釘を打ちつけ、今日もクロ達が壊した家を修理するマタタビ。その様子を眺めるのは、今回は暴れていないミーだ。
 迷いのない手の動きは鮮やかとしか言いようがなく、プロの大工と比較しても負けることはないだろう。人間が何年もかけて手に入れる技術を、たかがトラ猫であるマタタビはどれほどの時間をかけて手に入れたのだろう。
 おそらくは、ものの数ヶ月のことなのだろう。
 二匹の間に会話はない。ここにクロでもいたのなら、話すこともあったかもしれないが、二匹はそれほど親しい仲というわけではない。共に行動したことなど、片手で数えられるくらいしかない。
 お互いに、相手のことをよく知らない。
 だから、ミーは不思議に思った。
 いつも文句を言いつつも、マタタビはフジ井家を修理する。家が気に入っているのかとも思ったが、あっさりと家を出て行ったこともある。
 もう一つ、ミーは気になっていることがある。
 いつも、クロが何処かへ行くとき、マタタビは黙ってそれを見送る。だが、その目はいつも不安気であり、共に行きたいと言っている。
「ねぇ、マタタビ君は、クロと行かないの?」
 ふと、聞いてみた。
 沈黙のまま、時間が過ぎていくだけなら、こうして疑問をぶつけていたほうがいい。
「……面倒、だからな」
 顔も上げず答えたマタタビの声は、その言葉が嘘だと言う。
 再び沈黙が訪れる。
 ミーもそれ以上聞かなかった。聞いたとして、答えてもらえるとも思っていない。ミー自身もそうだが、クロもマタタビもあまり過去について話そうとしない。
 過去にこだわらないなどという、格好いい理由でないことも勿論わかっている。
 心の奥底で、過去という名の傷は未だに癒えず、時々痛むのだ。治ることのないその傷は、すでに膿んでいる。誰かに触れられれば、膿みはその者に付着し、穢れを蔓延させる。
 ミーはその傷と上手く付き合う術を長い時間をかけて学んだ。だが、クロとマタタビは上手く付き合う術を知らないままだ。いや、それどころか、二匹は自分の傷を抉る。傷があることを忘れないように、消えない傷をさらに深くするように。
 二匹のしていることが無駄な行為だと知っているミーは、早くわかればいいのにと思う。二匹がどうすれば傷を上手く付き合えるのかは知らないが、その方法が近くにあることならば知っている。
「あー。やっぱりここは落ち着くなぁ」
 縁側に寝転がり、畳の匂いを感じる。
 すっかり住み慣れたあの我が家もいいが、頻繁に出入りを繰りかえしているフジ井家は違和感を感じるほど落ち着く。いうなれば、実家のような感覚。
 いつでもここへ帰ってきていいと言われているようで、ここへくれば何からも守ってやると言われているよう。
「……あ。そういうことか」
 大工仕事に熱中しているマタタビに、ミーの呟きは届かない。
 表情というものを持たないミーだが、気持ちは優しい微笑みを浮かべている。
「優しいね」
 二匹の過去のことを、ミーは知らない。
 だが、クロが何らかの罪を犯したことは知っている。その罪について、マタタビが今さらクロを責めるつもりがないことも知っている。
「クロは、気づいてないんだろうな」
 肝心なところで、人一倍鈍いあの黒猫は、きっと優しいトラ猫の思いに気づいていない。
 帰る場所を作っているトラ猫。
 戻る場所を失い、さまよい続けたクロのために、マタタビはいつでも帰ってくることができる場所を作る。優しい気持ちをこめて、家を建てるのだ。
 辛いなら帰ってくればいい。傷を作ったのならば、休めばいい。
 マタタビは生身の猫だ。簡単に血を流し、死んでいく。
 二匹の立場はすっかり変わってしまったのだ。もう共に暴れることはできない。
 一匹は出て行き、また帰ってくる。一匹はそれを見送り、出迎える。
 関係は変わってしまったけれど、それも一つの幸せだ。
 あとは気づけばいい。そうすれば、傷と付き合うのも簡単になるだろう。


END