「お主、字も下手だな」
 その言葉に思わず声の主を睨みつける。
 以前、鈴木の代わりに学校で授業をしたことを思い出す。
 ミーは料理や科学の面に秀でている。マタタビは持ち前の器用さがあるので、大抵のことはこなせてしまう。クロは授業というよりも勉強が嫌いなタイプだ。
「うるせー。猫は字なんていらねぇんだよ」
「ほれほれ。拙者の字を見てみろ」
 クロの字の横にマタタビの達筆な字が書かれる。
 本当にバケネコだと、隣にある顔を見ながら思う。
 マタタビがいなければできなかったであろうことがクロにはたくさんある。
 たとえば、箸を持つこと。二足歩行をすること。こうして生きていること。
「どうだ。達筆だろ」
「あーはいはい」
 サイボーグになり、人の言葉を話せるようになったクロとは違い、マタタビは自分の力で人の言葉を話すようになった。頭の作りが違うのではないかと思ったことは何度もある。決して褒めているわけではないが。
「書いてみろ」
 クロにペンを握らせる。
 箸の持ち方を教えられたときのことを思い出す。
「何笑ってんだ?」
「別にー」
 子供扱いするなという気持ちと、懐かしいという気持ちが半分ずつだ。
「あー。そうじゃない」
 ペンを握るクロの手をマタタビの手が覆う。
 手の力を抜くと、達筆な字が生まれていく。ペンを握っているのは自分のはずなのに、生まれる字はマタタビのものだ。
「わかったか?」
「わかんねーよ」
「だからだなぁ」
 マタタビは諦めることなく、根気強く字の書き方を教える。
 これからの人生で字を書くことなどそうそう起こることもないだろうに。
「別に字が書けなくたって、問題ねーよ」
 思ったことをすぐに口に出すことができるのは長所だ。
「わからんだろ」
 クロの方を見ることなく、しかしハッキリとマタタビは言う。
「必要なときに拙者がいなかったらどうする」
 生きる長さの話をしているのではない。旅に出ていたらとか、偶然いなかったらとか。マタタビはそのつもりで言ったのだろう。
 だが、クロは死んでいたらと受け取った。
 死んでいてもおかしくはなかった。二度と会えなくても不思議ではなかった。
「……せっかくだから、書いてやるよ」
 マタタビの腕を払い、自分の力だけで字を書く。
 始めよりかは幾分かマシになった字がそこにはあった。
「どうだ」
「マシにはなったな」
 頭を撫でられる。
「子供扱いすんじゃねーっての」
 腕を払いのける。マタタビは笑っていた。
「絵も練習するか?」
「うるせぇ。てめぇの絵も上手くはねぇだろ」
 クロの言葉を聞いているのかいないのか、マタタビは適当なチラシを持ってくる。
 裏が無地の紙をばら撒き、自分の分のペンを持つ。
「なら勝負というこか?」
「……受けてたってやる」
 何も描かれていなかった紙に二人の世界が描かれる。
 一枚が描きつくされれば、新しい紙に手を伸ばす。何度も繰り返し、チラシが全てなくなるころには二人の絵は混ざりあっていた。
 絵を見ればどちらのものかわかるが、あえて分ける必要もないように思えた。
「片付けるか」
「そうだな」
 ジーさん達が帰ってくる前にと、二人はチラシを集める。
「昔は地面によく描いたな」
「ああ、グレーのおっちゃんが上手いって言ってくれた」
「お世辞だろ」
「そういうこと言うなよな」
 あの頃は本当に子供だった。
 上手いと言われるのが嬉しくて、日が暮れるまで地面に伏していた。
 できると言われたのが嬉しくて、どんなことでもした。
「なあマタタビ」
「ん?」
「また描こうか」


END