青峰は割れるような歓声の真っ只中に立っていた。
舞台はIH決勝。その決着が、今、まさについたところだった。
「……勝った」
会場中を覆いつくすような音の洪水の中、呆然とした声が青峰の耳に届く。声の主をよく知っている青峰からしてみれば、そのか細さにはありえない、という感想を持つしかない。
何せ、相手は常日ごろ、同級生からも下級生からも「うるさい」と言われている主将なのだから。
信じられない思いを抱きつつ、声の方を振り返る。
「優勝だ……」
「キャプテン……!」
呆然とした若松の顔。
その背後から喜の色に満ちた声が上がる。
「やりました。
やりましたよ!」
興奮した様子で叫んだのは桜井だ。元より女顔である彼は、頬を紅潮させているがために、いつも以上に柔らかい印象を与える顔立ちとなってしまっていた。目じりに涙をにじませているのも、そういった趣向の者からしてみれば絶妙にツボを押されることだろう。
笑みを浮かべ、若松に飛びつく桜井は、ただひたすらに喜びの言葉を吐く。今、この時ばかりは、口癖の謝罪もどこかへ消えてしまっている。
「そうか……やったんだよな。
オレ達! 勝ったんだ!!」
歓声を突き破るような大声。
これでこそ常の若松だ、と青峰も腑に落ちる。
「よっしゃあああああ!
桐皇! 優勝だあああ!!」
若松は涙を流しながら拳を突き上げた。
努力が報われた嬉しさ、去年の辛酸を払拭できた喜び、ただただ勝てたということに対する歓喜。それらが幸福な涙を生み出す。制御の利かぬ声をあげさせる。
主将の言葉に揺り動かされたのか、新たに桐皇バスケ部員となった一年達がベンチから立ち上がり、悦喜の様子を見せた。隣にいた二年、三年も同様に悲鳴のように喜びを叫んだ。
コートの中にいた新レギュラー面子も一様に顔を歪ませる。
ある者は涙を、ある者は笑みを、またある者はその両方を器用に浮かべた。
そんな中で、ただ一人、青峰だけが凪いだ気持ちで立ち尽くす。
喜びの気持ちはある。試合後の高揚感も充分だ。決勝の相手は昨年のWCで敗北を叩きつけられた誠凛であり、青峰が認めたライバル、火神と黒子のコンビとも満足がいくだけの攻防を繰り広げた末の勝利だ。
楽しいバスケであったし、得た勝利の味も格別。胸には確かな歓喜が宿っている。
だというのに、心が凪ぐのだ。
今日は楽しかった。なら、明日は? 来年は?
じくじくとした不安が青峰を蝕む。火神や黒子、今吉のおかげでずいぶんとマシになった思考ではあるが、中学時代のトラウマはそう簡単に消えてくれない。
いつかまた、イヤミかよ、と言われるのではないか。仲間から、お前には勝てない、と言われるのではないか。
IHが終わるまでは今のチームを見る、と今吉と約束した手前、必死になって封じていた思いだ。それがIHの終わりと共にあふれ出す。今が幸せであればあるほど、失ったときの痛みは酷くなる。青峰はそのことを知ってしまっている。
「青峰ぇ!!!」
「いっ?!」
人知れず拳を握った青峰の背に衝撃が走った。
突然の痛みに思わず呻き声が出てしまう。
「っにすんだよ!!」
「勝ったぞ!!」
青峰の背を渾身の力で叩いたのは若松だった。
一般的な男子高校生をはるかに越える青峰よりもガタイのいい若松だ。力いっぱい叩かれれば相応の衝撃と痛みを受けてしまう。
「わーってるよ」
「ならそういう顔してろ!
お前が何考えてんのかなんて、今吉さんじゃねーんだからオレにはわっかんねぇ!!」
無理やりに青峰の肩に腕を回し、それでも変わらぬ声量で若松は叫ぶ。
「だけど! 今日は優勝したんだ!
腹立つけど、お前のおかげだ! だから! 今日くらいは喜んどけ!!」
間近で劈くような声量を叩きつけられ、青峰の耳がキーンと甲高い音を立てた。喜ばしい感覚ではない。しかし、その裏、その奥で、懐かしい思い出がよみがえってもいた。
才能が開花して間もないころ、かつての主将が言ってくれた言葉は、若松が叫んだものと同じだった。
あの時はどうしたんだったか、青峰の意識が過去に移行する。その直前、次は腹に衝撃が走った。
「おっ?!」
鳩尾に軽い衝撃。若松にやられた背中ほど痛くはない。
目線を下げてみれば、ふわふわした茶色い髪が目に入る。
「……良?」
「ぼ、ボク、ボクぅ……」
「お、落ち着けって」
「青峰さんと優勝できてよかったですー!!!」
そう叫んだかと思うと、大粒の涙をぼろぼろと零し始めた。そのまま青峰の腹に顔を押し付けるものだから、ユニフォームに汗だけではなく涙までにじんでくる。
中学時代に渡りかけていた意識は歩みを止め、つい先日という近い過去に踏みとどまった。
「……お前、すっげー練習してたよな」
ポツリと呟く。
WCが終わり、次のIHに向けての練習が始まったあの日から、桜井は懸命に技を磨き続けてきた。若松も、他の部員もだ。途中、青峰の参加を機に辞めて行った部員も数多くいたが、いつだったか今吉が言っていたように、ある一定からは減ることなくバスケ部存続が危ぶまれるような事態にもならなかった。
絶望を見せないチームメイトに安堵した。諦めを持たぬ瞳に心揺れた。
新たに入った部員は半数が退部した。青峰の力に絶望した結果でもあり、中学と高校の間に広がる部活動の差についていけなくなった結果でもある。
それらを乗り越えた者達が、今はベンチではしゃいでいる。試合にも出られなかったくせに、選手と同じくらいの喜びを顔一杯に浮かべて。
アイツはパスが下手だった、アイツはシュートが上手かった、アイツは根性だけはあった。一人ひとりの練習風景が浮かんでは消える。その中には桜井や若松のものもあった。いや、むしろ、その二人分だけは他の者達よりも突出して浮かぶシーンが多い。
練習だけではない。昼食を食べるとき、廊下で偶然すれ違ったとき、まるで気の置けない友人のように、心を預けられるパートナーのように、彼らと青峰は共にあった。
彼らが喜んでいる。
喜び、青峰とそれを共有しようとしてくれている。
じわり、じわり、と青峰の腹から、胸へ、そしてもっと上へ、暖かい何かがうごめく。それを素直に出してしまえばいいと思う反面、長い間忘れてしまっていた行為に怯えを感じる。
それをしたのはいつが最後だっただろうか。
あの冷たい雨の中が最後だったかもしれないが、あの時はもうすでにそれを忘れた後だったような気もする。
「青峰ぇー!!」
一瞬、世界が静まったような気がした。
現実では今もなお、会場は騒ぎに包まれており、青峰の近くでは桜井と若松が叫んでいる。
遠くから聞こえる、たった一人の声など、聞こえるはずがない。
けれど、聞こえた。
青峰は顔を上げ、声の主を見る。
「――今吉、さん」
観客席の中、相変わらず腹の読めない笑みを浮かべた今吉がいた。彼が会場にいることは知っていた。今までの試合も、時間が許す限り見にきてくれていたのもわざわざメールが送られてくるので嫌でも知っていた。
『泣け』
そう、言われた気がした。
いつまでもバケモノ扱いされているな、と。
さっさと桐皇のモノになってしまえ、と。
「青峰?!」
若松が叫ぶ。
そこに喜びの色はなく、ただただ驚愕が透けて見えた。
「青峰さん!!!」
続いてあがったのは桜井の声で、こちらにも先ほどまでの喜びは存在していない。
去年から同じチームとして、コートを駆け回っている二人の様子に、青峰は首を傾げた。見ているだけで幸せになれるような、喜びの色はどこに行ってしまったのだろうかと。
「どうしたんですか?」
困ったように眉を下げ、桜井が青峰の頬に触れた。
「あ?」
「てめぇ、気づいてねーのかよ!」
疑問符を浮かべた青峰に、若松が呆れた声を出し、乱暴に青峰の目尻を拭う。
「急に泣き出すから、ビビッたじゃねーか」
若松の親指は確かに湿って見えた。
汗ではなく、涙、なのだろう。
「……は?」
戸惑い、己の頬に触れてみる。
とめどなく流れる何かがそこにはあった。意識してみると、クリアだったはずの視界も歪んで見えることに気づく。
「あぁ……」
「どうしたんですか?
ま、まさか、どこか痛めたとか?!」
「はぁ?!
おい、青峰! どうなんだ!!」
桜井と若松の心配そうな声に、チームメイトだけではなく敵であるはずの誠凛選手達もこちらの様子を窺っている。良くも悪くも青峰は目立つ。故障という可能性に気が向かないはずがない。
なので、周囲を安心させてやるため、何よりも自分の心に素直になって、青峰は言う。
「何でもねぇよ。
……ただの嬉し泣きだ」
その顔には、かつてバスケが何よりも好きだと恥ずかしげもなく口にしていた少年の笑みがあった。
青峰というバケモノから流れた涙に、会場がわずかにざわついた。
観客席からその様子を見ていた男はひっそりと笑みを浮かべる。
はてさて、この会場に何人、あのスレッドを知っている者がいるのだろうか。その者達は、ちゃんと自分とあのスレのことを思い出しただろうか。
どちらでも構わない。
今、与えられた結果は何も変わらないのだから。
男は優勝の余韻と涙のざわめきが残る会場を後にし、ズボンのポケットから携帯を取り出して軽快に操作する。
開くのはくろちゃんねる、バスケ板。するのはスレ立て。
「見たか、ウチの後輩を!」
【証明】妖怪と青峰の約束の結果【完了】
1 :元桐皇生
さて、お前ら
今年のIHで優勝したのは、どこのどいつか言ってみろ!!!
END