真っ暗な世界の中、クロは一人彷徨っていた。
ここが何処なのかわからないしばらく進むと、たくさんの猫がいた。それはどれもクロの知っている猫ばかり。
グレー。ゴッチ。ドッチ。マタタビ。他にもたくさんの仲間達がいた。
誰もが楽しそうで、クロはその輪の中に入ろうとした。が、近づけない。まるで見えない壁に阻まれてるかのように前へ進めない。
急に不安になって、見えない壁を必死に叩いた。
すると、マタタビがこちらに気づいてくれた。ゆっくりとこっちへきてくれる。幼い頃からたくさん色んなことを教えてくれたマタタビがきてくれる。
それだけでクロは落ち着いた。
「――――っ!」
だからこそ、近くにきたマタタビの顔を見て後ずさってしまった。
マタタビの左目は硬く閉じられているというのに、とめどなく赤い血が流れていた。
小さく何か呟いている。
聞こえていないはずのその言葉をクロは知っているような気がした。そしてその言葉は聞きたくないものだと確信していた。
確信しているのに、クロはその場から動けない。耳を塞ぐこともできない。機械的に動くマタタビの口を見ることしかできない。
恐怖に固まるクロの目の前に他の仲間達も集まりだした。全員が同じ口の動きをする。
一匹だけなら聞こえなかった言葉が大きく響く。
「疫病神」
「災い」
「殺してやる」
呪いのような言葉が世界中に響く。謝罪も反論も許されない。クロはただ叫ぶことしかできない。
「や、めてくれぇぇぇぇ!!」
新しく建てられつつある家の庭でクロは目が覚めた。
先ほどまでの悪夢のためか、汗がぬいぐるみを濡らしていた。
サイボーグの体なのにどうして汗が流れるのだろうかと、先ほどの悪夢を思い出さなくてすむように他愛もないことを考えようとするのだが、それは叶わない。
頭の中では先ほどの悪夢が流れ続ける。
「最近は、見なかったんだけどな……」
まだ拾われたばかりのころは何度もこの夢を見た。消えていった仲間達の夢。仲間達が自分を責めたてる夢。
目が覚めるたびに安心して、同時に罪悪感に押しつぶされる。
「おい、何かあったのか?」
枠組しかできていない家の影からマタタビが姿を現した。左目から血は流れていなかったが、マタタビの姿が先ほどの夢と被る。
「や、めて……くれ。違……う……」
たどたどしく拒絶の言葉を吐くクロにマタタビは無言で近づく。
少しでもマタタビから離れようとクロが後ずさるが、マタタビが近づく速度の方が早い。
「ごめっ……!」
思わず謝罪の言葉がでる。
「キッド」
震える体が優しく抱き絞められた。
暖かい生身の温もりが優しくて、先ほどの悪夢が消されていく。
「嫌な夢でも見たのか?」
どうやらマタタビには嘘をつけないらしい。全てお見通しだと言わんばかりの口調にクロは全てを吐き出してしまいたくなった。
「……みんながオイラを責めるんだ。疫病神だって……。
間違ってないからオイラは何も言えないけど、怖いんだ」
話しているうちに恐怖が甦ってきたのか、クロの体がまた震える。クロの震えを感じたマタタビはクロを抱き絞める腕により一層力を込めた。
「別に貴様のせいじゃない」
「でも、マタタビだってオイラのこと、恨んでるだろ?!」
マタタビの言葉にクロは顔を上げた。
久々の再会を果たした今日。マタタビは確かに目の恨みを晴らしにきたのだ。
「そりゃあ……。ただ会いたいだけってのも……」
もごもごと口ごもるマタタビの顔をクロはじっと見る。
「それよりも、貴様がそこまで過去に囚われてるとは知らなかったな」
何とか話を逸らそうとマタタビが言うと、クロが小さく呟いた。
「マタタビに会ったから……」
昔を思い出してしまったとクロは続ける。
「……今日見た貴様は、昔のことなどすっかり忘れてるように見えた。
何せ拙者を見て『どちらさん?』などと、いけしゃあしゃあ言うのだからな」
マタタビが苦笑いをしながら言う。
涙の再会など期待していなかったが、まさか『どちらさん?』と言われるなど夢にも思っていなかったのだろう。
「…………怒らないか?」
苦笑いをしているマタタビにクロが言った。
「何がだ?」
「笑わないか?」
「だから何が?」
マタタビの質問を全く聞いていないのか、クロは質問に答えようとしない。
「はぁ……。怒らないし笑わない」
マタタビがそう言ってやると、クロはマタタビに抱き締められたまま、静かに言った。
「始め、マタタビなのかわからなかったんだ」
「へ?」
まさかの言葉。いくらなんでも、わからなかったというのは酷いのではないだろうか。
自分は自分のことをすっかり忘れていた奴をずっと探していたというのか。それはあんまりではないだろうか。そんな悲しい思いがマタタビの心の中にあった。
「だって、オイラずっと目が悪かったし」
「あ〜」
半ば混乱状態だったマタタビもその言葉には納得できた。
始めのころはずっと己の尻尾を加えさせて歩いていたぐらいだ。周りの顔を覚えてなくても無理はない。
「声もちょっと変わってたし、雰囲気も……」
クロと離れ離れになって何年も経っているのだから、声や雰囲気が変わるのも無理はない。元々感覚や気配だけで周りの猫を区別していたクロに見た目で誰かわかれというのが無茶なのだろう。
「そりゃまあ仕方ないな」
抱き締めたままマタタビがクロの頭を撫でる。優しいその手つきに安心したのか、クロは徐々に目蓋を閉じていった。
「寝ちまった、か」
全体重をマタタビに預け、寝息をたてているクロはきっともう悪夢を見ないだろう。
次に見るのは仲間と笑いあっている夢だといい。
END