ずっと会っていなかった人に会ったとき、喜び以上に愕然とした思いが勝るというのはどういうことなのだろうか。
会いたくなかったわけではない。会って話したいことはたくさんあった。だが、実際に会ってみるとその思いは吹き飛んでしまった。
「……母さん」
少し前から剛のもとで修行という名の居候をしていたコタローのもとへとある女性がやってきた。その日は偶然コタローしか家におらず、二人は何の障害もなく再会を果たした。
驚きのあまり色をなくした顔をしたコタローとは違い、女性のほうはニコニコと笑顔を浮かべている。二人の間には確実に相反する二つの空気が流れている。
「コタロー……。ずっと探していたのよ……」
女性は瞳に涙を浮かべてコタローをその瞳に写す。今にも自分を抱きしめてきそうな女性からコタローは目をそらし、静かに言う。
「今さら、何のようなんだよ」
コタローの母は、夫の研究に嫌気がさし、コタローを置いて家を出て行ってしまったのだ。コタローは母親を恨んでいるわけではない。だが、簡単に納得できるものでもない。
怒りの表情を浮かべたコタローを前に、母はようやく自分のしたことを思い出したかのように申し訳なさそうな表情をした。
「許して……くれるわけ、ないわよね」
悲しげな母の顔に、コタローは一抹の罪悪感を覚えたが、慰めるような言葉は持ち合わせていなかった。
「母さんは、耐えられなかった。あの人のあの行動は、異常だった」
「なら、どうしてボクを置いて行ったんだよ!」
怒りをあらわにして、叫ぶようにコタローは言う。
「あなたは、あの人とうまくやっていたから、大丈夫だと思ったの。
……それに、私一人の手であなたを養う自信がなかった」
女手一つで子供を育てるというのは難しい。子供とはいえ、頭のいいコタローは母の言っていることが正しいとわかっている。
「でも、もう大丈夫。迎えにきたのよ」
何を言っているのか、コタローには理解できなかった。
コタローの父は未だに刑務所の中で身の安全を確保している。再び共に暮らすこともできなければ、和解しあえるような状況でもない。コタローの混乱を感じ取ったのか、母は先ほどまでの後悔に満ちた表情から、花のような笑顔に表情を変えた。
「母さん、再婚するの」
足元が崩れたような感覚に陥った。
母が出て行っても、父が刑務所に入れられても、いつかはまた家族で暮らせる日がくるものだと思っていた。昔のように笑いあって食事をする日がくるのだと信じていた。
「とてもいい人なの。優しいし、普通のサラリーマンで、日曜は一緒にすごせるわ」
初恋をしている少女のように母は微笑む。
「もうこんなところにいなくてもいいのよ。あなた、学校にも行ってないらしいじゃない」
研究命の父とは違い、母は至ってまともな人間のため、ゴミ捨て場で生活するということも、学校に行っていないということも我慢できない。
普通の夫と再婚し、息子にも普通になって欲しいと望んでいた。
「……嫌だ」
ずっと望んでいた母との生活。けれども、そこにはコタローの知らぬ第三者の存在などなかった。
「何言ってるの! 子供が一人で生きていけるわけないでしょ」
コタローの腕を掴み、無理矢理にでもコタローを連れていこうとする母。
「コタロー君っ?!」
非力なコタローが母に引きづられ始めたとき、毎日聞いている声がコタローの耳に届いた。
「ミー君! 助けてっ!」
助けを求めるコタローを見て、ミーは剣を引き抜く。
当然、ごく普通の女性である母は剣を持った普通ではない生物を見て奇声を上げた。奇声と共にコタローを掴んでいた手は離され、コタローはミーの後ろに回った。よく見ると、そこには剛やクロもいた。
剛は母をじっと見つめ、クロはいつでも飛びかかれるように構えている。
「……あの人、ボクの母さんなんだ」
小さく呟いた言葉に、三人は目を見開いた。
あの男と結婚した女性が、これほどまで普通の人だとは予想していなかった。
「普通の人だね」
「本当にお前の母親かぁ?」
ミーは見た目からして普通ではないが、クロは一目見ただけならば普通のネコに見える。そんなクロが二足歩行で、しかも言葉を喋るとなれば、普通の人間の許容量は簡単にオーバーしてしまう。
だが、異常な親子と共に暮らしていたためか、母はここで始めて一般人とは違う反応を返した。
「……今は、こういうのが流行ってるの? それともあなたが作ったロボット?」
幼いころからそれなりに天才の部分を見え隠れさせていたコタローの姿を知っているため、母はコタローが今の科学技術では到底作り得ないであろう物を作り出してしまっても、おかしくはないと考えていた。
「違うよ。クロちゃんも、ミー君も、剛博士が作ったんだ」
コタローの言葉に、母は明らかにほっとする。
まだ幼い息子が、これほどまでの技術を持っているというのは、あまり信じたくないことだったようだ。
「まあ、ナナを作ったのはお前だけどな」
母の表情が何を示しているのか気づいたクロは、嫌味なほど口元を上げて言った。
ナナという存在をしらない母だが、その存在がコタローの異常性を認めるものだということだけは理解できた。
「コタロー君は天才ですよ」
優しい口調で剛が言う。誰もが喜びそうな言葉ではあるが、コタローの母は天才という言葉を拒絶した。
「……いや。あの人と同じだなんて……」
天才ゆえに家族を省みなかった夫のように息子までもがなってしまう。そんなのは耐えられなかった。
「母さん……」
コタローは始めて母が自分をどういう風に見ていたのかを知った。それはとても悲しいものだったが、いつかは知る真実だった。
「……もう一度、聞くわ。コタロー。母さんと一緒にきなさい」
懇願するような瞳をコタローに向けた母だが、コタローは静かに首を横に振る。
コタローはずっと母を求めていた。しかし、そこに父の姿がないというのについていくことはできない。クロもミーも剛もいない。コタローは自分の中の天秤を揺らし、わずかにクロ達が勝った。
「母さんは好きだよ……でも……っ!」
瞳に涙をいっぱいためてコタローは言う。それだけでコタローがどれほど辛い選択をしたのかわかった。
子供に対して、あまりにも酷な選択を迫ってしまったことに、母は胸に重いものを乗せられたような気分になったが、選んでもらうしかなかった。その結果、母である自分を選んでもらえなかったというショックも母にはあった。
「さようなら」
それ以上何も言うことはなく、母は去る。他に何か言おうとすれば、涙が零れ落ちていたのだろう。そんな母の背中をコタローはずっと見つめていた。
「よかったのかい?」
母と一緒にいることがコタローの幸せなのではないだろうかと思い、剛は問いかける。
「ええ。よかったんですよ」
コタローは俯いて答える。
「優しそうなお母さんだったね」
続いてミーが励ましの言葉を送る。コタローは黙って頷いた。
三人で暮らしているときはどんな生活をしていたのだろうか。きっと、普通の幸せそうな家庭だったのだろう。
「なあ、行くか?」
クロが問いかける。
母にはついて行かない。他に行くところなどあるのだろうか。
「お前の親父のところ」
脱獄させるには非常に困難な刑務所ではあるが、実の息子が面会に行くくらいなんてことのない場所だ。
父は知っているのだろうか。母の再婚のことを。様々なことがコタローの頭の中を巡ったが、結局は首を横にふるだけだった。それからミーと剛は美味しいご飯を作ってくれた。クロはご飯ができるまでずっとコタローの横にいてくれた。
いつか、あの選択を失敗だったと思う日がきたとしても、みんなの優しさだけは忘れない。コタローは心の奥でそう感じた。
END