彼らの主は『家族』という言葉が嫌いだった。
 はっきりと明言したことはなかったが、表の世界へ出て行った者が遊びに来たときに、新しい家族について話した。その時のグリードは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。それを見た部下達はこれからは家族については触れないでおこうと胸に誓う。
「オレ達は仲間だ。そして、グリードさんの所有物だ」
 家族になるには対等の関係でなければならない。そんな恐れ多いことは必要ない。
 ただ、世界の一部。彼の所有物であればいい。
 グリードはいつも満足げに笑っていた。満足げに笑いながら、金が、女が、地位が名誉が欲しいという。
「わかりました」
 部下達はできることをする。大切な人のために手足を動かす。
 それが幸せだった。
「パパ、どこ……?」
 子供がくるような場所ではない。犯罪者かそれに近い者達が集まる場所に、一人の男の子が現れた。誰かが誘拐してきた子供ではない。
「迷子、か」
 幼い男の子は父の呼び、目から大量の涙を流している。
「泣かないで。
 あなたのお名前は?」
 子供受けするとは思えない者達を奥にやり、女のマーテルが優しく声をかける。
「パパー!」
 だが、子供は叫ぶばかりで、他に言葉を発しない。まるで、叫べば父親がやってきてくれることを信じているようだ。
 放っておきたい気もしたが、こんなところに幼い子供を放置できるほど彼らの性根は腐っていない。とりあえずは、子供の父を捜すことと、耳をつんざくような泣き声をどうにかする必要があった。
「ほら、お馬さんだよ」
 錬金術をかじったことのある者が子供の好きそうな物を錬成する。鼻の利く者は子供の匂いがついた男を探すこととなった。
「グリードさん」
「あ? どうした。お前も早く行ってこい」
 他の面子が走り出した後、ドルチェットが声をかけてきた。
「子供はオレ達に任せてて大丈夫ですから」
 彼なりの気づかいだ。
 家族を嫌うグリードにとって、家族を求める子供は気持ちの良い存在ではない。そのことをドルチェットは本人以上に理解していた。
「……さっさと行け」
 まさか気づかれているとは思っていなかった。グリードは自分が案外顔に出やすい体質なのではないかと思案する。
 横目で見た子供は、未だに父を求めて泣き叫ぶ。
「親父なんて、んな良いもんかねぇ」
 脳裏に思い浮かぶのは、冷たい目をした生みの親。彼を父と呼んでいいのかグリードにはわからない。
「おい、オレも何かしようか?」
 子供を必死であやしている部下達へ声をかける。
「え?」
 一瞬、子供をあやす声がやみ、信じられないといった瞳がグリードに向けられる。
ドルチェットだけではなく、周知の事実のなっていたことに、グリードは一人溜息をついた。
「お前らだけに任せておけねぇだろ」
 信頼していないわけではなく、面倒事を部下に押し付けるということが嫌いなだけだ。
 それと、親を求める子供というのに、少しだけ興味がわいた。強欲なグリードは興味のあることをより深く知りたいと願う。
「パパー。パパー!」
 喉が枯れてしまうのではないかと思う。
 もしも喉が潰れてしまっても、グリードでは治すことはできない。人体を錬成するために必要な物は胸にあるが、その技術はないのだ。
「ほら。そんなに泣くなよ。
 こいつら、面は怖いが、良い奴らだからよ」
 優しく子供の頭をなでる。
「ちょっ。グリードさん、人のこと言えないでしょ!」
「あ? オレはいい男じゃねぇか」
 そんなやり取りをしている間も、子供は泣き続ける。むしろ、先ほどよりもひどく泣いているかもしれない。
 泣きやまぬ子供を見て、グリードは合点がいったように呟いた。
「ああ、石か」
 子供は恐ろしいものから身を守るため、敏感にできている。石の気配でも感じたのだろう。グリードは自分の中にあるものがどのようなものかわかっていた。
 キメラでない純粋な動物もグリードを恐れる。以前、子猫を拾ってきた部下に近づいた瞬間、子猫が逃げてしまったのは嫌な思い出だ。
「じゃあ、オレは部屋に引っ込んでるわ」
 何かあったときは知らせにこいと言い残し、グリードは部屋を出た。
「ご主人様は楽させてもらいますか」
 自室に入り、タバコに火をつける。
 火がついたように泣いていた子供を思い出し、自分の中にあるものへ意識を向ける。
 賢者の石にされた者達の魂が泣き叫んでいた。まるで、あの子供のように。父を呼び、母を呼び、神に助けを求めている。
「わりぃな」
 心にもないことを言う。
 タバコを吸い終わったころ、遠くから楽しげな声が聞こえてきた。どうやら、あの子供が泣きやんだらしい。
 子供が泣いていた原因は、父親がいないことに対する不安と、恐怖の対象でしかないグリードがそばにいたことだ。予想はしていたが、こうもはっきりと自覚させられるのは寂しいものがある。
 自分が不貞腐れていることに気づかなかったグリードは、退屈だからと言い訳をして眠りについた。目覚めたときにはすべて終わっていることを期待して。



 騒がしい声と、こちらへ向かってくる足音で目が覚めた。
「グリードさん!」
「ドルチェットか……。どうした?」
 寝起きでぼんやりする頭を押さえながら目をあける。
「父親、見つかりました」
「おお、ご苦労さん。で、帰ったのか?」
「いえ……それが……」
 口ごもるドルチェットに、面倒なことになったのだと知る。
「あんたが親御さん?」
 何もないコンクリだけの部屋に足を踏み入れると、中央にスーツ姿の男がいた。子供はいない。男の顔を見ると、どことなく子供と似ていた。グリードは自分とまったく似ていない父親と兄弟達を思い浮かべた。
「あんたの口から聞かせてくれよ」
 大体の話はドルチェットから聞いていた。しかし、グリードは本人の口から聞いてみたかった。子供を捨てる親の気持ちというものを。
「アレは、ボクの子供じゃない……。
 あの女が嘘を言ってるんだ。そうに決まってる。ボクの家庭を壊すつもりなんだ」
 ブツブツと言い訳を並べる。どうやら、あの子供は愛人との間にできた命らしい。グリードとしては、愛人の存在など何の罪にもならない。複数の女を得ることが罪になるとするならば、グリードの欲を満たすことはできない。
「ふーん」
 この男に罪があるとするならば、それは我が子を捨てたことだ。
 グリードは今まで感じたこともないような感情を胸に抱いた。感情に名をつけることはできなかったが、それを吐き出すことは容易だ。
「あんたの目、茶色いな。髪は細めで明るい。口はちっと小さいか。
 知ってるか? あの子供も、目が茶色いし、髪は細く、口は少しだけ小さいんだ」
 たった数分見ただけだったが、グリードは男と子供の類似点を上げる。この程度ならば他人でも似ていることがあるだろう。しかし、本当のことを知っている男からすれば、グリードの言葉はすべて自分と子供を結びつけるものとなる。
 男は震えた。嘘がばれてしまった罪悪感ではなく、これから自分がどうなるのかを想像して。
 自己中心的な性格は嫌いではなかった。欲に忠実に生きることは素晴らしい。
「出ていけ」
 グリードは静かに告げた。
「え……」
「聞こえなかったのか?
 出ていけ」
 二度目の言葉は強く、刺すようだった。
「はいっ!」
 男は震える足で地面に立ち、逃げるように外への道を走って行った。
「……よかったんですか?」
 マーテルが尋ねる。
「何が」
「あの男」
 子供を捨てたことに、メンバーの中で最も怒りを感じているのはマーテルだろう。何せ彼女は女性なのだから。
「欲に忠実な奴は好きだぜ」
 それに、とグリードは言葉を続ける。
「あいつのとこに返したらまた捨てられるだろ」
 優しい言葉にマーテルが顔をほころばせる。
「確か、前ここを出て行った奴の中に、子供ができねぇっつってた奴がいただろ」
 過去が過去なだけに、養子を迎え入れることもできないと嘆いていた仲間を思い出す。
「連絡してきます」
 誰かが電話まで走る。これであの子供は幸せになれるだろう。いつか真実を知ったとき、ショックを受けるだろう。しかし、今の両親に出会えてよかったのだと喜ぶだろう。
「…………」
 父親のもとから逃げてきた自分とはまったく違う人生を歩むのだろう。
「グリードさん」
 ぼんやりとしていると、ドルチェットが声をかけてきた。
「大丈夫ですか」
「ああ、なあドルチェット」
「はい」
 ドルチェットの肩に腕をまわし、弱々しい声で尋ねる。
「家族って、どんなもんだ」
「……家族、ですか」
 不安定に揺れる瞳がグリードを映す。
 今まであれほど嫌っていた言葉を今さら出す理由がわからないのだろう。
「教えてくれよ」
 強欲な彼は知識を求めた。
「オレの家は、親父とお袋と、姉貴が一人いました」
 周りの者達が子供のところへと移動し始めたとき、言葉が紡がれ始めた。
「親父は元軍人で、でも足が吹っ飛んじまったから家で農業をしてました。
 お袋はそれを支えてて、おしどり夫婦って言われてました」
 グリードは口を挟まず、黙ってドルチェットの言葉に耳を傾けている。
「姉貴はちょっと乱暴者だったけど、そこそこ美人だったから早くに結婚して家を出ました。
 時々遊びにきては夫の悪口を言って……でも、すごく幸せそうでした」
 帰れぬ故郷を思い出しているのか、ドルチェットの声は段々と寂しげになっていく。
「オレが軍人になるとき、親父は賛成してくれて、姉貴は反対してました。
 家族が消えるのは嫌だって……。オレ、絶対に帰るって、言ったんですよ。
 親父はオレが鍛えた息子がそんな簡単にくたばるはずねぇっ! って、言ってて、お袋はそれをニコニコしながら聞いてたんです」
 ドルチェットの瞳から涙がこぼれた。
 それはすぐに拭われ、いつも通りの強い瞳が戻る。
「……もういい。悪かったな」
「親父の言った通りですよね。オレは簡単にはくたばらなかった」
 だが、生の代償として、故郷に帰れぬ身となった。
「ドルチェット」
「すみません」
 肩にまわされた腕に力が入る。
 女々しいことを言うので怒っているのだろうか。それとも、ここに置いていることに罪悪感でも感じてしまったのだろうか。ドルチェットは不安に襲われる。
 しばらく沈黙が続いた後、グリードがぽつりとこぼした。
「親父殿は、オレらのことを息子って言うんだ。
 けど、世間話なんてしたことねぇし、オレの欲しいもんは絶対にくれねぇ。
 兄弟みてぇなのもいたけど、話すことなんてなかった。オレの中の家族ってのはよ、そういうもんなんだ」
 嫌われていたわけでもなく、好かれていたわけでもない。ただ、お互いに無関心な家族というものを、ドルチェットは想像できない。それを家族と呼んでいいのかすらわからない。
「いいじゃないですか」
 回された腕に手を置く。
「グリードさんにはオレ達『仲間』がいるんですから」
「……ドルチェット」
 口角を上げ、回していた腕を解く。
「オレは強欲だぜ? 家族って奴も手に入れてやるよ」
「マーテルがお母さんですか?」
「デビネスの面子でかよ」
 笑いあいながら家族のもとへと向かって歩き出す。
「なら、お前はペットだな。犬だし」
「えー! それはいくらなんでも酷すぎやしませんか!」
 口ではそう言ったが、グリードの家族になれるのであれば、犬でも何でもよかった。
 彼は寂しがりやの家族になれるだけで、十分なのだ。


END