いつもと同じく、退屈になったクロがミーの家に遊びにきていたときだった。
 学校が休みで、チエコ達と一緒にコタローの様子を見にきていた鈴木がポツリともらした。
「やっぱり……。コタロー君も学校に行くべきじゃないかな?」
 その言葉に、コタローは目を丸くした。
 今まで、そんなことを言われたことがなかった。クロやミーはあまり学校という存在に頓着しなかったし、チエコ達はコタローが小学校に行っている姿など思い浮かべることができなかった。
「コタロー君がどこの学校に行っていたかは知らないけれど、ちゃんとコタロー君の席があるんだから、ちゃんと行くべきだと思うよ」
 一度死に、人生を始めからやり直したといっても過言ではないゴローも今では普通に学校に通っている。ならば、自分の目標を見つけることができ、将来に進んでいく力をつけた今、コタローも学校に戻るべきだと鈴木は言った。
 鈴木の言葉に、たまにはまともなことを言うんだと、周りの者は失礼なことを思っていたが、当事者であるコタローにはそのような余裕はなかった。
 コタローは、自分ほどの頭脳があれば、小学校や中学校など行かずとも、いい大学に入れると確信しているし、それはあながち間違いでもない。しかし、それでは小学校から逃げているだけのような気もした。
「コタロー君はどうしたいの?」
 迷っているコタローにミーが問いかけた。
 だが、ミーの問いかけへの答えがコタローにはまだ出ていなかった。
「…………クロちゃんが、ついてきてくれるなら。行くよ」
 迷っていたコタローの心を決めさせたのは、目の前にいた黒い猫だった。
 コタローが始めてクロと出会ったとき、クロは確かに言っていた。自分一人でダメだったときは、クロを召還しろと。道ならいくらでもこじ開けてくれると言っていた。クロに対する憧れは、あのころから変わっていない。むしろ、昔よりも尊敬するようにさえなっている。
 何だかんだ言いつつも、クロは絶対に見捨てたりなどしない。そう思えるから、コタローは今まで走ってこれたのだ。
 ずっとクソゲーだと思っていたこの人生を、投げ出さずにやってみようと思うことができた。
「しゃーねぇな」
 予想通り、クロはコタローの願いを聞き入れてくれた。
「ありがとう」
 クロの手をとり、お礼を言うと、クロは顔をほのかに赤くしてそっぽを向いた。コタローは案外クロはお礼を言われ慣れていないのを知っている。そして、逆に非難を浴びたりするのは慣れているということも知っている。
 できることならば、お礼を言われ慣れてくれればと思うし、非難を言われ慣れないようになって欲しい。コタローにとって、クロは何にも代えがたい存在なのだから。
「じゃあ明日。……待ってるから」
 最後、自信なさげに言ったコタローの姿は印象的だった。
 いつも、クロと大差ないハチャメチャっぷりを発揮しているコタローが、これほどまで弱々しい姿を見せるとは、誰も予想していなかったのだ。
「任せとけ」
 そんなコタローを励ますかのように、クロは親指を立てた。
 始めて出会ったあの日のように。



 次の日、コタローは久々に小学校への道のりを歩いていた。
 いつものクロちゃんスーツを脱ぎ捨てて、普通の子供と同じ格好をしている。
「…………もうすぐだよ」
「大丈夫か?」
 コタローの隣を歩いているクロが、緊張しているコタローを気遣うと、コタローは小さく頷いた。どう見ても大丈夫そうには見えないのだが、コタローが大丈夫だと言うのだから、クロは何も言えない。
 小学校に近づいてきている証拠に、周りには子供達の姿が映るようになってきた。
 昨日のテレビ番組の話をしたりして、平凡ではあるが楽しそうな表情をしている。
「あれが、ボクの通ってた小学校だよ」
 コタローの言葉に、クロは小学校を見た。
 ごく普通の小学校。確かにコタローからしてみれば、普遍的で面白くないかもしれない。だが、緊張する理由がクロにはわからなかった。
「――コタローだ」
 小さな囁きがクロの耳に届く。
 小さな囁きは、しだいに広がってゆき、コタローを囲んだ大きなざわめきとなった。
「何しにきたんだよ!」
 一人の少年が叫んだ。
 多くの子供達が集まっていたため、誰が言ったのか判別できなかったが、その一言をきっかけに、他の子供達も口々に叫び始めた。
「根暗オタク!」
「こっちくんなよ」
「犯罪者の子供のくせに」
「母さんに逃げられたんだろ?」
「消えちまえ」
 悪意を持った言葉がコタローを傷つけていく。
 コタローは涙こそ流さなかったものの、その拳は屈辱に耐えるため、強く握り締められていた。
 以前のコタローならば、父親に関してなにも言えなかったが、今のコタローは自分の父親がどれほど立派な人か知っている。本当は犯罪者などではないことも、母親のことをどれほど思っているのかもよく知っている。だからこそ、父親の悪口は聞くに耐えなかった。
「ボクの父さんは犯罪者なんかじゃない!」
 強い眼差しで言ったコタローに、一瞬だけ子供達は言葉を止めた。
「犯罪者の子供のくせに生意気だぞ!」
「やっちまえ!」
 いじめっ子というに相応しい子供達がコタローに向かって走ってくる。
 コタローは逃げなかった。腕を顔の前に構え、戦う意思を見せた。いじめっ子達からしてみれば、コタローが抵抗しようとしていること自体が気に喰わない。こうなったら、許しを請うまで殴り続けてやろうといじめっ子達が考えた時であった。あきらかに日常生活の中で聞いてはいけない音が聞こえてきた。
「そのくらいにしとけ」
 いじめっ子達はコタローを殴ることはできなかった。
 コタローから一メートルほど離れた場所に、ガトリングの弾が撃ちこまれたのだ。
「クロちゃん……」
 周りの者達は、ガトリングに驚けばいいのか、ネコが二足歩行で立ち、さらには喋っていることに驚けばいいのかわらかず、ただ呆然とその場に立ち尽くしていた。
「コタロー。帰るぞ」
 ガトリングを定位置になおしたクロはコタローに背を向けた。
「え? でも……学校は?」
「お前はここで何かやりたいのか?」
 クロの問いに、コタローは首を横にふった。
 ここでやりたいことなどない。ここで学ばなければならないようなこともない。
「ならいいんじゃねーの?
 ここのヤツラはお前のことなんて必要としてねぇみたいだし」
 クロの言葉に、コタローは少なからず傷つき、泣きそうになった。
 必要とされていないというのは、あまりにも悲しいことだ。
「けどよ……。
 オイラ達はお前のことが必要なんだぜ?」
 コタローからはクロの背中しか見えなかったが、クロは照れくさそうに顔を赤らめているのだろう。
「剛のヤローにメンテ頼むのも嫌だしな」
 だから帰ろうとクロは言う。
 メンテなんて、いつも自分でやっているくせにと思いつつも、コタローはクロの優しさが嬉しかった。
「うん」
 子供達はクロを恐れ、道を開ける。その光景は、クロが新しい道を作っていっているかのようにも見えた。


END