ここの兄弟の在り方」
エッジは背後に罪が這い寄ってくるのを感じた。
目を伏せ、頭を下げても過去からは逃れられない。
「……エッジはレッドのことを愚兄と呼び、レッドはエッジをボスと呼んでいた。
主従、もしくは所有者と所有物。長いことそんな関係だったらしい。
こいつがレッドに手を上げてるところを何度か見たし、怪我をした状態でこっちに近道でエッジを送り届けるレッドも見てきた」
ケチャップは目を細める。
責める色はない。状況を察し、事態の深刻さを理解したがための表情だ。
レッドという存在をケチャップは直接知っているわけではない。だが、自身と同一の存在であろうことを考えれば、貧弱な体力や攻撃力はほぼ確定と言っていい。
高いLOVEを持つエッジが暴力を振るっているにも関わらず、レッドが生き延びてきたというのならば、そこには必ず情があったはずだ。使えるモノを最大限に使うための情か、兄弟を愛おしく思うが故の情か。
答えはエッジの様子を見ればすぐにわかる。
「離れ離れになって、ようやく自分が本当にしたかったことを思い出したらしい。
兄を、守りたかった、という気持ちを」
とうとうエッジは顔を手のひらで覆ってしまった。
「帰りたい」
嗚咽と共に零れる言葉。
「生きていて、ほしい。謝りたい。も、もう一度、やり、なおしたい」
哀れなその姿はケチャップの胸を打つ。
隣にいる弟が、同じように涙を流したら。想像するだけでソウルが壊れてしまいそうだ。
「やり直せるとも! オレ様は貴様の兄弟を知らないが、絶対にやり直せる!
このパピ――いや、クラシック様が保障してやる!」
クラシックは前へ進み、エッジの肩を叩く。
「大丈夫だ。サンズは強い! だから、貴様の兄も強いだろう。
ちゃんと謝れば許してくれるし、仲直りだってできる!」
「そうだぞ! エッジはやればできる子だ! 頑張れ!」
星が二つ、まばゆく光を放ち、消えかけている星を励ましている。
暖かい光景を前に、ケチャップは一つ、懸念事項を確認する必要があった。
「なあスモーカー」
「ん?」
「お前さんは秘密基地が好きか?」
一拍間が空いて、スモーカーは目を見開く。
兄だからこそ通じる言葉。急に向けられたそれの意図を彼はしかと受け止める。
「……ちょっと抜ける」
「え、どうしたんだ?」
「大丈夫。すぐ、戻ってくるから」
戸惑うブルーの頭に軽く手を乗せ、横を通り過ぎる。ひらひらと手のひらを振った彼は後ろから聞こえてくる声を無視して家を出た。
雪を踏み、家を半周。
知っているモノでなければ気づくことすらできない場所にそれはある。
錠前がついた扉。中に入るには、スモーカーの自室にある鍵が必要だ。しかし、スモーカー、もしくはレッドやケチャップならば、それがなくとも侵入は可能だった。
近道を一つ。スモーカーは久々に秘密基地の中へと入る。
「――あった」
入ってすぐのところに、見慣れぬ封筒が三つ。
薄いもの、おそらくは手紙が入っているのであろうものが二つ。厚みがあり、何か手紙以外のものが入っているのだろうと予想されるものが一つ。
スモーカーは恐る恐るそれらに手を伸ばす。
乾いた音をたてた紙は何の抵抗もなく持ち上げられる。
「あの、馬鹿」
封筒に書かれた宛名を見て、彼は思わず手紙を握りつぶしてしまう。
それは、レッドからスモーカーへ宛てられた手紙だった。中身はまだ見ていないけれど、碌でもない内容であることは間違いない。
ここがどういった場所かを知っておきながらこんなものを残しているのだ。気分が明るくなるような事柄でないのは決まりきっている。同じ兄だからこそ、内容に予想がついてしまう。スモーカーは視界がくらりと歪むのを感じた。
できることならば、見たくない。今以上に気分を害されるのは遠慮願いたい。
だが、そうも言ってられないだろう。これに気づいてしまった以上、彼には読む義務がある。無視をするには、ここにかけられた気持ちは重過ぎる。
煙草の端を噛み潰し、苦い味を感じながら封を開けた。
「クッソ!」
やはり見るんじゃなかった。
スモーカーは再び握りつぶした一通の手紙に視線を落としながら強く思う。
「あいつ! ふざけんな!」
綺麗なままの手紙はエッジ宛てのもの。
厚みのある封筒には餞別代わりの金が入っていた。
「何がボスを頼む、だ!」
たった一文。スモーカーに託されたものはそれだけだ。
「あぁ! 最悪だ。あいつ、全部、全部、あいつがやったのか。
道が消えたのは、偶然じゃなかった!」
いつから計画していたのか。何故、このような行動に出たのか。
そんなことはどうでもいい。ただ一つの結論。それが重要だ。
「ちくしょう。オレは、エッジにどんな顔してこれを渡せばいいんだ」
ボスへ、と書かれた封筒。
脳に花を咲かせているような馬鹿だって、この手紙を受け取れば手段はともかくとして、レッドが世界間の道を閉じてしまったことを知るだろう。
レッドは自身の不在がエッジを傷つけるとは思っていなかったのだろうけれど、現実に彼は傷つき、嘆いている。
この手紙は、追い討ちになるだろう。それも、酷く殺傷能力の高い。
悩み、悩んで、スモーカーは諦める。
「……仕方、ないよな」
捨てることはできない。
何も知らぬことは幸福を生み出すけれど、この件に関してはエッジに無知であれと言うわけにはいかなかった。兄の気持ちを知り、この世界に留まることを望むのであれば、それが一番労力を必要としない上、多くのモノにとってひとまずの幸福となる。
スモーカーは鈍く笑う。
「リセットがかかったら、どうなるかとか、考えてなかったんだろうなぁ」
気づかないふりをしていたが、やはりレッドは限界だったのだろう。
異物を得た世界にリセットがかかった場合、異物はどうなるのか。当たり前のように在り続けるのか、消滅するのか。
また、レッド達の世界にリセットがかかった場合のこともある。
在るべきものがない世界がリセットされたとすれば、在るべきだったモノの複製が生まれるのではないか。あるいは世界の崩壊か。
実験も推察もできないようなそれをレッドは考慮していないはずだ。もし、それができていたのであれば、大切な弟を別の世界線に置き去りにするという発想を実行に移せるはずがない。
「ごめんな」
零れた謝罪は誰に向けたものか。
これから絶望に叩き落されるであろうエッジへか。
弟を頼む、という言葉を完遂できぬことか。
スモーカーは荒れる気持ちをどうにか落ち着け、近道を用いて家の前へと戻る。
「どこ行ってたんだ?」
扉を開ければすぐにやってくるブルーの声。
嗚咽はやんだようだが、落ちた気分から戻ってこれていないらしいエッジの姿にスモーカーは瞬きの間、迷いを見せた。彼に見せるべきか、否か。ケツイが揺らぐ。
「エッジ」
だが、やはり答えは変わらない。
スモーカーが手紙を持っていることに目敏く気づいたケチャップは、自身の考えが合ってしまっていたことを知り、切なげに目を閉じた。
「これ、レッドから」
「サンズ、から……?
何故、貴様が」
「オレ達しか知らない場所にあった」
エッジの顔が強張る。
自身に宛てられた手紙が、この世界に隠されていた。それは、つまり。
信じたくない結論にエッジのソウルがギリギリと音をたてて痛む。ダメージはないが、上手く息ができなくなってしまいそうな痛みだ。
「辛いなら、無理に見なくても」
「いや、我輩に宛てられた、手紙だというのなら、見なければなるまい」
見ている側まで苦しくなってしまいそうなエッジの様子に、ブルーが気遣わしげに声をかけたものの、エッジはそれを拒む。
故意的にこちらの世界に置いていかれたのだとしても、エッジはレッドを諦めるつもりはない。手紙に恨み言が書かれていたとしても、帰ってくるなと吐き捨てるように書きなぐられていたとしても、そこに彼の感情があるのならば見ておきたかった。
エッジは震える手でスモーカーから手紙を受け取る。
「――あぁ」
もたもたと時間をかけて開かれた手紙。
そこに書かれているのは、たった一言。
「何が、幸せにな、だ。
せめて、宛名くらい、パピルスと、書かんか」
手の中にある紙を握りしめ、エッジは再び俯いた。
親愛なるパピルスへ、と書こうとして途中でやめた跡のある宛名は、ボスへ、と書かれている。紙面の上ですら、兄弟として扱ってもらえないのか、とエッジは苦しそうに吐き出す。
そうさせたのは自分だが、自覚した身にボス、という言葉は鋭すぎた。
「兄ちゃん、レッドってスケルトンは……」
「平和な世界に弟をやりたかったんだろうな」
ため息を一つ。
ケチャップもまた、スモーカーと同じくリセットについて考えていた。
同一の存在であるスケルトンがただの脳筋だとは思いたくない。追い詰められていたのだろう。死が隣り合う世界で、リセットのことも気にかけなければならない。自身の指標となる星は己の身を傷つける凶器にもなる。思考が止まるのも理解できてしまう。
「サン、ズ……。サンズ。我輩は、すまない。すまない。
生きて、ほしかっただけ、なのだ。わが、はいは、ただ……」
「そう嘆くこともないぞ、エッジ」
悲しみに暮れ、今にも自ら灰になることを選びそうなエッジへケチャップは優しく声をかける。
「兄ちゃん、それってどういうこと?」
「故意に置いていかれたってことは、世界間を切り離す方法があったってこと。
なら、繋ぐ方法も必ずあるってことだろ」
これが自然の作用であったならば、再び世界間を繋ぐことは困難を極めただろう。何せ、殆ど解明されていない分野だ。研究資料もどの程度役に立つかわかったものではない。
しかし、レッドがいる世界にある資料で道を閉じることができたのであれば、その逆、繋ぐための資料がこちらの世界に存在している可能性は多いにある。
「そっか!」
ブルーは目を煌かせ、エッジに抱きつく。
「ちゃんとレッドにあって気持ちを伝えるんだ!
そんで、お説教もしてやらないと!」
「やった! エッジはちゃんとお家に帰れるんだね!」
素直に喜びの感情を出す二人を横目に、スモーカーはケチャップへ声をかける。
「期待させちゃって大丈夫?」
「レッドがいつから計画を立ててたのかは知らないが、長くてもお前さん達と出会って以降だ。
単純計算、オイラ達が二人で頑張れば向こうさんの二倍の速さで解決できると思わないか?」
「皮算用って言うんじゃない? そういうの」
「オイラはスケルトンだから皮はないぜ」
癖なのか、ケチャップは軽薄なウインクを一つよこす。
手を退くつもりはないらしい。
「ま、さっさと解決してやらないと、リアルスター達が悲しむ。
オイラとしてもお説教をしてやりたいし、力を合わせようじゃないか」
「お説教?」
「可愛い弟を危険な目に合わせたんだ。
きっちり自覚してもらわないと、だろ?」
「……賛成」
煙を吐き出し、スモーカーは口角を上げた。
八つ当たり半分。本気半分。リアルスターを危険に晒した罪は重い。
「それじゃあ、明日から手分けして情報を探すとしよう」
ケチャップが言うと、弟達は一斉に彼を見て首を傾げた。
「バラバラなのか?」
「その方が効率的だろ?
あぁ、でもエッジには誰かついていてやらないとな」
独りきりで何かを成すことができるような精神状態ではない。鬱陶しがられない程度には誰かを付きまとわせておくほうがいいだろう。
言葉の意味を汲み取ったのか、生来の優しさからか、クラシックとブルーは同時に手を挙げた。
「オレ様がいれば寂しくないぞ!」
「このブルー様がばっちり面倒を見てやる!」
二人は互いに顔を見合わせ、きょとんとした表情を浮かべる。
立候補が被るとは思っていなかったらしい。
「仲が良いのは素晴らしいことだな。
じゃあ、オイラとスモーカーも一緒にやろうか」
「サボっちゃ駄目だぞ!」
「パップはオレ様が見ててやらないとすーぐサボるからなぁ」
「おいおい、オイラ達の信用はどうなってんだ?」
「ある意味では厚い信頼、だな」
冷たい視線を向けてくる弟達に兄は眼を逸らし、肩をすくめることしかできない。やるべき時にはやっている、などという言い訳は通用しないだろう。第一、そのやる時、というのは碌でもない時間なので存在しないで済むのならばそれに越したことはない。
「安心してくれ。今回ばかりは真面目にコツコツとするさ。
一人足りないとコツが足りなくなるからな」
「兄ちゃん!」
「おっと悪い」
くだらないジョークに怒りを見せた後、クラシックはすぐにブルー達の方へと向き直る。
兄達の仕事っぷりが心配ではあるようだが、組み合わせ事態に不満はないらしい。むしろ、弟という役割同士、気が合っているため楽しげな雰囲気すらあった。
「じゃあ、お前さん達は図書館で調べ物をしてもらっていいか?」
「わかったぞ! 全ての本を調べつくしてやるのだ!」
何をしようか、と相談していた彼らはケチャップの提案に一も二もなく頷いた。
明日から共に頑張ろう、と手を取り合う弟達を横目に、ケチャップとスモーカーは目配せをしあう。真面目な弟達はこれで図書館にこもりっきりになるはずだ。
後ろ暗い調べ物の尻尾を掴まれることもないだろう。
「じゃあ、今日のところはオイラとパピルスは家に帰るとしよう。
明日になったらここに集合でいいか?」
「それでいいんじゃない?
流石に三人も増えたら寝るところがないし」
帰る家を失ってしまったエッジはともかく、ケチャップとクラシックには帰るべき場所がある。彼らは明日の予定を決め、いるべき世界へと帰って行った。
残されてたエッジは切なげな表情をし、ソファへと伏せる。
「……短い間だが、世話になる」
「寂しくなったらいつでもオレ様の部屋に来ていいからな」
ブルーはエッジの頭を軽く撫でた後、自分の部屋へ入っていく。エッジが眠るまで傍にいてやりたいのはやまやまだったが、真に彼のことを考えるのであれば、明日からの調べ物のためにしっかり休息を取るべきだとブルーは理解していた。
残されたスモーカーは、エッジに何か言葉をかけてやるべきかどうか迷い、結局、何も告げることなく自室へと戻った。
心のこもらぬ言葉程、空虚なものはない。
正直なところ、リセットによる問題さえなければ、スモーカーとしてはエッジがこの世界に残り続けることを推奨したいところがあった。
エッジという存在を気に入っているとは言い難いが、それ以上に、レッドの気持ちが痛いほどわかってしまう。殺伐とした世界で心を壊していく弟を見るのはどんな気分か。もし、彼を救うことができるのであれば。リセットに飽き飽きし、自暴自棄になったこの身でも手を伸ばさずにはいられない。
「駄目なんだな」
目を閉じ、夢に落ちる寸前、スモーカーは無意識に呟いていた。
絶望に暮れるエッジを見て知った。励ます弟達を見て気づいた。
我が身を賭して、など、自己満足でしかないのだ、と。
悲しみも苦しみも、時間が解決してくれるかもしれない。しかし、どれだけの時間がかかるのか。解決までの間、弟がどれ程の苦しみを味わうことになるのか。
知ってしまったスモーカーには、レッドと同じ選択ができそうにない。彼の行動を認め、理解しながらも、最終的には弟の側に立ってしまう。
許してくれとは言わない。許さないというのであれば、死なない程度に一発もらってやる覚悟だってしている。
今はただ、弟達の喜ぶ顔が見たかった。
翌日から、彼らは各々行動に出た。
弟達は昨夜の提案通り、図書館へと向かって行った。エッジを挟むような形で歩いて行く姿は何とも言えぬ愛おしさが溢れるものだった。流石は輝ける星々達、と言ったところだろうか。
「さて、行くとしようか」
「了解」
彼らを見送った後、ケチャップはスモーカーの近道によって忌々しい記憶と幸福な記憶の残るラボへと向かう。
地下世界のそのまた地下に作られたそこは、最低限の電力のみで稼動しており、足元を照らすわずかな光だけが施設内に灯されている。時折、鼻腔から侵入してくるのはカビと薬品、獣の臭い。長時間の滞在には到底向いていない場所だ。
「こんなところまでオイラのとことそっくりだと嫌になるね」
ラボのとある一室にやってきたケチャップは周囲の機器を見ながら言う。
彼の記憶にあるものと殆ど変わらぬそれらは、操作や調整のために説明を必要としない。
「たまにアンダインがアマルガム達の様子を見にくるけど、まあ、彼女なら話せば理解もしてくれるんじゃないかな」
「こっちの世界ではアンダインが研究をしてるのか」
かつては共に研究をしていた存在の違いにケチャップは驚きの声を上げる。
彼にとってアンダインといえば、モンスターらしい優しさを持ちながら、他者のために誰かを傷つけることのできる屈強な騎士だ。直接、彼女と交流を持ったことは殆ど無いけれど、ロイヤル・ガードを目指すクラシックから話はよく聞いている。
「そっちは違うの?」
「研究員はアルフィー。アンダインはロイヤル・ガードの団長だ」
「綺麗に逆転してるね。
細かい計算をしてるアルフィーとか想像もつかないや」
「それはこっちも同じだぜ」
必要になるであろう機器のチェック。残された書類の収集、分別をしながら彼らは日常会話をしていく。黙々と作業をこなす方が効率的なのだろうけれど、場所が場所だ。軽口でも叩いていなければ気が滅入ってしまう。
「長い間、放置してたからメンテナンスが必要だな」
「もう二度と触れることのないプロジェクトだと思ってたからね」
時間の異変に気づいたのはいつだったか。誰だったか。最早、記憶が定かではない。データ上では大した時間は経っていないのだろうけれど、ある程度の体感と、蓄積されていく「過去」のデータ、そして記憶を持っている彼らにとっては遥か昔のことのようだった。
偉大なる博士が消え、跡を継ぐように研究を続けた。恐ろしいことがたくさん起きた。その途中、誰かが時間の異変に気づいた。それは、目の前に広がっている惨状と同等のおぞましさを持っていた。
とっさに情報を隠蔽し、極一部の研究員のみが知りうる情報にしたのはおそらく正しいことだったはずだ。
仲間は一人、また一人と消えた。
罪悪感に耐え切れなくなったモノ。自身の行動に意味を見出せなくなったモノ。凶暴化したアマルガムに殺されたモノ。自ら死を選んだモノ。
残されたのは自身とたった一人。
そうして、ケチャップもスモーカーも、片割れを見捨てた。
たまの手伝いや相談事には乗ってやっていたが、そんなものがどれだけの救いになるというのだろうか。同じ罪を背負ったモノ同士。彼女の苦悩を軽くしてやることはついにできなかった。
「オイラはこっちの分野じゃないんだが」
「やるしかないだろ」
意図せず知られてしまったのであれば、協力を仰ぐことも考えるが、できることならば彼女に今回の件を知らせたくはない。世界線の話をすれば、狂った時間についても話さなくてはならなくなるだろうから。
これ以上、彼女にこの世界の罪を背負わせるのは酷というものだ。
「レッドもそうしたはずだ。
オレ達にできないはずがない」
あちらの世界のラボだけが設備もデータも綺麗に残っているとは考えにくい。それどころか、下手をすればこのラボよりも酷い有様であったかもしれない。
そんな中からレッドが世界間を繋ぐ道をどうこうしたというのならば、同じ役割を背負ったモノとして、諦めるわけにはいかないだろう。
「そうだな。じゃあ、骨身を削りますか」
「面白いジョークだけど、そういうのはリアルスターがいるところで言うから楽しいんじゃない?」
二人は笑いあいながら手を動かしていく。
昔々に取った杵柄をどれだけ扱えるかはわからなかったが、存外、身体というものは記憶力がいいらしい。自分達が思っているよりも手早く、効率的にことを成すことができた。
「今日も頑張ったぞ!」
「じゃあ報告会といこうじゃないか」
朝から夕方まではラボに篭り、夕方頃に外へ出て弟達と顔を合わせて今日の成果を聞く日々。大変だった、といいながら、読んだ本について語る彼らの姿は疲弊した兄達の癒しとなった。
難しい歴史書に関する質問が出たと思った次の瞬間には、子供向けのお話について語られるのだから、リアルスター達というのはどれだけの時間を共に過ごしたところで飽きがこない。
「エッジは本を読むのがとても早いんだ」
「貴様らの集中力が足りていないだけであろう」
呆れ口調のエッジは、以前ほど疲弊した様子は見られなかった。
毎日毎日、クラシックとブルーに挟まれているためだろう。彼らはいつも明るく、前向きで、他を明るく照らすことに長けている。暗い水底にいたエッジも少しずつではあるが光に誘われ、浮上してきている。
だが、二人が傍らにいるだけでは駄目だ。帰るという確固たる目的と、その手段のために行動しているという自覚。それらがなければ、エッジはたちまち心を深く冷たい水の底に沈みこませてしまう。
誰もがそれを知っているからこそ、懸命に日々を送っている。少しでも諦める素振りを見せたが最後。エッジはたった一体で森をさ迷い歩くスケルトンと化す。
「我輩は一刻も早く戻らねばならん」
「兄ちゃんが心配かい?
大丈夫さ。オイラ達は脆いが、自衛手段くらいある」
弟が消えた世界で生き続けることを選択するつもりはないけれど。
誰にも漏らすことのない本音が骨の内側にわいて消えた。
「あの世界は貴様らの知る世界とは全く違っている。
同じように考えるのはやめろ」
「そうか。なら、オイラ達ももっと頑張らないとな」
ソファに座っているエッジへ近づき、低くなった頭を撫でてやる。
硬い骨の感触にエッジは目蓋を下ろす。
昔、兄も同じように自分を励ましてくれていた。懐かしくも優しい記憶は、ブルー達の温もりとは違う暖かさで心の中をじわりと満たしてくれる。
「兄ちゃん達はどうだった?」
「近道を探したり、色んな人に話を聞いたりしてるけど、中々見つからない」
スモーカーは数時間ぶりの味を堪能しながら答える。
ラボは火気厳禁というわけではなかったが、繊細な機械に煙草の煙は毒だ。イレギュラーを省くためにも、作業中は強制的に禁煙状態となっていた。
「そっか……」
「まだ数日だ。落ち込むには早すぎるよ」
肩を落とす弟をスモーカーは励ます。
エッジと共にいる時間の方が長かったとはいえ、ブルーにとってはレッドも大切な友達だ。あちらの世界が如何ほどかも知っている。無事を確かめたい気持ちが膨らんでいくのは必然のことだった。
「うん! オレ様は大丈夫!
明日も頑張る!」
満面の笑みを浮かべ、ブルーは両の拳を高く突き上げる。
自分が落ち込んでいても仕方がない。彼は心の中にある不安に蓋をした。
穏やかに、緩やかに、日々は進む。大きくない図書館で本を読む弟達と、ラボの中で作業をこなしていく兄達。報告できる進捗は少なかったけれど、ケチャップ達は着実に物事を進めていく。
金属音が響く数日。紙の音が響く数日。キーボードを叩く音が数日。
「いけると思うか?」
「多分、ね」
とうとう彼らは実用が可能だろう、というところにまで至った。
無から有を得るのは難しいけれど、一から十へ積み上げるのは比較的容易なことだ。
かつては手の届かない位置にあった別の世界線だが、今となっては隣人のようなもの。さらに一度は重なり合っていたというのだから、データの集め方も理論の組み立て方も霧中を行くようなものではなくなっていた。
「ここの数値は」
「レッドが置いていったお金を解析すればいいんじゃない?」
時空間とはまた別の座標。世界座標とでも言えばいいのか。それを正確に知ることで別の世界線との道を開くことができる。無論、適当な数値を入れれば適当な世界にいけるというものではない。
二十桁に及ぶ数値を五つ、正確に入力することによって世界線を補足し、道の確立が可能となる。通常であれば、その時点で別の世界線との道を繋ぐことを諦める要因となることだろう。
だが、今のスモーカー達にはその数値を知る術がある。
世界に存在する物質。それらを特殊な装置に入れ、解析することで世界を構築する数値をある程度まで知ることができるのだ。
言葉にすれば簡易に思えるこの作業も、当然のことながら細かな操作やデータの収集、計算が必要となる。昨日今日どころか、研究に触れて数年程度の職員では手も足もでないだろう。
「よし、じゃあそれでいこう」
「駄目だったらエッジのスカーフでも借りようか」
「複数のサンプルを取ることには賛成だが、ここを知られる危険性も出てきそうだ」
「最終手段ってことで」
「オーケー」
二人はそれぞれ手元の装置を操作し、レッドが置いていった金を解析し始める。通過こそスモーカー達の住まう世界と同一のものだが、レッドが別世界の金銭を大量に所持しているはずがない。餞別代りの金は彼があちらの世界で弟のことを思い、貯めこんでいたもののはずだ。
ゴールが見えたことでケチャップ達の間から会話が消える。正念場だ。緊張感も高まるというもの。
無言で機械を操作し続けること数時間。弟達が図書館を追い出され、帰宅する頃合だろうという時間帯になってようやく二人の口から重いため息が吐き出される。
「……データの抽出が終了した」
繊細かつ素早い操作が求められる時間が終わり、後は出されたデータを元に計算をするだけだ。とはいえ、人力で行わなければならないこの計算もそれなりに時間を要するし集中力も必要とされる。
「計算は明日だな」
「あー、世界線を切り離す方ならこんな計算もいらなかったのに」
繋げることや切り離すことというのは、然るべき機械とデータ、そして操作があれば想像よりも手軽に出来てしまう。ケチャップ達とて、繋げるという行為だけならばこれ程までの労力を必要としない。
問題なのは、そのために世界線の数値を知らなければならない、という部分。レッドはこの工程を必要としていなかった。
「二人がかりで取り組めてよかった。
オイラ一人じゃもうちと時間がかかってたところだ」
ケチャップは軽く身体を伸ばす。
ほぐす筋肉はないが、同じ体勢で長時間いるというのはそれなりに疲れるものなのだ。
「明日には終わらせよう」
簡単な計算ではない。モンスターによっては数式を理解するだけで数年はかかるだろうという代物だ。
「そろそろエッジも限界だろ」
「ブルーもね」
遅々としている余裕はない。こうしている間にも弟達の精神は磨耗しているし、レッドの寿命が迫っているかもしれないのだから。
「兄ちゃん、それ本当!?」
図書館にクラシックの明るい声が広がる。
「パピルス。図書館は静かに、な?」
「で、でも、それが本当なら!」
ブルーは期待の眼差しをクラシックへ向けた。
時刻は夕方。そろそろ図書館も閉まろうかという時間。
ようやくのことで計算を終えたケチャップとスモーカーは、無事に機械を起動させることに成功した。その結果として、世界間の道が繋がったことは既にスモーカーによって確認されている。
一度は閉ざされていたとはいえ、再び繋がってしまえば近道による移動が可能だ。現地には行っていないけれど、感覚を広げさえすればその場所へ道が存在しているかどうか判断ができた。
「――かえ、れるのか?」
手にしていた本を落としたエッジが問う。
待ち望んでいた。けれども、本当にゴールがあるのか、と考えなかった瞬間はない日々だった。見つかった、と口で言われ、あっさりと受け入れるには願いが強すぎた。
「あぁ。そうだ。
お前さんは帰れる」
「今すぐにでもね」
ケチャップとスモーカーの言葉にエッジは立ち上がる。
「ならば、今すぐに頼む」
ソウルが激しく脈打っていた。目の前に望みが提示された今、無為な時間を使う理由はない。言葉一つ、瞬き一つの間にもレッドがどうなっているのかわからないのだから。
立ち上がったエッジに倣い、ブルーとクラシックも彼の傍らに立つ。誰一人、居残りをするつもりはなかった。
ここまで共に努力してきたのだ。最後まで見届けなければ気がすまない。
「じゃあ、あの森へ行こうか」
「……いや」
最初に出会った場所へ向かおうとして、エッジが止める。
「どうした?」
ケチャップは首を傾げた。
今までの彼を思えば、誰よりも早く駆け出しそうなものだが。
「今すぐだ」
「だから、森に」
「その茶番はもういい」
切り捨てるように放たれた言葉。ケチャップとスモーカーにはそれがギロチンの音のように聞こえた。
「貴様ら兄が我輩達に隠し事をしているのはとうに知っている。
今回もどうせこそこそと何かしていたのであろう」
バレないように動いていたつもりだった。今も、昔も。それはレッドも同じはず。弟に自分の行ってきたことを知られることは、得た力について知られることは、何よりも忌諱してきたことだった。
ケチャップ達はゆっくりと自身の弟を見た。彼らの反応を知りたくて。
「エッジ、どうして言っちゃうんだ」
困り顔のブルーとクラシック。
それは、彼らもまた、エッジと同程度には情報を認識している証左だった。
「なん、で」
「細かい話は後にしろ。
今は我輩が帰るのが先だ」
「待って。ちょっと混乱してて」
疑問が思考回路を右往左往する。どこでバレたのか。それはこの時間軸だけのことなのか。どこまで知られているのか。弟達は未来のないこの世界に絶望していやしないか。
一時間、否、一日は時間が欲しい。話を聞いて、情報を整理し、覚悟を決めるだけの時間。
しかし、エッジにも待てぬ理由がある。
「そんなものは我輩を送り届けてから存分にしろ!」
近場にいたスモーカーの胸倉を掴み上げる。兄達の心情を慮ってやるだけの余裕が今のエッジにはなかった。
帰るための手段が現れるまでは待った。もうゴールは見えている。一瞬とて待てるものか。
「貴様らのつまらない時間のためにサンズが死んだら、我輩は以前よりも冷酷になれるぞ!
ブルーやクラシックを貴様らの目の前で殺してやる。たとえ、その後に殺されることになったとしてもだ!」
苛烈な怒鳴り声はただの脅しではない。生まれも育ちも殺るか殺られるかの世界である彼の殺気は生半可なものではなく、必要であれば言葉のままの行為をやってみせるであろうことを感じさせた。
骨を突き刺すような殺気を浴びせられ、スモーカー達は思考を切り替える。
混乱は未だに残っているけれど、欲されてることを成さなければならない。彼らにとって、もっとも避けねばならないことは弟の死と不幸だ。
自分達の都合による待ったのせいで彼らが灰になってしまうなど、あってはならない。
「わかった。落ち着け。
……細かいことは後にしよう」
スモーカーは両手を軽く上げ、降参のポーズを見せる。
掴まれていた胸倉を解放された彼は、焦りで強張っていたエッジの手をとった。
「全員を連れていくのはキツいんだけど」
「オレ様達もちゃんと見守りたいのだ」
「でしょうな」
片手でエッジを。もう片方の手でブルーを掴む。
「オイラがサポートしてやるよ」
ケチャプはクラシックとエッジの手を握った。
向こうの世界に行ったことがあればケチャップも近道が使えるのだが、今回は赴く世界の危険性に加え、一刻も早くエッジに帰れることを伝えてやることを優先したため、先行してスモーカーと二人で近道をしておくという選択肢は破棄していたのだ。
「……じゃあ、行くよ」
深呼吸を一つ。大所帯で近道を使うのは初めてのことだが、同じ能力を持つケチャップが繊細な魔力操作で近道をサポートしてくれているのがわかる。おそらく、失敗はしない。酷い疲労もないだろう。
スモーカーは近道を使い、レッドの住まう世界へと移動した。
「こ、ここがエッジの世界?」
クラシックは兄の手を強く握る。
よく似た風景だが、どこもかしこもボロボロの建物。空気は殺気によって乾燥しており、空気には灰が混ざっているようだった。
真横に死がいる感覚をクラシックは生まれて始めて体験する。
「サンズ!」
エッジはスモーカーとケチャップの手を振りほどき、目の前にある自宅へと突入する。
幾度の争いを潜り抜けたその家は、エッジの勢いによって軋んだ音をたてた。
「オイラ達も入ろう。
思っていたより、この世界は危なそうだ」
弟の手が離せない。一度離れたが最後、もう二度と会えないような錯覚があった。
相手のLOVEを測り、カルマによってスリップダメージを入れることが可能となっているケチャップやスモーカーにとって、この世界はおぞましすぎるものだ。どこを見ても高いLOVE。ただでさえ狭いこの地下世界でどれだけのモンスターが死んで逝ったのか。想像するだけで具合が悪くなる。
「……お前達には、聞かなきゃならないことも、あるしな」
聞きたくない。現実を知りたくない。
そんな気持ちもケチャップにはあった。
「黙ってて、ごめんね」
「それはお互い様だな」
しょぼくれた顔をして、けれど、けっして目線を逸らさずにクラシックが言うものだから、ケチャップは話を聞かなければならない。知らぬ間に身も心も成長していたらしい彼と向き合わなければ、自分は本物の怠け骨になってしまう。
「サンズ! 何処だ! 返事をしろ!」
ドタバタと部屋から部屋まで行き来する音が聞こえる。怒鳴り声と言っても過言ではないエッジの声には焦りも滲んでおり、彼の内側で膨らんでいるであろう不安を他のスケルトン達に伝えてくる。
「いない、のか?」
「……少なくとも、我輩が知る家と何一つ変わっていない。
家具も、置かれたままの靴下の位置も、だ」
恐る恐るブルーが声をかけると、血でも吐くのではないかというような声をエッジは発する。
彼の記憶と寸分違わぬ家の様子は、つまり、レッドが一度もこの家に帰ってきていないことを示していた。外へ一歩踏み出せば四方から殺意の視線が向けられるこの世界。野宿どころか散歩ですら下手をすれば死に繋がりかねない。
エッジの手は知らぬ間に振るえ始めていた。
「やはり、サ、サン、ズは」
「まだそうと決まったわけじゃない!」
ブルーが叫ぶ。
「だが! 現にヤツはいない!」
「どこか、どこかないのか?
この世界でレッドが安心できるような場所が」
「そんなもの――」
エッジの言葉が詰まる。
沈黙。視線を彷徨わせ、彼は呟いた。
「……グリル、ビーズ」
この町にある唯一のバー。
敵意と殺意に塗れている世界であるにも関わらず、あの場所は比較的落ち着いた雰囲気を持っていた。いざこざや殺し合いがないとは言わないが、力あるモンスターであるグリルビーのもと、様々なモンスターが酒と食事を楽しむことができる。
町中のモンスターから嫌われているレッドだったが、何故かグリルビーは彼に侮蔑や嫌悪の目を向けたことはなかった。レッドにとってそれは救いであり、エッジ以外に縋ることのできるただ一つの場所だった。
「あっ! 待って!」
気づくと同時にエッジは家を飛び出す。
後に続いてブルーが、クラシックが、スモーカーとケチャップが家を後にした。
前方にあるエッジの背を追いつつ、ブルーは口を開く。
「たぶん、オレ様はたくさんのことは知らない」
一瞬、何を言っているのかケチャップやスモーカーは理解が遅れた。
「でも、パップが何かを隠してるってことは、ずいぶん前に気づいた」
兄弟のことだ。わずかな変化でも目に留まる。
疲れきった様子。感情を押し殺した目。何重にもつけられた仮面。傍から見ればいつも通りの兄を見て、指摘してもいいのか迷った。気づかれたくないのだろう、ということはわかっていた。
セーブとロード。リセットとスタート。その度、弟達の心には兄の変化が積もり、より早く、より細かく彼らの表情が見えるようになっていった。
「いつだっただろ。
前にも同じことがあった、って思うようになったのは」
兄達は息を詰め、拳を握る。
一番知られたくなかった部分だ。
未来のない絶望を輝く星にだけは。
「グリルビー!」
スモーカー達のソウルが不安に固まる中、エッジがグリルビーズにたどり着いた。
ボロボロになった扉を無遠慮に開け、店へ飛び込む。そのすぐ後にはブルー達も店についたため、彼らの話は一時中断となる。
「パ、パピルスだ!」
「死んだって話だっただろ!」
「だから言ったんだ。あいつがんな簡単に灰になるかって」
「この人数で行けば殺れるだろ」
「今度こそ殺してやる!」
店内にいたモンスター達が口々に呪いの言葉を吐き出す。どれも敵意が溢れており、慈悲や和解の心など微塵も感じられない。
平和な世界に生きてきたケチャップ達からしてみれば、その場に立っているだけでソウルが削られそうですらある。
「てめぇら静かにしろ」
一閃。
ただの声だが、彼の言葉は場を両断する。
「この店に入ったからには客だ。
勝手に殺すんじゃねぇ」
バーカウンターの向こう側にいる紫色の炎。
彼こそがこの店の主、グリルビーだ。
「貴様に、聞きたいことがある」
殺意の中、エッジは臆することなく中央を歩く。
スモーカーとケチャップは出入り口付近で弟達を背に彼の背中をじっと見つめる。左右のモンスターが不意をついて襲い掛かるのであれば、わずかな時間その動きを止めることくらいできるだろう。目の前にいる弟も、背後にいる弟も、兄は守らなければならない。
「何だ? 美味い酒の種類か?」
「そんなものはどうでもいい」
カウンターの前に立ったエッジは同じ位置にあるグリルビーを睨め上げる。
「愚兄を知らんか」
「ところで」
エッジの問い掛けをかわすようにグリルビーは言う。
「お前は死んだと聞いていたが」
「我輩の質問に答えろ」
「オレに聞きたいことがあるなら、素直に答えておくほうが得策だぞ」
平然とした様子でグリルビーは手元のコップを丁寧に吹き上げる。まさか、眼前のエッジから放たれている殺気が膨れ上がったことに気づいていないはずはないだろうに。
「……貴様」
「噂のもとはお前の兄貴でな。
お前は幸福な世界に行ったんだって言ってた」
殺るか殺られるかの世界に生まれたモンスターがゆくことのできる幸福な世界。そんなものは死んだ後に訪れる静けさの場所だけだろう。
グリルビーは次のコップに手をつける。
「それで?」
目を眇めて彼はエッジを見た。
返事を待つ姿勢。答えがないのであればそちらの質問に対する回答もない、ということだろう。
「嘘ではない。
それが死によって逝ける場所ではなかったというだけの話だ」
「ほう。なら何で戻ってきた?
この世界よりも居心地の良い場所だったんだろ?」
「……我輩は」
本心を告げれば今後の弱みとなるだろう。
だが、黙せば、嘘をつけばレッドの情報を得ることはできない。
グリルビーの静かな目はエッジを見極めようとしているようだった。
「我輩にはサンズが必要だった。
それだけのことだ」
迷いも不安もあったが、エッジはグリルビーから視線をそらすことなく言い切る。
どのみち、これからは以前と違う形でレッドを守っていきたいと考えていた。所有物であることを周りに知らしめるのではない方法は未だ模索中ではあるけれど、ブルーやクラシックのように兄と共に生きてゆければと思う。
エッジの言葉に周囲のモンスターは小さなざわめきを作り出す。
少なくないモンスターの前で堂々と弱みをさらけ出した恐怖の象徴に、正気を疑うような声まで上がっていた。
「そうかい」
グリルビーはコップを置き、一歩後ろに下がる。
「なら、連れて帰るこった」
空いた右手が地面を指差す。
エッジは前のめりになり、カウンターの内側。その下を覗き込む。
「――サンズ」
零れたのは安堵の声。
ケチャップ達もレッドの安否を確認すべく店内へと足を踏み入れる。ケチャプを先頭に、弟達が後に続く。しんがりはスモーカーが担当した。
彼らがカウンターにつくと、エッジはその内側に膝をついていた。
「起きろ」
優しい声と共にエッジはレッドの頬に触れる。
最後に見たときよりも薄汚れた姿は、彼が幾度かの戦闘行為を行ったことを示していた。
「数日前から起きやしねぇんだ。
うちに放っておいても良かったんだが、帰って灰になられてたら目覚めが悪いからな」
どうやらレッドはここ数日、グリルビーによって店と彼の家を往復させられていたらしい。小柄とはいえモンスターを一体毎日連れて行き来する彼を律儀というべきか物好きというべきかは判断に迷うところだ。
「起きてくれ」
懇願するようにエッジは言う。
実のところ、近づき、声をかけても目覚めぬレッドは珍しい。
自身の弱さをよく知っている彼の眠りは常に浅く、時折、深い眠りについたかと思えば身体を震わせて飛び起きるのが日常だった。悪夢を見ているのだろうことをエッジは知っていたが、たかが所有物の夢だ、と知らぬフリをし続けていた。
だからこそ、ここまで眠り続けているレッドは異常であるという事実がエッジい突き刺さる。
二度と目を開けず、このまま灰になるのではないか。
そんな不安がエッジを苛む。
「我輩に、チャンスをくれ」
もう一度、兄弟として過ごす日々を。
「――ぼ、す」
薄く、レッドの目が開かれる。
「なんだ、ゆめ、か?
は、めずらしく、いい、ゆめじゃねぇか」
「夢ではない」
「いいや、ゆめさ」
焦点の合わぬ瞳。まどろんだ声。
レッドは夢の中から逃れてはいないようだった。
「だって、ぼすは、あのせかいにいる。
へいわで、あたたかいせかいに」
「戻ってきたのだ」
「そりゃ、あくむだな」
「何故だ」
「ぼすにはしあわせに、なってもらいたいんだ。
このせかいじゃだめだ。おれじゃ、だめ、なんだ」
ゆっくりとレッドの目蓋が落ちてゆく。彼は再び夢の中に帰ろうとしていた。
「サンズ!」
強い感情のこもった叫びだった。
エッジの後ろにいたケチャップ達は骨を刺すような声に、思わず腕を顔の前に構えてしまう。
「起きろ! 起きて、我輩を見ろ!」
「……ボス?」
ソウルに直接作用するような声が効いたのか、弟の声量が効いたのか。レッドの目蓋は完全に開き、丸い目でエッジを見上げていた。
「は? なん、で」
「スモーカー達に協力してもらった」
レッドが覚醒したことを確認したエッジは立ち上がり、彼へ手を差し伸べる。
「帰るぞ」
「待てよ。何で、何で帰ってきたんだ」
「我輩がそうしたかったからだ」
「おいおい。冗談じゃねぇ。
なあスモーカー。何でボスに協力した。どうしてこの世界に帰したりなんてした」
エッジの手を取ることなく自力で立ち上がったレッドはスモーカーを睨みつける。その手前に見覚えがあるようでない存在が一組あったけれど今は置いておく。
そんなものよりも今大切なのは、平和な世界で幸せに暮らすはずだったエッジが戻ってきてしまっていることだ。
「悪いけどオレも兄なんでね。
あんな弟の姿を見たら手も貸したくなるよ」
「てめぇ何言ってんだ?」
まるでジョークを言うように軽く告げてくるスモーカーへレッドは鋭い眼光を返す。自身を弱者であると自負しているレッドだが、培ってきた覇気はまがい物ではない。怒りに疑心を混ぜ込んだ殺意は赤々と燃えている。
今にも飛び掛らんばかりの様子を見せていたレッドだが、不意にその姿勢を止めた。
「……いや、いい。とりあえず家に戻るぞ。
こんなところで長話する気になれねぇ」
自身がどこにいるのかを知り、周囲のモンスター達に気づいた彼は舌打ちを一つ残し、店の外へと足を向ける。グリルビーの前で無遠慮に襲い掛かってくるような馬鹿はいないと思いたいが、こんな世界だ。何があっても不思議ではないだろう。
第一、別の世界線の話や、そこに弟を置いていった話など他のモンスターに聞かれて面白いものではない。
「サンズ」
店を出る直前、小さな背中にグリルビーが声をかけた。
「ツケは金で払えよ」
「……機会があればな」
不機嫌な声を残し、レッドは外へ出る。
降り積もる雪に足跡をつける六体のスケルトン。彼らは無言でスノーフルの町を行く。何を話すべきかを考えるモノ。空気を読むモノ。現状を整理しているモノ。頭の中はそれぞれだ。
「ボス」
修繕の跡だらけの家に全員が入り、玄関扉が軋んだ音をたてながら外と内を隔てると同時にレッドが口を開いた。
エッジの方へと振り向いた彼の表情には、先ほどまでの怒りや困惑ではなく、憂いの色が大きく浮かんでいる。
「どうして戻ってきた」
心の奥底に優しさを隠し持っているエッジにとって、在るべき世界は地獄だ。潰えぬ緊張感。終わらぬ争い。轟く断末魔。どれもこれも、慣れたような顔をしていたが、ブルー達と出会い、彼は本来の心を取り戻しつつある。変わるのならば、戻るのならば今しかないのだ。多くを殺してしまったが、まだ、エッジは罪を償い、平和に生きることを選択できる場所にいる。
「この際だ。どうやってだとか、そこにいるサンズとパピルスは誰だ、何て野暮は聞かねぇ。
だがな。お前がここにいる理由だけは、きっちり聞かせてもらわねぇと気がすまない」
切り離したはずの世界線が再度自然に交差したとは考えにくい。エッジが単独で行動を起こし、ここまで行き着いたとはいかに兄馬鹿なレッドとはいえ思えない。その点、別世界の兄達ならば容易くはなくとも事を成せるだろう。
レッド以上に怠惰で自身の弟に対してのみ執着と行動力を見せるスモーカーだけならば良かった。彼は自らエッジの手助けを申し出ることはなかったはずだ。
問題なのは追加で表れたらしい一組の兄弟。彼らのうち、兄にあたるモンスターがエッジの帰還の主導を握っていたに違いない。
「望んだからだ」
「何故だ。向こうの世界は良いだろ?
平和で、穏やかで、幸福だ」
毅然とした態度で答えるエッジに対し、レッドは目をそらして首を横に振る。
生まれ育った馴染み深い世界とはいえ、ブルーやスモーカーの住む世界と比べれば生きやすさが地上と地下世界の距離以上に違う。
わざわざ辛い道を選択する理由はないはずだ。
「そう思うのなら、貴様は何故こなかった」
レッドは沈黙を返す。
道を閉ざすだけならば、スモーカー達の世界からでもできた。全く同じとはいかずとも、よく似たものならばあるという確信があった。生まれ育った世界を殊更愛していたのかと聞かれれば答えは否だ。浅い眠りの中で、何度もこの世界が平穏であったならば、と夢想してきた。
「答えろ」
拒絶を許さぬ強い命令。
長すぎる時間をエッジの奴隷として、所有物として過ごしてきたレッドにとって、命令は絶対のものだ。気を緩めればその途端に全てが口から流れ出そうになってしまう。
恐ろしい予感にレッドは口を硬く閉ざす。
言えるわけがない。
笑う弟を見たくなかった、など。
自分は与えてやれなかった幸福や安心感といったものを容易く与えるスケルトン達へ醜い嫉妬心を抱き、ソウルは痛みに張り裂けそうだと泣き喚いていた。だからレッドは痛みの原因を遠ざけた。
弟の幸福を願ったのは本当だ。けれど、自身を守るための行動であったことも否定できない。
スモーカー達の世界で穏やかに暮らす弟をずっと見続け、兄として何も出来なかった自分を思い知らされるのは嫌だった。
「……別に」
「嘘をつくな」
命令に従おうとする口をどうにか押し殺し、苦しげな一言を返す。
正直に告げてしまえば殺されるだろう。レッドはそんなことを考えていた。
灰に還されるか、面と向かって絶縁を突きつけられるか。いずれにしてもレッドは死ぬ。何も残らぬかEXPが残るかの違いでしかない。
「オ、オレがボスに嘘をつくはずがない、だろ?」
「貴様はいつも我輩の言いつけを破っているではないか」
「あー、そう、まあ、たまには、な。
だけど今回は、違う。本当だ」
途切れ途切れの言葉に説得力などない。本人もそれは自覚しているのか、最後の方には目線をそらしてしまう始末。これでは真実を言うつもりはないという意思表示にしかならない。
レッドは悪くない思考を必死に働かせる。
エッジと二度と会うことはないだろうと思っていた時は死など恐れるほどのものではなくなっていたが、本人が目の前にいるとなれば話が変わる。レッドの生存本能は大声で叫び声を上げ、死を回避しようと躍起になっていた。
「オレがいても、いなくても、世界は何も変わりゃしねぇよ。
そこを重要視する必要はない」
横へそれようとする視線をどうにかエッジへと戻し、レッドはにやけ面を作る。
裏があるような笑みはこの世界で生き延びるために習得した処世術の一つだ。ハッタリが通用すれば敵の行動パターンを幾つか減らすことができる。上手くいけばそのまま戦闘を回避することもできなくはない。
「いつだってオレの中の最重要事項はボスだけだ」
最愛の弟がいるから、生きにくさしか感じられない世界でも灰にならずにここまでこれた。我が身を可愛く思えども、目の前で彼を喪うくらいならば脆弱なこの身を賭してもいいと考え続けてきた。
深い情がレッドの瞳から漏れ出る。
エッジ以外の弟達は悲しげにその瞳を見、兄達は肯定と諦めが混ざった視線をレッドへ向けていた。
「何か勘違いをしているな」
「は?」
細めた目をレッドに向け、エッジは言う。
「いや、勘違いをさせたのは我輩か」
一歩、彼はその長い足を踏み出す。
「聞け。サンズ」
「ボス……?」
懐かしい響きだ。夢うつつの中で聞いたような、幸福な音の波形。
恨みを買っている数多のモンスターやグリルビーから呼ばれるその名が、弟の声によって形作られている。他の世界線の自分達であれば、珍しくもないだろうそれに、レッドのソウルは柔らかな温もりを感じた。だが、冷え切ったソウルはその温もりを身を溶かす炎であると受け取ってしまい、恐怖で震えてしまう。
「我輩は思い出したのだ」
エッジがレッドの前で膝をつく。
乞うためではない。兄と久方ぶりに目を合わせるためだ。
「なっ! ボス! オレに膝なんて――」
「貴様は我輩の所有物ではない」
レッドの全身が硬直する。手足だけではなく、口までもが時を止めた。
「大切な、この世界で生きるために必要な、たった一人の兄だ」
敵を屠るために使われてきたエッジの長い手が、兄の小さな身体を抱きしめている。
硬質な骨同士であるにも関わらず、その情景は柔らかなものだった。他を傷つける世界に生まれ、その通りに生きてきたモンスターが行っているとはとても思えぬほどに。
「今更かも知れんが、我輩は変わる努力をしよう。
虐げることで守るのは、もう嫌だ。
ブルー達のように、共に寄り添い、手をとりあって生きていきたい」
暴力の意図を持たぬ触れあいにレッドは思考を停止させていた。
主の言葉を聞き逃すような耳は持っていないけれど、意味を噛み締め、飲み込むまでに至らない。
それを知ってか否か、エッジは遮られることのない言葉を続けてゆく。
「もう何も言われないから、と見て見ぬフリをするのもやめる。
貴様は何を夢みて飛び起きているのだ。近道とは何だ。戦っているとき、やけに汗をかいているが、あれは何だ」
隠してきたものを並べられ、レッドの身体がわずかに揺れる。二人を見守っていた兄達も同様に。
「いつまでも我輩をキッドだと思うな。
多くを見て、知って、学んだ。いつまでも近道などという言葉に騙されるわけがないだろう。つまらない言い訳に騙されてやっていただけだ」
「どう、して……」
「……その方が、貴様達は安心するのだろ?」
絶望など知らぬまま、光に満ちて生きてほしい。それは兄達が共通して抱いている願いだ。
暗い地下世界の中。どのような形でもいい。ただ、未来を信じ、進んでいく。それだけが世界の残酷さを知ってしまった兄達の安らぎであった。
「よくは、わからんが。
いつの頃からか強い既視感を覚えるようになった」
驚きによって丸く固定されていたレッドの目が、苦痛を訴えるように歪み、恐る恐るエッジの顔へと向けられる。
「何度も何度も既視感を重ねていくうちに、それらの中のわずか一部が、ふと思い出される程度の記憶として残るようになった」
ロード。リセット。繰り返される時間。途切れ、また始まる。兄達はその事実をデータとして知り、ようやく体感にまで至った。だが、弟達は何も知らぬまま、それを感じ取ってしまっていたという。
我が身に置き換えてみれば恐ろしい話だ。
気のせいだと思い込もうとしても、新しい時間が始まれば嫌でも思い知らされる。
「だから、何となくわかるのだ。
全てを話せば、貴様は悲しむのだろう、と。
いつかの時に我輩は全てを話し、問うたに違いない」
レッドは目頭が熱くなるのを感じた。
記憶にない時間軸。日常の中で弟が絶望の一端に気づいてしまったと聞かされたなら。果たして自分は正気を保っていられるだろうか。
嘆き、狂い、次の時間軸へ希望を託し、最愛を殺してしまったかもしれない。嫌な予感が彼の背筋を這う。
「ボス。ボス。ボス……。
お前は何も、知らなくていいんだ」
震える手を持ち上げ、レッドはエッジの背へ腕をやる。
「いいや。全て聞かせてもらおう。
今、この時だけは。全てを知り、そのうえで、貴様ともう一度、兄弟になりたい」
「駄目だ。そんなの。
オレは、お前に生きていてほしい。
弱いモンスターを虐げ、隷属させる。それで、いいんだ」
「貴様の言葉に甘える我輩ではない」
レッドを抱きしめる腕に力を込める。
密着した二人の身体は、互いのソウルの鼓動を伝えあう。
「だから、もう、我輩を置いていかないでくれ」
細く震えた声は、兄に縋るようだった。
スノーフルの町を恐怖に陥れるモンスターが怯えている。たった一体のモンスターを失うことに恐怖している。そのことに気づいたレッドは目を見開き、ゆっくりとエッジを抱きしめる手に力を込めた。
心も身体もすっかり強くなったと思っていたが、弟はやはり弟でしかない。ならば、兄は受け止めなければならない。
「……わかった」
レッドは頬をエッジの頭に擦り付ける。
「ごめんな。ボスを怖がらせちまったみたいだ」
優しく慰める音は、兄達のものとよく似ていた。
「サンズ」
「ん?」
兄の肩へ顔をうずめたままエッジは言う。
「ボスではない」
「――あぁ、そうだったな」
端的で、棘が垣間見える声が愛おしい。
クラシックでも、ブルーでもない。レッドだけの弟。それが彼だ。
「パピルス」
名で呼ぶのはいつ以来だろうか。幾多の時間軸を越えたため、もう思い出すこともできない。近頃では、揺らぐ記憶の中に存在する兄弟としての時間さえ、夢幻だったのではないかと考え始めていたのだ。まさか、今、自分達が生きている時間軸の中で機会が訪れるなど、今の今まで信じていなかった。
「サンズ。サンズ。生き、生きてて、良かった」
「おう」
骨を通して聞こえてくる嗚咽は痛々しいものであるはずなのに、レッドの心に温もりを与える。
自身の生死について、エッジが心を乱されている。兄として、この世界に生きるモノとして、心配し、叱咤しなければならないことなのだろう。
だが、どうしてもできない。
唯一無二の弟が、自分を唯一の兄だと言ってくれているのだ。
喜びを噛み締めずにはいられない。
「あちらの世界で、我輩が、どれだけ、心配、したか」
「ごめんな」
「許す。だから、貴様も」
「オレはいつだって許してる。
他でもない。ボス、いや、弟のしたことだ。
全部、全部許してる」
悲しかったことはあれども、恨んだことなど一度もない。もし、レッドがなにかを恨むのだとすれば、それはこの世界と自分自身に他ならないだろう。
レッドは慈愛に満ちた瞳でエッジの背を見る。そして、その色を全て消し去ってからスモーカー達を見た。
出入り口付近で固まり、じっとこちらを観察している彼らの表情は様々だ。ブルーやクラシックは感動で涙しながら何度も頷き、スモーカーは呆れ顔。ケチャップはまるで弟を見るかのような目でレッド達を眺めている。
エッジの気持ちが落ち着くのにどれだけの時間がかかるかわからない。彼に付き合うのは何の問題もないけれど、その間、ずっと見られ続けているというのは気恥ずかしいものがあった。
四体を見ていたレッドは、顎だけで二階を示す。
しばらくはエッジか自分の部屋にでも行っていろ、という合図だ。
「仕方ない。じゃあ、しばらくエッジの部屋にお邪魔させてもらおう」
ケチャップは小さな声で他の三体へと告げる。弟達は感動のシーンから離されることを嫌がったけれど、エッジ達が見られ続けることを望まないだろうということを教えれば素直に頷いてくれる。
極力足音を立てぬようにして移動した彼らは、階段を上ってすぐの部屋へと入り込む。どこの世界線でもそこは弟が住まう部屋だ。
アクションフィギュアも夢のあるベッドもない殺風景な部屋は、実にエッジらしい。所々に修繕の跡があるのはリビングと同じで、他には特筆すべきところがなかった。眠るための部屋、といったところだろうか。
「一つ、聞いてもいいか?」
部屋の壁に背を預けたケチャップが口を開く。
「……記憶の、話だ」
グリルビーのもとへと駆けていた時と先ほどのエッジの言葉。弟達が前の時間軸について察していたという話は、辛いけれども確認しておかなければならない事項だ。
どうせ、次の時間軸で忘れてしまうのだとしても、知ってしまった今の時間軸でそのことを無視し続けることはできない。
「オレ様はエッジよりも覚えてないと思うぞ。
似たようなことがあった、こうなるかもしれない、って予感がするくらい」
ブルーは記憶と呼べるほどハッキリしたものは持っていないらしい。これは彼らの世界がまだそれほどリセットされていない、ということなのだろう。
勘付き始めてはいるようだが、まだ体感として恐怖や絶望を味わったことはないようだ。今回はエッジやクラシックと出会い、弟達の中で情報交換が行われた結果として事実の一端を掴んだに過ぎない。
次の時間軸へ行けば、また何もかもを忘れてデジャブに首を傾げる程度に戻るはず。
「そっか」
気を張っていた身体から力が抜け、スモーカーはだらしのない猫背になった。
いずれはブルーもエッジのように記憶が残る時がやってくるだろう。しかし、今じゃない。馬鹿馬鹿しいほどに小さいけれど、それはスモーカーにとって希望だった。
「……実は、オレ様はもうちょっと色々と覚えているのだ」
ぽつり、とクラシックがもらす。
ケチャップは目を眇め、口角を下げる。いつもにやけ面の彼には似合わぬ表情だ。
「ちょっとずつ、ちょっとずつ、色々な記憶が、ある。
兄ちゃんが死んだり、アンダインが死んだり、誰も、死ななかったり」
クラシックを見ていたケチャップの視線が徐々に落ちてゆく。
予想はできていた。認めたくはなかった。
時間の歪みを発見して、何度のリセットがあったのかはわからない。だが、兄達もまた、自身の感覚が狂っていくのを感じていたのだ。
デジャブ、浮上する記憶、断片的な記憶。スモーカーは二つ目までを体感していた。ふとした拍子に思い出される残虐な記憶と幸福な記憶。受け止めるまでに要した時間はどれ程のものだっただろうか。記憶を恐れ、何もかもを拒絶した時間軸さえあった気がする。
「でも、兄ちゃんは、もっと覚えてるんでしょ?」
実のところ、ケチャップはスモーカーより、クラシックより、鮮明に記憶を保持していた。
スモーカー達の世界より、レッド達の世界より、ケチャップ達の世界は繰り返し繰り返し同じ時間を生きているのだ。たった一人のケツイではないのかもしれない。おぞましいことだが、複数の、何十、何百のケツイが、そうさせている予感があった。
「オレ様、いつかの時に、騙されたのだ。
すっごくしょーもない嘘だった。もっと早く帰ってきてたらアクションフィギュアが踊ってたとか、そういう」
どの時間軸の、どんな状況のときにそんな嘘を言ったのか。ケチャップの記憶には残っていない。だが、自分なら言うだろうな、という確信はあった。
リアクションの大きいクラシックをからかうことはとても楽しく、彼からの信頼を失わない程度の冗談や嘘は日常茶飯事だ。やり過ぎてしまった結果、まともなことをしていても頓珍漢な解釈を持って責め立てられることもあるけれど、コミュニケーションの一つだと思えば愛おしさも湧くというもの。
「世界が終わって、また始まって。そのことを思い出したオレ様はちゃんと確認した。だけど、やっぱりアクションフィギュアはじっとしてたし、サンズはオレ様に何も言ってこなかった」
些細な嘘と確認は幾度となくあったのだとクラシックは吐露する。
彼はどの時間軸でも兄へ明確な問いかけをすることはなかった。つまるところ、クラシックは異常な事態を己だけで受け止め続けたということだ。
「ちょっとでも気づいた素振りを見せたら、兄ちゃんはすごく不安そうな顔をしていた。
だから、オレ様はこのままで良いって、ずっと思っていたのだ」
繰り返される時間に恐怖しなかったと言えば嘘になる。何が起きているのかすらわからず、くじけそうになった時間軸だってあった。
にも関わらず、クラシックはただの一度たりとも輝きを失ったことはない。
隣に、兄がいたからだ。
「でも、駄目だって気づいたのだ。
兄ちゃんにばっかり背負わせてたら、駄目だって」
自分よりもたくさんのことを知り、背負いながらもつまらないジョークを言い、共にパズルを作ってくれる兄がいたから、クラシックは正気を保てている。
暗い地底の世界で光を放っているのは弟達だけではない。
「オレ様はサンズと一緒に戦うぞ!」
恐ろしい世界の中で、兄という存在はクラシックを照らす大きな光だった。
庇護という温もりを伴ったそれは、話に聞くところの太陽だ。健やかにあれ、と自身を見守り続けてくれた太陽を守りたいという気持ちは兄の異常に気づくよりも前から持ち続けているもの。
手法が変わるだけだ。無知で在り続け、兄達の心に安寧をもたらすような受身の姿勢から、隣に立ち支えあう積極的な姿勢へ。
「だからちゃんと話してくれ」
クラシックの真っ直ぐな瞳がケチャップを貫く。大よそを知っているにも関わらず、彼の瞳は何処までも澄んでおり、迷いも穢れも混じっていない。
最愛の言葉に何を返せばいいのか。床を見つめたまま、ケチャップは喉を震わせることができずにいた。
「おい」
雑なノック。聞こえてくる低音。
この家の主が一人、レッドの声だ。
「ボスが呼んでる。降りてこい」
扉越しに言葉が投げられるが、重苦しい雰囲気がのしかかる部屋の中で動けるモノはいない。視線だけが左右に振れ、互いが動けずにいることを確認するばかりだ。
「……聞こえてるのか? 誰でもいいから返事をしろ」
ドンドンと先ほどよりも強いノック音が響く。
返答がないことに苛立っているようだが、彼は扉を開ける気配をみせない。
本当に室内にいるのか。あるいは不測の事態に見舞われているのではないか。普通ならばそれを確認するはずだろうに。
両手で数えられるか数えられないか、という回数、ノックの音が響いたところで、ぎこちなくブルーが動いた。
「んだよ。いるじゃねーか」
「レッド、どうして扉を開けなかったのだ?」
第三者という名の風がこの部屋の空気を入れ替えてくれることを誰もが期待していた。ノックの音程度の振動では駄目だ。重量のある空気を抜くためにも、扉の開放は必須事項であった。
望みを叶えてくれなかったレッドに対し、扉を半分だけ開けたブルーがやや恨みがましい目を向けてしまうのも致し方のないことだろう。
「はぁ? ここはボスの部屋だぞ。
無許可で開けられるかよ」
「エッジのことをボスって言うのもおかしい!
二人は仲直りして兄弟に戻ったんじゃないのか!」
心底不可思議である、と言わんばかりのレッドにブルーは扉を勢いよく全開にして大声をあげた。
自分達が最後に見たレッドとエッジは互いに名前を呼び、兄弟として完結しつつあったはずだ。その光景と絆のためにブルー達はこの世界までやってきたというのに、短期間で反故にされては困る。
「それ、は。あー、オレだって、そんなすぐに切り替えはできねぇよ」
視線をあちらこちらに移動させた後、レッドは気まずげに言った。
繰り返される時間によって、彼らは兄弟としての時間よりも主従としての関係の方が長くなってしまっている。過去の時間軸の記憶をある程度保持しているレッドがさっきの今で認識や思考を一新できるはずがない。
「サンズ! 我輩のことはパピルスと呼べと言っただろ!」
「イエス、ボ――じゃねえ、パピルス!」
ブルーの声が一階にまで響いていたのだろう。下の階からエッジの声が聞こえてきた。
「……あんまり大きな声を出すんじゃねぇよ。
ボスって呼ぶと怒るんだ。あいつ」
ため息と共にレッドは頭を掻く。
弟は可愛いけれど、慣れた呼び名を変えるのは大変だ。今までが酷かっただけに、彼の怒鳴り声はソウルに響くというのも欠点の一つ。
睨まれ、怒声を上げられればレッドの身体は反射的に揺れる。それを見て悲しむエッジの顔は見ていて楽しいものではない。
「こっちはこっちで取り込み中だったみたいだけどよ、うちのボスのめいれ、お願いだ。
ひとまず下にきてもらうぞ」
俯いているケチャップと真剣な顔をしているクラシック。少し離れた場所で硬い表情をしているスモーカーを確認し、レッドは複雑な顔をする。
別の世界線にいる仲良し兄弟達の揉め事に首を突っ込みたくはないけれど、自分達の仲を取り持ってくれたという自覚もある以上、彼らを無碍にもできない。また、エッジの言葉も絶対であり、とにもかくにも彼らを一階へ連れて行くという最重要ミッションも課せられている。
どこからどう処理していけばいいのやら。レッドとしても頭の痛い問題だった。
「……パピルス、行こう」
レッドの誘いにケチャップが乗る。
視線は未だに下を向いており、気落ちしている雰囲気だが、現状を放っておくわけにもいかないと考えているようだった。一階に行った後の流れを予想できない彼ではない。
「そこで、全てを話さなきゃ、ならないんだろ?」
ケチャップの眼孔は黒く染まっていた。何もかもを諦め、絶望した色。見るモノの背筋に氷を這わせるそれを見ていたのはエッジが自室に敷いているマットだけだった。
「おっと。あんたには改めて自己紹介が必要だな」
顔を上げたケチャップは左目を器用に閉じてウインクをする。
「オイラはサンズ。お前さんもそうだろ?
この中ではケチャップって呼ばれてる。まあ一つよろしく頼む。
で、あっちがオイラの弟、パピルスで、クラシックって呼ばれてる」
「レッドが世界間の道を切り離した後にオレ達の世界と繋がった別の世界線のオレ達だ」
ケチャップの紹介にスモーカーが補足を入れた。
姿を見ればケチャップが自身と同一の存在であることはすぐわかる。彼らとの出会いがレッドと分かたれた後だということも少し頭を働かせればわかることだ。
そのため、レッドはふうん、と気のない返事をしてケチャップ達を軽く視界に入れる。
「お前達は知ってるんだろうけど、オレはレッドって呼ばれてる」
「よろしくな」
レッドに歩み寄ったケチャップは左手を差し出す。親愛の印、というわけではないけれど、握手は地下世界でもある程度の認知度と有効性を持った挨拶だ。
ちなみに、地下世界においてもっとも有用かつ、認知度の高い挨拶は親愛を込めた弾幕になる。
「礼は言っておく。ボスも世話になったみてぇだしな。
だが、握手はしねぇ」
肩をすくめたレッドがケチャップの手を弾く。
同時に、ぶへ、とマヌケな音がその場に広がる。
「……あ?」
「ブーブークッションだ」
言いつつケチャップが左手を上げると、確かにそこには潰れたブーブークッションが仕込まれていた。いつの間に用意したのかはわからないが、レッドの傍に寄って行ったときには既にそこにあったと思っていいだろう。
へらり、と笑うケチャップ。頭蓋にヒビでも入るのではないかという勢いでレッドは目をつり上げる。殺意こそ込められていないものの、寸前の怒りをまとった瞳は恐ろしく、クラシックとブルーは小さな悲鳴を上げて後ずさっていた。
「あまり舐めたマネしてんじゃねぇぞ?」
「やれやれ。こっちのオイラは本当に余裕がないみたいだ」
弟の真実を知り、意気消沈していたところから一転してジョークをかましにいけるようなモンスターと一緒にされては困るだろう。スモーカーは自身の弟を思い出しながら心の中で吐き捨てた。
この中の誰よりも多く時間を繰り返しているがゆえの切り替え、あるいは仮面なのだろうけれど、ここまでくれば狂気という名前をつけたほうがいいのかもしれない。
「エッジが呼んでいるんだろ?」
片手をひらりと振りながらケチャップは軽やかに階段を下りていく。レッドの怒りを真正面から受け止める気はないようだ。
瞬間的にわいた怒りをいなされ、レッドは舌打ちを一つするがそれ以上は何も言わず彼の後に続いた。
「行こうか」
隠し事をどこまで話すのか。話させられるのか。わずかな恐怖心をソウルの端に追いやり、スモーカーは部屋を出る。逃げるつもりはないけれど、最後までこの部屋に残されてしまった場合、自分がどのような行動に出るのか自信がなかった。それこそ、数時間程度、頭を冷やすために近道をしてしまうかもしれない。
「パップ。怖がらなくていいからな」
兄の心中を察してか、ブルーは彼の背中に投げかける。
「オレ様はパップの弟だ。何を隠していたとしても」
スモーカーが振り返った先にいたブルーはいつも通りの星が弾けるような笑みを浮かべていた。
「大好きだぞ!」
何度、その笑みに救われただろうか。
ブルーがクラシックの手をひいて一階へ降りていくのをスモーカーは黙って見送る。
強くて優しい弟の言葉がソウルにじわじわと広がり、恐怖心をどこかへ追いやってしまう。同時に彼は悟った。もう逃げられない。少なくとも、今、この時間軸では。
「遅いぞ」
諦め半分。喜び半分。自身の心をどう解釈するべきかと悩みながらスモーカーが一階へと降りると、そこにはソファに座らされたレッドとケチャップ。彼らの正面に立つ弟達の姿があった。
「あー、これは」
「パップはそこだぞ」
ブルーが指差すのはレッドとケチャップの間。
互いにそっぽを向き合い、不自然に間が空いている。居心地の悪さならば百点満点を取れそうな席だ。
「……了解」
嫌だとは言えなかった。スモーカーは新しい煙草に火をつけようとして、やめた。
ここは尋問の場だ。
受けるのは兄。問い詰めるのは弟達。
生意気にも嗜好品を口にしているようなマネは許してもらえないだろう。
「では、貴様らには今から全てを吐いてもらう」
宣言をしたのはエッジだ。三体の中でもっとも真実に近いのはクラシックなのだろうけれど、この家の主にして、ロイヤル・ガードの副団長をしている彼の方が言葉に圧がある。
見下ろされる形で座っている兄達は骨の表面がぴりぴりとあわ立つのを感じていた。
「オレ様達はさっきまでちょっと話してたんだけど、レッドにもちゃんと話してもらうからな」
「一応聞かせてもらうが、これは、あの話ってことで、いいのか?」
今までの流れで予想はついているが、確信はないレッドがそろりと手を挙げる。
わずかな希望を持って言葉を濁してみるが、彼の予想は違わない。
「そう。オイラ達が隠し続けてきたことについて、だ」
「うちのサンズはあまり体感してないみたいだけど、クラシックの方はかなり鮮明に色々と覚えてるらしいよ」
「……だから、オイラとしてはあまり、話したくない」
話を聞く限り、ブルーとエッジはこの時間軸が終われば、この場で話されることの殆どを忘れてしまうだろう。忌々しいリセットが行われれば、レッドとスモーカーの二体はまた全てを隠し、弟達を見守っていられる。
だが、ケチャップとクラシックだけはそうなれない。
今が終わろうとも、百度リセットが行われようと、クラシックは全てを覚えている。もう二度と、無知な彼に戻ることはできないのだ。
「逃げられないこともわかっているのだろ?」
図星をついたのはエッジだった。
彼の言葉の通り、ケチャップは逃げることもできない。今を逃げ切ったとしても、クラシックはいつまでもケチャップに真実を求め続けるだろう。既に無知の皮は脱ぎ捨てられており、彼は誰にも何にも遠慮することはなくなってしまっている。
「そうだな」
深く息を吐き出す。
覚悟など、いつ間で経ってもできやしない。
「どこから、聞きたい?」
やってこぬ終わりを待つことが出来ないのなら、そこへ向かって進むしかないのだ。
「我輩達に残る奇妙な感覚と記憶。
これは何だ。貴様らはそれについて何を知っている」
兄達はそれぞれ視線を交じらせる。
言葉を用いぬ行為は、何処までどの程度話すのか、誰が口火を切るのかという確認のためのもの。
エッジ達が何処まで勘付き、知ることを望むか。時間軸についての話は避けられないとしても、アマルガムやケツイについての話は伏せておきたい。件の実験はあまりにも罪深い。被害にあったモンスター達がかろうじて生きているという状態なのも不味い。正義感溢れるクラシックやブルーは必ず何かしらの行動を起こそうとするだろう。
賞賛されるべき行為であることは承知の上だが、兄達はそれを歓迎することができない。罪の全てを受け入れ、懺悔するには彼らのソウルは磨耗しきってしまっている。最低なモンスターであることは承知の上で、あれらの罪にはまだ蓋をしていたいという思いがあった。
「お前さん達も何となくわかってはいるんだろ?
オイラ達の世界は何度も何度も時間を繰り返しているってことを」
スモーカーとレッドの瞳を複数回見た後、ケチャップの口が真実を話し始める。
「昔、オイラは王国直属の研究員をしていた。
その時、同僚が時間軸の異変に気づいたんだ」
「一方通行のはずの時間が、止まって、戻って、進んで、飛んで。
――唐突に消える」
暗い瞳をしたレッドは細い指の骨を握り締めた。
忌々しくも時間軸を狂わせるナニカを消してやりたい。切実にして不可能な願いがそこには込められているのだろう。
「努力はしたんだ。これでも、たぶん。
何分、オイラも最初の頃のことはよく覚えてない」
「オレも。ただ、うちの家の裏には時間軸の変化を受けない特異点があってね。
そこを使って情報を残し、実験と時間軸の修正を繰り返した」
「結果は聞かなくてもわかるだろ?」
流れるように続けられる兄達の言葉。
それは、世界は変われど、彼らが同じ行動を取っていたことを示している。
「オレは諦めた」
ケチャップの一人称が変わる。
被り続けていた仮面にヒビが入る。
「残っているデータだけでも数百は越えていた。
何をやったって無駄だ。美味い飯も、面白いジョークも、全てを分かち合える友情も。
全て意味を成さない」
記憶にない時間の積み重ね。覚えのないものを紙面やデータの上からなぞるだけで気持ちは落ち込み、ソウルは暗く濁っていくようだった。
情報を残せなかった時間軸もあっただろう。無意味に嫌気が差し、消してしまったものもあっただろう。
それを思えば、膨大すぎる試行回数にいきあたる。
「時間のことなんてどうだっていい。
どうせ、全部なかったことになるんだ。
だったら、オレはサンズと一緒にのんびり生きていたかった。
何もせず、何も作らず、ただ、時間に身を任せるだけ」
研究所を抜けたタイミングはそれぞれだっただろうけれど、弟の手を引き、スノーフルにやってきたという結果は寸分違わず同じものだ。
何度も繰り返された選択であることは知っていたが、何をしてもしなくても変わらないのであれば、弟と少しでも長く過ごせる選択をし続けるのは当然のことだった。
「いつの頃からだったか。もう覚えていないが、時間は進んだ。少しだけ、な。
狂った時間のリセットポイントが変わったんだ」
「オレのとこもだ。詳しいことは知らねぇが、まあ、予想はついてる」
研究員であった頃から始まっていた時間軸の歪みは、どこかの時点で変更となっていた。理由はわからない。その部分が判明しているのであれば、兄達とてもう少しくらいは修正への熱意を保ち続けることができていただろう。
レッドは言葉を引き継がせるようにスモーカーを一瞥する。
「そこでオレに振る? まあ、いいけど。
たぶん、ニンゲンが地下世界にやってきたことが起点になってる」
彼、あるいは彼女がスノーフルにやってくるタイミングはバラバラで、新しい時間軸が始まったとケチャップ達が察した数時間後にやってくることもあれば、数日、数週間と待ってもやってこないこともあった。
「ニンゲン? ニンゲンがくるのか?」
首を傾げたのはブルーだけ。エッジは薄っすらとその姿を覚えているのか、小さくあやつかと呟き、当然のようにニンゲンの容姿や声まで覚えているクラシックは粛々と兄達の言葉を受け止めている。
「あぁ。そして、ニンゲンは様々な道をいく。
地下世界を灰だらけにしたり、モンスターを全員地上まで連れていったり、誰かだけ殺したり、生かしたり」
まるでゲームのようにニンゲンは動く。
パターンを回収し、変化を楽しんでいるようだった。
「……貴様が、我輩を庇って死んだこともあったな」
「忘れろ。オレがボ……パピルスを守れた回数より、守れなかったほうがずっと多い」
兄達は口を噤む。
守りたいという気持ちとは裏腹に、ニンゲンという存在から弟達を守ることができた回数というのは非常に少ない。先手を打ってニンゲンを殺すことも、脅威へ立ち向かう弟を引き止めることも、大抵の場合、兄達にはできなかった。
目の前で灰になる弟の姿。残された遺品を見つける瞬間。死んだとニンゲンが告げてくる声。どれも思い出したくない記憶だ。
「ちなみにオイラ達のところにはまだニンゲンはきていない」
「オレのとこもだな」
「うちも」
三つの世界のうち、どれ一つとして今の時間軸ではニンゲンの姿を観測していない。
酷い話になってしまうが、もし、ケチャップやスモーカーの世界において、ニンゲンがスノーフルへとやってきていたのであれば、レッドのことを救おうという話にはならなかっただろう。
「時間軸の話はこんなもんだ。
何か質問は?」
「理解の及ばんところもあるが……。
ひとまずはないと言っておこう」
「オレ様も」
「ちゃんとサンズの口から聞けてよかったのだ」
弟達は素直に頷く。
重い事実であっただろうに、暗く染まらぬ瞳はやはり兄達の希望だ。
「じゃあ今日は解散ってことで――」
「待て」
ソファから降りようとしたケチャップをエッジが留める。
「時間軸とやらへの質問はないが、他にも聞きたいことはある」
誤魔化せなかったか、と兄達はわずかに顔を歪めた。
体感として知られてしまっている、つまりは逃げられない部分だけの白状ですませたかったのだが、弟達はそれほど甘い相手ではないらしい。
「パップ達の魔法についてもちゃんと聞かせてもらうぞ」
「オレ様も知りたいぞ。
サンズの攻撃が当たったニンゲンはどうしてその後も痛そうな顔をしてるのだ?」
兄達は口ごもる。後天的に与えられた魔法の類は、つまるところ実験の成功例だ。包み隠さず話せば、次に実験についての詳細を聞かれるのは目に見えている。
細かい話は抜きにするとしても、ケツイやソウルの実験について知られてしまうのは避けなければならない事案だ。
音が駆け抜ける時間よりも早く、兄達は最低ラインを取り決める。
「近道は空間を飛び越える魔法だ。
これが使えたからオイラは王様のとこで研究員になれたってわけだ」
時系列と研究員になった経緯だけを変えてしまえば最も隠したい部分は弟達の意識に引っかかることはない。王立科学研究所所属、という名誉ある肩書きの裏づけに先天性の特殊魔法というものがピッタリと当てはまってくれるのはケチャップ達にとっての幸いだ。
「追加ダメージについては時間軸が歪んだ恩恵、ってとこかな。
ニンゲンやモンスターの顔を見ればそいつがどんな経験をしてきたのかが何となくわかるようになってね」
「LOVEやEXPが理解できるようになったんで、応用してそいつが犯してきた罪の痛みを味わえる魔法にしたんだ」
そんなことができるのか、と問われ、レッドはできる、と答えた。
無論、経験や感覚でどうこうできるものではない。研究と試行の末、兄達は特殊な眼とそれに応じた魔法の強化を受けたというだけの話。対価として元より少ない体力が根こそぎ奪われてしまったが、悪意に塗れた相手へ効率的に攻撃を行える手段を得ることができたのだ。安い買い物だった。
「貴様がやけに汗をかくのはどういうことだ?」
「そりゃオレの体力がゴミなのと、魔力操作が下手ってだけの話だ」
ケツイの話はしない。常に気を張っていなければならないため、体が常にケツイに晒されていることも、磨耗したソウルと身体では魔力を上手く扱うことができず、ただでさえ脆い身体をさらに痛めつけていることも。
スモーカーもケチャップも告げ口などしない。
この六体の中で、レッドが最も早死にするスケルトンだろうと察していたとしても、彼らは何一つ零しはしないのだ。
「……嘘をつくな」
「どうしてそう思うんだ?
この期に及んで嘘なんてつかない」
エッジはソウルに直接攻撃でもされているかのように顔を歪める。
兄弟のことだ。全ての真実を吐き出しているのか否かくらいはわかる。わかるのだが、その裏に何が隠されているのかまではわからない。
「どうしても言えぬのか」
「何のことだかさっぱりだ」
笑みを作るレッドを見て、エッジは無駄を知る。
こうなった兄は何も話さない。今回の尋問も、こちらが尻尾を掴みあげたからこそ成り立っているのであって、違和感だけを理由にレッド達を並べても何一つ情報を漏らすことはなかっただろう。
「わかった」
目を閉じ、またゆっくりと開けてからエッジはレッドへと近づく。
「貴様がそう言うのならば、それでいい。
我輩はサンズが戦わずにすむようにするだけだ」
エッジは右手を持ち上げ、レッドへと伸ばす。
殴られる。反射的にそう考えてしまったレッドの体が揺れたが、エッジは手を止めなかった。
「今までありがとう。
これからもよろしく頼む。兄弟」
ふわり、とエッジの手がレッドの頭に乗り、そのまま優しく撫でられる。
「……ボス?」
「パピルスと呼べ」
目を白黒させて弟を見上げているレッドを見て、他の弟達も動く。
「パップ。ありがとう!
これからはオレ様も頑張るぞ!」
「ボクももっと強くなるから、兄ちゃんもボクを頼ってほしいぞ」
ブルーはスモーカーの膝に手を置き、クラシックはケチャップを包み込む。
「いいんだよ。サンズは何も頑張らなくて。
いてくれるだけで、いいんだ」
「兄弟にこれ以上頑張られたら、オイラのやることがなくなってしまうじゃないか。
オイラは怠けんボーンなんだ。パピルスものんびりしていればいい」
弟の手に手を重ね、抱きしめ返し、彼らは自身の声が震えていることを理解した。
無意味に無気力に生きるのは慣れた。弟がいるだけでいい。そう思っていたけれど、ソウルはずいぶんと前から限界を叫んでいたらしい。
一つの重荷を吐き出し、リアルスターが共に背負ってくれると言ってくれた。たったそれだけのことが、彼らの胸を締め付け、涙を流させようとしてくる。
「――さあ、もう質問はないだろ?
そろそろ帰ろうじゃないか。
オイラ達のいるべき世界に」
短くない時間、彼らは無言のまま兄弟同士、心を通い合わせていた。
暖かく、幸福な時間をいつまでも続けていたいとは思ったが、帰るべき場所があるのならば帰るべきだろう。いくら同一の個体とはいえ、他のモンスターの前で兄弟仲を見せつけ続ける趣味はない。
「うん。また遊びにくればいいもんね!」
「道があればいくらでも連れてきてやるさ」
ケチャップとクラシックが立ち上がる。
「楽しみにしてるぞ!」
「集合はオレのとこかケチャップのところでお願いね。
こっちの世界は怖いわ」
スモーカーとブルーも後に続く。
「貴様達には世話になった」
「……ありがとな」
計画を邪魔された、という思いが捨てきれないのか、単純に照れくさいのか、レッドの言葉はそっけないものだ。エッジが咎めるような声を出すも、彼はケチャップ達の方を見ようとさえしない。
「あぁ、そうだ」
素直でないレッドの姿に何かを思い出したのか、ケチャップが近づく。
「んだよ」
今までになく距離を近づけてきた彼にレッドが後ろへ下がろうとするが、いつの間にかやってきていたスモーカーに退路を防がれる。
どうやら彼の方もレッドに思うところがあったらしい。
「――お前さん、リセットされた時のことを考えてたか?
別の世界線にいる弟がどうなるか」
弟達には聞こえぬよう。レッドの頭蓋の傍らでケチャップが囁いた。
空気を伝い、骨を伝って届いたその言葉に、レッドの口からか細い音が漏れ出る。
精神的な余裕が全く無かったあの時は考えもしなかったことだが、今ならばケチャップの言葉から最悪の事態をいくつも連想することができた。
死。存在の消滅。取り残される恐怖。
ケチャップ達の働きがなければ、レッドはおぞましいものをエッジに与えてしまうところだった。
「じゃあな」
レッドが何か言葉を返すよりも早く、ケチャップとスモーカーは弟達と共に消えていった。近道を誤魔化す必要がなくなった彼らは、わざわざ歩いて家を出るということをしなかったようだ。
「ヤツは何を言っていたのだ?
……サンズ?」
残されたレッドは体を激しく震わせ、その場に両膝をついた。
「どうした! 大丈夫か!」
慌てて駆け寄り、エッジはレッドの背に手を置く。
震えているレッドの呼吸は荒く、ヒュー、ヒューと甲高い音と異常に分泌された唾液がポタポタと床を汚していた。
「ボ、ボス。ボス」
レッドは視界に入ったエッジの足へ触れ、揺れて歪む瞳で彼を見上げる。
「やっぱ、さ、オ、オレを、ゆる、すな。
オ、レを、ゆるさ、ないで、くれ」
「落ち着け。何をそれほど怯えている。
ケチャップに何を言われた」
「オレは、最低、だ」
そんなつもりはなかった、など、事が起きてしまってからでは意味のない言葉だ。
今回は幸運にも最悪の事態に陥らなかっただけで、一つでも何かが変わっていればエッジがどのような目にあっていたのかわかったものではない。
「た、大切な、ボスを、オ、レは、オレが、馬鹿な嫉妬なんて、したから。
オレが、オレの、せいで」
死に逝ったエッジの姿が脳裏をよぎる。
数え切れぬ程の後悔をしてきた。その度、ソウルが壊れそうな痛みを得た。次こそはと骨が解けるほどのケツイを抱いてきた。
だというのに、過ちを犯してしまった。
「ごめん、ごめんな、さい。
お前のためだって、言ったの、お前を、思って、向こうの世界に、置いてきたのは、うそじゃ、ない、けど」
ソウルから溢れた絶望と後悔が涙となってレッドの頬を伝い落ちる。とうの昔に枯れ果てたとばかり思っていたが、彼はまだ流す涙を持っていたらしい。
「本当は、こ、こわ、かった。嫌だった。
オレには、できなかったこと、を、お前にして、やれてる、あいつらを見るのが。
昔み、たいに、笑う、お前を見る、のが」
これは懺悔だ。
絶対的な主へ捧げ、鉄槌を下してもらうための。
「こんなオレを、ゆるす、な。
ボス。こん、なヤツを、兄なんて、思っちゃダ――」
「やめろサンズ」
エッジは片手でレッドの口を塞ぐ。
「貴様は我輩の兄だ」
言葉を止められたレッドは、ようやくエッジの表情に気づくことができた。
苦しみを叫び、懇願の色を含ませた顔がそこには在る。
「嫉妬などという些細なことで我輩の兄を止めるな。
そもそも、我輩が貴様に辛く当たり続けたが故の気持ちだろう。
許されないのは、我輩だ」
違う。レッドはそう叫びたかった。
エッジに架せられる罪などこの世界に一つ足りとも存在していない。全ての原因はこの世界の在りかたであり、不甲斐ない兄であるレッドだ。
不幸があってエッジがレッドを殺してしまったとしても、罪はモンスターとして弱すぎるレッドに在る。今回のような、エッジの死に纏わるものであるならば、なおさらに罪はレッドへと傾く。
そんな主張をエッジは許さない。
「貴様は違うと言うのだろうな。
そうやって、全てを一人で背負う」
悲しい色を乗せたエッジは苦く笑う。
「だが、話してくれたことは、嬉しかったぞ。
悲しいことも、苦しいことも、全部、話してくれ」
嬲られる悲しみも、虐げられる苦しみも、死を傍らに置く恐怖も、レッドはエッジに話そうとしてこなかった。謝罪の言葉一つとっても、ごめんなさいとちょっとした言い訳が付属するだけのもの。そこへ至ってしまった経緯や自身の不調についてしっかりと言及したことはない。
「許すなと言うのなら、我輩は貴様を許さないでいよう。
その代わり、我輩の兄でい続けてくれ。
隣に、我輩の傍に、いてくれ」
レッドは腕を伸ばす。
口を塞いでいたエッジの手を外し、彼の首を抱きしめる。
「オレを許すな。
その罪を背負って、オレはお前の兄に相応しくなれるよう、変わっていく」
LOVEと灰に塗れたこの世界だ。罪は許すものではなく、背負うもの。ケチャップやスモーカー達とは違った形だが、これも一つの兄弟愛。
時間軸も住民も狂ったこの世界の中で、寄り添い、光を与え合うため、彼らは睡魔が襲ってくるまでそうしていた。
もう悪夢は怖くない。目が覚めれば信頼できる兄弟がいるのだから。
END
オマケ
騒動から数日が経った。
変わることを誓い合った二人は着実に兄弟としての仲を取り戻しつつあった。未だ、レッドは弟をボスと呼び、時折、エッジが兄を愚兄と称することはあれど、無闇な暴力や暴言は影を潜めている。
ただ、エッジの所有物でなく弱点としてレッドが認識されるようになってしまったため、以前よりも戦闘の回数は増えており、必然的にレッドは毎日のように敵から攻撃を受け、傷を負うようになっていた。
レッドの身体を気づかい、エッジは出来る限り兄が魔法を使うことを避けさせようとするのだが、こちらの都合を考えてくれるような敵などいるはずがない。となれば、エッジの精神や身体が磨耗するのは当然のことであり、兄であるレッドがそれを拒絶するのもまた当然の結果であった。
「よお。副団長さん。今日はお休みか?」
森の見張りへ赴くレッドの後を追おうとして止められたエッジはスノーフルの町を見回っていた。
手に荷物を持った状態の紫色が声をかけてきたのはそんな日のことだった。
「……仕事中だ」
「おー、怖い怖い。
サンズは元気か?」
「貴様に関係があるのか?」
「常連の体調くらい気にするさ。
ちょっと前まで、よく肩やら足やらを外した状態で開店前の店に来てたし」
ケラケラと笑いながら言うグリルビーの言葉にエッジは言葉を詰まらせる。
肩やら足やらを外したのは他でもないエッジ自身だ。
理由は様々で、遅刻やサボりを始め、言い訳をした、無駄な動きをした、果ては勘に触ったなどという八つ当たりもいいところな理由で暴力に走った記憶まである。
散々に傷つけ、放置していたレッドがどのような処置をしていたのかエッジは知らない。
グリルビーの言葉が真実であるならば、毎回とは言わずとも、高い頻度でグリルビーズを訪れ、自身で治療していたようだ。
「なあ、お前さん。
ちょっと時間あるか?」
「仕事中だと言ったはずだが?」
「誰にも聞かれたくない話があるんだよ。
……サンズが死んだら、お前さんに話してやろうと思ってた、とっておきの話が」
傍らを通り抜けようとしたエッジの足が止まった。
考えても見れば、レッドにとっては敵だらけのこの町で、唯一グリルビーだけは彼の味方だった。詳しい話を聞いたことはないけれど、グリルビーズではそれなりに安心して飲み食いをしていたらしいことは知っている。
長い時間を主従として過ごし、無駄な会話をしてこなかった自身よりも、適当な雑談を交わしていたであろうモンスターの方がレッドのことを深く知っていたとしても不思議ではない。
「貴様の店でいいか」
「あぁ」
おそらく、どの時間軸でも聞いたことのなかった話が聞けるだろう。エッジはかつての時間軸を殆ど覚えていないが、核心があった。
何故ならば、グリルビーはサンズが死んだら話してやろうと思っていた、と言っていた。
口惜しいことだが、ニンゲンと対峙した場合、エッジはレッドを置いて逝くことが多かった。まれにレッドが先に死ぬこともあったが、その後のエッジといえばロイヤル・ガードの職務を放棄し、復讐に生きるモンスターと化していた、ような記憶がレッドの離れて以降、思い出されるようになっていた。
「何か飲むか?」
「いらん。さっさと話せ」
「つまらんヤツだな」
グリルビーは開店準備をしながらとっておきとやらを口にする。
「お前さんの顔の傷。
どうやってできたか覚えてるか?」
「……いや」
「だろうな。
今から話すのはそん時の話だ」
* * *
スノーフルの町でバーを始めてどれだけの時間が経っただろうか。
血気盛んなモンスター共をいなし、バーとしての体裁を整えるために使った時間と労力は膨大だったが、誰もが落ち着いて酒とつまみを楽しむことができる店を作れたことには満足していた。
店を一歩出れば殺し合いをするようなモンスター達も、グリルビーズにいるときだけは遥か昔、地下世界が平和だったという御伽噺のように共に酒を飲む。時たまの諍いはご愛嬌だ。
「――誰だ」
地下世界のルールから外れたグリルビーの小さな城。
開店準備をするためにやってきた彼は、自身のテリトリーが荒らされていることにすぐ気がついた。
力を持つ自身の逆鱗に触れるようなモンスターがまだこの町周辺にいたのか、と心中で吐き捨てつつ彼は店の中を慎重に進む。
並べられた椅子の幾つかは倒れており、床にはわずかに灰が落ちている。
侵入者のものか、そいつが殺したモンスターのものか。
どちらでも構わない。グリルビーがしなければならないことはただ一つ。愚かモノを排除することだけだ。
「おら! 出て来い!」
気配のする方向。食料の貯蔵庫へと足を進め、扉を蹴破るようにして開ける。
「っとぉ!」
瞬間。グリルビーの足元から鋭い骨が出現した。
敵意と殺意に塗れたそれに刺されれば、大なり小なりソウルにダメージを負うことになるだろう。
「……どこのどいつだ」
低く唸れば、標的を刺し殺す任務を達成できなかった骨が消える。
開かれたグリルビーの視界には一つの塊が見えた。
「チッ。
仕留め、そこねた、か」
舌打ちをしたのは一体のスケルトンだ。左目から赤い炎をほとばしらせているそいつは、片手にスケルトンの幼体を抱え、もう片方の手をグリルビーへと向けている。
幼体は左目部分を負傷しており、意識を失っているようだった。パラパラと灰が零れ落ちているのを見るに、外見相応の体力しかないようだ。放っておけば近いうちに全身が灰になってしまうだろう。
「てめぇ、ここが何処かわかって侵入してんのか?」
「知るか。こちとら、ついさっきこの町に着たばかりだ」
スケルトンは肩で息をしながらグリルビーに言葉を投げ返してくる。
負傷しているようには見えないが、体力があるようにも見えない。この店に侵入してきた理由は自身と幼体の回復が目的といったところか。
「そうか。なら聞いてから死ね。
ここはオレの店、グリルビーズだ」
言い終えると同時に彼は手のひらから炎を生み出し、熱のこもった弾幕を作り出す。息を切らせ、荷物まで抱えているスケルトンが避けられるような薄さではない。
グリルビーは勝利を疑わなかった。
「青ざめろ!」
雄たけびを上げたスケルトンは、いくつもの鋭利な骨と数本の青い骨を召還し、グリルビーと彼の生み出した炎へと向ける。
いくつかの骨は炎を相殺し、動くことができないスケルトンと幼体を守り、残りは敵を殺すために動く。
だが、グリルビーも伊達にこの店を作り上げてきたモンスターではない。スケルトンが放った弾幕を上手く避け、青で止まり、一切ダメージを受けずに終える。
「ハッ」
完璧であった。そう自負するグリルビーの耳にスケルトンの嘲笑うような声が届く。
「言っただろ?
青ざめろ、って」
じわりと嫌な感触がグリルビーのソウルに染み渡る。
確認のために彼が視線を落とすよりも先に、彼自身の体が沈みこんだ。
「な、に……・?」
「しば、らくそこ、で伏せてやがれ」
身体中にのしかかる重みは、自然のそれではない。スケルトンが用いた魔法の効果だ。グリルビーは紫色の炎を揺らめかせながらせめてもの抵抗とばかりに視線をスケルトンへと向ける。
片手をグリルビーに向けたまま彼はそっと幼体を降ろし、自由になった手で近くにあった果実を握りつぶす。
気を失っている幼体へ魔力を摂取させようとしているのだ。
「パピル、ス。
たのむ……。少しでも、飲んで、くれ」
一つ潰し、二つ潰し。わずかな果汁を垂らしては残りカスを床に転がしていく。
何をしているのだ、というのがグリルビーの正直な感想だった。
幼体は確かに負傷しているし、放っておけば灰になってしまっていただろうけれど、一つ目の果実で既に灰化は止まっている。追加分は傷をより早く癒すためのものでしかなく、後回しにしても問題はない。
ならば、残りかすとはいえ、魔力が残っている果実をスケルトンが先に食べるべきだろう。負傷の様子はないとはいえ、彼も確実に体力を削られており、半死半生といった雰囲気がひしひしと伝わってくる。
「おい、おま――」
「黙れ」
声をかけようとして、グリルビーの身体にさらなる重圧がかかる。
赤く煌くスケルトンの左目は先ほどよりも爛々と輝き、唐突に消えた。
「く、そ……」
スケルトンの手から、体から力が抜け、床に崩れ落ちる。
魔力切れのようだ。グリルビーは彼の魔法から解放され、ソウルにこびりついていた嫌な感触もすっかり消えていた。
「手間かけさせやがって」
立ち上がり、苛立ちを隠すことなく吐き捨てながらグリルビーはスケルトンへと近づく。炎の弾幕で殺すなどという温いことをしてやるつもりはない。骨の一本一本を踏み潰し、砕き、悲鳴を上げさせなければ治まる気持ちも治まらぬというものだ。
床と友達になっているスケルトンは身動き一つ取れぬ状態のようだが、かろうじて意識は残っているらしく、こっちにくるな、という小さな呻き声を上げている。
「――何だ。これ」
スケルトンの目の前に立ったグリルビーは思わず呟く。
伏しているスケルトン。その頭蓋と指先がわずかに解けている。形を崩すまでは至っていないものの、わずかでも刺激を与えれば一斉に緩み、落ちていくだろうという予感がした。
「く、そ。なあ、グリル、ビー」
口を動かす度、灰色の液体がボタリと床に零れる。
「さっき、ここが、どこか、知らねぇつった、けどよ。
ありゃ、うそだ」
「はぁ? 何でそんな嘘」
「オレは、この町に、なんどかきた、ことがあってよ。
お前のは、なしは聞い、てた。
このバーじゃ、むだなころし、あいが、ない、らしいな」
今にも消え逝きそうなスケルトンが何を言いたいのかグリルビーにはさっぱりわからなかった。
この場所を知っていて、自分のことも知っていた。だったら何だ。噂を聞き、心優しいモンスターだと勘違いでもしていたのだろうか。グリルビーはただ自身のテリトリー内で無駄な諍いが起きることで、客足が遠のくことを嫌っているだけで、必要があればどのようなモンスターでも殺すことができる。
「たのむ。こい、つを、パピルス、だけは、たす、けてやって、くれ。
オレのことはころして、くれて構わない。
へへ、これでも、都で色々、やってきた身でな。
結構なEXPになる、だろう。こいつも、今は弱いが、絶対に、強くなる。
そうしたら、そ、だててくれた、あんた、を、慕う。いい、パー、トナーに、なる、から」
もう、スケルトンの瞳は焦点があっていなかった。
グリルビーがいるであろう方向を向き、幼体の命を乞うている。彼は最早、自身の命が尽きることを疑っていないようだ。
「オレの、弟、を、ころさ、ない、で」
頬を流れたのは、スケルトンの身体か、涙か。
意識を失ってもまだ、解け続けている彼の姿をグリルビーはじっと見つめていた。
* * *
「自分を助けてくれってんならともかく、弟を助けてくれ、なんて命乞いを見たのは初めてだったからよ。
面白いな、と思って助けてやったんだ。
適当に作った酒を飲ませりゃ魔力も回復したし、あいつの体が崩れるのも止まった」
当時のことをエッジは全く覚えていない。
幼さもさることながら、顔に大きな傷を負ってしまっていたことも原因だろう。グリルビーの話を聞き、初めてエッジは自分がこの町に来る前後の記憶が曖昧になっていることに気づいた。
数日から数週間程度の欠落ではあるが、その間に兄が解けて死にかけていたと聞かされては冷静さを保ってはいられない。
「この間、お前さんがどっかに行ってたとき、あいつ、ここに来てただろ?」
グリルビーが指しているのは、レッドがこの世界線とスモーカー達との世界線を分断したときの話だ。敵に追われ、傷ついたレッドは自宅ではなく、このグリルビーズにいた。
「あん時は、昔やれなかったEXPをやりに来た、とかボロボロの身体で言いにくるんだからビックリしたぜ」
どうせ死ぬのならば、見知らぬ雑魚よりも、見知った恩人へEXPを贈りたい。そんなとびっきりの殺し文句と共にレッドはやってきた。何も思い残すことのない彼の瞳は、弟だけは助けてくれ、と言っていたスケルトンと同一とは思えないものだった。
そもそもの話、レッドを助け、エッジの成長を遠目から見ていたグリルビーとしては、色々と思うところがあったのだ。
育ててくれたモノを慕うという話だったというのに、エッジはわかりやすくレッドを虐げていた。守るために必要な行為であるのだろうという理解もあったけれど、ここ数年は明らかに度を越していた。
主としての風格を蓄積し続けるエッジと、それを受け止め、ボロボロになっていくレッドを見るたび、グリルビーは過去を思い出し、苦い感情を得ていた。
いつか、最高のタイミングで当時の話をしてやろう。
そんな思いだけがグリルビーの鬱憤を晴らしていた。
「……もう、そんなことは言いにこないんだろうな?」
「当たり前だ。二度とつまらないことを言えぬようにしている」
エッジは変わった。かつて、グリルビーが思い描いていた未来図そのままに。兄に守られ、兄を守る弟。
最高で最低なタイミングを狙う必要はもうやってこないだろう。
END