突然現れた闇は、闇の中で生きることを余儀なくされた者達を掬い上げた。
「お前らはオレ様の所有物な」
 その言葉に全員が口を大きく開いた。
 軍の所有物であった彼らは戦場を駆け、次に研究所の所有物となりその体を実験のために明け渡した。本人の意思は関係ない。半死半生だったところを連れ帰られ、動物と合成されキメラとなった。暗い闇の中、人としての意識を保ちながら、実験動物として扱われ続けた。
 誰かの所有物であることに嫌気がさし、研究所を逃げ出した。
 そして気付いた。光のある世界に、自分達の居場所はない。
 軍の研究所を抜けたことで、彼らは表の世界で生きることはできなくなった。体は普通の人間でないのであればなおさらだ。
 自由を得たつもりでいた。しかし、それは幻想にすぎなかった。軍人であり、戦争に出たという罪は彼らを徐々に殺し始める。耳元で死がささやいていた。早くこちらへこいと。
 不意に、その声は消えた。代わりに強欲な声が現れた。
「誰かの所有物なんて、まっぴらだ」
 犬と合成された男が吠える。
「おー。怖い、怖い」
 刀を向けられても強欲な声の主はひるむことなく、それどころか口元には笑みを浮かべていた。
「激情に任せて言葉を吐くのは利巧とは言えないぜ?
 どうせ表の世界じゃ生きられねぇ身なんだろ」
 すっかりやせ細ってしまった犬の体を強欲が担ぎあげる。空いているもう片方の腕には蛇の女の抱く。
「こいつら返して欲しけりゃ、オレ様についてこいよー」
 強欲は飄々と言葉を投げる。
 担がれ、抱きあげられた二人は必死に抵抗したが、ここ最近満足に食事もしていなかった者の力ではどうにもならない。彼らの仲間は警戒しつつも、男の後を追った。何故か後ろから攻撃しようとは思わなかった。野性の勘というやつだ。
「あんた、オレらが表の世界で生きていけないって、なんでわかったんだ」
 抵抗を諦めた犬が尋ねた。
「大抵の情報はオレ様の耳に入ってくんだよ。
 お前らアレだろ? 動物と合成された人間」
「知ってるならなおさら怪しい」
 犬は強欲を睨みつける。
「化け物を拾おうなんざ、まともな人間じゃねぇ」
 誰も何も言わなかった。彼らは自分達が人間でないと身にしみていた。犬のように駆けることもできる。蛇のような体をもっている。人と違うということは不便なことだ。普通の生活も、人生も歩むことはできない。
 苦々しい表情を誰もがした。そんな中、強欲だけが笑ったのだ。
 大口を開けて、体を揺らして笑った。
「たかだか、動物と合成された程度。お前らは人間だよ。半分な」
 心が救われる言葉だった。
「第一よ、便利じゃねーか。
 人間にはできないことができるんだ。もっと有効活用しねぇと、もったいねぇだろ」
 憎くて、忌わしくてしかたがなかった体を強欲は便利だと言う。
 気がつけば警戒は解けていた。彼の言葉に偽りは見えない。他人から、自分でさえ必要ないと思っていたものを、強欲は必要でないはずがないと断言したのだ。ただ、犬だけは警戒を解かなかった。彼の言葉を信じなかったわけではないが、また利用され、捨てられるのは御免だった。他人の所有物にはなりたくなかった。
「お、見えてきたぜ」
 しばらく歩いて、一つの町へついた。強欲な彼は裏道を通り、一般人は決して足を踏み入れることのないような場所へ行く。
「ここが、オレ様の家だ」
 目の前に掲げられた看板には『デビネス』と書かれており、そこが酒場だということがわかった。
 地下へ続く階段を下り、強欲が扉を開ける。
「グリードさん! どこへ行ってたんですか! 探してたんですよ」
 扉を開けた途端、何人もの人間が集まった。いや、人間でない者もいた。
「キ、メラ……?」
 外見からしても人間とは思えぬような者達がそこには何人かいた。彼らに比べれば、犬や蛇や牛の外見は普通の人間に近い。
「群がんじゃねーよ。新入りだ。飯用意してくれ」
「え、また拾ってきたんですか」
「犬猫みたいな言い方すんなよ。あ、一匹は犬だな」
「オレのことか!」
 犬という言葉に反応して、担ぎあげられている男が暴れる。
「へー。そいつもキメラ?」
「ああ、そうだ。仲良くしろよ」
 少し中へ進んだところで、犬と蛇は下ろされた。入ってきた扉をみると、グリードの仲間が前に立っており、逃げることはできそうにもない。
「ここは日陰者の集まりだ。キメラもいるし、犯罪者もいる。そんで、全員オレ様の所有物だ」
 グリードが言い、犬達は周りを見る。屈強そうな男もいれば、気の強そうな女もいる。その誰もが彼の言葉を否定しない。それどころか、嬉しそうな笑みを浮かべている。
「オレ様は強欲のグリード。
 金も欲しい、女も欲しい、地位も名誉も、この世のすべてが欲しい」
 だから、お前らも欲しい。グリードはそう続けた。
 茫然とグリードを見ていると、食欲を誘う香りが鼻にやってきた。
「とりあえず、こんなもんでいいですか?」
「上等だ。ま、こいつらまだまだ食うだろうから、追加よろしく」
 テーブルに並べられたのは豪勢ではないが、まともな食べ物だった。
「食えよ」
 促され、喉が鳴る。
 一人が手を伸ばすと、それにつられて他の者達も手を伸ばした。どれが誰の手かわからない。今までの分を補うかのような食べっぷりの中、やはり犬だけは手をつけなかった。
「毒なんざ入ってねーよ」
 そんな言葉は信用できない。
 仲間達は強欲なグリードの言葉に騙されてしまっているが、自分だけは正気を保っていなければならない。犬は歯を食いしばる。
「はぁ……」
 溜息をつきながらグリードは立ち上がり、近くにあった食料を鷲掴みにする。
 犬が下がる前にその肩を掴み、驚きのあまり開いたままになっている口へ己の腕ごと食料を詰める。吐き出さぬよう、すぐに口を押さえ、飲み込んだのを確認するまで手を離さなかった。
「がっ……。っげほ……」
 無理に詰められ、犬はせき込む。グリードはそれを楽しげに見ていた。
「ご主人様に逆らうなんざ、躾のなってない犬だな」
「だ、れがっ!」
 笑っているグリードを睨みつけるが、相手は笑みを崩さない。
「どうだ? 美味いだろ」
 味わう暇などなかったが、腹がわずかに満たされた。久々の食事に腹がわめき始める。もっと食え。今まで食えなかった分も食え。抗うことのできない叫びに、犬も自ら食事へ手を伸ばす。
「そうそう。それでいいんだよ」
 グリードがほほ笑みながらその様子を見ていたことを犬は知らない。



 数週間、彼らはグリードのもとで過ごした。犬以外の者は、住む場所と食事と、仕事を与えてくれるグリードを尊敬した。犬は依然、警戒を解くことはなかったが、周りの者に言いくるめられ、今もデビネスにいる。
 一度犬は彼の仲間に聞いてみた。他人の所有物であることに不快感は感じないのかと。すると、彼らはそろって答えるのだ。
「あの人の所有物でありたい」
 グリードは縛るだけの所有者ではない。事実、昨夜時効が過ぎ、外の世界で生きることができるようになった者を見送ったばかりだ。女に対しても自分だけを見ろとは言わない。好きにしろと言う。ただし、所有者のことを決して忘れるなと告げるのだ。
 そんな姿を見てきたものの、何故かグリードは犬と一緒にきた者達を外に出そうとしない。言いつける仕事も、店の中でできる範囲のことばかりだ。
「おい、犬」
「犬って呼ぶな」
「なら名前を教えやがれ」
「断る」
 この会話は毎日なされている。グリードは犬の名前を知らない。他の者に聞けば教えてくれるだろうが、それはフェアではないと言う。
「とっとと中に入れ」
「嫌だ」
 仲間達のことがあるので、犬はデビネスを離れることができなかった。けれど、暗い地下に閉じ込められているつもりは毛頭ない。屋上が彼のお気に入りだ。
「犬のくせに、猫みてぇな奴だな」
 呆れた顔をしながら一度建物の中へ入る。犬は耳をすませる。グリードが階段を上ってくる音が聞こえた。彼を好いている者はたくさんいるのに、自分にこだわる理由がわからない。強欲なグリードはたった一人も手放すことができないのだろうか。
「ほら、早くこい」
「嫌だ」
「さっさとしろ!」
 出会って初めて怒鳴られた。
 驚いている隙に担ぎあげられ、建物の中へ入れられる。
「……オレを縛るな」
 小さく呟く。
「縛るつもりはねーよ」
「じゃあ、なんでオレ達を地下に閉じ込めるんだ」
 答えは返ってこない。
「ふざけるな!
 あんたはまともな人間じゃない。だが、オレ達みたいな化け物でもない。あんたには、暗い地下に閉じ込められていたオレ達の気持なんざ、わかんねぇよ!」
 腰に携えていた刀を抜き、グリードの腹を突く。
「――――っ」
 グリードが一歩退いた瞬間、犬は飛び出した。
 屋上へ出て、そのまま屋根づたいに逃げて行く。仲間のことは気がかりだったが、彼らならば上手くやっていくだろうと思った。これ以上耐えることはできなかった。
「っち。あの馬鹿犬」
 そう言ったグリードの腹からは、もう血は流れていなかった。
「おい、あの情報はどうなってる」
 すぐに地下へ戻り仲間へ声をかける。
「丁度この町を通過しているようです」
「タイミング悪ぃな……」
 舌打ちをし、グリードは酒場を飛び出した。
「グリードさん!」
「馬鹿が外に出やがった!」
 己の名を呼んだ者に事情を告げ、グリードはさらに駆けた。犬の足に敵うとは思っていないが、一刻も早く見つけ出す必要があった。
「ちゃんと躾とくんだったかな」
 グリードの言葉は誰にも聞かれることはなかった。



 一方、犬は一般人の通る大通りを歩いていた。
 飛び出したはいいものの、行くあてなどない。仲間もおらず、たった一人な自分を認識すると、多少憂鬱な気持ちになった。
「自由っていいよな」
 多少の憂鬱など、高い空と温かな日差しが吹き飛ばしてくれる。
 とにかく、この町を離れようと足を進める犬の鼻に、町の匂いとは違う、胸糞の悪い匂いが漂ってきた。すばやく移動し、身を隠す。心臓は今にも悲鳴を上げそうだった。
「なんで、あいつら……」
 身を隠しながら匂いの元を確認した。あの研究所の匂いだ。研究員の顔など一々覚えていなかったが、一人ではなく、何人も匂いの元がいた。偶然きたわけではないだろう。
 考えられることはただ一つ。自分達を追ってきたのだ。あの場所へ連れ戻すためか、奴らの仲間を殺した罰を受けさせるためか。どちらにしても、捕まることは許されない。犬は静かにその場を去る。
 とにかく、奴らがこの町を離れるまで動くことはできない。何とも間の悪い時期に出てきたしまったものだと犬は自分を恨む。
 適当な空家に身を隠し、息を潜める。
 数時間はそうしていた。元々、軍人として生きていた彼にしてみれば、数時間じっとしていることは苦痛ではない。しかし、周りに気を張っているため、疲労は重なる。
「お、ワンちゃんじゃないか」
 疲労の中、聞こえてきた声は寒気のするものだった。
 恐る恐る振り向くと、そこには嫌な笑みを浮かべた男が立っていた。匂いは周到にも香水で隠されており、足音も出ないように特殊な靴を履いていた。
「他の子達はどこだ?」
「誰が教えるかよ」
 犬の脚力を持ってすれば簡単に逃げられる。その考えが甘いものだとすぐに思い知る。後ろに下がろうとする前に、匂いのきつい香水を吹きかけられる。人間の嗅覚であれば大したことはないが、犬の嗅覚を持つ彼には脳へ直接響くような刺激となる。
「ま、ゆっくり教えてもらうさ」
 手足の自由が奪われる。またあの暗い生活に戻されるのだと思うと、犬は涙が出そうだった。
「悪いな。それ、オレ様のなんだよ」
 聞こえてきたのはあの強欲の声だ。
「何者だ!」
 突然、真後ろに現れた男に、研究員は銃を向ける。
「教える義理はねぇよ」
 感情を宿さない瞳でグリードは研究員の命を奪った。ぼんやりとした犬の頭では何が起こったのか理解できない。グリードが手を振ったと思ったら頭が切れていた。
「帰るぞ」
 まだ頭が刺激に呻いている。犬は言葉を紡ぐことさえ億劫だった。
「あー。この香水か?」
 鼻をひくつかせる。犬でなくとも心地良い匂いとは言えない。
「ったく。ご主人様に面倒かけんじゃねーよ」
 縛られた状態の犬を出会ったときのように担ぎあげる。
 グリードは入口から出るために扉のほうを向いていた。担ぎあげられた犬は扉とは対角線上にある窓を見ていた。そこから入ってこようとしている男を見ていた。
「あ、危ない!」
 痛む頭をどこかに忘れ、犬は叫んだ。
 聞こえた銃声。犬は思わず目を閉じる。痛みはなかった。
「……グリード、さん」
 犬は床に倒れ、グリードは盾になるように覆いかぶさっていた。
 何発か放たれた銃弾の一発が頭を貫通している。ぐらりと体が傾き、床に伏せる。
「手間かけさせやがって」
 目の前で起こったことに頭がついていかない。戦場ではこんなこと日常茶飯事だったというのに、犬の心をかき乱す。研究員が犬の隣に立ち、縄を掴んだ。
 その時だ、犬の脳はさらなる事態に思考を停止させた。
「いい腕してるじゃねーか」
 グリードが立っていた。頭の傷はふさがっている。どこからも血は流れていない。
「お前の命はオレのもの」
 右手を一振りする。
「消すのはオレの勝手だ」
 研究員の首は胴体と別れ、何の感慨もなく床へ落ちて転がる。
「そ、れ……。てか、なん、で……」
 グリードの右手は黒く染まっていた。明らかに人の手とは違い、光を反射するそれは鋼鉄のように見える。
「バレちまったもんはしょうがねぇ」
 黒い手で犬の縄を切った後、赤い光を放ちながら黒い右手は肌色をした手に戻る。
「オレ様は人造人間だ」
 不死ではないが、年はとらないし、そう簡単には死なない。体を『最強の盾』にすることができる。
「お前らとは違って、人間の要素なんて一片もねぇよ」
 酷いことを言ったと理解した。
 半分は人間である彼が、グリードに向かって自分は化け物だと言った。
「あの……すみ、ませんでした」
「…………」
 自分の過ちを認め、謝罪をした犬をグリードは穴があくほど見つめる。
「なんですか」
「いやー。ようやく懐いたかと」
「そういう言い方やめてください!」
「口調も丁寧だし」
 犬はグリードを認めた。
 だからこそ口調は変わるし、態度も変わる。上下関係には厳しいのだ。
「まあ、よ」
 グリードは無意識のうちに目を逸らしながら口を開いた。
「もう出て行っても大丈夫だ」
「え?」
「研究所の奴らは始末した」
 もう一つ、犬は理解した。
 今まで外に出られなかったのはあの研究員達が近くにいたからだ。今頃グリードの仲間が研究員を皆殺しにしたのだろう。だから、もう自由なのだ。
「……何、言ってんすか」
 犬は涙を流す。
「半分人間じゃないオレに、行く場所なんてないっす。
 グリードさんのところくらいしか」
「そっか」
 目を嬉しそうに細める。
「んじゃ、名前教えてくれよ」
「ドルチェット、です」
「おっし。ドルチェット、帰るぞ」
「はい」


END