フジ井家にミーがくると、丁度入れ替わりになったのかクロは不在だった。破壊の王子がいない平和を満喫しているのか、マタタビは縁側で昼寝をしている。今から家へ戻ったところで、再び入れ替わりになってしまうかもしれないと判断したミーはそっと横に腰かけた。
いつでもこの町は平和そのものだ。時折どたばた騒ぎが展開されるが、それも一つの平和の形だろう。
「ミー君」
片目を薄く開けてミーを見る。
「起こしちゃった?」
「いや。問題ござらん」
背伸びをしてミーと同じように縁側に座る。普通のネコではありえない光景であるが、誰もそれを疑問には思わない。
暖かい陽射しに再びまぶたが落ち始める。
「マタタビ君が羨ましいよ」
ポツリと呟かれる。
言葉の意味を計りかねたマタタビはまぶたを開けてミーの目を見る。大きな銀に自分の顔が写っていた。
「ボクはクロの過去なんて知らないもん」
どこで生まれ、どのように生きてきたのか。ミーは何も知らない。
マタタビが現れるまでは、それが当然だった。クロにある過去はないもののようにすら感じていた。だが、マタタビが現れてからは、過去がはっきりとその形を現した。会話の端々から感じ取れる過去の深さに、どれだけの嫉妬をしたのかわからない。
自分にこんな感情があるとは知らなかった。怒りでも悲しみでもない感情は、ミーの心に波をたて続ける。
「……拙者が知っているのはキッドのことだけだ」
その名を呼ぶことが許されているのはマタタビだけだ。そんな些細な事実ですらミーは嫉妬を覚える。
「クロのことを拙者は何も知らぬよ」
ミーの知るクロと、マタタビの知るキッドは別人だと言う。
ならば、本当の彼を知っているのはやはりマタタビだ。キッドは過去も傷も全て持っている。
「やっぱり、羨ましいよ」
「そうか?」
意地悪げに笑う。この笑みはよく知っていた。クロと同じ笑みだ。
「奴はクロでいたいはずだ。だから、お主達に話さない」
傷も汚れもない綺麗な存在になれるのは、クロであるときだけだ。罪から逃げ出しているわけではないだろうが、クロでいるときの方が楽しいのは事実だろう。証拠とはいかないが、マタタビはクロと呼ばれ、笑うキッドの姿は自分の知っているものとは違っていた。
クロが望むのならば、彼はキッドではなくクロでいいではないか。マタタビは優しい口調で語る。
あまりにも優しくて、ミーはマタタビに敵わないと知った。
どんな愛情も、母の愛には勝てないという。マタタビの愛は母のそれとよく似ている。
「敵わないな……」
「まあ、年季が違うからな」
違う愛の形だ。対立することはない。
「ミー君は奴を不幸にはせぬだろ?」
値踏みをするような視線を向けられる。
間違ってはならない選択だが、間違えようのない選択でもあった。
「もちろんさ」
マタタビは満足そうに笑った。
「なら安心して嫁にくれてやれる」
「なっ。よ、嫁って!」
そんな目で見ているわけではないと言おうとしたが、否定は今さらだと思い直す。むしろ、マタタビから認めてもらえるというのは喜ぶべきことだ。クロの隣にいるためには、マタタビという大きな壁がある。
兄貴分だったと聞いていたが、これではまるで父親だ。
「欲しくないのか」
「……いただきます」
正座をして、深々と頭を下げる。
「うむ。よろしい」
生きている時間はミーの方が長いはずなのに、どうにもマタタビには勝てない。
「お前ら何してんだよ」
「おかえり」
ちょっとしたごっこ遊びだと言いながら、マタタビは立ち上がる。
どこか行くのかとクロが尋ねると、ちょっとそこまでと濁しながら塀を乗り越えていく。一瞬向けられた瞳は上手くやれと告げていた。
「本当に敵わないなぁ」
「なんだ。あいつが何か言ったのか?」
「いや、別に」
与えられたチャンスはしっかりと掴む。
永遠にも似た命を持っているとはいえ、いつ消えてしまうかわからない時間だ。平和の大切さはお互い身に染みている。
「やっぱり、プロポーズの前に親御さんに挨拶しないとね」
「何だ。好きな奴でもできたのか?」
鈍い彼にはそんなところだと告げ、いつものように隣に並ぶ。
END