ナナは度々フジ井家に遊びにくる。一番の目的はクロと会うこと。二番目の目的は、ジーさんやバーさんにクロの嫁として認められるように頑張ることだ。けれど悲しいことに、それらはいつでもナナを迎え入れてはくれない。
 みんなの兄貴であるクロはよく町やゴミ捨て場へと繰り出す。ジーさん達は旅行という名の大冒険に出かけることも少なくはない。
 そういった時、家に残っているのはマタタビだけだ。彼は自分が建てた家を愛しているのか、ただただ面倒なだけなのか、家から出ることが少ない。クロと共に暴れることがないわけではないが、それはミーの役割といった感がある。
「えー。今日、クロちゃんいないのー?」
 唇を尖らせるナナに、マタタビは少しばかり苦笑いを浮かべる。ナナのことはキライではないが、二人きりになるとクロの過去を問い詰めてくることが多いので、小さな苦手意識が植え付けられている。
 そんなことなど知るよしもないナナは、縁側にいたマタタビの隣へ腰を降ろす。少し待てばクロが帰ってくるだろうというあたりをつけているのだろう。
 天気はよく、風は心地良い。縁側で日向ぼっこをするには最適な環境だ。しかし、遊びにきた女を放置して眠りの世界へ旅立てるほどマタタビも腐ってはいない。口を開くことこそしないが、ちらちらとナナを気にしつつ空を見上げている。
「ねえ」
 小さな口が言葉を紡ぐ。
 マタタビは高い声を聞き、やはり今回も過去について問われるのだろうと目蓋を閉じる。
 何度聞かれたところで、クロの過去を話すつもりはなかった。彼にとって、過去とは悲しいものだ。裏切りも死も別れも、全てがあの時代にあった。今の仲間達がそれを知る必要はないと考えていたし、クロもそれを望んでいるだろうと勝手に思っている。
 決心していたマタタビだったからこそ、ナナの口から飛びだした疑問には目を見開かざるを得なかった。
「マタタビ君のタイプってどんな子?」
 思ってもみないことを問われた彼の心情は爆弾を投下されたようなものだった。荒れに荒れた心情はナナの言葉を正確に脳へと伝えるのを放棄しようとする。じっと見つめてくる大きな瞳が放棄を許さなかったため、爆弾発言は無事、マタタビの脳へと伝えられた。
 伝えられたからといって、意味を理解し、答えを導き出すことができるわけではない。
 小さく口を開けた状態で固まってしまったマタタビに、ナナは意地悪気に目を細め、照れてるの? と問いかける。
「い、や……。な、その……」
 どもった声に、ナナは笑みを深くする。
「マタタビ君は、子供のときクロちゃんと一緒だったんでしょ?」
「あ、ああ」
 ようやく意味のある言葉を紡げる質問になった。マタタビが肯定の言葉を口にすると、ナナは空を見上げながら己の考えを音にする。
「だから、好みのタイプも似てるかなって」
 頬を赤く染めながら言われたことに、マタタビはやっと納得することができた。
 結局のところ、ナナはマタタビを通してクロを知ろうとしているのだ。いつもの変らぬ質問の延長線上に今回の問いかけがあったというだけのことだ。
「なるほど」
 頭の中も冷静になり始め、直接的に過去のことを話すことをしない詫びの気持ちもこめ、この質問にくらいは答えようとする。好みのタイプを考え始め、マタタビは一つ気づいたことがある。
「…………」
「どうしたの?」
 眉間にしわをよせるマタタビに、ナナが無邪気に問いかける。
「いや……」
 渋るような声色。ナナは心配そうな瞳を向ける。
 マタタビは必死に考えた。過去の記憶をあさり、己の胸が高鳴るような生き物を想像しようとした。
 けれど、一つも浮かばなかった。
「マタタビ君?」
 メス猫が周りにいなかったわけではない。数こそ少なかったものの、メスはいたし、種族の違いを気にしないものがいたことも確かだ。だというのに、マタタビ自身のことを思い返してみれば、驚くほどメスのことを覚えていない。
 記憶を掘り起こしてみても、はっきりと記憶に存在しているメスは、クロの母親代わりだった犬だけだ。
「考えたことも、なかったな」
 オスもメスも考えていなかった頃にクロと出会った。その日からマタタビは兄貴であり、クロと共に騒ぎ暴れ、ゴッチやグレーに叱られた。クロの離れてからは彼を探すための旅に出た。考えれば考えるほど女ッ気のない道を歩んでいる。
 同時に、マタタビの道にはいつでもクロの影があった。
 それは兄貴というよりは、子供のために生きる母のようで。
「……拙者はいつの間に母親になったんだか」
「え?」
「いや。そうだな。やはり元気のいい女がいいな」
 思い当たったことをそのまま口にするのが恥ずかしくて、適当なことを口にする。
 大人しいよりは、元気な方が好ましいので、あながち嘘ではない。ただ、クロがマタタビと同じ趣味だとは限らないが。
「元気。元気ね……。
 ならアタイは大丈夫!」
「そうだな」
 ナナはいつでも努力家で、元気一杯だ。その点に置いては疑いようもない。
 彼女のような者にならば、安心してクロを任せられる。心のどこかでそんなことを思い、少しだけ苦笑いをする。
 クロを子供扱いしているつもりはないが、心配することを止められそうにない。嫌な想像ではあるが、自分はずっとこうしてクロのことを心配し、見守っていくのだろうということがマタタビの頭には浮かんでいる。
「もし、アタイとクロちゃんが一緒に暮らすようになったら、マタタビ君もくる?」
「いや、それは勘弁してくれ」
 二人は笑いあった。
「家くらいなら建ててやるさ」
「マタタビ君は、クロちゃんのこと大好きよね」
「ん? そう見えるか?」
「うん」
 建前として、マタタビはクロを恨んでいることになっている。それ故に、彼に対する愛情のようなものは表に出していないと思っていた。けれど、ニコニコしているナナを見る限り、それは成功していないのだということを知った。
 周りに気づかれているということを知らされたマタタビは、顔に血が昇ってくるのがわかった。
「ねー。一緒に住む?」
「住まん」
「意地っ張り」
 笑いながらマタタビをからかっていく。赤い顔を真正面から見ようとするナナと、彼女を避けようと顔を背けるマタタビ。
「お前ら何してんだ……」
 彼らを見つけたクロの気持ちを知る者はいない。


END